スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

公園の太極拳

2009-09-30 | 雑記

体育館へ太極拳の練習に行きました。

今日は先生が研修に行かれてお留守なので自主練習。
あいにくの雨で出席者がいつもの半数くらいだったという
こともあって、練習は比較的和気藹々の雰囲気でした。
  

BGM♪に乗って皆で楽しく練習しながら、ふと思い出しました

太極拳を習い始めた頃は、中国・台湾
へ旅行するたびに
早起きしては近くの公園に出かけ、地元の人達の中に入れて
もらってよく一緒に練習し、それがとても楽しかったものでした。
三峡下りの船のデッキの上でやったこともありましたっけ。
あの頃は、太極拳がただ単純に楽しかったな~


というわけで、
家に帰ってから古い写真を引っ張り出し、試しにスキャナで
取り込んでみました。(デジカメはまだ持っていなかったので)



太極拳のほか、「老人ディスコ」なるダンスがあったり
社交ダンスがあったり、京劇の練習をしている人達もいたり、
まだ仄暗さの残る早朝の公園はどこも賑やかでした☆



何故また突然にこんな事を思い出したのでしょうね。
今日の練習で、あの頃の楽しさに似たものを感じた?

通常の練習では、先生の出される課題を何とかできるように
なりたいと思うあまり、実はつい頑張っちゃったりする私ですが
頑張るのが「緊張」につながると、その分楽しさは・・・

「頑張らず自然に」というのはなかなか難しく・・

‘公園の太極拳’のように気張らず楽しく、さらに
そのうえでしっかりと・・欲張り猫が目指したい究極の課題です。

今日の練習で、そんなことを再認識したのでアリマシタ・・

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平潟湾をひと巡り③

2009-09-29 | 横浜

山を大きく穿った隧道かと思しきものがあります。
近寄ることもできませんが、大戦時の遺産でしょうか。



右手に海が見えてきました~
対岸は「八景島シーパラダイス」

そしてその右手遠くが東京湾



暫く行くと、松林に囲まれ海に面して藁屋根の建物。
修復(復元?)工事中のようです。
伊藤博文公別邸

柵の間から覗いて見ると・・




憲法草案の機密書類盗難事件以後、料亭東屋を引き払い
伊藤公の別邸へ審議の場を移したのですが、それは
此処ではなく対岸の夏島(横須賀市)にあった別邸だと
いうことです。其処は後に軍用地となり別邸は小田原へ
移されて震災で焼失してしまい、残っていないそうです。

此処の別邸は草案審議のその後に建てられ、大正天皇や
昭和天皇をはじめ多くの皇族方や政府高官が訪れたとか。

工事が完成したら、いずれ公開されることになるのでしょう。


そろそろ帰るとしましょう。
野島を後にして、擬宝珠の付いた白い橋を渡ります。
夕照橋

1985(昭和60)年竣工。名勝「金沢八景」の1つ
「野島の夕照」に因んで命名された美しい名の橋です。

橋からの眺め





橋を渡りきって左へ行けば今は陸続きの夏島ですが、右へ。
所々で太公望の釣果を覗きながら、湾沿いの遊歩道を駅まで
    
の~んびり ぐるっとひと巡りして16,574歩でした

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平潟湾をひと巡り②

2009-09-28 | 横浜

琵琶島弁財天をあとに平潟湾に沿って歩いていくと、
道路の左側に何やら金色に光るプレートが・・?

明治憲法起草の地

書かれてあったのはこんな文言;

この地は料亭東屋(あずまや)の跡で、明治20年(1887)
伊藤博文・伊東巳代治・金子堅太郎・井上毅らが
明治憲法制定のため草案を起草したところです。

明治20年6月から東屋に集まり草案の構想を練っていました。
金子・伊東は東屋に泊り、伊藤は夏島の別荘から、井上は
野島旅館から通いました。8月6日夜、東屋の伊東の室に
盗賊が入り機密書類の入っていた行李が盗まれましたが、
翌日書類は無事発見されました。その後、伊東・金子両名は
夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されましたが東屋が
起草の地であるとして、昭和10年(1935)「憲法草創之処」と
いう記念碑が金子堅太郎書で東屋裏庭内に建てられました。
現在ここより40m東に移され設置されています。
                 社団法人 横浜国際観光協会
                横浜市教育委員会文化財課
                  平成3年3月

ということで、少し先の碑



このあたりは釣り船宿がたくさん並んでいます。
今しも釣客を乗せて帰ってきた船が・・
おかみさんが桟橋でお出迎え。きょうの釣果は如何?



島へ渡る橋のひとつ「帰帆橋」で
モノレールの軌道の下から湾を振り返って見ると



島に着きました~ ひと巡りしてみましょう。

野島公園
横浜の最南端の自然島。島の約半分が公園になっています。


野島稲荷社
野島町の総鎮守で、ご祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。
1227年(安貞元
) 阿波守長島維忠の発願により、
子の修理佐頼勝が造立したものと伝わります。


万治年間(16581660)、野島浦の南端に「塩風呂御殿」と
称された紀州大納言・徳川頼宣公の別邸があり、稲荷神社が
御殿鬼門の方角に当たるため守り神として頼宣公の
篤い尊信を受けたという古老の話が伝わっています。




石段の両側には奉納された狐の石像
それにしても、どうしてみんなこんなに怖いお顔・・?
両側から怒った狐に睨まれながら・・・
    
もう、やだ~!  と、ビビり猫は早々に退散 ・・


松林の中に大勢の人がいます。何をやっているのかしら?
行ってみましょう!


    
BBQパーティーでした。煙といい匂いが漂っています。
楽しそ~!




海がもっとよく見える方へ行ってみましょう!

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平潟湾をひと巡り①

2009-09-27 | 横浜

京急線「金沢八景」駅の前を走るR16を左に進むとすぐに、
こんもりとした社叢林を背後に控えて神社があります。

瀬戸神社


社伝では、1180(治承4)年に源頼朝公が伊豆三島明神(現・三嶋大社)を
勧請したのが起源とされます。ご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)。
以来 時の権力者の庇護を受け、江戸時代には百石の朱印を賜っています。
(説明板より)


現在の社殿は、1800年(寛政12)年に建てられたもので、
1929(昭和4)年から銅板葺の屋根になっています。

風格のある大変立派な社殿です。(左側から)


境内にあるカヤの大木は樹高26.1m 幹回り172cm。
関東地方でも珍しいほどの貴重なものだそうで、
市の天然記念物に指定されています。


「蛇混柏(じゃびゃくしん)」
1680(延宝8)年 大風で倒れた後も朽損せずに残っている
もので、新編鎌倉誌・江戸名所図絵にもその名があるとか。
その一部は社殿の扉材に使われているそうです。


境内には祖霊社をはじめ、小さなお社が複数祀られています。
岩に掘られたやぐらの中に稲荷社も



神社の正面、車の往来が激しいR16を挟んで鳥居があります。
琵琶島弁財天


松並木の参道を進み、朱塗りの可愛い橋を渡るとお社があります。
    
ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
頼朝公が瀬戸神社を開いた際、夫人政子も瀬戸神社々頭の海に
島を築き、深く信仰した近江国竹生島弁財天を勧請し建立しました。

もとは瀬戸神社前の海中にあって2つの島を橋で結んで
いたそうですが、現在は陸続きです。島の形が琵琶に
似ているところから琵琶島と呼ばれています。


島から平潟湾を一望
湾を横切ってモノレールの軌道が走っています。


お社のすぐ後ろに、八景島方面へ向かうモノレールが


鳥居の傍らに、以前当blogに遊びに来てくださった
yuukoさんから教えて頂いた「福石」がありました♪


頼朝公が参拝の折、この石に服を掛けて海水で
禊祓を行ったところから「服石」ともいうそうです。
江ノ島神社の福石より大きくて立派ですね!

やはり、この前で拾い物をすると福が授かると言い伝わるそうです。
私も何か拾う物はないかと見回してみましたが・・吸殻くらいしか(笑)


今回訪ねた「瀬戸神社」「琵琶島神社」については
yuukoさんのHPに詳しく紹介されていますので、
ぜひご覧になってみてくださいね。

このあと、平潟湾を時計回りに巡ってみたいと思います。

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♪今は~もう秋~♪

2009-09-25 | 散策

♪誰も~いない海~♪
(昔、こんな歌がありましたっけ)


あ、釣り人さんたちがいましたかね(笑)


夏の喧騒から漸く解放されて静けさを取り戻した海
強い日差しの下ゆえの明るい寂寥感(?)
これが9月の海です。


海岸通りを散歩しました。 久々です♪
暑いくらいのですが、風はさすがに`もう秋~♪’です。
海岸通りに鳥居が見えてきました。
ちょっと寄り道・・

住吉神社

由緒を記した説明板によると;
ご祭神は中筒之男命(なかつつのおのみこと)・天照皇大神・
戔鳴尊ほか。創建年代は不詳ですが、「吾妻鏡」「相模国
風土記」などによれば約1,000年ほど前と推定され、三浦一族の
水軍の船霊として信仰を集めてきた航海・漁業・貿易などの祖神。



三浦氏の居城 衣笠城が落城する前夜、三浦義澄が一族郎党を
引き連れ房州へ渡る際、山頂の松に幟を立て武運長久を祈願。
その後三浦氏の援護で権力を掌握した源頼朝は夫人政子と
共に此処に参詣し、馬を奉納したということです。

「猿田彦大神」と刻まれた石塔群


左端の1基は、像の姿ももう定かではありません。
いつ、どなたが、どんな経緯で奉納されたのやら・・
風雪を感じますね・・・



狛犬さんの台座には、「江戸 三十軒堀」の文字が刻まれています。
    
無人のようでしたが、境内に荒れた感じはありません。
きちんとお守りなさる方がいらっしゃるのでしょうね。


神社を出て、さらに歩いて行くと

あ、此処にも彼岸花の群れ


秋ですね・・


海岸通りを 風に吹かれながら
9,724歩

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藤沢市・彼岸花の道

2009-09-23 | 神奈川

藤沢市と茅ヶ崎市との境を流れる小出川は大きな川では
ありませんが、今 両岸に彼岸花の赤い帯の道ができています。



神奈川新聞によると、雑草が伸び、粗大ごみが不法投棄
されるなど荒れていた沿道を、
7年ほど前に近隣の人達が
清掃し始めたのがきっかけだそうです。
再生の目玉として、
もともとこの打戻地区に自生していたヒガンバナに着目
して
球根を植え始めたものが年を追うごとに増えて、
今では約3kmのみごとな`赤い帯の道’になりました。


    


たくさんの人が散策に訪れています。


「彼岸花まつり」が行われ、川沿いの広場のテント張りの
売店では地元農家の人達手作りの新鮮な野菜や和菓子
花の苗などが販売されていて、なかなか盛況のようでした。



「富士には月見草が・・」と書いた方がいらっしゃいましたが、
「富士に彼岸花」もなかなかだと思いませんか?


周辺は刈入れを待つ 稲の波


曼珠沙華 ひとむら燃えて 秋陽つよし そこ過ぎてゐる 静かなる径
                                     木下 利玄
      

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墨田区・向島散策

2009-09-21 | 東京・川崎

東武・東上線の「東向島駅」を出ると、駅の隣は

東武博物館

東武鉄道創立90周年を記念して1989(平成元)年に開館しました。
実物の電車・バスと共に同鉄道の様々な歴史を展示しています。
入館料:大人¥200 4歳~中学生¥100



鉄道ファンには堪らないでしょうね~


「1720系デラックスロマンスカー」は、1991(平成3)年の
引退まで浅草~日光・鬼怒川方面を走った看板特急でした。


これは1954(昭和29)年に製造された「日光軌道線203」




博物館を出て7~8分歩くと「向島百花園」、さらに5分ほどで

白髭神社

951(天暦5)年に近江の白髭大明神を勧請したのが起源とか。
ご祭神は、猿田彦大神・天照大神・建御名方命ほか。
隅田川七福神の寿老人をお祀りしています。

境内の狛犬さん
    
山谷の料亭「八百善」の八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が
文化12年に奉納したものだといいます。(説明板より)
なかなか良い狛犬さんだと思いました。



付近を少し歩いてみることにしました。
この辺りは昭和の家並みが残っています。




墨堤通りを10分足らず歩いて行くと、左手に
路地のような狭い道幅の昔ふうの商店街がありました。
ちょっと入ってみましょう。

「鳩の街通り商店街」
    
此処は戦後間もなくから1958(昭和33)年の売春防止法制定まで
殿方が通ったカフェ街(色街)で、永井荷風氏や吉行淳之介氏の
小説の舞台にもなった所だということです。
勿論 今は普通の、ちょっとレトロな商店街です。
    
乗用車1台分ほどの狭い道幅は当時のままで昭和初め頃の
木造建築と雰囲気がまだ残っている、そんな商店街でした。


あちこち寄り道しながら「曳舟」駅まで1駅分のお散歩は
12,435歩でした


で、
きょうの散策のオミヤは、「向島 志”満ん草餅」さんの草餅です♪

1869(明治2)年創業の老舗和菓子屋さんです。
墨堤通りのお店が工事のため現在仮店舗で営業中。


年間を通して青森・福島・伊豆・房総から取り寄せる
生のヨモギを使って手作りされているそうです。

右が小豆餡、左はくぼみに白蜜ときな粉を入れて食べます。

ヨモギの風味が口いっぱいに広がって
んー、し・あ・わ・せ~!

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百花園で出会った花

2009-09-20 | 花散歩

向島百花園では、いろいろな花や実に出会いました。
そのうちの一部をご紹介しますね。


まずは
ミヤギノハギ(宮城野萩)
マメ科ハギ属
秋の七草の1つで、季節を感じる代表的な花ですよね。
萩のなかでも花期が長く、枝垂れるのが特徴だそうです。
    
白露を こぼさぬ萩の うねり哉  芭蕉
寂しさを こぼれて見せつ 萩の露  不角


サクラタデ(桜蓼)
タデ科イヌタデ属
根茎を地中に伸ばして繁茂します。
小さな花ですが、桜色がとても愛らしい!
    


シロバナサクラタデ(白花桜蓼)
白花もありました。
    


イヌタデ(犬蓼)
タデ科イヌタデ属
別名のアカマンマの方が分かりやすいですね。
    
立ち止まり あたり見回しぬ くれなゐに 咲き満ちたるは 犬蓼の花
                                      斉藤茂吉



ナガホノワレモコウ(長穂の吾亦紅)
バラ科ワレモコウ属
こんな吾亦紅もあるんですね~ 赤と白があるようです。



トウテイラン(洞庭藍)
ゴマノハグサ科ルリトラノオ属
日本固有種で、主に関西の日本海側に分布。
葉や茎が白い綿毛に覆われています。
あの洞庭湖の水の色をしているというので、この名。
    


クコ(
杞)
ナス科クコ属
半蔓性で茎には棘があり、秋に赤い実をつけます。
葉・根・果実が薬用に利用されます。
    
杞の実の あけのにほへる 冬の野に 山より小鳥 くだりて鳴くも 
                                      斉藤茂吉



ニホンハッカ(日本薄荷)
シソ科ハッカ属
花期は8~10月ごろ。芳香があります。
ハッカオイルを採取します。
    



メイゲツソウ(名月草)
タデ科イタドリ属
ベニイタドリ(紅虎杖)が本来の名だと思いますが、
ステキな名札が付いていたので、この名でご紹介します。
    


ヘビウリ(蛇瓜)
ウリ科カラスウリ属
インド原産。 明治末に渡来したそうです。
花は白くてカラスウリの花のように髭があるとか。
私は見たことがありませんが・・



ザクロ(柘榴)
ザクロ科ザクロ属
種に植物性エストロゲンを含み、血流促進効果あり。
特に、女性ホルモンの活性効果があるというスグレものです!
    


ウメモドキ
モチノキ科モチノキ属
日本固有種
葉が梅に似ているので、この名。
6月ごろ淡紫色の花が咲き、秋には雌株に実が生ります。
    


シロシキブ(白式部)
クマツヅラ科ムラサキシキブ属
ムラサキシキブの白い実が生る品種だそうです。
    

このほかにもいろいろな花が咲いていましたよ。

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萩のトンネル

2009-09-19 | 東京・川崎

だいぶ秋らしくなってきましたね。
「秋の七草」といえば山上憶良の歌;

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数うれば 七くさの花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 あさがおの花


というわけで、
墨田区にある「向島百花園」にやって来ました。

門を入ると


そこは 静かな癒しの空間


秋の色がただよい


ゆったりと時間が流れます




石橋の先は濃い緑


「日本橋石柱」

日本橋が木橋・石橋・鉄橋と変遷するなかで、
石橋時代の模造品ではないかとされていますが
刻まれた文字は徳川慶喜の筆と伝わります。
(説明板より)

このほかにも、芭蕉の句碑をはじめとして
庭のあちこちに、20数基もの石碑が点在しています。



1805(文化2)年頃、佐原鞠塢(きくう)という
骨董商を営む粋人が
元旗本屋敷の跡地約3,000坪を購入し、親交のあった文人墨客の
協力を得て360本の梅を主体とする花園を造ったのが始まりだとか。
12代将軍徳川家慶や皇室の方々のお成りもあったそうです。

戦災などで一時荒廃した時期を経て、1939(昭和14)年に都が
再び開園し 1978(昭和53)年に国の名勝史跡に指定されました。
(説明板より)


この季節、多くの来園者が楽しみにしているのが
全長約30mという「萩のトンネル」


ちょうど見頃のようです! ラッキー
    



花暮れぬ 我も帰りを 急ごうずる
(鷺流狂言師 矢田哉翁の歌碑より)

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花散歩⑳

2009-09-17 | 花散歩

公園で、里山道で・・・今月もいろいろな出会いがありました。


ジニア
キク科ヒャクニチソウ属
メキシコ原産
ヒャクニチソウ(百日草)の耐病性をさらに改良した園芸種です。
花言葉は「別れた友への思い」



ハツユキソウ(初雪草)
トウダイグサ科トウダイグサ属
北アメリカ原産
小さな白い花が咲く夏に、葉に白い縁取りが入るのを雪に見立ててこの名。
    


アンスリューム
サトイモ科ベニワチワ属
南アメリカ原産
別名:オオベニウチワ(大紅団扇)
鮮やかに赤い仏炎苞はインパクトがありますね。
花言葉もズバリ「情熱」
    


パンパスグラス
イネ科コルタデリア属
別名:シロガネヨシ(白銀葦) ・シロススキ(白薄)
高さ2~3mになります。陽に輝く穂が美しい!
花言葉は「光輝」


    


コスモス
キク科コスモス属
多くの日本人の好きなこの花が、メキシコ原産って知ってました?
日本へは明治時代に渡来したそうです。
和名:アキザクラ(秋桜)  花言葉は「乙女の純潔」

コスモスの 花の揺れきて 唇に  星野立子


ノゲイトウ(野鶏頭)
ヒユ科ケイトウ属
インド・熱帯アジア原産
別名:セロシア  ケイトウ(鶏頭)の原種といわれます。
最近 園芸用としてよく見かけるようになりましたね。
    


ケイトウ(鶏頭)
ヒユ科ケイトウ属
インド・熱帯アジア原産
花冠が鶏のトサカのように見えるところから、この名。
色や形がいろいろ変化に富んでいます。
花言葉は「警戒」
    
鶏頭に まとまる夏の 暑さかな  永機
鶏頭の 花くれなゐに 秋の日の 傾く早き 夕べなりけり  長塚 節


ヘチマ(糸瓜)
ウリ科ヘチマ属
西アジア原産 
江戸時代に渡来しました。雄花と雌花があります。
花言葉は「飄軽」
    
秋風に 吹かれ次第の 糸瓜かな  浪花
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず  正岡子規


カントウヨメナ(関東嫁菜)
キク科ヨメナ属
ふつうのヨメナ(嫁菜)はほとんど関西だそうです。
関東のヨメナは白花。



ワルナスビ(悪茄子)
ナス科ナス属
別名:ナイトシェード
乾燥地に生育し、鋭い棘があります。
白~薄紫色の花はナスそっくりですね。
花言葉は「欺瞞」
    


チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔)
ナス科チョウセンアサガオ属
別名:マンダラゲ(曼荼羅華)
これこれ! 華岡青洲の麻酔薬に使われた植物ですね。
こんな実がなるんですね~ 初めて見ました
    
曼荼羅華 枯れたつ茎に わたり吹く 西となりたる夕潮の風  土屋文明


ヤブツルアズキ(藪蔓小豆)
マメ科ササゲ属
アズキの原型といわれています。
山野に生え、蔓を伸ばして繁殖します。
(花がボケちゃいました・・)
    


ウシハコベ
ナデシコ科ウシハコベ属
山道でよく見かけます。20~30cm丈で小さな小さな花ですが、
よく見るととても可愛らしいでしょう?
    


アブチロン・ヒブリドゥム
アオイ科イチビ属
ブラジル原産
6~10月ごろに花が咲きます。花色豊富。
あのウキツリボクの仲間だそうです。
アブチロンの品種は100種類以上もあるそうですよ。
花言葉は「憶測」
    


ヒガンバナ(彼岸花)
ユリ科ヒガンバナ属
別名:マンジュシャゲ(曼珠沙華)
中国原産
きまってお彼岸の頃になると咲く律儀な(?)花ですね。
花言葉は「悲しい思い出」

曼珠沙華 雲はしづかに 徘徊す  山口誓子
つき抜けて 天上の紺 曼珠沙華  山口誓子

    

もうすぐお彼岸ですね~ 
いよいよ本格的な秋の到来です♪



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秋を見つけに

2009-09-15 | 散策

きのう(14)は、朝からスコ~ンとみごとに晴れ上がりました。




真っ青な空に誘われて、里山に秋を探しに行きました。
ん~、いい気持ちだ~!


そろそろ刈り入れですね


土手には彼岸花もたくさん!



先月見かけたカラスウリは、もう青い実をつけていました
モジャモジャの花もまだ少し・・
    


見~っけ! これがセンニンソウの髭ですね。
たしかに仙人のヒゲ~
    


そこにも・・



ここにも・・



秋がいっぱい!


9,061歩のお散歩でした


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茅ヶ崎史跡めぐり④

2009-09-14 | 神奈川

相模川は蛇行・氾濫を繰り返しながら西へ移動していきますが、
その中洲一帯は「懐島(ふところじま)」と呼ばれました。


12世紀初め頃、桓武平氏の流れをくむ鎌倉権五郎景政(景正)が
この地を開拓し伊勢神宮に寄進した「大庭御厨(おおばみくりや)」は
現在の寒川町・茅ヶ崎市・藤沢市にまたがる相模国最大の荘園でした。

時を経て、大庭御厨は景政の曾孫の兄弟に分割相続されました。
それが懐島太郎景義・大庭三郎景親・俣野五郎景久です。
それぞれ源氏・平氏に従って活躍する有名な武将ですが
長くなるのでここでは触れません。大庭氏はその後、景義の
嫡男景兼が和田の合戦で北条氏に破れ表舞台から消えます。


さて、次に訪れたのは
神明大神宮

此処は、懐島権守 景義の居館跡です。景義は館の鬼門に
伊勢神宮を勧請して神社を建立し、守り神としました。
嘗ては神社周辺に空堀も残っていたそうです。



社殿の裏手に「景義像」と「館址の碑」


景義ゆかりの五輪塔



神社を出て「本社宮」に向かいますが、
カンピューターが狂い始めたのか、この辺りから迷い道くねくね・・
え~い、迷子もまた楽し♪


だいぶ戻り道をしてやっと辿りつきました~
本社宮

源 頼義が1030(長元3)年東征の折、戦勝を祈願して
懐島八幡宮を創建。その子 義家が鶴嶺八幡宮を建立し、
懐島八幡宮は「本社宮」と改称して村の鎮守となりました。


本社宮のすぐ近くに、
隣海山 長善寺

真言宗のお寺です。 元 鶴嶺八幡宮12坊のひとつ。
1648(慶安1)年創建で開山は清誉上人。ご本尊は大日如来像。

こじんまりしたお寺ですが、よく手入れされた境内に
季節の花が咲き乱れている花の寺でした。

清々しい秋の空気を吸いながら、21,873歩
でも、最後のあたりでさすがに少し疲れました・・
またの機会に出直すことにしまーす!

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茅ヶ崎史跡めぐり③

2009-09-13 | 神奈川

鶴嶺八幡宮の近くにあるのは、

懐島(かいとう)山 龍前院」 

ご本尊は阿弥陀如来像。開基は大庭氏の祖といわれる平 良正。
創建・開山は不詳。法相宗→真言宗の寺であったのを江戸時代の
領主 山岡景長が1508(永正5)年に曹洞宗の寺として再興しました。

「山岡家墓所」

初代山岡景長は、三河国浜松城において徳川家康に仕えて
300石を賜り、この懐島(ふところじま)一帯を知行していました。
(説明板より)

「五輪塔 十基」

市指定重要文化財となっています。
形態などから、
これらは14世紀前半(鎌倉後期~南北朝初期)頃に
順次造られたものと考えられています。このように比較的大型の
五輪塔が10基もまとまってあるのは、県内でも珍しいそうです。

参道に「庚申塔群」
おそらく、周辺にあったものが集められたのでしょう。


三猿が刻まれた庚申塔には「明暦三年(1657)」の
銘があり、市重要文化財になっているそうです。
肉厚で、しっかりした浮き彫りですね。



龍前院をあとに、住宅地や畑の傍を20分くらい歩いて行くと

懐島山 宝生寺」

此処も同じ山号でした。 真言宗のお寺です。

ご本尊の銅製「阿弥陀三尊像」は国指定の重要文化財。
中央・阿弥陀如来像(58.3cm)  
左脇・観音菩薩像(32.9cm)
右脇・勢至菩薩像(33.8cm)

(説明板の写真です)
善光寺式と呼ばれる一光三尊像(1つの光背に3体の像が並ぶ)で、
無銘ですが
鎌倉時代の作とされています。1940(昭和15)年の火災で
真っ黒なお姿になり、脇侍の勢至菩薩は後ろに傾いてしまっていますが
とても気品のある仏様で、懐島(大庭)景義の持仏だったともいわれます。




宝生寺の境内で一休みしたら、元気が出てきました。
もう少し先へ行ってみましょう!

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茅ヶ崎史跡めぐり②

2009-09-12 | 神奈川

八幡宮に到着しました。


朱塗りの大鳥居から社殿に続く松並木は、別当寺の朝恵上人が
領主 山岡氏の援助で1649(慶安2)年に社殿を再興、幕府より
7石の御朱印を得た記念に植樹したものだそうです。
(説明板より)

さらに参道を進んで行くと


車道で隔てられた先に社殿が見えてきました。


鶴嶺(つるみね)八幡宮
相模国茅ヶ崎の総社。
ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)・佐塚明神ほか。





平安後期 源頼義が東征の折、懐島郷矢畑(八幡)に源氏の守護神
石清水八幡を勧請して一社を創立。のちにその子八幡太郎義家が
後三年の役戦勝のお礼にこの地に遷座したと伝わります。

「御神木の槇」

義家が、前九年の役戦勝祈願の折に手植えしたと伝わります。
樹齢900余年とか。

「大公孫樹」
根周り 8.5m  樹高 29m  樹齢950年

    
この木も義家の手植えと伝わっています。鬱蒼と社殿を包み込むような
みごとな巨木です。 黄葉はさぞさぞ美しいことでしょうね~!

境内にはそのほか、女性の守護石「女護が石」・
針供養や人形供養で名高い「淡島神社」・癌など
難病封じの「祈願石」なども祀られてあります。

あと、もう少し先まで歩いてみましょう!

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茅ヶ崎史跡めぐり①

2009-09-11 | 神奈川

JR茅ヶ崎駅から東海道線と平行するR1を西へ下っていくと
小出川を渡る手前左側に、桜の木に囲まれた公園があります。

旧相模川橋脚


この春 民族資料館を訪ねた際にご紹介したので、詳細は省きますね。



保存工事の様子(説明板から)

関東大震災で水田に9本の檜柱が出現し、調査によって鎌倉時代に
相模川に架けられた橋の橋脚であることが判明し、保存されています。
(現在見えているのは樹脂製のレプリカで、実物は水中に。)


橋は源頼朝の重臣 稲毛三郎重成が亡妻(北条政子の妹)の
供養のために架けたといわれ、その落成供養に出席した帰途に
頼朝の乗った馬が突然棒立ちになって頼朝は落馬、
重傷を負った末 翌年
死亡したとの説があるそうです。

頼朝の死因には諸説あるようですが、馬が突然暴れたのは
義経主従の亡霊に怯えたからだという話が広まりました。

この水中に眠る9本の橋脚たちは真実を知っているのかも・・・


R1を少し戻った「鳥井戸橋」の袂に
南湖の左富士之碑

安藤広重の「東海道五十三次名所絵図」にある
「南胡の松原左り不二」の記念碑です。
    

東海道を京へ上る途中、珍しく左側に富士山が見えるという
有名な景勝地だということですが、今日はどうかな?

あ、雲の上にかすかに黒い富士のアタマが・・



鳥井戸橋の交差点の先に朱塗りの大鳥居があり、その先に
約700mの松並木の参道が「鶴嶺八幡宮」へと続いています。



八幡宮へ行く前に・・
鳥居の右手の方に入っていくと
弁慶塚

説明板によれば、頼朝の死後、義経の怨霊を
鎮めるために里人達が建立したものだとか。
また同じ理由から、南湖にある西運寺境内には
「義経の御霊社」があるということです。

それでは、八幡宮へと行ってみましょう。

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