さて、‘小路歩き’の続きに戻りましょう。
‘猫’と一緒に探検している感覚で、どうぞ!
妙長寺門前のバス通りを、材木座海岸の方へ歩いていると
右側に、長さ1m余の小さな石の欄干と大きな碑。
「乱橋」碑
『吾妻鏡』などの記載では「濫橋」とか。
年代的に真偽のほどは分かりませんが、新田義貞の鎌倉攻めの折
北条軍がこの橋の辺りから崩れ始めたからだと伝えられています。
碑文には、この橋は「鎌倉十橋」のひとつに数えられ、橋の南方に
連理木があることで有名で、1248(宝治2)年6月の記録にこの橋の
辺りに雪が降り、霜のように白く積もったと書かれているそうです。
その先の「五所神社前」バス停を過ぎて左の小路を入ると、
先日ご紹介した「五所神社」の前に出ます。 社前を左に行った先に、
「随我山 来迎寺」
時宗のお寺です。
創建: 1194(建久5)年
開山: 音阿上人
本尊: 阿弥陀三尊像
嘗て源頼朝が、源氏再興に尽力した三浦大介(おおすけ)義明の
菩提を弔うため建立した「能蔵寺(真言宗)」が前身で、のちに改名改宗。
ご本尊の阿弥陀如来は、義明の守り本尊といわれます。
「三浦義明・多々良三郎重春供養墓」
五所神社前に戻り、海(南)に向かって歩いて行くと
「弘延山 実相寺」
日蓮宗のお寺です。
創建: 1284(弘安7)年
開山: 日昭上人
開基: 風間信昭公
本尊: 一塔両尊四士
日昭上人は日蓮上人の直弟子で、曽我の仇討の工藤祐経の孫にあたり
祐経の屋敷跡に寺院を建立したと伝わります。 風間氏は越後の太守。
バス通りと平行に通っているこの道が、何ともいい雰囲気です☆
前回この辺りを訪ねたとき、いかにも鎌倉らしい趣を感じました。
嘗てこの辺りには、多くの寺が伽藍を連ねていたそうです。
広い庭に、松や梅など樹木の植栽が多いお宅が並んでいます。
竹穂垣のお宅
黒板大和塀のお宅
小路の突き当たりに、可愛らしい祠がありました。
「駒形稲荷社」
もとは、駒形屋という質屋さんの屋敷神だったようです。
小路は、左の方へ続いています。 行ってみましょう☆
路地の先を更に右へ入って行くと、
「南向山 帰命院 補陀洛(ふだらく)寺」
真言宗のお寺。
創建: 1181(養和元)年
開山: 文覚上人(伝)
開基: 源頼朝(伝)
本尊: 十一面観世音菩薩像(平安期)
もとは七堂伽藍の大寺だったそうですが、度々火災や竜巻に遭い寺歴は不明。
別名「竜巻寺」とか。 源頼朝が、祈願所として建立したと伝わっています。
寺宝に文覚上人書と伝わる頼朝位牌・自作と伝わる頼朝像・平家の赤旗など。
門に「山内不幸」と。 お寺にご不幸があったようでした。
以前 補陀洛寺を訪ねたことはあるのですが、周辺は未知の世界。
今日の歩数は超えたけれど、あと少しだけ歩いてみることにしましょう☆
子供の頃によくやった、分かれ道に立てた棒切れの倒れた方へ
どんどん歩いて行く、という遊びが思い出される路地歩きです
思えば平和な時代だったんだなぁ~なんて、しみじみ・・・(笑)
(続)
今日の夕方5時ごろ、急に窓の外いっぱいにオレンジ色!
何、この色?
急いで窓を開けて、西の空を見ると
東の空も・・ 空一面、こんな色になっていました~
ふと気づくと、風に乗って白いものが・・・
わァ何、雪?
ガレージの屋根に、ホラ☆
突然 窓の外が赤くなっていて、ちょっとビックリしました。
今夜は冷えそうですね・・
先日「汐神楽」の帰りに五所神社を訪ねた際、周辺の小路の
雰囲気に興味をひかれたので、もう一度歩いてみようと思いました。
鶴岡八幡宮から真直ぐ海へ伸びる若宮大路の
「下馬交差点」を過ぎた辺りに、小さな石の橋。
「琵琶橋」
今まで見過ごしていました・・
若宮大路の二の鳥居~一の鳥居は「琵琶小路」と呼ばれ
道筋に弁才天を祀る祠があったようです。 名前の由来は
その祠を避けて道が琵琶のように湾曲していたからだとも、
弁才天が琵琶を持っていたからだともいわれます。 古来
八幡宮参道を維持する重要な拠点とされ、嘗てはここに
擬宝珠の付いた朱塗りの橋が架けられていたそうです。
ウバメガシの生垣が素晴らしい「鎌倉女学院」の角を左へ・・
観光客はあまり歩いていない道になってきました。
生垣の終わった先にある小橋は、
「閻魔橋」
下を流れるのは「閻魔川」で、川岸に閻魔十王堂が
あったようですが、詳細はよく分かりません。
連子格子が美しい、江戸商家のような建物がありました。
美術ギャラリーのようですが・・
二階の木製看板には「竹腰酒店」の文字。
年配の人なら多分ご存知と思いますが、
TV体操の故・竹腰美代子さんのご実家だそうです。
* mitchさんから 下記のご指摘を頂きました。 ありがとうございます!
「元 ’ 竹腰酒店 ’ は 竹腰美代子さんの親戚で、竹腰美代子さんの
ご実家は逗子市で 炭とか練炭などの元・燃料店でした。」 とのことです。
( 2019.12.27 )
数十メートル先の左の路傍に「元鶴岡八幡宮」の道標。
入って行ってみましょう。
「元八幡宮」
鶴岡八幡宮の前身で、前九年の役を平定した源頼義が1063(康平6)年
石清水八幡宮を勧請して「由比若宮」を創建。 その後、源頼朝が
1180(治承4)年に現在の鶴岡八幡宮の地に移しました。
この元八幡の北側の一画は、大正時代は小山別荘と呼ばれ
敷地内の別棟家屋を借りて、新所帯をもった芥川竜之介が
住んでいたようで、「或る阿呆の一生」にその記述があるとか。
元の道に戻って、小路を進んで行くと
「石清水の井」と書かれた井戸があったり
建仁寺垣など趣ある竹垣の家があったり・・☆
ぐるりと塀をめぐらしたとても広い敷地の豪邸は、
南次郎陸軍大将(1874-1955)の邸宅とか。
南邸の裏へ廻ると、こじんまりした境内にお社が・・
「音松稲荷社」
「鎌倉三大稲荷」といわれた一社で、由緒は不明ですが
500年位前に京都・伏見稲荷を勧請したと伝わります。
「初午詣」のお知らせが貼られてありました。
小路は次第に狭くなり、やがて人一人ほどの道幅に・・
少し不安(?)になってきましたが・・・
やれやれ、やっと広いバス通りに出ることができました~
目の前に、改修成ってまだ新しい立派なお寺。
「海潮山 妙長寺」
日蓮宗のお寺です。
創建:1299(正安元)年
開山・開基の日実上人は、伊豆で日蓮開祖の命を救った
漁師であるとも、その子であるともいわれています。
本尊:三宝祖師
1891(明治24)年に鎌倉に来た泉鏡花が、夏の2ヶ月間
当山に滞在し、その時の経験をもとに1898年に「みだれ橋」
(のちに「星あかり」と改題)を発表したということです。
お寺の前に、貫禄充分のポスト。
所々塗装は剥げても、現役です!
あともう少し先まで行ってみようと思います。
‘小路歩き’って、結構おもしろいですね~!
ハマりそうです(笑)
(続)
「葉山・まちづくり館」で大漁旗を見学したあと
民家が並ぶ静かな通りを抜けて、海岸に出てみました。
白砂の浜が広がっています。
‘猫’がときどき散歩している海岸は、潮流の関係で年々砂浜が減り
始終護岸工事をしているような状態なので、この光景は羨ましいデス!
海は、穏やかに凪いでいます。
遠くに江ノ島も見えますね。
大漁旗がはためく情景を想像しながら・・
とても贅沢な時間・・
「葉山まちづくり館」で、大漁旗の展示をしています。
新しい船が完成したお祝いに、親しい人達から贈られる大漁旗は
漁に出る者、陸で待つ者双方の「守り神」として、また陸で待つ者に
大漁をいちはやく知らせる目印として、更に大漁で搭載しきれなく
なった魚を他の船に転載してもらうための合図にも掲げられました。
(展示パネルより)
昭和30年代~昭和40年ごろには盛んに使われていましたが、
通信手段の多様化と漁業環境の変化などによって、次第に
使われなくなり、現在では新造船の船おろし、新年の船祝いや
祭礼などで見られるだけになってきたのは淋しい限りですね。
会場に展示されている色鮮やかな6枚の大漁旗は、葉山・真名瀬で
漁をされていた矢嶋さんという方が、昭和43年に贈られたもので
当時の価格は¥15,000~20,000、或いはそれ以上で、製作に
1ヶ月ほどかかったそうです。 (係りの人に許可を頂きました)
沖合い遠くからでも目立つようにと鮮やかな色が使われ
絵柄も「鶴亀」や「末広」「熨斗」などおめでたい柄ですね。
嘗て大漁の際に、船主から乗り手達に褒賞として贈られた
「萬祝(まいわい)着」のデザインが元になっているそうです。
「真名瀬(しんなせ)の大漁旗」
1月30日まで 於・葉山まちづくり館
侘助系の花も、いろいろ咲いていましたよ☆
この品種は、1つ1つの花は小ぶりだけれど
枝いっぱいに咲いて、とても愛らしい
「赤侘助」 「白侘助」
小輪の一重咲き 咲き始めは筒型ですが、開くとラッパ咲き
赤侘助は関西系 白侘助は関東系の品種
「数奇屋侘助」 「八重侘助」
数奇屋侘助: 小輪一重ラッパ咲き 淡桃色で紅色縦筋が入ることも
八重侘助: 小輪八重咲き 花弁が散る性質のため、別名「散姫」とも
「尾張侘助」
極小輪一重咲き 開ききると、花弁が少し反り返る
まだ堅い蕾の木もあったので、また日をあらためて
見に行ってみることにしましょう
昨日は「大寒」とか。 勢いづく冬将軍・・
この冬は、暦に忠実な寒さですね!
皆さま、インフルエンザにご用心くださいね。
「くりはま花の国」で、美しい椿が見られる季節になりました。
寒さもものかは、凛と咲く花たちをご紹介しましょう☆
「八朔絞り」
中輪一重のラッパ咲き 最も早く旧暦八月朔日頃から咲くので、この名
「御代の栄」 「中部白鶴」
御代の栄: ふくよかな形の中輪一重咲きで蕾も丸い 淡桃色
中部白鶴: 大輪一重咲き ふっくらと玉のように開く 純白
「チャイナレディ」 「フラワーガール」
チャイナレディ: 大輪八重咲き ひらひらした花弁が華やか 桃色
フラワーガール: 大~極大輪八重咲き とても丈夫で良い香り
「紅乙女」 「秋風楽」
紅乙女: 中輪千重咲き 端正な花の形で寒さに強い 濃紅色
秋風楽: 大輪五弁一重咲き 「尾張の名花」といわれる 純白
「白玉絞り」 「白露錦」
白玉絞り: 大輪一重咲き 白地に紅、紅地に白の縦絞り模様
白露錦: 中輪八重咲き 淡桃色に細かい紅色の絞り模様
「常満寺」
中輪一重咲きで筒型の花姿 原木のある愛知県の寺名から、この名。
「白雪」 「太郎庵」
白雪: 大輪一重咲きだが全開はしない 蕾は球形 純白
太郎庵: 中輪一重咲き 茶人の名から命名 尾張の名花
「 落ちなむを 葉に抱えたる 椿かな 」 招波
「 落ちざまに 水こぼしけり 花椿 」 芭蕉
「花の国」の椿は、晩秋~初冬より咲き始める早咲きの品種が多いようです。
年が明けてから、我が家の備品がなぜか次々と故障します。
水道の水漏れ・トイレの鍵・洗面所の照明・DVD再生機器、
そして昨日はついに、ガスの給湯設備までストに突入・・・
こういう機器にしても家電製品にしても
故障する時って、どうしてこうも一度に来るんだか・・・
半月の間にこんなに続くと、もう笑っちゃいますよ。
温かいお湯が使えないので、主婦する気も
ゲン直しに歩いてきまーす☆
我が家の住人達は、今のところ無事に動けている・・・ま、いっか~!
10,931歩
このところ時間の制約があって、近場ばかり歩いています。
超ローカルな話題が続きますが・・・
今日も、目的地を定めずぶらぶらと
紅梅に誘われて・・
足の向くまま 気の向くままに
勾配のある山道を上って下って・・
人里に出ました。
久村(くむら)という地区らしいです。
路傍に、6基の庚申塔が並んでいます。
「茅山の庚申塔」
元は別の場所にあったのを、此処に移したもののようです。
きちんと清掃され、お花も供えられてありますね。
だいぶ古めいて年代不詳のものもありますが、分かるもので
古いものは享保4(1719)年、新しいもので天保13(1842)年。
民家が建ち並ぶ先に、こんもりとした小高い緑の丘。
行ってみると・・・
えっ、これは見上げんばかりの急勾配の石段!
説明板によると、「観音様の御心をいただく階段」だそうです。
「是非、数を数えながらゆっくり上がりお参りください」とあります。
では☆
108段を上りきると・・こじんまりとかわいらしいご本堂。
「普門山 慈眼院」
三浦三十三観音霊場 第十七番御札所です。
天に少しは近づいた(笑)ような気分でお参りすると、堂内からご住職が
出ていらして「どうぞ」と、思いがけなくご本堂に上がらせて頂くことに!
堂内正面の御厨子の中に、室町期の作と伝わる聖観世音菩薩像。
普段は錦の布が掛けられて、直に拝観はできないのだそうですが
その柔和なお顔を、なんと間近でじっくり拝観することができました☆
さすがに、観音さまにを向けるのは憚られたので、
脇の欄間にあった鏝絵の天女像を撮らせて頂きました。
明治時代の作のようです。
さて、‘猫’は「観音様の御心」をいただけたのかな?
10,313歩
お正月休みに増えてしまった体重に、危機感を覚える今日この頃・・
で、
今日はいつもの散歩道から、更にもう少し足を伸ばしてみました。
初めての場所はちょっとドキドキで、ちょっとワクワク☆
武(たけ)という地区を歩いていると、
住宅街の奥に立派な鳥居が見えてきました。
「武三島神社」
社殿に掲げられてある由緒書きによると;
相当古い昔の創立のようですが、1938(昭和11)年の火災により
創立年代は不明。 1873(明治6)年に村社に列せられました。
昭和に入り、神明社・走湯社・吾妻社などを相次いで合祀。
それにより、ご祭神は:
大日霎貴命 (おおひるめむちのみのみこと)
天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
弟橘比賣命 (おとたちばなひめのみこと)
須佐之男命 (すさのおのみこと)
火災後に再建された社殿が、歳月を経て老朽化したため
2007(平成19)年に修復されました。 どうりで、まだ新しい・・
社殿前からふり返ると・・イェ~イ
社殿の裏側に上ってみました。
アカガシの老木をはじめ、モチノキ・スダジイ・タブノキなど
高さ20mを超える常緑広葉樹が社叢林を形成しています。
そのほかシロダモ・クロガネモチ・イヌビワ・トベラ・ヒサカキなどの
低木が茂り、その下にはシダ植物なども生育しているようです。
こうした多様性のある樹林は三浦半島では貴重なもので
あるとして、県の天然記念物に指定され保存されています。
今日の新ルート開拓は成功でしたね~
my 富士見スポットが、またひとつ増えました
12,430歩
サムエル・コッキング苑の中にも椿園があります。
どれどれ、咲いているかな?
「大唐子」
あでやかな大輪の唐子咲き
「菊冬至」
紅地に白い斑模様の千重咲き
「初雁」
ごく淡い紅地に淡紅色で絞り模様のラッパ咲き
殆ど白花に見えます
「菊更紗」
淡い桃色地に紫紅色で縦絞り模様の千重咲き
白一色に見える花もありました
まだ、ほんの数輪しか咲いていませんでした・・
2月になったら、また出直してみましょうか。
ひと足早い春をお届けしましょう☆
15,000本のアイスチューリップが咲き競っています
場所は、江ノ島 サムエル・コッキング苑
花いっぱい カメラもいっぱい(笑)
1月中は、楽しめるようですよ♪
「汐神楽」を見せて頂いたのだから、神事を執り行った
神社にも、きちんとお参りしていかないとね・・
海岸から駅へ戻る途中で小路を右に入っていくと
「汐まつり」と書かれた看板が見えました。
「大正3年」の銘が入った狛犬さん
「五所神社」
材木座の鎮守社。
1908(明治41)年 乱橋村と材木座村が合併した際、
もともとあった三島神社に八雲・諏訪・金毘羅・
視女神社を合祀して「五所神社」と改称しました。
ご祭神:天照大神・素盞嗚命・大山祇命・建御名方命・崇徳帝御霊
境内には
「板碑」
説明文によると;
高さ:134cm 幅:42~43cmの雲母変岩で、1262(弘長2)年の銘。
元は材木座の感応寺境内にあったもので、廃寺となり此処に移されました。
光明寺境内の同石質の板碑と対をなす貴重なものと考えられています。
二重の輪郭の中、蓮座形の天蓋に幡形の瓔珞を垂らしその下には
中央に剣に巻きついた龍になぞらえて大日如来(不動明王)を表す梵字が
蓮座から直立し、「大日変じて不動となる」の意を表現しています。
銘文には造立趣旨が記されており、市指定有形民族資料。
「庚申塔群」
13基あり、材木座の路傍に建てられていたものだそうです。
「元文」「貞享」などの年号が刻まれてあります。
「石上稲荷」
御神体は大石。
言い伝えによると;
豆腐川河口にありましたが、船や漁師達に悪さをして障りが多かったため、
川近くの個人宅に置かれたものを昭和初期に此処に安置したとか。
お稲荷さんの御神体が石・・?
「摩利支天像」
説明文によると;
摩利支天は、剣・矢・金剛杵・軍扇・弓・矛を持ち、猪に跨った三面六臂の
武神で、元々は天竺の神。火星を神格化した仏と考えられています。
「猪突猛進 向かうところ敵無し」の意で、1923(大正12)年に奉納されたもの。
摩利支天像は、全国でも12体しかない珍しい像のようです。
そのほかにも、疱瘡(天然痘)治癒を祈願した石やら
重さ30貫目(約113kg)もあるという「手玉石」やら・・
様々な民間信仰にゆかりのあるものがいろいろ。
此処が明治の頃から、地域の人々の心の
拠りどころであったことを偲ばせる神社でした。
鎌倉・材木座海岸で行われる神事を見学に行きました。
「汐神楽」は、新しい年の豊漁と海の安全を願う伝統神事。
元々は漁師さん達が行っていたものを、材木座にある五所神社が
引き継ぎ、家内安全も併せて祈願し毎年行われているものです。
あいにくの曇り空の下、準備が進められていました。
四方に笹竹(斎竹)が立ち、海に向かって祭壇が設えられて
御神酒や野菜・海産物・みかんなどが供えられます。
午前10:00 神事が始まりました。
まずは法被姿の人達が、鎌倉時代頃から伝わるという
「材木座天王謡」を奉納し、続いて神官による玉串奉奠。
祝詞の奏上・・と
3人の神官と氏子・漁業関係者の人達によって、粛々と
神事が進行するにつれ、見物人がどんどん増えてきました。
「テレビ神奈川」も取材に・・
そして、笛・太鼓の演奏に合わせて神官が
清めの塩を撒き、数種類の神楽を奉納します。
朦々と湯気の上がる釜の熱湯を、御幣で掻き交ぜたり
笹で参列者の頭上に撒いたり・・見ているとなかなか楽しい~☆
四方に矢を放ち、邪気を祓います。
赤い面の天狗と黒い面の山ノ神が登場。
天狗は勇壮に舞い、山ノ神はおどけた仕種で笑いを誘います。
最後に縁起物のみかんが撒かれ、待っていた子供達は大喜び☆
浜風が身に沁みたけれど、初見聞の楽しい1時間でした。
目覚ましに起こされた・・
中国土産のこの目覚まし、「快起床(早く起きて)、
快起床 啊!」と矢鱈けたたましく、効果は絶大(苦笑)
さあ、「おんべ焼」に行くぞ~!
外に出ると・・・「寒っ!」
いっぺんに目が覚めた 白みかけた空に明けの明星☆
海岸に到着 まだ暗いね~
法被姿の地元の人が、大きな御幣でお祓いして廻り
ここ
↓
御幣をてっぺんに挿し込み いよいよ火が入ります
風に煽られて 火は瞬く間に駆け上り
一番上のダルマが炎に包まれる頃
黒煙が渦巻く空の向こうに・・日が昇ってきました
お囃子の笛太鼓が 雰囲気を盛り上げるなか
御神酒・甘酒がふるまわれ
竹竿に吊るした餅が焼かれて
賑やかに 歳神様をお見送りしました