「東叡山 寛永寺」
天台宗関東総本山
徳川将軍家 祈祷所・菩提寺
創建:1625(寛永2)年
開山:慈眼大師天海
開基:徳川家光公
本尊:薬師如来
寛永寺の歴史は、1622(元和8)年 2代将軍秀忠公が 上野の地を
天海僧正に寄進したことに始まります。当初は堂塔伽藍が建ち並ぶ
巨刹でしたが、上野戦争で大半が焼失。維新後は新政府の命で
境内も当初の十分の一(約3万坪)に縮小し、現在に至っています。
拝借画像
根本中堂
1698(元禄11)年 建造
旧本坊表門鬼瓦 根本中堂鬼瓦
高さ123cm×横幅118cm 高さ248cm×横幅325cm
銅鐘
高さ:177.2cm 口径:91.6cm
1681(延宝9)年に奉納されたもの 区有形文化財
芭蕉の「 花の雲 鐘は上野か 浅草か 」は、この鐘の音を詠んだものとか。
15,548歩
********************************
2016年も ‘風来猫’の徘徊にお付き合いくださって
ありがとうございました!
来年は どうなることやら・・蓋を開けてみなければわかりませんが
もし元気で歩いているようなら よかったらまた ご一緒にね
ご健康とご多幸を お祈り申し上げます
良いお年を!
東照大権現 徳川家康公が祀られる「上野東照宮」へ。
参道の両側に、諸大名より奉納された石燈籠が200基以上。
48基の銅燈籠
突当りに、金ピカの唐破風造り四脚門が見えてきます。
通称「唐門」
1651年造営 国指定重要文化財
この奥に社殿があります。
時間に余裕があれば門内にと、いつも思いながら今回も・・
祭神:徳川家康公・8代吉宗公・15代慶喜公
扉に唐草格子、扉上には亀甲花菱、上部に錦鶏鳥・銀鶏鳥。
扉の両側には、左甚五郎の手になる昇り龍・降り龍。
唐門両脇の銅燈籠6基は、徳川御三家の奉納。
奥から、紀伊・水戸・尾張。
大鳥居外にある巨大な石燈籠
通称「お化け燈籠」
1631(寛永8)年 信濃長沼藩主佐久間勝之が、他者に先駆け東照宮に奉納。
高さ6.06m 笠石周り3.63m
南禅寺(京都)・熱田神宮(名古屋)の燈籠と並び「日本三大燈籠」といわれます。
(3基はいずれも、佐久間勝之が奉納したものだそうです。)
「旧寛永寺五重塔」
1639(寛永16)年 秀忠公の病気平癒を願い建立されました。
高さ32.3m 国指定重要文化財
もともと東照宮の一部でしたが、明治の神仏分離令で
寛永寺の所属となり、1958(昭和33)年 都の所有に。
現在は、上野動物園内になっています。
(続)
年越しの準備は捗っていますか~?
‘猫’は 今年最後の墓参に行き、これで1年が終わるなぁと実感しています。
お墓掃除を終え 清々しい気分になったところで、
暫くぶりに上野の杜を散策しました。
何年ぶりかなぁ・・
石段を上り すっかり葉を落とした桜並木を行くと、右手に
「清水観音堂」
正式名称は「東叡山 寛永寺 清水観音堂」 都指定旧跡
1631(寛永8)年 寛永寺の開山 天海僧正が創建。
本堂には、千手観音菩薩が祀られています。
京都の清水寺に倣い 本堂前に舞台があり、150年ぶりに
広重の浮世絵に描かれている「月の松」が復活。
拝借画像
「天海僧正毛髪塔」
天台宗の高僧 慈眼大師天海僧正(1538-1643)の
毛髪が納められているという供養塔。
「彰義隊の墓」
鳥羽伏見の戦い後 徳川慶喜の助命を求め結成された同盟が、のちに
彰義隊となり 1868(慶応4) 年 ここ上野の山を拠点に新政府軍と戦い
壊滅。このお墓は、1881(明治14)年に元隊士らにより造立されたもの。
新政府の逆賊であることを憚り「彰義隊」の名が無い
墓石には、旧幕臣 山岡鉄舟の筆で「戦士之墓」と。
今日は スッキリと晴れわたりました☆
スカイツリーを眺めながら、ちょっとひと休み。
(続)
今、外は嵐
雨もだけど、何しろ風がスゴくて・・・
昨夜 やっと年賀状仕上げたけど、投函しに行けないヮ
元旦に間に合うかな・・
というわけで、今日は 少し前に行った所の話題でも。
鎌倉みやげの定番「鳩サブレー」
100年変わらない味☆
今でも時々 無性に食べたくなるのです。
「豊島屋」本店
1894(明治27)年創業の老舗
初代店主 久次郎氏が、店に来た外国人客からもらったビスケットにヒントを
得て、バターが入手困難な状況から試行錯誤の末 作り上げた味だといいます。
明治末の発売当初は「鳩三郎」とも呼ばれていたとか。
「サブレー」という言葉が、知られてなかったからでしょうね。
当初 鳩の尾羽は、3本ではなく2本だったそうですよ。
店の2階のギャラリー「鳩巣」には
内外で蒐集された いろいろな鳩のコレクション☆
楽しめました
海沿いのR134に出てみると、強い風が吹きつけて来ます。
その風のお蔭で、さっきより見えてきた富士山
風に飛ばされないように、また 時折道路まで飛んで来る波しぶきを
浴びないように気をつけながら 歩くこと数分、公園に到着しました。
「立石公園」
R134と海とに挟まれた細長い公園です。
面積:0.5ha
園内に、文学碑が1基。
泉鏡花の『草迷宮』の一節が刻まれています。
*『草迷宮』
1908(明治41)年に出版された小説。
主人公が 亡母の思い出の手毬唄をたずねて諸方を歩き
此処 秋谷の里で遂に探り当てるという内容。
公園駐車場から☆
「立石」
説明板によると;
「立石(たていし)」と呼ばれる凝灰岩の巨石は、高さ約12m 周囲約30m。
約2,500万年前 海底に堆積した地層が固まり、長い年月 波に削られできたもの。
立石の先に張り出す岩場は「ぼんてん」と呼ばれ、其処に自生する松と
正面の富士山、遠くの山並みを借景とした絵画的な景観が古くから知られ、
江戸時代 初代安藤広重も『相州三浦秋谷の里』と題して描いています。
拝借画像
あの雲が・・・くぅ!
またの機会を待つことにしましょう。
それにしても、強風は 疲れる・・・
16,782歩
「子安の里」を流れる「関根川」という清流に沿って、遊歩道があります。
「関根川遊歩道」
案内図を見ると、どうやら「関根御滝不動尊」の裏側を通るみたい。
人影は全く無さそうだけど、もうマムシも出ないでしょう。
入って行ってみましょう。
葉を落とした木々の間から射し込む陽で、そう暗さはないですね。
川沿いの遊歩道に積もった 落ち葉の上をサクサク・・
流れる水音のほかは、ただ 静寂。
水量は豊かですね☆
と、突然
右側の崖の茂みで ガサガサっと音がして、子犬ほどの
黒いモノが、スゴイ速さで崖を駆け上っていきました(驚!)
アライグマ? タ、タヌキ?
「久留和隧道」と「日影橋」が見えてきたら、
海岸はもうすぐですよ~
橋の下をくぐって、その先で上の道へ上がっていきます。
ここで 遊歩道は終わりのようです。
見覚えのある庚申塔群を過ぎて
海岸沿いのR134 に出てきました~
このあと、「立石」へ寄ってみようと思います☆
(続)
葉山と横須賀の境に位置する「湘南国際村」にやって来ました。
「湘南国際村」
今日の目的は レストランでお食事・・ではなく、富士山☆
こんなに青い空だから、見えるでしょう!
あらら~
裾野だけがチラリと・・・ザンネ~ン
でも、
絶景の富士見ポイント「夕陽の丘」に
7つめのマイルストーンを発見!
ここのテーマは「ツツジ」。 国際村の春は、ツツジの花がとても綺麗です。
正面の富士山がくっきり見えたら、サイコーの景色なんだけどナ・・・
富士山に嫌われたうえに、体ごと持っていかれそうな 海から吹き上げる強風。
長居は無用!
どんどん下って
ひと昔前の山里の面影が今も残る「子安の里」へ。
「軽部家長屋門」
陽だまりの里山道を歩いて行くと ♪
無くしたくない里の風景が 広がっています☆
(続)
暖かいんだか寒いんだか、よく分からない今日の天気・・
海辺には、生暖かい南風が結構強めに吹いています。
‘猫’のお散歩コースでもある「津久井浜海岸」で、来年5月に
「ANAウィンドサーフィン ワールドカップ大会」が開催される
ことが決まったようです。 国内でのW杯は、24年ぶりとか。
来年は、盛り上がるんでしょうね~
楽しみです
10,722歩
「緒明山」を下りて、さぁ どっちへ行こうかな~
「中里商店街」を横切り、住宅街の旧道を左へ行ってみましょう。
この道は、おそらく「うらが道」だと思われます。
「うらが道」は、江戸時代 東海道・保土ヶ谷宿から金沢八景へ出て
追浜、田浦の十三峠を越えて、逸見、汐入を抜け浦賀に至る古道。
この道は平地が少なく、山越えの厳しい道だったようです。
目の前に、急な坂道が現われました。
「うぐいす坂」
嘗てこの周辺は 欝蒼とした樹木に覆われ、うぐいすの
声が絶えなかったのが この坂の名の由来のようです。
この坂上に「咸臨丸」渡米時の副艦長格だった浜口英幹(ひでもと)氏が
幕末から明治にかけて住んでいた家があり、花に囲まれたその佇まいから
近隣の住民から「花屋敷」と呼ばれていたそうです。(説明板より)
明治30年頃の「花屋敷」
坂を上りきった所に、「うらが道」の標柱。
「この道は、江戸から金沢・田浦・逸見・汐入・深田・
大津を経て浦賀へ至る昔の要路でした。」とあります。
左へ行くと 市街へ下ってしまいそうなので、右の方へ行ってみましょうか☆
谷戸を見下ろす尾根道がしばらく続きます。
右前方に見える高い建物は、「汐入」駅前のホテルでしょうか。
そして、左前方には・・あ!
浦賀へ急ぐ旅人たちも、きっと見たのでしょうね。
やがて、
密集する住宅の間の細い路地を下って行きます。 わ~、スゴイ階段!
どうやら 下界へ下りて来たようです。
「うらが道」は続いていますが、今日のお散歩は
此処「汐入」までとしておきましょう。
14,617歩
「横須賀市立中央図書館」へ上って行く坂の途中
右手にある小高い丘は、
「緒明山公園」
明治時代の実業家 緒明(おあけ)菊三郎氏が所有した地所で、
その後 市の所有となり、公園になったのだそうです。
緒明菊三郎氏
(1845-1909)
拝借画像
1854(安政元)年 安政大地震で伊豆・下田にいたロシア戦艦「ディアナ号」が沈み、
プチャーチンの要請を受けた幕府の命でその代船を建造することになり、戸田の
船大工らが、排水量100トンの洋船「HEDA号」を僅か3ヶ月ほどで完成させました。
その建造に携わった父 緒明嘉吉から洋船建造技術を学んだ息子の菊三郎は、
父の死後 上京して造船業で成功し、日本の近代造船業の発展に尽くしました。
菊三郎氏は、事業成功後に この山を買い取ったといわれます。
階段を上って行くと、
公園は 三段の広場になっていて、下の二段には児童遊具など
一番上の広場には 花壇や芝生、藤棚、ベンチなどがあります。
この公園は数年前、アニメ「たまゆら」の舞台になったそうで。
公園の目の前の建物が「市立中央図書館」です。
(外壁等の改修で建物が覆われているため、撮影しませんでした。)
その関連でしょう、公園の一角に
「読書公園」の碑
図書館へ行くとき、公園名の読み方と謂れが気になっていたんです。
今日 それがわかって、やっとスッキリ~(笑)
地元では「オアキ山」と呼ばれているようです。
冬晴れ
よく晴れました!
今日は 100%間違いないでしょ♪
と いうことで、張り切って出かけました。
京急「三浦海岸」駅を出て、右へ。
駅前の野菜直売所は、産直新鮮野菜を求める人が次々と。
え、立派なダイコンが¥50 !?
即「買い」でしょ
直売所を通り抜け、坂を上って行きます。
10分ほども歩くと・・左手に見えてきました~
それにしても、何て素晴らしい青空
今日は 文句ナシ!
とっても気持ちいい 冬晴れの富士見散歩でした
今日は風が強かったですね。
でも、スキッとした冬晴れの1日でした。
久しぶりの海岸散歩☆
水仙が だいぶ咲きだして、良い香りが漂ってきます
満開の「水仙ロード」になるのは、例年だと今月末~来月初めごろ。
冬の散歩の 楽しみのひとつです♪
離岸堤の工事が進められているようです。
冬の海岸も なかなかいいものですよ!
11,852歩
「師走」に入ったら、急に寒さが増してきましたよね。
今年も元気で年を越せるように、せっせと歩きまセウ!
この時季のお楽しみ、ヒマラヤ桜を見に☆
何か 3年周期で 見たくなるみたいだけど(笑)
「戸越公園」
肥後熊本藩の分家 新田藩細川氏の下屋敷跡だそうです。
園内の様子も あまり変わってませんね。
のんびりカモが泳ぐ池の周りを 一応ぐるっとひと周り☆
で、お目当てのヒマラヤ桜はというと・・
良かった、咲いてました~!
右手の方にある1本は もう葉桜になっていましたが、
「薬医門」前の1本に
園内のあずまやで ちょっとひと休みしてから、
前回教えて貰った もう一か所へも。
今回は電車ではなく、2駅分テクテク歩いて・・
「弁天通り公園」
商店街から少し外れた 住宅街の中にあります。
小さな公園に不釣り合いな(失礼)ほど、見事な濃いピンク色の1本です
今年は、前回以上の まさに満開でした~
16,434歩
鎌倉「大巧寺」の境内にある 見上げるほどの高木。
真直ぐ伸びた幹から 四方に大きく枝を広げて・・
逆光で見えにくいですが、赤いブドウ??
イイギリ
(イイギリ科)
雌雄異株の落葉高木で、5月ごろ 黄緑色の小さな花が咲きます。
昔 この葉でご飯を包んでいたことから、この名とか。
この見かけから、別名「ナンテンギリ(南天桐)」とも。
葉が落ちたあとは殊更、鮮やかな真紅の実が目を引きます☆
鎌倉のお寺の中でも、静かな雰囲気が好きで
四季折々に訪れるのが 比企ヶ谷の「妙本寺」です。
例年 此処の紅葉は 鎌倉では遅い方ですが・・今日はどうかな?
そろそろ始まっていました~
当寺の墓地には、
徳川家康の側室 養珠院(於万の方)のお墓があります。
徳川頼宣(紀州)・徳川頼房(水戸)のご生母です。
(1580-1653)
「 夫東照大権現御息紀州大納言頼宣水戸
中納言源頼房両卿御生母公法号養珠院妙紹
日心大姉者是三方帰依清浄壇越也・・」
また、すぐ近くには『坂の上の雲』にも登場する
海軍大将 上村(かみむら)彦之丞氏のお墓も。
(1849-1916)
拝借画像