まずは、事前の‘にわか勉強’で仕入れた情報と
現地で語り部さんに聞いたお話をご紹介しますね。
古来 自然崇拝の地だった熊野への参詣は、907年宇多法皇の
行幸に始まり、1090年白河上皇の行幸以来 京都の貴族社会で
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)への
参詣が盛んとなり、江戸時代には庶民の間でも広く行われる
ようになって相次ぐ参詣者や巡礼で大変賑わったそうです。
さて、講釈はこのくらいにして・・
今回は参詣道の5つのルートのうち往時の雰囲気がよく残って
いる「中辺路(なかへち)」と呼ばれる参詣道の一部を歩きました。
見どころがいっぱいで、バシャバシャとシャッターを
押していたら、何と150枚以上にもなってしまいました。
そのうちの幾枚かを数回に分けてご紹介しようと思います。
雰囲気を少しはお伝えすることができるかな?最初に訪れたのは「滝尻王子」
「王子」は熊野の神々の童子を祀った末社で参詣道に
点在していました。社であると同時に参詣者の休憩地
でもあり、最盛期には賑わった場所だったようです。
この滝尻王子からご神域に入ります。
杉林の中の道を辿って行きます。
ご覧の通り、これらの杉は当時のものではありません。
太極拳では「身法は杉の如く」というそうですね。納得~!花山帝の法衣と経文を収めた宝篋印塔と「牛馬童子像」
神道では「王子」、仏教では「童子」というそうです。
「牛馬童子」の名は神仏混交の名残でしょうか。
50cmほどの小さな像です。
帝をモデルにしたという像の頭部が心無い者に盗まれ
ようやく復元され取り付けられました。情けない・・
やがて人家が見えてきました。箸折(はしおり)峠から見た近露(ちかつゆ)の集落です
静かな山間の集落は、どこか懐かしさのある
日本の原風景とでもいえる眺めですね。
杉木立の中の細道やアップダウンのある峠道は、ガイドさん
無しでは私はとても心細くて歩けそうもありません。
いにしえの貴人たちも輿や駕籠を下りて、
白装束で杖を手にこうして歩いたのでしょう。
谷間に広がる集落の風景もいいですねぇ。
「王子」と「童子」の違い、初めて知りました。
バシャバシャと150枚とはすごい!
木漏れ日なども見えて、とてもいい写真になっていますね。
日ごろ失敗作ばかりの自分と比べてため息が出ます。
いい旅ができたようで、このあともとても楽しみです。
何を撮ろうとしたの?とあとで思うような画像もあったりで
何をどう書けばいいやら、四苦八苦しながらダラダラ書いています。
いつ終わるのか・・? 次回もどうぞお付き合いくださいマセ!
それにしましてアップが早かったですね~
私も行きたかったな~残念!生涯行けそうにありません。
日がたつと忘れてしまいそうなので(笑)急いでupしました。
字数制限内にまとめるのはタ~~イヘン・・
何とか5回くらいの連載にとどめたいと思っていますけど。
どうぞお付き合いくださいね!