スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

花散歩36

2010-10-31 | 花散歩


今回は、ご紹介できる初顔の花が無くて・・・


クサノオウ(瘡の王)
ケシ科クサノオウ属
春~夏の頃咲く、鮮やかな黄色い花。
皮膚病に薬効があるというので、この名。
今年は暑かったので、秋になっても見られました。
     



この季節は、花よりもいろいろな果実に出会いますよね☆
「花散歩」じゃなくて「果実散歩」・・かな?(笑)

 ヒョウタン(瓢箪)
ウリ科ユウガオ属
意外にも、北アフリカ原産だそうです。しかも、縄文時代に
渡来したらしく、最も古い栽培植物のひとつだとか(驚)
食器や保存容器として利用したのでしょうか。
豊臣秀吉公の旗印は「千成瓢箪」だったかな?



 カクレミノ(隠れ蓑)
ウコギ科カクレミノ属
6~7月 目立たない黄緑色の小さな花。
秋に実が生り、熟すと黒くなります。
    


 オリーブ
モクセイ科オリーブ属
紀元前3000年頃 アフリカで栽培が始まったとか。
紀元前600年頃には、地中海沿岸でも栽培されるように。
日本へは、江戸時代に伝えられたそうです。
5~7月良い香りの黄白色の花が咲き、実は熟すと
黒紫色になり、ピクルスやオリーブオイルになります。
     


 ネムノキ(合歓木)
ネムノキ科ネムノキ属
初夏の美しい花の後、大きなマメの鞘ができます。
これは、もう役目を終えた抜け殻かな。   



 ザクロ(石榴)
ザクロ科ザクロ属
花は、以前にご紹介しましたね。
こんなに見事な実が出来ていました!
     


 ナツメ(棗)
クロウメモドキ科ナツメ属
中国原産
日本へは、奈良時代に渡来しました。
初夏に芽吹くことから、この名。
実は熟すと赤褐色→暗赤色になり、漢方薬に使われます。
北京の友達の家で、干し棗を沢山ご馳走になりました。
疲労回復によいからと、よく食べられているようでした。


     


 スズラン(鈴蘭)
ユリ科スズラン属
この花も以前ご紹介しました。
こんな可愛い実が生るんですね。



 マユミ(檀)
ニシキギ科ニシキギ属
以前ご紹介したことがありますが、熟すと割れて赤い種皮が
現われて花のよう。 山道で見つけると嬉しくなります!
     



そろそろ紅葉が始まっている木もあります。

ハナノキ(花の木)
カエデ科カエデ属
山の湿地などに生育する木ですが、これは街路樹。
4月頃 葉が出る前の枝に、紅色の小さな花を
たくさん付ける様子から、この名。 紅葉も綺麗☆
     



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湿生花園で出会った植物

2010-10-29 | 花散歩


雨の湿生花園で出会った植物たちです。



ウメバチソウ(梅鉢草)
ユキノシタ科ウメバチソウ属
北海道~九州の低地から山地の草地や湿原に生育する多年草。
花が「梅鉢紋」に似ているところから、この名。 草丈20cmくらい。

「 梅鉢も りんどうも咲く 道あやし 」  鬼峯


アワコガネギク(泡黄金菊)
キク科キク属
日本固有種で、花期は10~11月。
別名:キクタニギク(菊渓菊)
別名は、京都東山の高台寺山麓にある菊渓に因むとか。



ツチアケビ(土通草)
ラン科ツチアケビ属
日本固有種で暗い湿地に生育し、6~7月頃黄褐色の花が咲きます。
その後にできる実がアケビのようだというので、この名。
葉が退化し、ナラタケと共生する腐生植物だそうです。
     


ヤマラッキョウ(山辣韮)
ユリ科ネギ属
台湾・朝鮮半島に生育。草丈50cmほど。
日本では、福島以南~南西諸島に生える多年草。
鱗茎がラッキョウに似ているところから、この名。
でも、食用にはならないようです。




サラシナショウマ(晒菜升麻)
キンポウゲ科サラシナショウマ属
北海道~九州の山地の林や草原に生育する多年草。
高原に秋を告げる花ですね。自然探勝歩道でも一番多く見られました。




マコモ(真菰)
イネ科マコモ属
古名:コモ カツミ
アジアの湖沼や河川の水中に群生します。草丈1~2m。
秋に、ススキのように小さな紅色の穂花が咲くそうです。

「 三島江の 入江の真菰 雨降れば いとど萎れて 刈る人もなし 」
                                    (新古今和歌集)


ミソハギ(禊萩)
ミソハギ科ミソハギ属
別名:ミゾハギ(溝萩)
本州~九州の湿地に生育する多年草。と「盆花」の名を
以前ご紹介しましたが、紅葉した葉もなかなか美しいですね!



ツルウメモドキ(蔓梅擬)
ニシキギ科ツルウメモドキ属
北海道~九州の低地から山地に生育する蔓性の落葉木。
6月頃に黄緑色の小さな花をつけ、秋に生る実は熟すと
3裂し、真っ赤な種皮が現われます。 雌雄異株。
ウメモドキ(モチノキ科)に似ているので、この名。

「 渓水に 雨露滴るる 蔓もどき 」  蛇笏



特設展示コーナーでは、いろいろな花が見られました。

ダイモンジソウ(大文字草)
ユキノシタ科ユキノシタ属
湿った岩の上などに生育し、花の形が「大」の形なので、この名。
こんなにたくさんの花色があるんですね~☆







ムレチドリ(群千鳥)
ラン科ステノグロッティス属
ブラジル原産
林の中の岩の上や樹木の幹などに着生します。
春~夏の花らしいので、少し寒そう・・



スミレイワギリソウ(菫岩桐草)
イワタバコ科ペトロコスミア属
中国原産
近畿以西~九州の山地で北向きの岸壁に生えているそうですが、 
白い毛が生えた葉の形が桐に似ているというので、この名。
近年は、園芸種も出回っているようです。
     


この時期のの湿生花園は、やはりちょっと寂しいです・・



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箱根・仙石原湖尻自然探勝歩道

2010-10-28 | 神奈川


の箱根です
2週間前の、いえ先週の天気予報でもだったのにぃ・・
‘晴れ女’の神通力も賞味期限切れか? くぅっ!


温泉で温まってくるだけでもいいじゃない、ということで出かけ
ましたが、結局は予定の全行程ををさして
歩き通しました~



今回は、「桃源台」からスタートです。


雨でも観光客でいっぱいの船着場を左に見ながら



林の中を通って、県営キャンプ場を抜け



湖尻水門を過ぎた所から、ハイキングコースへ入って行きます。


このコースは、湖尻水門から箱根外輪山内側の麓を通って
仙石原へ抜けるルートで、の日には神山や冠が岳などの
素晴らしい眺めが楽しめるのですが、今日は・・・


気を取り直して、歌でも歌いながら歩きましょう☆
♪ 雨が~小粒の真珠ならぁ~ ♪
(あら、歳がバレちゃいました?)


この辺りは、サイクリングの自転車も通る道で(この雨の中、さすがに
1台も出会いませんでしたけど) 舗装されているので泥ハネの心配も
なく、また道標や案内板もあり迷子の心配もまず無い安心な道です。




耕牧舎跡


説明板によると;
1880(明治13)年 渋沢栄一・益田孝氏らが「耕牧舎」という会社を
設立し、仙石原・元箱根の原野700haを利用して牧場を開きました。
当初計画した牧羊が不調のため、まもなく牛馬育成を始め、最盛期には
牛200頭、馬80頭を放牧。当時まだ珍しかった牛乳・バター・牛肉などを
販売して、避暑に訪れた外国人らに喜ばれたそうです。

開拓運営の責任者だった、栄一氏の従弟の須永伝蔵氏(1842-1904)の
他界を機に牧畜を中止し、以後は植林などにより土地を維持していました。
奥に見える石碑は、須永氏の顕彰碑のようです。


ゴルフ場の横を通ります。 
プレイしている人、いますね~



早川の流れを右に見ながら、落葉の道を・・



     


時には、こんな石畳の道も
滑らないように気をつけて!



橋を渡り、今度は早川を右に見ながら歩きます。
僅かずつですが、紅葉が始まっている気配が見えます。



箱根笹の道を抜け、浄水センター横を過ぎると



バス通りに出ました。
本日のゴール 仙石原に到着で~す☆

右手に行くと、有名な観光スポットのススキが原。
晴れていれば、こんな感じの所ですが・・


今日はこんな・・・


一応、「来たゾ」という証拠に(笑)



せっかくだから、今どき人気のスウィーツを!
「よもぎ屋」さんのよもぎソフクリーム¥380也。


ほんのりヨモギの香り


今来た道を戻って、左へ行くと
箱根町立「箱根湿生花園
湿原・川・湖沼などの水湿地に生育する約200種の植物を
中心に、そのほか約1,100種の植物が生育する植物園です。



今は時期ではないので、咲いている花は少なくとても静かです。
幾度か来ていますが、こんなに人が少ないのは初めて!(笑)

やまない雨の中、約2時間半のお散歩でした。
シメは、立ち寄り湯での~んびり
はぁ~ 極楽 極楽☆

本日のトータル歩数は、20,753歩

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この秋のバラ

2010-10-26 | 花散歩


そろそろ時期ですが、ヴェルニー公園の秋バラは咲いたかな?
雨が止んだので、見に行ってみました。


あ、咲いてるみたいです!



でも、この厚い灰色雲の下では・・・








     

せっかくの花色もイマイチ冴えません

それにやはり、花数も少ないようですねぇ
これもあの炎暑の影響でしょうか・・




ちょっと残念

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長浜野口記念公園

2010-10-25 | 横浜


横浜検疫所からほど近い所に、野口博士を記念する公園があります。



「横浜検疫所長濱措置場」「細菌検査室」及び事務棟の建物は
1952(昭和27)年 中区に横浜検疫所の新庁舎が完成し、検疫の
主な業務が移された後は次第に使われなくなっていましたが、
保存を熱望する有志の方達の活動をきっかけに、大勢の市民や
関係団体の努力が実り、建物や周辺の補修・整備が行われて
1997(平成9)年から一般に公開されるようになりました。


長浜ホール

この建物は、当時流行していたコレラの蔓延を防ぐために建てられた
横浜検疫所長濱措置場旧事務棟の外観を復元したもので、現在は
音楽など市民の文化活動の場として使われています。




野口博士ゆかりの品々が展示されていました。

                        自画像
     
身長  153cm 
 足のサイズ 23
  体重 50~58kg

母 野口シカさんから、アメリカの博士に送られた手紙 (レプリカ)




旧細菌検査室

嘗ては目の前が海で、入国する外国船舶を沖合いに停泊させ
小舟で乗り込んで伝染病患者の有無を調べていました。その
細菌検査が行われていた建物です。 野口博士ゆかりの
研究施設として、日本に唯一現存する建物だということです。






「旧細菌検査室」
病原菌の培養や顕微鏡観察などを行う部屋。
昭和22年以降の様子を再現しているそうです。



乾熱滅菌器(昭和初期製)

器内温度を180℃近くまで上げ、ガラス器具や
金属器具などの滅菌に使われました。

ふ卵器(昭和初期製)

器内温度は常に体温と同じ37℃に保たれ、
細菌の検出・培養に使われました。


「地下冷暗所(入口)」

この下に2坪ほどの深い穴を掘り、医薬品などを保存していました。
当時は冷蔵庫が無かったので、この場所が冷蔵庫代わりに
物の保管にも使用されたようです。 


建物入口の左側にある部屋にも、博士ゆかりの展示がありました。

ペスト患者発見を報じる新聞記事(コピー)
     
「去る22日午後4時20分 東洋汽船会社の汽船亜米利加丸は、
香港より長崎神戸を経て、横浜に入港しければ、海溝検査所より
当番の星野医官検疫官と共に出張して之を取調べ・・・・」

野口夫人



建物はいずれも関東大震災の翌年に再建されたものですが、当時の
面影を残す貴重なものとして、市の歴史的建造物に認定されています。


子供の頃に、図書室で借りた野口博士の伝記を
夢中で読んで、胸を熱くした記憶が甦りました☆

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横浜検疫所

2010-10-24 | 横浜


金沢区にある「横浜検疫所 輸入食品・検疫検査センター」の
施設が、23日(土)に一般公開されていたので見学に行きました。

     
入口には、スピロヘータの螺旋細胞構造をイメージした
モニュメントに野口英世博士の胸像レリーフ。




横浜検疫所は、以下の業務を3本柱としています。
・検疫法に基く検疫・衛生
       ・食品衛生法に基く輸入食品等の監視・指導
   ・感染症法に基く動物の輸入届出審査

‘猫’などは、普段あまり関心を持って生活していませんが
国際間の人や物の移動の活発化とスピード化に伴って
海外への渡航者や来航者は増加の一途を辿っており、
そうした人々を介して侵入する感染症を水際で防止したり、
輸入物品・動物などの安全性を検査したり・・と、あらためて
考えると、私たちの日常と密接に関わっている所ですよね。 


まず、スライドを使って検査センターの業務の概要のレクチャーを
受けたあと、順路に従って施設を見学していきます。


コーヒー豆のサンプリングを体験したり、さまざまな検査機器が
整然と並ぶ検査室を見学して顕微鏡を覗いてみたり、
随所に職員の方がいて幼稚な質問にも対応してくださり
通路にもいろいろなパネルで易しく説明されていて、
化学にヨワい‘猫’も、結構楽しい時間を過ごせました。






横浜検疫所の歴史は古く、1879(明治12)年に現・横須賀市長浦に
神奈川地方検疫局の「長浦消毒所」が設置されたことに始まり、
日清戦争で横須賀軍港が拡張されたのに伴い、1895(明治28)年
現在地に移転し、「長濱検疫所」と呼称されました。

1899(明治32)年6月から5ヶ月間、海港検疫医官補として23歳の
野口英世氏が勤務し、横浜港に入港しようとしていた「亜米利加丸」の
中国人船員からペスト菌を検出。世界へ躍進する足がかりとなりました。

1923(大正12)年の関東大震災で施設は倒壊しましたが、
翌年には殆ど全てを原型とほぼ同じように復旧させました。

その後、時代の変遷と共に幾度となく所管が変わりましたが
1947(昭和22)年 厚生省付属機関「横浜検疫所」となり
今日に至っています。




敷地の奥まった所にある別棟の
「検疫資料館」


この建物は震災後に復旧した1号停留棟で、当時 船内で
発病したり感染の疑いのある人を留め置く施設でした。
現在は、資料館となっています。


入口を入ると



広い廊下を挟んで、両側に大小の部屋が並んでいます。



こちらは、談話室のようなパブリックスペースでしょうか。



この部屋の額は、後藤新平氏の書だそうです。



廊下の左側に並ぶ部屋には、明治12年当時から使われてきた
さまざまな検査・消毒器材や生活用品などが展示されていました。

顕微鏡の数々








消毒器材と防護服



開所当時の器材から、コンピュータ自動制御の最新検査装置まで
たくさんのものを見学して回り、内容はよく分からないまでも
こうして私達の安全・安心のために、努力してくださる人達が
大勢いらっしゃることを再認識した、得難い一日でした。

検疫所の皆さん、これからもがんばってくださいね!!

    

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旧東海道・戸塚宿②

2010-10-23 | 旧東海道


戸塚宿の宿内をR1沿いに歩いていると、左側に
入る道の角に、半ば埋もれている小さな石柱。


「八幡神社参(道)」と読めますね。 ちょっと行ってみましょう☆



住宅や畑が並ぶ緩やかな坂道を上って行くと、左側に石の鳥居。 
長い参道の先の石段を上ると、緑に包まれて朱塗りの社殿。
八幡神社


ご祭神は、応神天皇。

説明板によると;
1114(永久2)年 累代の名主渡邊氏の勧請に始まる神社で
1927(昭和2)年 現在地に遷座し、東ノ峯八幡と呼ばれました。
現在の社殿は、1962(昭和37)年に再建されたもの。
この一帯は、八幡山と呼ばれているようです。

圧巻は、社殿前にある椎の巨木。
境内を覆いつくすように、大きく枝を広げています。


嘗て源義家が東征の折、この木の下で休息したという伝承に因み
「白旗の椎」と呼ばれ、 市の名木に指定されているそうです。
樹齢どのくらいでしょうねぇ・・?

     

あまりに素晴らしくて・・・感動しました!

去り難い思いですが、そういうワケにもいきません。
神社を後に、R1に戻ってまた西へと歩きます。



街道沿いにお寺がありました。
東峰山 光円寺 宝蔵院


真言宗のお寺です。

説明板によると;
1547(大文16)年 朝興法印師が中興、その後現在地に移転しました。
本尊は不動明王像(1632年の作)で、「戸塚不動尊」と呼ばれています。

芸道精進の願いを込めた
「扇塚」





街道沿いの民家の塀に「妙秀寺→」という札を見つけ、
矢印に従って左の小径に入って行くと
身立山 妙秀寺


日蓮宗のお寺で、鎌倉 本覚寺の末寺。

創建: 1356(延文元)年
     開基: 妙秀禅尼(豊島氏一門)
 開山: 身立院日修上人
  本尊: 日蓮大聖人折伏像
     (室町後期の作)




境内に、何やら古めかしい石柱がありました。
折れた先端をつなげたらしい跡・・


熱心にカメラを向けておいでの男性にお尋ねすると、
鎌倉道への道標だと教えてくださいました。そう言われて
みれば、下の方の字は「・・くらみち」と読めなくもありません。
「この浮世絵に描かれていますよ。」

どれどれ? 
あ、確かに! 橋の袂に、道標が描かれていますね。


「コレがソレですか~」
「そうらしいです。何か感動しますねぇ☆」 
「ほんとに!」

1674(延宝2)年に建立されたものだそうです。



またR1に戻って歩いて行きます。

歩道に目立たない説明板。 危うく見過ごすところでした~
吉田一里塚跡



説明文によると;
江戸から10番目の一里塚で、旅人にとっては旅籠のある
町まであともうひと息といった場所だったようです。
塚は、明治初期に取り壊されてしまったそうです。


すぐ目の前に大きな橋があります。

吉田大橋


広重の絵に描かれている「吉田橋」のあった場所です。
あの道標は、この辺りに建てられてあったのですね。

照明のデザインは、大名行列のバレンをイメージした形。






この橋を渡ると、まもなくJR「戸塚」駅です。

ここまで、23,314歩

 

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旧東海道・戸塚宿①

2010-10-21 | 旧東海道


R1「不動坂」の信号から、旧街道に入って行きます。





時々車が通るくらいの静かな通りを歩いていると、道の左側に
まだ新しい碑。 裏面の「護良親王」の文字に惹かれて行って
みることにしました。  「二丁」ってどのくらいなんだろ・・?
     

小径を入って行くと、マンションや一戸建ての住宅街。こんな場所に?


史蹟だからきっと木の多い所でしょう・・と当て推量で左の方へ。
でも途中で心配になり、折り良く立ち話中のヤン・ママさんに
確認してみると、やはりこの方向で間違いなかったみたい。
カンピューター、今日は冴えてますね~

10分ほども歩くと、Y字路になっている所に
護良親王首洗井戸跡


碑文によると;
中納言藤原藤房卿が囚われた親王奪還を目論み、同族の者と
鎌倉道に通じるこの柏尾に潜入して機を窺っていたところ
親王の首が届けられたので、井戸の清水で洗い清めたあと
4本の杭を打って祭壇を拵え、供養をしたと言い伝えられます。

その伝説から、この辺りは四つ杭谷戸と呼ばれていたそうです。
     




旧街道に戻って歩いて行くと、右手に煉瓦造りの頑丈そうな建物。





さらに隣には、土蔵のある立派な門構えの旧家。


さらにさらに、左奥に入った高所には立派な墓所。
「斎藤家」とあります。


何の説明もされてないけれど、さだめし由緒ありそう・・と
思って写真を撮りました。 帰宅後webで調べたら、やはり!

横浜開港に伴い、イギリス人のウィリアム・カーティス氏が
外国人専用旅館を営む傍らハム製造を始めました。
村に産業をと考えた庄屋の斎藤氏が、カーティス氏の
夫人(日本人)の協力でハムの製法を学び、明治10年代に
日本人として初めてハム製造を始めたそうです。

煉瓦の建物は、「鎌倉ハム」の工場として明治20年代頃に
建造されたもので、壁厚が1mもあり関東大震災にも耐えたとか。
現在は、隣にある斎藤家の自家用倉庫になっているそうです。

土蔵のある豪邸も立派な墓所も、斎藤家のもののようです。



やがて道はT字路になり、舞岡川に沿って右へ行くと
「五太夫橋」で、またR1に合流しました。

いかにも東海道らしい橋の名は、後北条氏の重臣 石巻五太夫が
北条氏滅亡後、国替えで江戸に向かう徳川家康をこの辺りで
出迎え会見したという言い伝えに由来するそうです。


右手にあるレストラン「フォルクス」の前に
江戸方見附跡」碑


漸く「戸塚宿」の江戸側入口まで来ました☆
ここから約3.5kmの町並みが、宿場町として整備されていました。

戸塚宿は日本橋から10里半(42km)、5番目の宿場です。
日本橋を早朝出立し、最初に宿をとるのがここ戸塚宿だったそうです。
え、1日に40km余? スゴ~~イ


東海道だけでなく大山道や鎌倉道へも通じていて、旅人や参詣客で
賑わい、本陣2 脇本陣3 旅籠が75軒もある大きな宿場町だったとか。




(続)

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旧東海道・戸塚宿へ

2010-10-20 | 旧東海道


このところ、めっきり秋らしくなりましたね。
と言っても、もう10月半ばですからねぇ・・(笑)

ペットボトルも汗拭きタオルも、小さいもので間に合うようになり
漸く身軽になって、気持ちも足取りも軽やかな‘猫’デス♪

先週 旧東海道の続きを歩きました。


JR「東戸塚」駅を出て右へ、「品濃町」交差点を左折し
信号を2つ
過ぎたその先で、品濃坂を下ってきた旧東海道に行き当たります。
今回は、ここからスタートしました。


「坂下」バス停を過ぎ、



川上川に沿って、「品濃口」バス停を過ぎると



やがて、R1「東戸塚駅入口」交差点に出ました。
通りを横断して、目の前の道に入って行きます。



再び川沿いに歩いて行くと、その先の「赤関橋」でR1に合流。




「赤関橋」から、暫くR1を歩きます。
 がひっきりなしに走っていて、あまり楽しい道ではないけれど・・・


やがて、「王子神社前」の信号で左の小径に入ります。
道の右手に続くこんもりと濃い緑が途切れたところに



鳥居をくぐり、長い参道を進んで行くと
王子神社



後醍醐天皇の第一皇子 大塔宮護良親王をお祀りしています。

父の建武新政権を支えた親王は、再び武家政治を志す足利氏に
よって鎌倉に幽閉され、中先代の乱で北条氏の鎌倉攻めに遭った
足利道義らが遁走するどさくさ時に、無残な最期を遂げました。
せめても・・の思いで側近の者が親王の首を奪還し、此処に祀ったとか。

杉木立の下の、昼なお薄暗い境内はひと気もなく・・・退散



R1に戻って、再び西へと向かいます。

やがて前方に、大きく伸びた木の枝が道路半分を覆っています



益田家のモチノキ


説明板によると;
県下最大のモチノキの巨木で、古くから「相模モチ」の愛称で
親しまれ、県の天然記念物に指定されています。
樹高: 19m   胸高周囲: 2.4m
推定樹齢: 約300年

目の前を通る車の排気ガスにも負けず、枝いっぱいに
赤い実をつけた元気な姿で、堂々と立っていました。
モチノキさん、貴方はエライ!!


道路の向かい側に道標が見えます。 何かな?
 


「江戸時代の大山詣での大山道入口です。御堂には
1713(正徳3)年建立の不動明王が祀られています。・・・」

では、ちょっと寄り道して・・

道の少し先の右側に
大山前不動



お堂前には、道標4基 石灯籠1基 庚申塔1基が並んでいます。
これらは、近代になってこの場所に集められたもののようです。

刻まれている文字は、地元「柏尾町」のほか「下総葛飾郡」や
「松戸宿」「江戸神田三河町」などあり、広範囲の地域から
参詣に訪れる善男善女で賑わっていた様子が想像されます。



「益田家のモチノキ」のすぐ先で、旧街道は左の道へ入って行きます。


やれやれ、排気ガスから暫し離れて歩けそうです

(続)

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平塚市総合公園

2010-10-17 | 神奈川


美術館から北西に少し歩いて行ったところに
緑豊かな、とても広くて気持ちのいい公園があります。


平塚市総合公園


もとは海軍火薬廠、戦後は農水省果樹試験場があった所で
試験場が筑波に移転した跡地に、1991(平成3)年に完成しました。

30ha余の広い敷地内には、伸び伸びと枝を広げた大木が約10万本。
球場・陸上競技場・体育館・温水プール・テニスコートなどの運動施設や
動物園・わんぱく広場など子供向けの施設、それに日本庭園などもあり
スポーツに 散策にと、終日行楽が楽しめる場所になっています。


入ってすぐ左手に、池を中心とした日本庭園






球場ではこの日、サッカーJリーグの試合が行われていて
1万人を超す観客の声援が、地鳴りのように公園中に響いていました。

フェンスの外から、チラッと・・



地元湘南ベルマーレvs.鹿島アントラーズの試合のようでした。




駐車場の近くの花壇には、秋バラがたくさん綺麗に咲いていました。

     


     





     


水の広場では、子供たちの元気な声


此処は、先の大戦で大きな被害を受けた場所のようですが
そんな遠い記憶は微塵も感じられない穏やかな公園でした。



公園を出て駅に向かう途中、修復されて
すっかり綺麗になったあの洋館に再会しました。

八幡山の洋館


旧横浜ゴム平塚製造所記念館
愛称「八幡山の洋館」
明治時代の建物で、国の登録有形文化財になっています。


去年来たときはロープに遮られて、暗く沈んでいたけれど
明るく晴れやかに甦って、中から音楽も聞こえています。
新しい存在価値が得られたのですね☆
貴重な歴史的建物も、やはり人の気配があってこそかも!


16,990歩

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堀 文子展へ

2010-10-16 | 神奈川


芸術の秋ですね!

今日は友人と待ち合わせて、かねて気になっていた
堀 文子さんの絵画展を見に行ってきました☆


平塚市美術館







3年くらい前に見たテレビ番組で、堀 文子さんのお名前は
知っていましたし、本の挿絵を目にしたこともあるのですが
実際にたくさんの作品に接するのは、今回が初めて


堀 文子さんは、1918年 東京出身の日本画家。
女子美術専門学校(現・女子美術大学)在学中から活躍。
29歳で結ばれた外交官のご主人に、43歳の若さで死別。
海外各地を旅した後、70歳を過ぎてイタリアに移住し個展を開く。
82歳で幻の花ブルーポピーをたずねてヒマラヤ登山。翌年に大病・・
と、波乱の半生を経て92歳の現在も、とどまることなく
移ろう命の姿を見つめ、表現し続けておいでになります。

何事も自分自身の目で見、手で触れ、体感して受け入れようと
いう姿勢や、日々驚くこと、感動することで衰えを食い止めたいと
いう生き方で、多くの、特に女性の共感と憧憬を集めている方です。


堀さんの作品そのままに、明るく 温かく 落ち着いた静寂の
中にも、生き生きとしたものが感じられる会場の雰囲気でした。
来ているのは、やはり女性の方が多かったですね。

今日は堀さんご本人と美術館館長さんとの対談があるとのことで
楽しみにしていたのですが、開始1時間前には既に長蛇の列!

並んでも定員130人の会場に入れるかどうか微妙・・と
聞いて、残念でしたけど並ぶのは諦めました・・・


「堀 文子展」については、こちらをご覧くださいね。


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温室の花

2010-10-15 | 花散歩


「花の国」の温室に珍しい花が咲いていると
聞いたので、見に行ってみました。


それがコレ☆

ヒルザキヤコウボク(昼咲夜香木)
ナス科キチョウジ属

     
チリ原産
別名:ケストルム・パルクイ
       英名: Willow-leaved Jessamine

樹高3mほどで、枝先に淡い黄色(殆ど白色に見えます)の
筒状の変わった形の花が、集まって咲いていました。 
英名が示すように柳に似た葉で、ほのかに良い香りが
します。夜になると強く香るそうです。 初めて見ました~♪
和名で、アツバヤコウボク(厚葉夜香木)ともいうようです。



温室には、こんな花たちも咲いていました。

コルチカム
ユリ科イヌサフラン属
     
ヨーロッパ~北アフリカ原産
春に出た葉は枯れてしまい、秋になると花茎が伸びて花が咲きます。
有毒だというところも、ヒガンバナと似ていますね。


ボルネオソケイ
モクセイ科ソケイ属
     
ボルネオ原産
とても良い香りがします。
以前にご紹介したかもしれません。 インドネシアの国花だそうです。


ご存知サボテンの花


ほんとうに綺麗な花ですね!





こちらのサボテンは、「白玉兎」という愛らしい名前です。
まだ咲いていませんでしたが、どんな花が咲くのでしょう? 
見てみたい!
     



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横須賀・城の腰堰跡

2010-10-13 | 横須賀・三浦


さて、これは何処でしょう?





蓮池のようです。 アオサギがいますね。




答えは、「横須賀しょうぶ園」☆



14万株の花菖蒲が咲く季節には、大勢の見物客で賑わいますが、
今は、園内ウォーキングをする人がやって来るくらいの静かな公園です。




この園内の片隅に、ひっそりと石碑があります。

「城の腰堰の碑」


説明文によると;
平安時代後期 三浦大介義明が衣笠城を構えていた頃、家臣の
平佐古太郎為重が、衣笠城の出城としてこの地に城館を設けた
ことに由来し、この一帯は「城の腰」と呼ばれていました。

この城館を中心に周辺では農耕が行われていましたが、農耕地の
中に いつの頃か農耕用溜池が作られ、約5町歩(15ha)に及ぶ
地域の人々の生活の基盤を支えてきたのが「城の腰堰」でした。

やがて、営々と引き継がれてきた堰も時代の推移によって
その役割を終え、現しょうぶ園の蓮池となったのです。


花菖蒲に気を取られて、今まで気づきませんでしたが
ここにも半島の人々の暮らしの跡がありました。

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漢字は楽しい

2010-10-12 | 雑記


寝る前に読むのに、何かいい本はないかな~と思って
トノの書棚から失敬してきた本に、今ちょっとハマっています。
とてもおもしろいので、ご紹介しますね。

「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」  
小山鉄郎著 白川静監修
新潮文庫




白川静さんといえば、古代甲骨文字や金文の研究で文化勲章を受けられた
我が国漢字学の第一人者ですよね。惜しくも平成20年に亡くなられましたが
その晩年に、この本の著者 小山鉄郎さんが
白川さんに漢字の成り立ちや
体系について教えてもらった内容をまとめた本です。


といっても、専門的な堅苦しいものでは全然ないのです。

例えば、「右」という漢字の口の部分は、口(くち)ではなくて
神への祝詞を入れる器を表していて、古代文字で「右」は
祝詞
の器を手に持って祈る形をしている・・・・

という具合に、

具体的な漢字を挙げて、ひとつひとつその古代文字の形や
イラストを入れ、とてもわかりやすく成り立ちを紹介しています。


ですから、
どのページからでも読むことができるし、ただ眺めている
だけでも、絵解きクイズのように楽しめるのです。
(寝しなに、まさにぴったり!)

こんなふうに漢字の成り立ちをきちんと、しかもおもしろく
教えてもらっていたら、国語の授業も楽しかったかもなぁ!
なんて思いながら、眠くなるまで楽しく眺めている‘猫’です☆

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雨のち晴れ

2010-10-10 | 花散歩


午後になって雨があがりました

今日は箱根にハイキングの予定だったのだけど
今からじゃとても・・・無理ですねぇ
近場を散歩してガマン!


「花の国」はコスモス・フェア☆
でも、異常気象の今年は・・多分ダメでしょう・・


と、期待しないで行ったら・・・お、咲いてる!


じつはこれ、最近移植したものだそうです。

やはり今年は全然ダメで、でもコスモス・フェアを楽しみにいらっしゃる
お客さん達がガッカリなさらないようにと、急遽移植したのだとか。
何しろ自然が相手ですから、ご苦労がありますねぇ・・



それでも、ほかにいろいろな秋に出会いましたよ☆





     







     








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