スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

春の里山

2012-03-31 | 散策


今日は、午後からお天気が荒れるとか・・
その前に、ちょっとひと歩きしてこようと思いまーす


いつもの里山コース☆
梅、菜の花、そして桃の花盛り~!



















春がやって来ましたね~

軽~く 8,842歩




コメント

江の島の椿

2012-03-30 | 花散歩


江の島「サムエル・コッキング苑」の中にも、椿がたくさん咲いていました。
いくつかご紹介しましょうね☆



「明石潟」

存在感のある大輪です。


「翁更紗」                      「寒陽袋」  
      



「天倫寺月光」                   「加茂本阿弥」
      



「花見車」




「熊谷」                       「花車」
      



「光源氏」                      「春曙光」
      



「白唐子」                      「紺侘助」
      



「藻汐」




「大唐子」                     「古金襴」
      



「香妃」                        「大虹」
      



「卜伴」

今回、一番印象に残った個性派の椿がコレ☆


陽に照らされてつやつや光る葉も、花に負けないくらい美しいと思いました。




コメント

藤沢・サムエル・コッキング苑

2012-03-29 | 神奈川


すっかり春らしい陽気になりましたね
先週のこと、ふらりと江の島に行ってきました。


大橋を渡って・・


いつ行っても、多くの観光客で賑う観光地ですが
お目当ては、島の中にある「サムエル・コッキング苑」。


明治初期に来日したイギリス人貿易商 サムエル・コッキング氏の別荘に
設けられていた大庭園の跡地を整備し、公開している緑豊かな庭園です。

入口を入ると、
まずは、色鮮やかな冬咲きチューリップ



      



「温室遺構」

2002(平成14)年に発見された、レンガ造りの温室設備の遺構。

庭園には、石炭による蒸気スチームの暖房設備が備わっており
池の下にまでスチームのパイプを通して、オオオニバスのような
珍しい熱帯植物なども育てていたようで、当時としてはかなり
技術的に高度な水準の設備であったということです。









      

苑内には、友好姉妹都市に因んだ広場などもあります。


でも、何といっても一番の‘ごちそう’は この眺望ですね  


暖かな晴れた日には、本当に気持ちのいいところです☆




コメント

ちょっと寄り道

2012-03-27 | 神奈川


このまま帰るのは ちょっと物足りない・・
で、

「平塚総合公園」へ寄ってみることに☆
今年の梅は どうかな~?


わぁ、キレイに咲いてる咲いてる!









30.3haの広さに約230種 10万本の梅の花が
今を盛りと 妍を競っていて、見応えがあります!





広い園内には桜の木も多く、ソメイヨシノはまだでしたが
早咲きのタマナワザクラ(玉縄桜)は見頃です 


玉縄桜は、ソメイヨシノから育成された品種のようです。





あいにくの曇天で、キレイに撮れなかった・・
なんてお天気のせいにして(笑)




コメント

旧東海道・平塚宿へ①

2012-03-26 | 旧東海道


前回は「馬入橋」まで来たので、今回はその続きを歩きます。


馬入橋を渡りきると、左側に石碑が・・

陸軍架橋記念碑

関東大震災で馬入橋が倒壊した際に、陸軍第十五師団(豊橋)所属工兵大隊と
第十六師団(京都)所属工兵大隊が架橋工事を行い、わずか16日間で橋を
完成させたそうです。 この碑は、第16大隊の事蹟を顕彰するものとか。


橋の右側に 「弘栄堂」という和菓子屋さん。
      
明治40年創業の老舗です。

名物「ちょんまげ最中」と「力餅」


「ちょんまげ最中」由来の「ちょんまげ塚」があるという
すぐ近くのお寺を訪ねてみました。


馬入山 蓮光寺

真言宗のお寺で、ご本尊は不動明王。
高麗様式の山門は、東京・芝「金剛峰寺 東京別院」から移築したものとか。

「ちょんまげ塚」は、残念ながらわかりませんでしたが
おもしろいお地蔵さんが祀られてありました☆

「持ち上げ地蔵」
      
願い事を心に念じながら像を持ち上げ、軽く感じれば願いは叶うそうです。
‘猫’もトライ・・・・とても持ち上がるような重さじゃなかった~



「馬入川(相模川)」沿いに遡ると、ほどなく公園があります。

馬入ふれあい公園


河津桜が満開



あれぇ、あやしい雲行き・・



川堤に上がってみましょう。

馬入の渡し跡

説明板によると;
相模川には60以上の渡し場がありました。 東海道は「馬入の渡し」と
呼ばれ、幕府が管理し周辺の村々の負担によって成り立っていました。
渡し賃は、12文だったといいます。





北斎 画


広重 画
(いずれも説明パネルより)






またR1に戻って、西へと向かいます。
やがて、R1から左へ分岐する道が旧東海道です。 
その少し手前に・・

馬入の一里塚跡

江戸から15番目の一里塚が、この辺りにあったようです。


ポツポツ雨が降り出したと思えば、じきに止んで薄陽が射してみたり・・
めまぐるしく変わる空模様が気になって、今回はあまりはかどりませんでしたね~

次回は、この先のJR「平塚」駅からスタートだな☆





コメント

今年の椿②

2012-03-24 | 花散歩


また 「はなの国」の椿を見に行ってみたら、
前回よりも、多くの種類が咲いていました。


「玉霞」                        「黒龍」
      



「紅乙女」                     「吾妻絞」
      



「数寄屋侘助」




「白侘助」                       「式部」
      



「太郎庵」                      「白玉絞り」
      



「百路」




「太郎冠者」                     「南蛮紅」
      

今年は、気候の厳しさが影響したのか
傷みのある花が多い気がするナ・・

ガンバレ~!

      


コメント

油断大敵・・

2012-03-23 | 雑記


風邪ひいてしまった・・・春だっつーのにぃ(チッ!)
そういえば先週末 少し喉にいがらっぽさがあったけどナ・・


幸いにも 普段 あまり風邪もひかないタチだし
この冬は 例年のように手足が冷えることも殆どなく
これもウォーキング効果? とちょっと気を良くしていたので
油断があったかなぁ・・・ ‘鬼’ならぬ ‘猫’の霍乱?(笑)


数日間「放浪の虫」を鎮めて お籠りしていたら 



どうやら めでたく全快致しました~




油断大敵 火がボウボウ・・にならなくてヨカッタ~!

皆さんは、どうぞお気をつけくださいね!
折角 これから いい季節になるのですから☆






 

コメント (2)

咲いた咲いた♪

2012-03-20 | 花散歩



京急「三浦海岸」駅前の 河津桜が満開で~す☆









そろそろ 緑の若葉が出ているようです



きっと、「小松が池公園」の方も
たくさんの人で賑わっていることでしょうね!

        




コメント (2)

旧東海道・茅ヶ崎④

2012-03-17 | 旧東海道



大鳥居を抜け松並木の参道を行きます。

が、その前に・・
右側の民家の横を少し入ったところに

「弁慶塚」
      
説明板によると;
武蔵国稲毛(川崎市)領主 稲毛三郎重成が、亡妻の供養のため
相模川に橋を架け、1198(建久9)年 その落成供養には源頼朝が
大勢の家臣を連れて参列し盛大に行われましたが、その帰途に
鶴嶺八幡宮付近にさしかかった時、突然乗っていた馬が棒立ちに
なったため頼朝は落馬して重傷。それがもとで、翌年死去しました。

馬が暴れたのは、義経・行家ら一族の亡霊の出現に驚いたためといわれた
ことから、後年 里人達が相計り供養塚を造立して霊を慰めたと伝わります。


約800mも続くという松並木を歩きます。




やがて、石造りの鳥居と可愛らしい太鼓橋



その先も、松並木が続いて・・



ようやく、社殿が現れました☆

鶴嶺八幡宮

祭神: 応神天皇・仁徳天皇
     佐塚大神・菅原道真
康平年間(1058~1065)に源頼義が東征の折、石清水八幡を勧請して
神社を建立したことに始まるといわれ、源家の篤い庇護を受け繁栄しました。
後北條氏滅亡の後 荒廃していましたが、当社の別当寺住職 朝恵上人が
浜之郷村領主 山岡氏の援助を得て、社殿・拝殿を再建。 1649(慶安2)年
徳川幕府より7石の御朱印を受けたのを記念し、あの沢山の松を植えたとか。

ご神木(槇)                   大イチョウ
      
ご神木の槇は、前九年の役で父 頼義の応援に向かう源義家が戦勝を
祈願して植えたものとか。 県天然記念物に指定された大イチョウは
推定樹齢 950年 ・根周り 8.5m ・目通り 9mというみごとな大樹です。



朱塗りの鳥居まで戻って、また東海道を進みます☆


「日本橋から60km」だって・・





街道の左側に、「神明神社

ひと気のない境内には、
双体道祖神と、「厄除大権現」と刻まれた石碑がありました。



やがて、左手に・・
相模川橋脚跡


1923(大正12)年の関東大震災と翌年の余震による隆起で、水田に太い木柱が出現。
調査により、先述の稲毛重成が相模川に架けた橋の橋脚と確認されました。
鎌倉時代には、相模川はこの辺りを流れていたのですね。
出現当時の様子

(展示パネルの写真)
計10本の桧の丸柱が、南北方向に4列 東西方向に3列並ぶ様子から
幅約9m 長さ40m以上の橋が南北方向に架けられていたと推測され、
1926(大正15)年に 国の史跡に指定されました。

現在 プール状の池に展示されているのは、復元されたレプリカで
実物は防腐処理を施し、地下2m65cmの所に保存されているそうです。




下町屋橋
下を流れるのは、「小出川」です。



橋を渡って暫く行くと、通りの右側に

妙巌山 信隆寺

日蓮宗のお寺。

    開創: 1253(建長5)年
本尊: 釈迦牟尼仏
武田信玄の従兄弟に当たる 勝沼信就が、武田勝頼に従い
天目山の戦で織田・徳川の連合軍に敗れた時、家臣数名と
共にここまで逃れて剃髪し、開いたお寺と伝えられています。

「日蓮上人坐像」

(説明パネルより)
像高 42. 2cm  玉眼寄木造りの木像です。
市指定重要文化財で、1564(永禄7)年の銘。




今宿からここ中島辺りの街道筋には、敷地も広く
重厚な構えの民家が多く見受けられます。




やがて、「平塚市」に入っていきます☆



馬入(ばにゅう)
下を流れる相模川は、頼朝落馬のあの故事に因み「馬入川」と
呼ばれています。 下流に見えるのは、JR東海道線の鉄橋。


橋の途中に
「日本橋から62km」の標識



橋を渡りきると、道は平塚市街に入っていきます☆
次回は、「平塚宿」を歩いてみることにしましょう☆


27,410歩





コメント

旧東海道・茅ヶ崎③

2012-03-16 | 旧東海道


今回は、前回の続きをJR「茅ヶ崎」駅から歩き始めました☆


駅を出て、R1を西へ。

さっそく、右側の公園の中に4基の大きな石燈籠。
      
東京上野の寛永寺に納められていたものの一部が、市にもたらされたものとか。
寛永寺は、いわずと知れた徳川将軍家の菩提寺。 代々の将軍の供養に
各地の大名が競って大燈籠を寄進しました。

手前から1・3・4番目の燈籠は、第10代徳川家治(浚明院)のため、
1786(天明6)年の刻銘。 2番目は第4代徳川家綱(最有院)のため、
1681(延宝9)年の刻銘。 寄進した大名の名が刻まれてあります。



街道右手に、厄除け大師のお寺がありました。

茅ヶ崎山 円蔵寺

真言宗のお寺です。
本尊: 薬師如来・厄除秘鍵大師

境内には、「乃木大将像」や「203高地血染の岩片」などがあります。
説明されてありませんが、当寺とどのような所縁があるのでしょうね。
       



街道沿いに、製材所があったので・・

そういえば、近頃あまり見かけなくなりましたよね。



「十間坂」という所に来ました。 右に大山や富士山、左には江ノ島や
金沢方面まで望めたことから「十景坂」、いつしか「十間坂」となったとか?

第六天神社

創立: 年代は不詳

祭神: 淤母陀琉神(おもだるのみこと)
               妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのみこと)
祭神は神仏混
淆時代の仏教で信奉する神で、国産み神話の
天神七代の神々のうちの、第六代にあたる男女2柱だそうです。

第六天神社は全国に300有余社あり、西日本では皆無に近く、
東京千葉の境に多く存在するようです。 身の丈2里の大神で
身体壮健・不老長寿のほか、道中安全のご神徳があるとか。

織田信長が篤く信奉したといい、その強大な神威を畏れた
豊臣秀吉が廃寺を行ったと伝えられています。


十間坂歩道橋の上から、行く手を・・



街道の雰囲気を感じさせる建物を見ながら、先を急ぎましょう☆




「南湖入口」交差点を過ぎる辺りから、道は右へ大きくカーブしていきます。
やがて、千ノ川に架かる「鳥井戸橋」。


橋の袂に、「南湖の左富士之碑」。

江戸を発った旅人は、東海道の右前方に富士山を見ながら来ますが
街道の屈曲から、此処で突然 左側に富士山を見ることになります。

このように・・


道中 左手に見えるのは、ここ茅ヶ崎と吉原(静岡・富士市)だけだそうで
広重の浮世絵にも、名所「南湖の松原 左富士」が描かれています。




「町屋」交差点の右手、朱塗りの大鳥居の先に
松並木の参道が ずうっと続いています。



(続)


 

コメント

椿2012

2012-03-14 | 花散歩


「はなの国」の椿、花数が増えてきましたよ☆


「八重侘助」




「初瀬山」                      「聚楽」
      



「秋の山」                    「乗蓮の春」
      



「草紙洗」




「式部」                       「日月」
      



「白唐子」                     「八朔絞」
      



「太郎冠者」







コメント

藤沢・常立寺のしだれ梅

2012-03-13 | 花散歩


晴れの日が続いていますが、陽射しのわりには寒いですね。


もう そろそろ咲いたんじゃないかな? と思って
今年も、しだれ梅を見に行ってきました。



白い花はとても綺麗に咲いて ちょうど今が見頃☆
赤い方は、まだこれからのようです。


      


こちらの紅梅は よく咲いていました~










コメント

梅・桃・桜

2012-03-11 | 散策



梅                          桃
      

桜が



一斉に咲きだして・・・里山に

春が来た~





畑中の道を行けば・・






      




あちこちに 春☆

東北にも 本当の春が早く来るといいな!!
                  


13,544歩




コメント

鎌倉・杉本寺

2012-03-08 | 鎌倉・逗子・葉山


「田楽辻子のみち」を離れて、川沿いに金沢街道へ。



バス通りを駅へ向かう右側に、たくさんの白い幟。



石段の先の仁王門をくぐると
      


大蔵山 杉本寺

天台宗のお寺です。

   建立: 734(天平6)年
開山: 行基上人
開基: 光明皇后
    本尊: 十一面観音菩薩
鎌倉最古のお寺で、坂東三十三観音霊場第一番御札所。

薄暗い本堂の天井や柱には、千社札が無数に貼られています。 
運慶作の地蔵菩薩像などを間近で拝観。 奥まった格子戸の
向こうに、
3体の観音像。 そのうち1体は行基上人の作とか。


本堂後ろの山には、嘗て杉本義宗(三浦大介義明の長男)が築いた
「杉本城」があり、六浦道(金沢街道)に睨みを利かしていたといいます。

境内横の石段を上っていと、それを実感できる眺望が広がっています。


あ、見つけた! 初スミレ



境内には たくさんの石塔

1137(建武4)年 後醍醐天皇の命を受けた北畠顕家による
鎌倉攻めで、戦死した者たちの供養塔だといわれます。

六地蔵と並んで祀られている石仏は
「身代わり地蔵」

杉本義宗に向け放たれた矢が当たった際に
血を流したという伝説があるお地蔵さまです。






さて、もう1箇所寄り道しながら帰るとしましょうか♪



荏柄天神


社殿前の紅白の梅が、だいぶ咲いてきました
      


参道の梅も・・ほら☆


去年の様子


19,551歩





コメント

鎌倉・田楽辻子のみち

2012-03-07 | 鎌倉・逗子・葉山


R204(金沢街道)の「大御堂橋」の信号を右へ入ると

大御堂橋



下を流れるのは「滑川(なめりがわ)」



橋を渡ったところに

文覚上人屋敷跡」碑


碑の前の道が「田楽辻子(でんがくずし)のみち」と呼ばれています。

「田楽」は平安時代に始まった民間芸能でしたが、鎌倉・室町時代に
大いに流行し、幕府の武士達も競って田楽師を抱えていたようです。
この辺りに、そうした田楽師が住んでいたことがこの名の由来とか。
「辻子」は、通り抜けできる小路のことだそうです。



川沿いに道を左へ進み、ほどなく右側の小路に入ります。
谷あいの静かな住宅地の中を100mほど行くと、左に

勝長寿院旧蹟」碑


「阿弥陀山 勝長寿院」は、鎌倉初期に源頼朝が父 義朝の菩提を
弔うために建立しました。運慶作の本尊 金色阿弥陀仏などが
並ぶ壮大・華麗な大寺は、鶴岡八幡宮・永福寺とともに鎌倉の
三大寺社とされていましたが、室町時代に廃寺となりました。


碑の傍らに、2基の五輪塔

平治の乱で敗れ東国へ逃れる途中、知多半島で謀殺された
源義朝と腹心の鎌田政清(のちに家)の供養塔といわれます。
元々あったとされる主従の墓が失われたため、昭和になって
地元の有志の方たちによって再建されたものだということです。

少し先の右手に見えるのは、寺ゆかりの石塔?
住宅の奥で、行けないので確認できませんが・・


嘗ては御堂のほか三重塔や釣り殿なども有した壮麗な大寺が
あったこの谷も、現在は山裾の住宅地に変貌しています。


「この先 行き止まり」の看板があったので引き返して・・



再び 田楽辻子のみちを進むと、途中で右折する道が
釈迦堂口」へと続いています。

何年も前に、釈迦堂切通しの岩の洞門を通ったことがあります。
その後 崩落の惧れがあり通行禁止になったと聞きましたが
今はどうなっているのでしょう? ちょっと行ってみましょうか。



こうなっていました・・ この奥ですね。 
今では通行はおろか、見ることも出来ません。
      



もう少し田楽辻子のみちを行ってみましょう。

上杉朝宗及氏憲邸跡」碑

上杉朝宗は犬懸上杉氏の2代で、足利氏満・満兼を補佐した鎌倉執事。
氏憲はその子。 この犬懸ヶ谷辺りに邸宅を構えていたようです。

碑から右折する道を上っていくと、衣張山へのハイキングコースです。

碑の向かい側に「田楽辻子のみち」の説明板


道は「宅間ヶ谷」の方へ続いていますが、今回はここまでにして
駅への帰り道に、ちょっとまた寄り道をしようかな・・



コメント (2)