スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

上野公園をぶら~り

2024-05-15 | 東京・川崎


所用で 久しぶりに 都内へ
何年ぶりだろ?・・・コロナ禍以来 初めてかも

懐かしくなって 用事を済ませてから ちょっと 上野公園へ 寄り道♪




あまり 時間の余裕がないので 美術館や博物館には寄らず
深い緑の中を のんびり ぶら~り

ん~ 気持ちい~~!
深呼吸のイラスト(女性)


「お化け燈籠」も 変わりなく☆

高さ 6.06m   笠周り 3.63mの 巨大燈籠
 日本三大燈籠のひとつと いわれています
1631(寛永8)年 創建間もない 東照宮に 寄進されたもの


不忍池(しのばずのいけ)
蓮池

 公園の南端にある 天然の池 周囲 2km  総面積 約 11万㎡
蓮池・ボート池・鵜の池に 分かれています

江戸期 天海僧正が この池を琵琶湖に見立て 竹生島に
なぞらえて 中島(弁天島)を築造




池畔に 「駅伝の碑」

「 我が国最初の駅伝は、首都五十周年記念大博覧会『東海道駅伝
徒歩競走』が 大正六(1917)年四月 二十七日、二十八日、二十九日の
三日間にわたり 開催された。スタートは 京都・三条大橋、
ゴールは ここ東京・上野不忍池の 博覧会正面玄関であった。」と




「 五條天神社 」




祭神:大己貴命
   少彦名命
相殿:菅原道真
第12代 景行天皇の頃(1900年前ごろ) 日本武尊が 東征のため
上野忍が岡を通った折に 薬祖神二柱を祀ったと 伝わります

健康祈願・病気平癒・学業成就の 御利益があるとか
しっかり お詣りしていきましょう!


短い時間だったけれど 森林浴がてら 若かりし頃のあれやこれやを
懐かしく 思い出したりしながら ちょっとしみじみ・・



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漱石忌

2023-12-09 | 東京・川崎


今日12月9日は 明治の文豪 夏目漱石の命日だそうです

1867-1916

 

東京メトロ 東西線「早稲田」駅を 出てすぐの
交差点の近くに 黒御影の 立派な石碑があります

「夏目漱石誕生之地」碑
   
漱石生誕100年を 記念して 建てられたもの
漱石は 慶応3年 牛込馬場下横町周辺 11ヶ町を束ねる
名主の 5男3女の末子として この地に生まれました


緩やかな坂は「夏目坂

(坂下へふり返ったところ)
「 夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正四年)によると、漱石の父でこの辺りの
名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名付けて 呼んでいたものが
人々に広まり、やがてこう呼ばれ、地図にものるようになった。」と




「早稲田」駅から 人家の間の 細い通り「漱石山房通り」を
猫のレリーフの 矢印を道しるべに 10分ほど




区立「 漱石公園
「漱石公園」夏目漱石終焉の地 「漱石山房」とよばれた住居

漱石が 亡くなるまでの9年間を暮した「漱石山房」があった
敷地の一部が 区立「
漱石公園」として 整備されています
胸像は 富永直樹氏 制作 

「猫塚」

氏の没後 遺族が 飼っていた犬猫・小鳥の
供養のために 建てたもの(1953年 復元)

「道草庵」では 漱石や漱石山房に関する 資料が展示されています



隣接する建物は
区立「 漱石山房記念館

2017年9月末に完成した 地上2階 地下1階の モダンな建物です



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武蔵野市・延命寺

2023-01-05 | 東京・川崎


年始のご挨拶に 親戚の家を訪ねた帰途に、通りがかったお寺。
これも御縁 と思ったので、立ち寄って参拝しました。




「八幡山 延命寺」

真言宗
開山:長恵法印
開基:長智法印
本尊:文殊菩薩
創建は 1672(寛文12)年頃 と 推定されています。


護摩炉

(説明板より)
長恵法印の時代のもの と 伝わります。
炉上部に 秋田藩 佐竹仙寿丸(五代藩主 佐竹義峯の幼名)の
刻銘がありますが、当寺と藩との関係は 不明とのこと。
長径 52cm 高さ14cm 蓋高11cm 市指定重要文化財


境内には

250K爆弾の破片            平和観音菩薩像
   
第二次大戦中、近くに ゼロ戦など軍用機のエンジンを 生産していた
日本有数の軍需工場(中島飛行機)があったため、当寺はじめ周辺に
数多く 爆弾が投下され、
多数の犠牲者が 出たということです。




「延命寺」と 隣り合って 神社が あります。

「関前八幡神社」
   



祭神:応神天皇(八幡神)
関東九十一薬師札所 多摩八十八ヶ所霊場 

こちらも「延命寺」と 同時期の創建 と されています。
当時 江戸の大火で 焼け出された人々が この地に移住し 開墾、
「関前村」として 開村した際に 創建されたと 伝わります。

武蔵野吉祥七福神の ひとつとして、毘沙門天と寿老人の
立派な御像が ありましたが、記念撮影をする人たちが
並んでいたので、御像の撮影は 遠慮しました。


良い御縁が あると
いいな!

 

 


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勝島運河沿いに

2022-06-19 | 東京・川崎


華やかな ユリ満開の公園の 目の前は

「勝島運河」
1943(昭和18)年 埋め立てにより 陸続きの人工島が造られ、
日中戦争の勝利を願って「勝島」と命名されました。

船溜まりには たくさんの釣り船や屋形船などが 停留しています。
運河沿い 約2kmの遊歩道には 四季折々の草花が植えられ、
ジョギングや 散策を楽しむ人々の姿が。



コサギの姿も。





運河沿いに のんびり散策を楽しんだあと、近くの公園で 暫時休憩

「 新浜川公園」
「六貫目ホイッスル砲(レプリカ)」が 鎮座しています。

幕末 ペリー来航後 海防が切迫課題となった 幕府の命により
江戸湾警備を担った土佐藩は、東大井の荷上場を埋め立てて
「浜川砲台」を 築造。 此処に 若き日の坂本龍馬が 居たそうです。

当時の こんな狂歌は 土佐の鰹節になぞらえて・・
「 品川の 固めの出しの よくきくは 下地もうまく なれし土佐武士 」
「品川の固め場(守備陣地)の 良く効果的であるのは、準備も上手い 熟練の土佐の侍だから」




で、すぐ近くの「新堀川児童公園」に
坂本龍馬像

当時 佐久間象山塾で 大砲操練を 学んでいたのだとか。
なかなかの イケメン

 

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スカシユリ満開!

2022-06-18 | 東京・川崎


何となくどよんとしている‘猫’に 友達が 「いい所に 連れて行ってあげる」と。

連れて行かれたのは こんな所☆

「鮫洲入江広場」という公園に、目が覚めるような
約5,000株の  スカシユリ。










鮮やか










ホントに 目が覚めました~




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メリークリスマス☆

2019-12-25 | 東京・川崎


芝公園で開催されている「東京クリスマスマーケット2019」を
ちょっと覗いて 雰囲気を味わってきました☆

最終日とあって、まだ暮れなずむ頃から 多くの人出!

ヨーロッパの三大クリスマスマーケットのひとつ、ドイツの
クリスマスマーケットを モチーフにしているのだそうです。


会場のシンボル 
クリスマスピラミッドが
東京タワーと背競べ

本場ドイツ製で、高さが14mもあるそう☆




会場には、グルメはもちろん 様々なクリスマスに因んだ
グッズを売るヒュッテが ずら~り立ち並んでいます



クリスマスオーナメントのお店



マトリョーシカのお店






ステージイベントも おおいに盛り上がっていました









♪ 神の御子のイエスさまは 生まれたもう~ 飼葉桶の中にても~♪
子供の頃、日曜学校で覚えた歌を 思い出しました~





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神楽坂通りをぶら~り

2019-07-15 | 東京・川崎


お盆です。

いつもの年と違い、全く実感が湧かないけど・・・




午前中 お墓参りを済ませ、昼食後のお腹ごなしに
早稲田から飯田橋まで 「神楽坂通り」を ぶら~りと。




まずは、以前ご紹介した「 赤城神社 」へ。



今日は 露店がたくさん出ています。











今回は、近くから 表情をよーく観察☆
      



蛍雪大神






‘猫’ の願い事?

それは ナ、イ、ショ☆





「神楽坂通り」
      
休日は ‘歩行者天国’ になっているのかな。
小洒落たカフェを見つけたり、お店を覗いてみたり・・






鎮護山 善国寺

日蓮宗




あっという間に 地下鉄「飯田橋」駅です。
最後は、やっぱりココ!



いろんな餡の ‘ペコちゃん焼’



今日の ご褒美デス☆



本日のお散歩は、11,500歩でした~




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赤城神社

2019-06-04 | 東京・川崎


東京メトロ東西線「神楽坂」駅を出ると、すぐ近くに

朱塗りの大鳥居




「赤城神社」

祭神:岩筒雄命(いわつつおのみこと)
   赤城姫命(あかぎひめのみこと)

1300(正安2)年 上野国赤城山麓から移住した 大胡彦太郎重治の
勧請により遷座され「赤城明神社」と呼ばれていましたが、
明治維新の際「赤城神社」と改称されたと伝わっています。

2009~2010年の「赤城神社再生プロジェクト」によって、
老朽化した社殿・神社全体が 建て替え 再開発されました。

本殿

ガラス張りと木の組み合わせがモダンな社殿は、嘗て 神楽坂に居住した氏子の
建築家 隈研吾氏によるもの。 2011年度「グッド デザイン賞」を受賞しました。





社殿を守る 狛犬さん
      
「加賀白山犬」と呼ばれ 江戸期に流行しましが、現在では
あまり数を見ない狛犬だそうで、独特な姿をしています。
どことなくユーモラスで、スフィンクスみたい~♪


社殿の左側に 「蛍雪大神」

菅原道真公を祀る 学問・芸術の神。
もとは「朝日天満宮」と称されていましたが、戦災で焼失。
2005年 旺文社の寄進で再建され「蛍雪大神」と改称しました。
受験生だけでなく、有名な芸能人などの祈願も多いとか。


社殿の左奥に進むと、鳥居の先に

三社が祀られています。
中央「赤城出世稲荷大明神」は、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
保食命(うけもちのみこと)を祀り、出世・開運・商工業繁栄の神。

右側「八耳(やつみみ)神社」は、上宮之厩戸豊聡八耳命(うえのみやの
うまやどのとよとやつみみのみこと=聖徳太子)を祀り、悩み事があれば
「八耳様」と三度唱えてお参りすると、良い知恵が授かるといわれます。
また、耳の神様として 耳を患う人たちが全国各地から訪れるそうです。

左側「葵神社」は 徳川家康公を祀り、「神楽坂の東照宮」と親しまれて
います。 明治初年の神仏分離令により 当社の境内社に遷座されました。



御守

「ゲゲゲの鬼太郎」の原作者 水木しげる氏が祈祷された ご縁とか。
先の見通しが良くなり、運が開けるそうですよ!


いろいろな意味で ユニークな神社だな~と思いました。

 

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亀戸香取神社

2018-12-27 | 東京・川崎



今回 あと一か所 訪ねたのは・・




鳥居をくぐり、ヒマラヤスギが聳える参道を進んで


亀戸香取神社

祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)
   相殿:武甕槌神(たけみかづちのかみ)
    大己貴神(おおなむじのかみ)
亀戸は昔「亀島」とか「亀津島」と呼ばれる島で、
665(天智天皇4)年に
藤原鎌足が東国下向の際、この島に船を寄せて
旅の安全を祈願し
香取大神を勧請、太刀一振を奉納したことに始まると伝わります。

「平将門の乱」で 追討使 俵藤太秀郷が戦勝祈願、平定後 弓矢を奉納。
この故事に因み、毎年5月5日に「勝矢祭」が執り行われています。


道祖神祭図

歌川広重作の 紙本淡彩図
享保の頃から明治初期まで 当神社で行われていたお
祭で、
氏子の子供達が 宝船を担いで練り歩く様子が描かれています。
区指定有形文化財


境内社



亀戸大根之碑



亀ノ井戸
     
2003(平成15)年に 復元されたもの。
「 若水や 福も汲みあげ 亀が井戸 」


香取大神は、鹿島大神と共に 豊葦原瑞穂国平定に功績ある 国家鎮護の武神。
そのご神徳から 多くの武人貴人の崇敬を集めてきました。現在では
スポーツの神として、多くのアスリート達が参拝に訪れるそうです。

参道両脇にズラリと並ぶ 奉納絵灯篭



     
吉田沙保里選手                  ケンブリッジ飛鳥選手


     
内村航平選手                      三宅宏実選手

孫たちの 賢く逞しい成長を願って、 ‘ばぁば’の 亀有ぶらり散歩でした~





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亀戸天神社

2018-12-27 | 東京・川崎


亀戸と言えば、鷽替神事で知られる「亀戸天神社」
10年ぶり(?)に お参りに行きましょう。

朱塗りの大鳥居をくぐって



先ず渡る太鼓橋は ‘男橋’、次に 少し小さい‘女橋’





祭神:天満大神(菅原道真公)
   天菩日命(菅原家祖神)
太宰府天満宮神官 菅原大鳥居信佑が、天神信仰を広める為 諸国を巡る途中
江戸 本所亀戸村に立ち寄り、小祠に天神像を祀ったことに始まるとか。


この時期、多くの受験生が参拝に訪れます。

頑張れ 受験生!



藤棚下の池に琴柱燈籠、亀が日向ぼっこ・・
     


神牛像

天神様といえば 牛
1961(昭和36)年 鎮座300年を記念して建立。
たくさん撫でられていますね~


菅公像                            鷽(ウソ)像
     
菅公5歳の像                                                        
「 美しや 紅の色なる 梅の花 吾子が顔にも つけたくぞある 」  


 境内社「御嶽神社」

道真公の教学上の師 延暦寺第十三代座主
法性坊尊意僧正が祀られています。

1781(天明元)年 塩原太助奉納の石燈籠

塩原太助は 群馬の人。裸一貫から身を興した豪商。
「 本所に 過ぎたるものが 二つあり 津軽屋敷と 炭屋塩原 」


歌川豊國碑
     
三世 歌川国貞の発起により、市川團十郎・尾上菊五郎や錦絵問屋、浮世絵師の
補助で 1893(明治26)年に建立されたもの。二世・三世の肖像が彫られています。
「 幹はみな 老を忘れて 梅の花 」




左手に スカイツリーがよく見えます。



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江戸川区・亀戸梅屋敷

2018-12-27 | 東京・川崎


今日は 亀戸をぶら~り☆



JR「亀戸」駅から、商店街を北へ5分ほど歩くと
古風な火の見櫓が 見えてきます。

「亀戸梅屋敷」

嘗て 歌川広重の浮世絵にも
描かれた「亀戸梅屋敷」という実際にあった別荘を
模して、2013(平成25)年にオープンした 観光案内所 兼 地域住民交流の場。


拝借画像

観光情報誌・マップなどが置かれているほか、
地域の土産品なども いろいろ販売されています。






奥には 休憩スペース、落語などイベントのためのホールも。

至る所 浮世絵だらけ(笑)




素晴らしい江戸切子の作品が 展示されているコーナーも






     


     




作品名・作者名と共に表示されている価格には 吃驚~ 
でしたが、たっぷり目の保養をさせて頂きました






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牛込見附跡

2018-11-22 | 東京・川崎


(前回の続き)

JR[飯田橋」駅まで来ました。
駅西口近く、お濠に架かる「牛込(うしごめ)橋」。




橋の両側に残る 二つの大きな石垣が「牛込見附(牛込御門)」の遺構です。



江戸城外郭部の城門「牛込御門」は、外濠が完成した1636(寛永13)年に
阿波徳島藩藩主 蜂須賀忠英(松平阿波守)により建設されました。

(説明板より)




道の反対側にある石垣

石の大きさや、きっちりと積まれた見るからに堅固な石組みに
この天下普請に懸けた 阿波藩の情熱と心意気が偲ばれます!

この石垣の足元にある大きな石は、

見附の解体中に 発見されたものだそうです。

よく見ると、側面下部に 文字が刻まれています。

「〇阿波守内」と見えます。
この見附枡形門が、阿波藩により建造されたことを 物語っていますね。


此処は「上州道」の要衝で、周辺には楓の樹が植えられ 秋には非常に
美しい眺めであったため「楓の御門」「紅葉門」と呼ばれていました。

見附は 1902(明治35)年に取り壊されましたが、橋の袂にある説明板に
取り壊される以前に撮影された 明治初期の「牛込見附」の写真があります。

牛込見附「旧江戸城写真帖」 東京国立博物館 所蔵


(説明板より)


今も残る 圧倒されるような力強さの 石垣に
江戸の面影を感じながら、楽しい外濠ぶらり歩きでした~


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外濠公園

2018-11-22 | 東京・川崎


(前回の続き)

「外濠公園」をぶらりぶらりと☆

この公園は、江戸城外濠の土手を利用して JR[四谷」駅辺りから
「飯田橋」駅まで 約2kmの遊歩道が続いている細長い公園で、
付近はオフィスや学校が多く 春はお花見客で 大変賑わいます。


右書きで「東京市」と。

(拝借画像)



桜や欅などの樹間から、中央・総武線を見下ろしながら・・






「新見附橋」

この橋は 明治に入ってから架けられました。
橋の建設のため 濠が埋め立てられ分断されています。

市ヶ谷橋~新見附橋までが「新見附濠」


新見附橋~牛込橋までが「牛込濠」と呼ばれます。






所々に 歴史を感じさせる石が 並べられてあったりします。
これらも 石垣に使われていた石なのかな?







こちらは 石燈籠の一部?
     





 
時折 舞い落ちてくる黄葉を浴びながら・・

気持ちのいい散歩道です☆


今回は 公園の途中「市ヶ谷橋」から歩き始めたので、いつか四谷方面へお花見散歩を
してみたいな! なんてことを考えながら・・もうすぐ「牛込橋(牛込見附)」へ。





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千代田区・市ヶ谷橋辺り

2018-11-22 | 東京・川崎


「市ヶ谷」の名の由来には諸説あり、嘗て 市谷孫四郎という人の領地で
あったからとも、四谷第一の谷だったからとも、また亀岡八幡宮の門前に

市が立ったことから 「市買」が訛化したものだとも言われています。




JR中央線「市ヶ谷」駅を出ると、 すぐ左手に外濠の水。



お濠に架かる橋は「市ヶ谷橋」

「市ヶ谷橋」は、1636(寛永13)年に 江戸城市ヶ谷門に架かる見附橋として
築かれました。 当時「市ヶ谷門」辺りには 桜の樹が多くあったので
「桜の御門」とも呼ばれていましたが 1871(明治4)年に撤去されました。 
現在のコンクリート製の橋は、1927(昭和2)年に架設されたもの。

市ヶ谷御門

(説明板より)
敵の侵入を防ぐ外郭門は「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に
配置した「桝形(ますがた)門」の形式であったそうです。



「市ヶ谷」駅からも見える 釣り堀へ下る道の右側に、
江戸時代に築かれた石垣が 今も
残っています。


この石垣に、江戸初期に御手伝普請で石垣を築いた 大名家や
職人が刻んだという さまざまな形の刻印を見ることができます。
     

     

     

    

東京メトロ南北線「市ヶ谷」駅構内に展示されている
江戸城の石垣を、以前ご紹介したことがありましたね。


 「外濠公園」の入口に、市ヶ谷御門橋台の石垣の一部が残されています。




では、お濠沿いに伸びる「外濠公園」を
「飯田橋」駅へ向かって ぶらりと歩いて行きましょう☆







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新宿・筑土八幡神社

2018-07-17 | 東京・川崎


16日 熱波の都心、溶けそうになりながら
お盆のお墓参りに行ってきました。

大変だけど、こうした事は ちゃんとやっておかないと、
忘れ物したみたいに 何か落ち着かないんですよね。
あ~、でも年毎に 東京が段々遠くなる気が・・


そんななか性懲りもなく、帰り道にちょっとだけ足を伸ばして 寄り道を




地下鉄東西線「飯田橋駅」から、日蔭を拾いながら 歩いて10分ほど。
「本多横丁」と「大久保通り」の交差点の角に、神社の上り口があります。

「筑土(つくど)八幡神社」




石段を上って行くと、古い石の鳥居が。

明神型の鳥居は、高さ375cm 柱径35cm。
1726(享保11)年 常陸国下館藩主 黒田直邦が奉納した
区内最古の石造鳥居で、区登録有形文化財。


石段の途中 左側に「田村虎蔵先生顕彰碑」

田村虎蔵氏(1873-1943)
鳥取出身 東京音楽学校卒 大正期の音楽教育家&作曲家
「金太郎」「浦島太郎」など 多くの曲を残しました。
碑には「金太郎」の楽譜♪の冒頭部分が刻まれてあります。
田村氏は、当神社の裏手に住んでいたそうです。



石段を上りきった境内の正面に、玉垣に囲われて
社殿

祭神:応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
説明板によると;
嵯峨天皇の頃(809~923年)、この辺りに住み 八幡神を篤く信仰する翁が
夢のお告げにより 一株の松樹に瑞兆を見て注連縄を結い廻したのに始まり、
その後 伝教大師が刻んだ神像を祠に祀りました。その際 筑紫・宇佐八幡宮の
宮土を礎としたことから、神社名となったといわれています。


『江戸名所図会』(説明板より)

文明年間(1469~1486年)に 江戸の開拓に当たった上杉朝興が 社壇を修飾し
江戸鎮護の神となりました。 現社殿は 1963(昭和38)年に再建されたもの。


     
1810(文久7)年 奉納



境内社「宮比神社」

祭神:大宮比命(大細女命)
旗本屋敷の社を 1907(明治40)年に移したもの。


大銀杏の下に 庚申塔が1基。

高さ186cmという 大きな舟型(光背型)の庚申塔。
1664(寛文4)年に 奉納されたもの。

上部の日月の下に、雌雄の猿が桃の枝を持っている
という とても珍しい図柄。 一見の価値あり☆
区指定有形民俗文化財


炎天下を歩いた結果 幸いに
熱中症は大丈夫でしたが、
やっぱり 暑さで消耗したんでしょうね、疲れてしまい、
本日は、一日中 家の中で ぐでーっと過ごしておりました・・
この暑さ、いつまで続くのでしょうねぇ



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