スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

海辺の町・浦賀Ⅰ 

2008-08-31 | 横須賀・三浦

京急浦賀駅前から浦賀湾を挟んで道がV字に分かれています。右へ行けば
西浦賀、左へ行けば東浦賀の町です。まず西浦賀の方へ行ってみました。


浦賀警察署の傍にある「大衆帰本塚碑」は江戸末期、当時の浦賀奉行が
開発以前の浦賀の様子を記し、先人たちの思いを伝えた石碑だそうです。



道の反対側の少し先の路傍に、見過ごしそうな小さな石柱がありました。
刻まれた文字も風化して殆ど読めませんが、表「道路元標」裏「神奈川縣」
と刻まれた明治時代の浦賀地区の道路元標だそうです。その頃はこの辺りが
浦賀地区の
中心部であり繁華街であったのでしょう。



その先の門内は、日本初の洋式軍艦鳳凰丸をはじめ日本丸・海王丸・青函
連絡船など約1000隻にのぼる船舶を建造した住友重工業浦賀船渠の跡です。
フランス積みレンガのドライドックと1957(明治32)建造のクレーン1基が
残されていて、イベントや見学ツアーのときには見学することができます。

これは以前、見学ツアーに参加した際に撮影したものです。


右手の旧道に入って行くと、この辺りは往時回船問屋が軒を連ねて大変賑わった所で
あの「ええじゃないか」があったりもしたそうです。所々に昔日の面影をとどめる店舗や
古い屋敷があったりして、ひっそりと閑静な生活圏に歴史の残り香が感じられます。



以前「浦賀みち」でご紹介したことのある西叶神社が道の右側にあります。

境内にある一対の青銅の立派な燈篭には、天保四年の銘がありました


社殿は1837年(天保8)に焼失し、その5年後に総工費3千両をかけて再建
されました。隆盛期の浦賀を偲ばせる大変見事な彫刻で飾られています。
次回はその彫刻をご紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに!

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枝豆穫れました!

2008-08-26 | 雑記

先週、お天気が下り坂になると聞き 庭の枝豆を全部収穫しました。

趣味で野菜作りをしている友人から、「一度に全部引き抜いてしまわずに
実った実だけを少しずつ摘んでいくと沢山楽しめるわよ」と教わったので、
7月に入ってから、ふくらみ具合を見ながら実った莢だけ おつまみ2人分
くらいずつをキッチン鋏でチョッキンチョッキンと収穫してきました。

ついにその最終回です・・
まだ実りかけの小さな実も付いていてちょっと可哀想な気も
しましたが、思い切ってすべての株を一気に引っこ抜きました。

にわか農夫さんの枝豆クン達、お店で売っているのに比べると
ちょっと小粒ですが、産直だけあってしっかり甘みがあります~


 それでは乾パ~イ!

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伊豆の瞳・一碧湖~松川湖  

2008-08-23 | 他県

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、お盆を過ぎたばかりなのに
急に涼しく
なりましたね~ このまま秋?・・とはいかないでしょう
けど、皆さま、夏風邪など召されませんようお気をつけくださいね!
                   

涼しくなったので、「ハイク&ウォーキング」のイベントに参加して
伊東にある2つの湖を結ぶ約10kmを森林浴をしながら歩いてきました。

このイベントは、受付で貰ったコース地図を見ながらめいめいが
自由に
自分のペースで歩いたり休んだりして決められた時間までに
ゴールに
着きさえすればいい、という気楽なところがいいです。

まずはスタート地点の一碧湖までバスで行き、そこから歩き始めました。
「伊豆の瞳」なんていうステキなキャッチフレーズでお馴染みの火口湖です。
今にも泣き出しそうな天候のせいか、湖畔は珍しく殆どレジャー客も
見当たらず静か過ぎるくらい静かで、神秘的な雰囲気さえ感じられます。

  

与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑などがある湖畔をのんびり散策してから
人家や田畑が点在する静かな里山道に入っていくと、時間もゆっくり
流れていくようでとてもいい気持ちになります。この辺り一帯は十足
(とおたり)といい、昔の旅人にとっては草鞋が十足も必要な厳しい
道のり
だったところからそう呼ばれるようになったのだそうです。



車道を跨いで赤土の林道に入り、細くなったり広くなったりしながら
道の左に右にと変わる松川の流れに沿って林の中を歩いていきます。



やがて松川湖が見えてきました。飲料水確保のためのダム建設によって
出来た人造湖で、周辺には遊歩道・公園・噴水などの施設が整備
され、
釣り場もある市民のためのレジャースポットです。数組のハイカーが
湖畔でお昼を食べていたので、私達も倣ってここでお弁当にしました。


どんよりした空で雨が心配でしたが「晴れ女」の面目はなんとか保たれて、
静かな林の滴る緑の中、3
時間ほどの森林浴&ウォーキングを楽しみました。

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YOKOSUKA 街散歩Ⅳ

2008-08-21 | 横須賀・三浦

横須賀中央駅前から急坂のバス通りを上っていくと、アーケードが続く
昔ながらの商店街があります。かつては一番の繁華街だったのでしょう。


所々で、プランターに植えられたニガウリが緑の日除けになっています。

風に揺れる葉がいかにも涼しげ。小さな実もついていますよ!


アーケードに隠れて見落としてしまいそうですが、凝った装飾が目につきます。




写真屋さんの入口にあったステンド・グラス



時代を感じる構えのお店は、きっと世代を越えた永い
お付き合いのご贔屓
さんがいらっしゃるのでしょうね。

昭和
5年の建物だそうです。創業はさらに遡る祭礼用品のお店。



この写真館も歴史がありそうです。きっと沢山の
人々の歴史を撮り続けてき
たお店なのでしょう。



珍しい和楽器専門店。ウィンドウにはお三味線が・・
こういうお店を見つけると嬉しくなりますね~

アーケード通りのそばで一際目をひく三階建ての肉屋さん。
自衛隊もお得意さんのようです。


商店街を歩くと、お店に対するご主人の愛着が感じられますし、
その地域に住んでいる人々の暮らしも何となく見えてきます。
何気ない街もあれこれと
想像しながら散策すると楽しいものです。

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YOKOSUKA 街散歩Ⅲ 

2008-08-19 | 横須賀・三浦

濃い緑が大きく揺れている並木道に沿って、デパートや銀行などのビルや
商店が立ち並んでいる通りを横須賀中央駅に向かって歩いてみましょう。

もともとはこの辺りまで海だったのですが、19世紀半ば頃から始まった
埋め立てによって次第に現在のような市街が形成されていったようです。



海の手横須賀をイメージした帆船つきの時計塔



ジャズの町らしくこんな像もあります。
かなりメタボなおじさん・・



並木の下のベンチでジャズマンが一休み?
いえ、楽興のひとときでしょうか


あ、こちらにも!

こちらは大分撫でられていますね。人気のジャズマンのようです。


駅前広場には、カモメの水兵さんもいました。

「海軍カレー」が街の名物だそうです。
思わずお皿の中を覗いてみたくなります。

人の目を楽しませて街を盛り上げたい、という思いが伝わってきます。

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YOKOSUKA 街散歩Ⅱ 

2008-08-17 | 横須賀・三浦

国道16号線から山の手へ1本入った通りは通称「どぶ板通り」といいます。



この名は大正時代、この通りに幅1.5mほどの下水が流れ厚い板で覆われて
いたことに由来するとか。バタくさい雰囲気にはそぐわないネーミング
ですが、ずっと
その名で親しまれてきたのでしょう。戦前まではどこに
でもあるような普通の商店街だ
ったのが、戦後 近くに米軍のEMクラブが
できたのをきっかけにネオンが
眩い場所となり、殊に基地に空母が入港
したときなどはおおいに賑わったようです。

しかし、
ベトナム戦争以降オイルショックによるドルの暴落などで米兵は激減。
現在でも夜になるとジャズのメロディが流れるバーやバンドの生演奏が聴ける
店もあるなどアメリカの香りを残しつつも、昼の顔はいたって普通の商店街です。


米兵の土産品として生まれたサテン地にド派手な刺繍が特徴のスカジャンは
今や日本の若者達に人気があり、この専門店は1947年創業の老舗だそうです。
   


米軍用の放出衣料や靴・バッグなどミリタリーグッズの店もあります。



アメリカン・バーは暗くなるのを待ってひっそり静かです。



通りの所々に横須賀に縁のある著名なミュージシャンや

スポーツマンなどの手形47枚が嵌め込まれています。




時勢に沿って姿を変えてきたこの通りは、‘らしさ’を
残しつつ、これからまた変わっていくことでしょう。

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江ノ島 サムエル・コッキング苑  

2008-08-14 | 神奈川

アオノリュウゼツランってご存知でしょうか。 高さ810mの太い花茎を伸ばし
数十年に1度花を咲かせ、終わると枯れてしまうというドラマチックな植物です。
この植物はメキシコが原産で、あのテキーラの原料になるのだと聞いています。

先週、近くの病院入口にある2本が咲いていると聞いたので出かけてみたら、
2本ともすでに咲き終わり、花茎が折れてしまっていました。うぅ、残念!

ところが「江ノ島ではまだ花が見られるかも」と教えてくれた人がいたので
「それでは!」とばかりに、デジカメを手に駆けつけました。


江ノ島はもう何度も来ていますが、まずは辺津宮・中津宮・奥津宮の三社に
ご挨拶をして・・・平日にも関わらず、大勢の観光客で賑わっています。
   

さていよいよ、今回の目的であるサムエル・コッキング苑へ向かいました。

19世紀 江ノ島にあったイギリス人貿易商サムエル・コッキング氏の
別荘に温室設備や雨水循環設備付き大庭園があり、その
跡を整備して
四季折々にいろいろな植物が楽しめるようにしてあるのだそうです。
苑内にあるアオノリュウゼツランのうち、6株が青い空に向かって
ニョキニョキと長い花茎を伸ばしていました。

見上げると、あ、まだ咲いていました!
   
ここでは3年ぶりの開花だとのことでした。今度咲くのはいつでしょう?

そのほかに、こんなものも見られました。

お馴染み南国の花 ハイビスカス

   
デイゴ              芭蕉の花?

   
「クックアロウカリア」という熱帯植物
かのクック船長が南太平洋の島で発見し、この名が付いたとか。
この縫いぐるみのようなモシャモシャ感がカワイくありません?



高みからは、江ノ島ヨットハーバーや片瀬海岸の賑わいもよく見えました。


湘南の夏の光景です

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YOKOSUKA 街散歩Ⅰ  

2008-08-12 | 横須賀・三浦

JR横須賀駅を出るとすぐ目の前に、海に面した公園が広がっています。


江戸時代末期に日本に招かれて横須賀製鉄所(造船所)を建設し、日本の
近代工業化を指導し日本初の様式灯台 観音崎灯台の建設にも関わった
フランス人造船技師(18371908)の名を冠した「ヴェルニー公園」です。

まずは入口横にある「ヴェルニー記念館」に入ってみました。(入場無料)

 
館内中央にデンと鎮座するのはスチーム・ハンマーという工作機械です。
1865年オランダ製のこの2基は蒸気を動力としてハンマー()を動かして
鍛造作業を行うもので、これによって船の部品を製作していたそうです。
館内にはそのほか製鉄所に関する資料、工具などが展示されていました。


記念館の近くにある塔のような建物は、旧製鉄所の衛門でした。




暑い日ざしにも負けずバラが咲いている花壇の先は横須賀本港です。
向こう側には
アメリカ海軍横須賀基地と海上自衛隊のドックがあります。


遠くに灰色の自衛艦が見えます


建物の手前の黒っぽい船体は潜水艦でしょうか

公園のすぐ目の前に軍艦や潜水艦が停泊している特異な光景は
初めて見た大抵の人をびっくりさせるようです。


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ぶらっと大磯Ⅲ 

2008-08-09 | 神奈川

大磯駅の目の前にエリザベス・サンダース・ホームの門があります。創始者の
澤田美喜さん(1901~1980)は三井財閥・岩崎久弥氏の令嬢で、外交官夫人として
世界各国を廻られ英国でのボランティア活動に触発されたことが、のちにホーム
開設のきっかけとなったそうです。敷地内には澤田さんが長年蒐集してこられた
隠れ切支丹の貴重な遺品などを展示する記念館があり見学することができますが
予約が必要らしいです。ザンネン! またの機会にぜひ中に入ってみたいです。
でも、6月に訪ねた上野の岩崎邸と此処でつながりました


近くに仏蘭西洋菓子の「鴫立亭」を見つけたので、パチリ!



大磯で有名な和菓子屋さん。島崎藤村氏や吉田茂氏もご贔屓だったそうです。



通りを隔てた向かいに、同志社を開いた新嶋襄氏を記念した石碑がありました。

この場所にあった旅館「百足屋」で47歳の生涯を閉じられたそうです。
碑には、徳富蘇峰氏の筆になる見事な字が刻まれてありました。


Uターンして、山の手の方へ向かってみました。
JR線のガードをくぐると間もなく右手に、妙大寺というお寺があります。

日本で初めて大磯に海水浴場を開いた幕府典医で初代軍医総監・松本順氏の
お墓があります。境内の一部は氏の功績を讃えて町民から贈られた土地で、
氏は此処に別荘を建てて晩年を過ごされたということです。


その名もゆかしい鴫立川に沿い
山に向かって歩いていくと、次第に緩やかな
坂道になり、大変
静かでハイソな雰囲気のある邸宅街になってきました。


ステキなお家にカメラを向けたら、
庭木を剪定していた植木屋さんにジッと
見られてしまいました。スイマセン、怪しいものじゃありませーん!


どの家にも大きなSECOMの赤いシールが貼ってあります。守らなければ
ならない
ものがきっと沢山おありなのでしょうね~



邸宅街はもっと西側の方にも続いているようです。機会があればまた・・・

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ぶらっと大磯Ⅱ 

2008-08-07 | 神奈川

JR大磯駅の駅舎は、関東大震災で倒壊後に再建された大正時代の建物で
思わず「ただいま!」と言いたくなるような何ともいい味わいの駅舎です。

こんな駅、少なくなりましたね~


今回は、駅から東(平塚方面)へ向かって歩いてみました。

駅近く、まず目に入るのは高台の旧山口勝蔵邸。明治末期の建物のようで、
2×4工法で地下室もあるとか。門までのゆるやかな傾斜もなかなか素敵です。
現在は高級イタリアン・レストランで、時々結婚式なども行われるそうです。



レストラン前の坂を下って行くと、やがて右手にお寺の門が見えてきます。
境内に樹齢を重ねた見事な臥龍梅がある真言宗のお寺「船着山地福寺」です。


その梅の木に包まれるように、この地で生涯を閉じた島崎藤村・静子ご夫妻の
墓所が静かに並んでいます。御影石の台座に「島崎藤村墓」「島崎静子墓」と
のみ
刻まれた細長い墓標は、いかにも氏らしい簡素な美しさがありました。




山門を出て路地を抜けJRの線路に沿って歩いて行くと、松並木の道に出ました。


ここも旧東海道の街道ですが、国道から一本入った道のせいか木の根元が花壇に
なっていたりして生活感のある親しみやすい松並木です。松の木のほか盛り土を
した塚の上に二抱えもある榎の巨木もあります。往時の旅人が旅程の目安とした
一里塚で海側に榎、山側に栴檀が植えられ、旅人の休息場でもあったそうです。


松並木が途切れてから暫く行くと、石の鳥居が立つ参道に突き当たりました。


古くからある「高来神社」です。4月には神社の御霊を240kgもある神輿に乗せ、
3時間かけて山坂を上社まで担ぎ上げる勇壮な祭礼行事が行われるのだそうです。

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ぶらっと大磯 Ⅰ

2008-08-05 | 神奈川

今回は駅を出てから国道1号線を西(二宮方面)へと歩いてみました。

前回訪れた鴫立庵の前を通り過ぎて松並木沿いの遊歩道を行くと、
左手のひときわ長い石垣に囲まれた一画が
「古河電工大磯寮」です。

門を入って左側に陸奥宗光氏の旧別邸(再建)、右側に大隈重信氏の旧別邸
があるそうです。現在でも8,000坪あるそうで、その管理・維持にかかる
手間と費用は大変なものでしょうに・・と貧乏人が余計な心配()
公開されていないので、内部の様子を窺い知ることはできません。

隣接するのは伊藤博文邸「滄浪閣」跡。当初別荘として建てられたものの、
後にこちらに移り住まれたとか、余程ここがお気に召されたのでしょう。

 

その後所有者が移り存続も危ぶまれた時期を経て、どうやら地元資産家が購入
したらしいとの噂。
5,500坪の敷地は今後どのような運命を辿るのでしょうか。

明治時代に保養地として人気を集めた大磯には歴史上錚錚たる名家の邸宅
が多くありましたが、
維持保存が難しく売却されてマンション等に建て
替えられてしまった所も多く何とももったいなく、残念至極なことです。



さて、気を取り直してもう少し先へと歩いてみましょう。やがて東海道が
国道1号線と分かれ
る右手に、神奈川県立城山(じょうやま)公園があります。


三井財閥本家の別荘地であった所で、広大な園内は多くの樹木に包まれて庭園や
芝生広場・展望台・茶室・資料館などのほか、縄文時代の横穴群もあります。
太古の昔から、ここは人々にとって住みやすい土地柄だったのかもしれません。
散策には格好の場所なので、またの機会にゆっくり歩いてみたいと思います。


公園を出て1号線の信号を渡ると、深い緑に覆われて表札の無い門があります。

 
戦後の政界の重要な大舞台となった吉田茂元首相の邸宅です。氏の養父で
貿易商の
建三氏の別荘地に茂氏が外国の貴賓を招くため新築した邸宅は、
300坪の
木造総檜造りの二階建て。敷地総面積は1万坪もあるそうです。
先頃の一般公開
にはスゴい倍率で参観希望の応募があったようです。
機会があれば、私もぜひ見てみたいものです!

生垣に沿って浜側に廻ってみました。敷地の一角に袴姿で葉巻を手にした
「白足袋宰相」のお馴染みの姿の銅像があり、ここだけは公開されています。

 

海側からは横向きにみえる銅像は、サンフランシスコを向いておいでだとか
優しい笑顔の宰相ですが、さて今の日本をどうご覧になっていることやら・・

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