スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

晩秋

2013-11-30 | 散策



11月も もう終わりですね~
あっという間の一年でした・・・皆さんは如何でしょうか?

消えてしまいましたねぇ・・アイソン彗星
星好きの‘トノ’は ガッカリしてます・・・




今日は、武蔵野の面影が残る散歩道☆




          
















15,674歩




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大雄山道了尊

2013-11-26 | 神奈川




バス通りを 山の方に向かって歩いて行くと、
階段の先に仁王門が見えてきました。



仁王門の脇から、杉林の中の散策路を歩きます。
「てんぐのこみち」
          


鬱蒼とした杉林の中は緩坂あり階段あり、約2kmの楽しい道♪



先年歩いた「熊野古道」を思い出したりしながら、思わず大きく深呼吸☆
道の傍らに、たくさんのアジサイが植えられています。
花の季節にも 歩いてみたいナ!


紅葉が陽に透けて 、とても綺麗☆



やがて「三門」

2003(平成14)年建立の高さ22mの重槽楼門で、
放光菩薩像や十六羅漢像などが祀られています。


三門を抜けて石段を上っていくと、ほどなく校倉造の白い「尚宝殿」。
カメラを構える人がたくさんいます。 紅葉の撮影ポイントのようです。
          


石段を上って「瑠璃門」を入ると

正面に、「真如台(書院)」




その左側に、「護国殿(本堂)」


大雄山 最乗寺
全国に4千余の門流を有するという曹洞宗の名刹です。
   創建: 1394(応永元)年
        開山: 了庵慧明(えみょう)禅師
本尊: 釈迦牟尼仏

修験道満位の行者 相模房道了尊者(道了大薩埵)が、500人力を以って
開山禅師を援けて当山の建立に貢献。 禅師遷化の後、尊者は白狐の
背に乗って山中に身を隠し、大雄山の守護となられたといわれています。


本堂前辺りの紅葉がいちばん見事です
昨夜の強風で、散った葉もかなりありますが・・・
 


池の周囲も水底も、真っ赤っ赤! 




「多宝塔」

1863(文久3)年 建立
方形層上円形木造二重塔で、多宝如来を祀っています。
市指定重要文化財だそうです。


「初代大下駄」は、重さが1,500kgとか。




さらに、奥の院へ上る階段

何段あるやら・・・これはキツかった!

天狗さんにパワーを頂いて・・
          

なんとか「奥の院」に到着~






小休止したら、下っていきます。



「妙覚宝殿(御真殿)」

1934(昭和9)年 再建 総檜造
道了大薩埵を本尊に、大天狗 小天狗を両脇侍に祀っています。
重さ3,800kgという世界最大の「和合下駄」をはじめ
奉納された大小様々の下駄がいっぱい!


帰りも、錦繍の絨緞を贅沢に踏みながら・・・



この秋の紅葉を満喫しました☆
18,838歩 


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南足柄・大雄山へ

2013-11-26 | 神奈川



時ならぬ台風のような暴風雨の一夜が明け、青空が広がりました☆
こりゃあ、出かけずにはいられませぬ~


JR東海道線「小田原」駅から、
伊豆箱根鉄道・大雄山線で終点まで。



天狗サマがお出迎え



「大雄山」駅は、三角屋根の山小屋風駅舎で
足柄山の金太郎サンの像が歓迎してくれます。

1998(平成10)年に「関東の駅百選」に選定され、
市の登録有形文化財になっているそうです。



駅前を通るR723を左方向へ。



狩川に架かる「大雄橋」 を渡って行くと、道は緩やかに上り坂となり・・
左の路傍に「清左衛門地獄池湧水」の標柱があったので、行ってみました。

住宅地の奥に、池と赤鳥居のお社。
厳島神社

池の弁財天をお祀りする神社のようです。

言い伝えによると;
昔 清左衛門という人が良い水を探して此処まで来たとき、誤って乗っていた
馬もろとも地中深く落ち込んでしまいました。 すると、そこから勢いよく
水が湧き出し、以来 村人達は水で困ることはなくなったといいます。

落差5mの滝もあり

今も豊かに湧き出す水は、「平成の名水百選」に選定され
現在では主に、工業用水として利用されているそうです。


パネルの写真だと、池を中心とした湧水公園の様子がよくわかります。




池に隣接するお堂は
観池山 弁財寺


近辺からは縄文時代の住居跡が発見されるなど、古くから
この辺りには人が住んでいたらしいということです。


思わぬ寄り道で、綺麗な紅葉に出会うことができました☆
これは、このあとも期待できそうだゾ~

(続)


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海岸散歩に出かけました

2013-11-24 | 散策



小春日和が続いて、うれしいですね

鎌倉から、ぼつぼつ紅葉の便りが届き始めましたよ
おおいに気になるところだけど、週末の鎌倉は人出が多くて・・・

で、今日は 近くの海岸での~んびり☆








この季節 浜でよく見かけるのは、黄色が鮮やかな
イソギク



そして、こちらはハナイソギク

葉はイソギクによく似ていますが、花は色も形も違いますね。
イソギクと、園芸種のキクの交雑種らしいです。



ソテツ

ソテツは雌雄異株だそうです。 
松ボックリを長く伸ばしたような、これが雄株の実らしい。


          
こちらが雌株。 口を開けて、朱色の種子が顔を出しています。



おや、一輪だけハマナス・・

夏にはたくさん見かけたけれど・・
このところの暖かい陽気で、時を間違えたのかな?



9,940歩




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秋色

2013-11-22 | 散策



里山も漸く色づいてきました~





コウヤボウキ                      サネカズラ
          


マユミの実も赤くはじけて・・














そして・・
この秋初めて見る 冠雪の富士山☆




12,181歩



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楽しいひととき

2013-11-20 | 雑記


風は強いけれど、すっきり晴れ上がった気持ちのいい日です☆


お誘い電話を貰って、昔の仲間達と久々にランチをしました。




海の見えるレストランで、沖行く船を眺めながら・・



一別以来の再会を祝して、カンパ~イ 


孫のいる人も まだの人も、現役の人も サンデー毎日(?)という人も
生活スタイルはそれぞれ違っても、みんな元気で それが何より


共にがんばった嘗ての仲間同士、気のおけないお喋りに花が咲き・・
あっという間に 時間が過ぎていきました☆

また、こうしてみんな元気で会えるといいねっ!




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鎌倉・なかのみち③

2013-11-19 | 鎌倉・逗子・葉山

 



「なかのみち」を、「笠間十字路」へ向かって歩いています。


左側の住宅街の中の坂を上って行くと
笠間中央公園遺跡

広々した芝生広場に児童遊具、グラウンドもあるこの公園を造成するに
あたり発掘調査をしたところ、多数の竪穴住居の遺構が見つかりました。


(パネルより)
弥生時代の住居跡が14軒・古墳時代の住居跡19軒・奈良時代の
住居跡11軒のほか、鎌倉時代以降に造られたと思われる幅約10mの
大規模な道路跡も発見され、「なかのみち」の旧道かといわれています。
現在は、遺構は保存されてありません。残念ですが・・




「なかのみち」の右手奥に「笠間山 智光院 法安寺


南北朝期の混乱以降、衰退と再興を繰り返してきたお寺のようです。


浄土宗のお寺
  創建: 1358(正平8)年
開山: 持阿智光了専
本尊: 阿弥陀三尊像
「旧笠間領主 生実(おゆみ)藩一万石森川氏ゆかりの寺」とあります。
本堂は、1878(明治11)年に建長寺客殿を移築したものとか。

本堂に祀られている像高10cmほどの十一面観音像は、旧鎌倉郡33観音の
1つで、弘法大師が河原の石に爪で一晩のうちに彫ったと伝えられています。

境内に、その御姿が拡大して彫られた石碑





みちの右側に「今泉村不動
          
称名寺 今泉不動への道標のようです。
「宝永七年」の刻銘




「笠間」交差点に出ました。 六叉路になっていて車の往来が激しい所。

延命地蔵堂


傍らに古い道標があります。 「元禄四年」の刻銘
          
「従是とつ加道」                   「従是ぐミやうじ道」





そのまま直進すると、ほどなく「いたち川」。


鎌倉時代 この川は「出立(いでたち)川」と呼ばれ、交通上また軍事戦略上の
幕府の要衝で、出立時 道中の安全を祈願する儀式が行われた場所でした。
イタチが出たからではなく、「いでたち」→「いたち」という転訛だったのですね。

吉田兼好が、川の名を折り込んで詠んだ歌
かにわが ちにしひより りのゐて ぜだにねやを らはざるらん」
( 私が旅に出てからだいぶ日が経った 閨にも塵が積もっていることだろう
風が吹き払ってくれることもないだろうから ) 『兼好法師集』より

「新橋(にいはし)」を渡る道は新道で、旧道はこちらの橋でした。
水神橋


今回のツアーはここがゴール

このあと「なかのみち」は、小菅ヶ谷の方へと続いていきます。
奥州までとはいかないまでも、機会があれば またこの先も歩いてみたいナ☆


21,912歩




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鎌倉・なかのみち②

2013-11-18 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉「なかのみち」を歩いています。

「離山」交差点を少し過ぎ、「なかのみち」のルートから右へ逸れて
R21(現 鎌倉街道)へ向かう途中の左手に

粟船(ぞくせん)山 常楽寺

臨済宗のお寺
  創建: 1237(嘉禎3)年
      開山: 蘭渓道隆(大覚禅師)
        開基: 北条泰時(第三代執権)
 本尊: 阿弥陀三尊像

北条泰時が妻の母親の供養のため粟船御堂(あわふねみどう)を建立し、
退耕行勇が供養の導師をつとめたことが当寺の始まりとされます。

蘭渓道隆は建長寺開山前の5年間 当寺に住んだことから
「大覚禅師古道場」と。 「常楽は建長の根本」と言われます。


仏殿


仏殿の天井画「雲龍」は、狩野雪信が描いたもの。



仏殿背後に、「北条泰時のお墓」

没年は1242(仁治3)年 60歳

円通大応国師のお墓(1308年)       中興開基 龍淵和尚のお墓(1854年)
          



仏殿右側の庭園に「色天無熱池」

ヒマラヤにある竜王が棲むという想像上の池を表しています。


仏殿左側には「文殊堂」

大覚禅師ゆかりの文殊菩薩坐像(鎌倉時代作)は
県重要文化財。 
毎年1月25日のみ公開されます。


お寺の裏山に「木曽塚」
         
木曽義仲の長子 義高の墳墓と伝えられています。
義高は11歳の時 人質として頼朝のもとに送られ、頼朝の長女大姫の
許婚者として共に暮らしていましたが、頼朝と義仲の関係が悪化した
結果 義仲は討たれ、義高も木曽へと逃れる途中で討たれてしまい、
それを悲しんだ大姫は病に倒れ、傷心のうちに亡くなったといいます。

塚の傍らの碑文によれば、「塚ハ元此地ノ西南約二町 木曽免トイフ田間」に
あったものを「延宝八年此ニ移ス・・・薄命ノ公子ノ首級ハ此ノ処ニ於テ永眠・・」と。





旧大船撮影所跡(現「鎌倉女子大」前の公園)を抜けて・・


色づいた桜並木の「砂押川」を跨ぎ・・





「なかのみち」へ戻り、横浜・栄区に入ってきました。

150余段の石段をエッチラオッチラ上り・・
( ふり返って、上から )


青木神社

笠間の鎮守
 祭神: 天手力男命(あめのたぢからおのみこと)
天照大神・伊弉諾命・伊弉冉命

社伝によると、1335(建武2)年 この地の豪族近藤出羽次郎清秀が
領内鎮護のため、日頃信奉する天手力男命を祀る社を創建しました。
明治の末に、鹿島神社・神明社・山王社を合祀。

色鮮やかな鳳凰の懸魚



境内に「二十三夜供養塔」

1860(蔓延元)年 建立
農耕をつかさどる月読尊を祀る石塔。
十五夜から8日後の夜 善男善女が集まり、東の空に昇る月を待って
精進勤行、飲食を共にする月待ちの行事を行うというものだそうです。


(続)



         

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鎌倉・なかのみち①

2013-11-17 | 鎌倉・逗子・葉山


先日 ウォーキングツアーに参加し、鎌倉の「なかのみち」の一部を歩きました。
ガイドさんの説明を聞きながら6km余のウォーキングは、なかなか楽しい体験でした☆



まずは、配布されたレジュメで「なかのみち」の概要から;

頼朝時代の鎌倉は湿地帯が多く、急激な人口増に対応して住居地や道を
確保するため大規模な工事が行われ、順次整備がすすめられていきました。

江戸時代以降、各地から鎌倉に至る道は「かまくらみち(または鎌倉街道)」と
呼ばれるようになりますが、『吾妻鏡』をはじめとする当時の文献に見られる
鎌倉への道は、
東海道・中路・下道・武蔵大路などの名称で記載されています。

かまくらみち(推定)


どの道も、のちの開発・整備によって現在それを特定するのは難しいようですが
今回は、1189(文治5)年 源頼朝が奥州合戦のため畠山重忠を先陣とする大軍を
率いて通ったと『吾妻鏡』に記載されている「水堰橋~笠間」までを歩きます。




水堰(すいせき)

「なかのみち」の鎌倉側の入口は不明とされています( 「巨福呂坂切通し」
又は 「亀ヶ谷坂切通し」であっただろうという説もあるようですが・・)が、
小袋谷川に架かるこの橋が「なかのみち」の出発点とされています。
 

近世では「とつかみち」と呼ばれるようになります。 このように、時代と共に
「とつかみち」「うらがみち」などと呼称が変わり、ルートも少しずつ変化しながら
近世から現代へと「道」が続いてきているようです。
 

橋の傍に
          
観音像の道標には「享保12年」の銘。  石柱の字は「せゐ志くはし」と読めます。
「せゐ志く」→「すいせき」かな?




亀甲山 法得院 成福(じょうふく)





鎌倉で唯一の浄土真宗のお寺
 創建: 1232(貞永元)年
開山・開基: 北条泰次(泰時の子)
 本尊: 阿弥陀如来立像

一切経の校正に携わった親鸞聖人は、寺前の道を一向堂へと通ったとか。
泰次は天台宗の僧でしたが、のち親鸞に師事し「成仏」の名を貰い改宗。

寺の裏山の「亀甲窟」

泰次が籠って修行したといわれます。

境内の庚申塔群


墓地には、「寅さん」の御前様 笠 智衆氏のお墓もありました。     




厳島神社

小袋谷の鎮守
創建:不明  昭和初期に三社を合祀
 祭神:市杵島姫命 橘姫命 応神天皇

鳥居の横に、石造庚申塔

舟型の塔で、「寛文10年」の刻銘。
表面の文字は風化のため判読不能。上部にキリク(阿弥陀)・サ(観音)・サク
(勢至)の種子。 阿弥陀三尊の種子が刻まれた庚申塔としては、鎌倉最古の
ものとか。 以前は「水堰橋」北側にあったものが、移されたのだそうです。




「離山」交差点の傍に、「離山富士見地蔵尊

堂内の説明書きには;
「昔この山の頂に古い塚が13ヶ所ありました。元禄の頃、山上に
石地蔵が建ち、以後この山を地蔵山と呼ぶようになりました。」と。 

関白近衛房嗣の子 道興准后(1430-1527)の『廻国雑記』には;
「はなれ山といえる山あり まことにつづきたる尾の上も見え侍らねば
朝まだき 旅立つ里のをちかたに その名もしるき 離れ山かな」 と。
 


当時この付近は沼地だったため山麓沿いに道が通り、地蔵山・長山・越山の
三山続く山並みを「離れ山」と言ったそうです。 のちに、開発で山は削られ
なくなりましたが、現在でも数メートルの段差が見られるとのことです。
「富士見」の名から、嘗ては富士山が見える場所にあったことがわかります。


(続)



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江戸城の石垣

2013-11-14 | 東京・川崎


東京メトロ南北線「市ヶ谷」駅構内に、おもしろい展示がありました。

「江戸歴史散歩コーナー」




九段下傍の「雉子橋」付近で 1989(平成元)年から1996年にかけて
調査の際、発掘された江戸城の石垣を移築再現し 展示しています。

江戸初期の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積技法が再現され、
角部の算木積みの様子などを見ることができます。



当時 石を割るには、割りやすいように石の目に沿って石切
ノミで「矢穴」を掘り、これに「矢」と呼ばれる楔と、その両側に
鉄の薄板「せりがね」を差し込み、玄能で叩いて割りました。



「石曳図」

小田原藩大久保家が 幕府に献上する石材の伐り出しから運搬までを描いています。



「築城図屏風」


駿府城築城の様子を伝える屏風絵は、1607(慶長12)年二の丸石垣構築の
一部を受け持った 加賀藩前田家の活躍の様子を描いたものといわれます。







移動の途中 思いがけない所にあった石垣に、ちょっと道草しました☆ 




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旧古河庭園のバラ

2013-11-14 | 花散歩


洋館の南斜面に、テラス式の洋風庭園。



この春に見損なったバラを、今日はゆっくり楽しむことができました☆



シャルル ドゴール
(フランス・1974)




クリスチャン ディオール               ゴールデン メダイヨン
(フランス・1958)                  (フランス・1984)
          



初恋
(日本・1994)




インカ
(ドイツ・1992)




ホワイト クリスマス                  ミスター リンカーン
(アメリカ・1953)                   (アメリカ・1964)
          



熱情
(日本・1993)




紫雲                           琴音
(日本・1984)                     (日本・2002)
          



スブニール ド アンネ フフランク
(ベルギー・1960)




ピンク ピース
(フランス・1959)





晩秋の暖かな陽射しの中で、大きく伸びをして・・
さぁ、すっきりリフレッシュしたゾ







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旧古河邸の初紅葉

2013-11-14 | 東京・川崎


午前中に 少し気の張る用事を済ませて、ちょっとひと息入れたくなりました☆

で、
東京北区にある「旧古河邸」へ





イギリス人建築家 ジョサイア・コンドル氏設計 
煉瓦造スレート葺2階建 外壁は真鶴産安山岩(新小松石)

もとは明治の元勲 陸奥宗光氏の別邸だった場所だといいます。
宗光氏の次男潤吉氏が古河財閥の養子となって以降、古河家の所有となり
1917(大正6)年 三代目虎之助氏のとき、この洋館が建築されたそうです。


この洋館の内部を、以前 ‘猫’も見学したことがあります。
管理が厳しく舘内は撮影禁止だったので、画像でご紹介はできませんが・・

1階はすべて洋室で、応接室・客室・書斎・ビリヤード室・40畳の大食堂・小食堂etc.
部屋ごとに暖炉、手の込んだ漆喰装飾が施された白い天井と品の良い照明具で飾られ、
木彫飾りの大きな鏡が嵌め込まれ、部屋を大きく明るく見せるための工夫がされていました。

天井に明かり窓のついた2階は主に家族のための居室で、木製のドアを開けると襖の先が
畳敷きの和室になっていておもしろかったです。間取りは仏間・居間・来客用寝室・子供部屋etc.
浴室に
は、大理石製の丸くて深い日本式の風呂桶が据えつけられてありました。

ガイドさんの説明では、当時の使用人の多くは庭の手入れをする人達だったとか。
建物は関東大震災にも無傷で1階を緊急治療所として、庭は避難所として開放されたそうです。



建物のほかに、テラス式洋風庭園や野趣豊かな日本庭園があります。
園の大半を占める日本庭園は、京都の庭師「植治」こと小川治兵衛氏の作庭とか。

心字池周辺の木々が紅葉しています☆


池を巡りながら、行く秋の風情を楽しみました☆


大滝                           枯滝
          


崩れ石積

京都で発達した伝統的な工法だそうです。
崩れそうで崩れない姿のおもしろさを愛でたのでしょうか。


黒ボク石積

多孔質の富士山溶岩で、山の雰囲気を醸しています。
主に関東で用いられた石ですが、石垣状のものは少ないとか。


園の其処此処に、さまざまな形の大石灯籠が置かれています。

泰平型                       奥の院型
        
火袋や中台に彫られた模様や竿の造り、笠の蕨手の様式など
それぞれ違った特徴があって、なかなか見応えがありますね。



       

「 青空の 押し映りゐる 紅葉かな 」  松藤 夏山



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ヴェルニー公園のバラ

2013-11-12 | 花散歩



JR「横須賀」駅近く 海に面した公園



秋の名残りを惜しむように、バラの花が咲いています。


マジカル ミラクル
(オランダ)




ゴールド バニー                   サンライズ サンセット
(フランス・1978)                       (アメリカ)
          



ブルーライト
(日本・1995)





ザ ダークレディ
(イギリス・1991)




ピース
(フランス・1945)




桜霞
(日本・1988)




ニコロ パガニーニ                  アンソニー メイアン
(フランス・1993)                   (フランス・1992)
          


粉粧楼
(中国)




マダム サチ
(フランス・1984)
           



ザ プリンス
(イギリス・1990)



「 薔薇の香か 今ゆき過ぎし 人の香か 」  立子







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鎌倉・安国論寺~長勝寺

2013-11-08 | 鎌倉・逗子・葉山


千葉・安房小湊の漁師の家に生まれた日蓮さんは、17歳頃から
11年間修行研鑚を積み、《法華経》こそ至高の経典との確信を得て
1253(建長5)年 清澄山で題目を高唱し、日蓮宗を開いたといいます。

平安末期から鎌倉期にかけて戦乱が続き、天災も頻発した世情の不安を
《法華経》の教えによって救うため海を渡り、約20年間 鎌倉の地で
精力的に
宗教活動を行った日蓮さんの足跡が、今も市内各所で継承されています。

日蓮さんが 布教活動の拠点とした草庵の跡が、「松葉ヶ谷小庵」跡として
 いくつか残されていますが、今回訪ねたお寺も その一つです。


妙法華経山 安国論寺




日蓮宗
   創建:1253(建長5)年
開山: 日蓮聖人
      本尊:南無本師釈迦牟尼仏
寺伝によれば、聖人が安房国から鎌倉に来て最初に草庵を結んだ地。
境内にある岩窟に籠り、1260(文応5)年39歳のとき 『立正安国論』を
書いたといわれますが、その法窟の傍らに弟子の日朗上人が建立した
「安国論窟寺」と
、のちに池上本門寺第十一世 日現上人が建立した
「要法寺」の二寺が一つになり、「安国論寺」となったとのことです。


御小庵

聖人の小庵跡といわれます。
現在のお堂は元禄時代の建築で、尾張徳川家寄進の総檜造り。

御小庵の後ろにある「御法窟」は、奥の方にチラっと見えるのみ。
庵の前にある 聖人の杖が根付いたとされる「妙法桜」は、市の
天然記念物に指定されています。 この季節は落葉して裸木でした。


「日朗上人御荼毘所」横の石段を上って




山道の途中、視界の開けた場所が「富士見台」

聖人が日々、此処から富士山に向かって読誦したとか。


さらに上って、「南面窟」

1260(文応元)年 草庵が焼打ちに遭った際に
白猿に導かれて避難した岩屋といわれます。


正面に聖人像。その近くには、お猿の石像もありました。



「松葉ヶ谷小庵跡」といえば、以前ご紹介した「妙法寺」と
これから訪ねる「長勝寺」にもあります。



石井山 長勝寺

日蓮宗
   創建:1263(弘長3)年
開山: 日蓮聖人
開基: 石井長勝
本尊: 大曼荼羅
領主石井長勝が日蓮聖人に帰依し、自分の邸内に設け寄進した
庵が始まりといわれる「本圀(ほんこく)寺」があった場所で、のちに
京都に移されて廃寺となった跡に「長勝寺」が建てられたそうです。


帝釈堂前の日蓮像

像高 4m
台座をいれると8mの立派な銅像です。


「長勝寺」から数100m先、「名越隧道」の手前を
右に入って行くと、坂の途中の左側に
「長勝寺 松葉ヶ谷小庵跡」

台座には、「忍難慈勝」と刻まれています。


聖人が最初に草庵を結んだのは、果たして何処なのか・・
それは、専門家の方々の検証にお任せするとしましょう。

いずれにしても、ここ名越松葉ヶ谷辺りを拠点として、度重なる
迫害を乗り越え、布教に励んだ日蓮さんと彼に続く人達によって
この鎌倉の地に 日蓮宗が根付いていったのですね。




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大岡川に沿って

2013-11-05 | 横浜


近代的なみなとみらい21地区をあとに、JR[桜木町」駅を過ぎた辺りから
街は一気に 庶民的で親しみやすい雰囲気になります。

数年前まで この辺りの趣味の教室に通っていたので、ちょっと懐かしい♪
仲間とよくランチしたお店などもあって、今も殆ど変わってないみたいです。

飲食店などが並ぶ野毛の小路を抜けて行くと、川の畔へ。

二級河川 「大岡川」

春には 満開の桜並木に人が溢れますが・・
だいぶ紅葉してきました。 これもなかなかいい眺め 


桜の下の煉瓦道を、少し
ぶら~りしてみましょうかね☆






「長者橋」の袂に・・「長谷川 伸の碑



長谷川 伸氏

(1884-1963)
小説家 劇作家
大岡川畔の土木請負業の家に生まれましたが、家業没落のため
小学校低学年で勉学を諦めて波止場小僧となり、苦労して独学。

のちに新聞社で演芸欄担当記者となり、1914(大正3)年頃から
新聞小説を書き始め、‘股旅もの’のジャンルを開発。山岡荘八・
池波正太郎などを育て、大衆文芸・演劇の向上に尽力しました。
代表作に『瞼の母』 『沓掛時次郎』 『雪の渡り鳥』など。




日ノ出湧水

野毛山が水源といわれる水が、豊かに湧出しています。
現在は、飲用はできないようです。

野毛山周辺は元々湧水に恵まれた地域で、明治初期から
湧水を利用した給水業者が活躍。横浜港に寄港する船舶に
飲用水を提供していたといわれます。




道慶地蔵尊

江戸・明暦の頃、道慶という雲水が住民の生活の難儀を救うため
地蔵堂を建てて祈り、1658(万次元)年 独力で木橋を造ったとか。
その遺徳を偲び、今も地蔵尊を祀り 石碑が建立されています。

お堂の傍に 現在の「道慶橋」
          
錫杖を思わせる親柱の装飾が おしゃれ~


このあとも、ぶらりぶらりと京急線「上大岡」駅まで
桜並木の下を 落ち葉を踏みながら・・



20,849歩






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