この先に「市民の森」というのがあるというので、
どんな所か ちょっと行ってみようということになりました。
「熊野神社」前の道を暫く歩き、道標に従って左に入っていくと
次第に山道になりますが、しっかり整備された道で これなら安心!
‘森’というほど深くはない感じで ホッ
「天神平広場」
歩いている人のほか、広場のベンチに寝そべっている人や
ゴルフクラブを振っている人など、町の公園のような風景☆
それでも所々に急な階段があったりして、高低差のある土の道を
ツバキ・サザンカ・ウメなど 花を見ながら、気持ちよく歩いて・・ リフレッシュ♪
やがて階段道を下りていくと・・・どうやら、ここが山道の終点のよう。
「杉山神社」
ここ樽町の鎮守さまです。
祭神: 日本武尊
創建: 年代不詳
説明板によると、『新編武蔵国風土記稿』には1411(応永8)年に
鰐口鋳造の記録があり、その頃既に勧請されていたと思われるとのこと。
杉山神社は横浜市内、殊に鶴見川流域に多くあるそうで、「暴れ川」と
いわれた鶴見川の水害除けと豊作を祈願し建立されたのではないかと。
現在は住宅に囲まれたこの神社にも、そうした歴史があるのでしょうか。
そういえば、以前訪ねた葉山の杉山神社も 棚田の近くにありましたっけ。
杉山神社は『続日本紀』にも登場する 歴史と格式のある神社ですが、
ご祭神が日本武尊であったり大巳貴命であったり素戔嗚尊であったり
など、よく分からない点も多いミステリアスな神社でもあるようですね。
梅林から市民の森を ぶら~り散策して
16,475歩
東急東横線「大倉山」駅から、左へ続く「レモンロード商店街」の先の
「大倉山」交差点で左折し「綱島街道」へ。 その先の「熊野神社入口」の
信号を右へ入って200mほど歩いて行くと、左側に 鳥居と長い石段。
「師岡(もろおか)熊野神社」
祭神:伊邪那美尊・事解之男命(熊野権現)・速玉之男命
724(元亀元)年 全寿仙人により創建されたと伝わります。
拝殿: 権現造り 銅葺 1884(明治17)年築
本殿: 権現造り 杮葺 1712(正徳2)年築
この地で修行中だった僧 全寿が、熊野権現のお告げを受け大和に赴き
春日大社に参籠して神霊を感得。 この地に戻り熊野権現を祀ったとか。
社紋は熊野三山と同じ、三本足の八咫烏。
熊野権現の使者といわれますね。
「江戸名所図会」に見る「師岡熊野権現宮」
(説明板より)
北条早雲や徳川家康・家光・家綱から御朱印地を与えられたそうです。
「筒粥神事」
(説明板より)
毎年1月14日 境内で行われる神事で、949(天暦3)年より千年余も
続いている粥占い。 筒に入った米粒の数で その年の天候や作柄を
占うというもので、市の無形民俗文化財に指定されています。
「いの池」
神社の向かいに、「い」の字の形をした池。 古くから灌漑用に
利用されてきた溜池で、中央に水神様を祀った小社があります。
この池には片目の鯉が住んでいるという伝説が伝わっています;
全寿が大和から案内してきた熊野権現は 当初この地の人々に
受け入れられず、射かけられた矢が目に当たってしまいました。
そこで権現さまは すぐさま目の前の池の鯉の片目を抜き取って
自分の目としたので、人々は畏れ入って権現さまを信仰するように
なり、爾来 この池には片目の鯉がいると言われているそうな。
「のの池」
拝殿の奥の本殿の その裏の囲いの中の小さな溜池ですが
近頃流行りのパワースポットとやらだそうで・・
神社の神事には、この池の水が用いられるとか(?)
「いの池」から西500mほどの所に「ちの池」と呼ばれる溜池も
あったけれど、埋立てられて今は無いそうです。 「い・の・ち」の
3つの池の呼び名は、嘗ての時代の人々の水への関わりの
深さを表すものである、と説明板に書かれてありました。
池の横から、階段を上って行くと・・
「権現山広場」
標高 約43mの此処は、縄文前期~中期前半の貝塚跡です。
「師岡貝塚(別称:権現山貝塚)」と呼ばれる 市指定史跡。
規模は東西約20m、南北約15m。
そこからの眺め
あずまやで ちょっとひと息入れるとしましょうか☆
貴重な晴れ間です。
急いで洗濯物を干してから、いそいそ観梅ウォークへ
「大倉山公園」
もとは、昭和初期に電鉄会社が集客のため整備開発した「太尾公園」。
実業家 大倉邦彦氏が「大倉精神文化研究所」を開設。 のちに横浜市が
敷地・建物の寄贈を受け、1984(昭和59)年に都市公園として開園。
敷地面積 6.9ha
「大倉山記念館」
「大倉精神文化研究所」の建物。 1932(昭和7)年 築
建築家 長野宇平治氏が設計。 市指定有形文化財
内部は以前見学したので、今回は外観のみ。
「梅林」
当初からあった梅林は、一時は1,000本超の規模だったといいますが
戦中戦後の衰退を経て、1987(昭和62)年 市によって園内が整備され
現在は 1.1haの園内に、紅白の梅が約150~200本ほどあるそうです。
花はもちろん綺麗ですけども、付いている名前もなかなか素敵で
名札を読み上げながら歩くのも、また 楽しいんです☆
月影
見驚 紅千鳥
八重旭
白玉梅
淡路枝垂
緑萼梅
今日はポカポカの春の陽気でしたね!
昨日に比べると、陽射しもあってウソのような暖かさです
海岸通りを散歩しながら・・
のたりのたりの春の海
房総の山が霞んでいます。 春が近い証しかな?
カモメも心なしか の~んびり☆
前回から ちょうど1ヶ月、三浦の河津桜はどうなっているかな?
こうなっていました~
「小松ヶ池」まで行ってみると・・
来週あたりは、きっと満開でしょう!
22,217歩
以前にも ご紹介したことがありましたが、
横須賀・津久井にあるお寺に、早咲き桜の木が数本あるんです。
もう咲いているんじゃないかな~
散歩がてら ちょっと見に行ってみましょう☆
「七宝山 東光寺」
真言宗のお寺
三浦一族のドン 三浦大介義明の弟 津久井次郎義行のお墓があります。
本堂左手の墓地の傍に・・ あ、咲いてますよ~
以前訪ねたとき ヒマラヤ桜だと教えられたのですが・・・よくは知りません。
ま、いいじゃないですか、桜は桜
今年も綺麗に咲いてます☆
このあと、産直の販売所で新鮮野菜をついつい買い過ぎ・・チト重かった~
17,410歩
穏やかな晴天になりました。
里山の雪は、もう消えたかな?
所々まだ、残っている雪もあるけど・・
やはり 青空の方が似合うナ!
今日は、絶好のお散歩日和☆
足取りも軽く・・11,245歩
寒い日が続きますねぇ
近隣の主要な道路は、ほぼ除雪されて
歩けるようになったけれど
‘猫’の好きな小路や土の道などは、滑りやすい箇所が
まだあちこちに残っていて、 ぼんやりとは歩けません。
あぁ スニーカーが泣いてる~
スーパーに入ると、何故か いつにない人の多さ !
そのせいか、まだお昼前だというのに こんな状態の棚も・・
雪はいつ解けるのか?
安全に歩ける道になるまで、当面 遠出は控えましょう。
で、今日は ちょっとだけ鎌倉へ☆
いつも季節の花を楽しませてもらっている「大巧寺」さんの境内も
寒さ真只中の今は、さすがに 少し寂しい感じです。
あ、フクジュソウ
ボケは雪の中
いろいろな品種のツバキも、この寒さに
まだしっかりと蕾を閉じたままの木が多いナ
その中で、がんばって咲いている「蝦夷錦」
「氷室雪月花」
あ~ 大山道が呼んでいるぅ~(笑)
6,668歩
♪ 歩こう 歩こう 私は元気 歩くの大好き どんどん行こう ♪
中川李枝子作詞・久石譲作曲
「となりのトトロ」挿入歌「さんぽ」より
吊るし雛
北鎌倉の通りを歩くと、商店や飲食店の店先などに
きれいな飾りが吊るされ、行く人が足を止めています☆
ひときわ人目を引いていたのは、「かまくら陶芸舘」の吊るし雛
お願いしてみたら、快く店内を撮影させてくださったので☆
3月末まで 見られるとのことです。
山門に到る鎌倉石の階段を上っていくと
今は枯れ枝のようなアジサイの株が並ぶ
石段脇には、ロウバイの花が満開☆
このお寺はロウバイがたくさんあって 今 とても綺麗です。
マンサクも
「北条時頼公墓所」
北条時頼(1227-1263)
鎌倉幕府第五代執権
この辺り一帯は 公が寂した「最明寺」跡といわれます。
「明月院」
臨済宗のお寺で、国史跡に指定されています。
1160(永暦元)年に首藤刑部太夫 山ノ内経俊が、父の菩提供養のため創建。
1256(康元元)年 北条時宗が「最明寺」を建立。 子の時宗が「禅興寺」再建。
1380(康暦2)年 関東管領 上杉憲方が中興。
開山: 上杉憲方
開基: 密室守厳
本尊: 聖観世音菩薩像
「明月院」は、もと「禅興寺」(明治初年に廃寺)の塔頭の1つでした。
「宗猷堂(開山堂)」
当寺最古の建物。
密室守厳禅師の木像が祀られています。
「瓶(かめ)の井」
鎌倉十井の1つで、現在も使用されているそうです。
岩盤に掘られた内部が水瓶のようにふくらんだ形をしているので、この名。
「明月院やぐら(羅漢洞)」
間口7m 奥行6m 高さ3m
鎌倉に現存するやぐらとしては最大級で、壁面に仏像の浮彫り。
中央の石造宝篋印塔は、上杉憲方が生前自ら建立した墓といわれます。
北鎌倉の「東慶寺」境内 まだ雪がたくさん残っていました
十月桜
ちょっと寒そうだけど・・・
白い境内を けなげに彩っています☆
普段よりは訪ねる人が少なめだからか 雪が物音を消すのか・・
静かな境内
昨日 ベランダや家の前の道をがんばって雪掻きしたら
今日はその後遺症で 体の思わぬ箇所が筋肉痛・・・トホホ
慣れないことで こんな所が痛くなるなんて予想できなかったなぁ
大雪
天気予報 当たりましたねぇ
夜明け前から降り出した雪が 見る見るうちに
木々を覆い 道を覆い 家を覆い
一面 真っ白な世界にうずもれてしまった・・・
もう 優に10cmは超えてるな・・ こんなの 初めて!
今日は早じまいして ‘おこたでミカン’だ~♪
立春を過ぎてから、寒い日が続いていますね・・・
陽射しのぬくもりが嬉しい里山道で、春を探して歩きました。
白梅のいい香り
セイヨウタンポポ オオイヌノフグリ
モモも 咲き始めましたよ
ホトケノザも ロウバイは満開
「 蝋梅に 雀の来啼く 日和かな 」 内藤 鳴雪
明日は都心でも大雪とか・・ 三浦半島にも 積もるかな?
今が寒さの‘底’でしょう。 でも、日脚は少しずつ確実に伸びていますね
6,702歩
せっかく近くまで来たので、ちょっと寄って行きましょう。
初詣には、40万人の参拝者が訪れるという 有名な神社です。
JR相模線「寒川駅」前の広い道を左方向へ。
道なりに歩いて行くと、やがて神社の参道に出ました。
緑深い参道が開けると、大きな「二の鳥居」が見えてきます。
鳥居をくぐって更に進み、道なりに右の方へカーブして行くと
まもなく、「三の鳥居」と神池に架かる石造の太鼓橋。
その先に、重層の「神門」
お正月に「迎春ねぶた」が飾られているのを、TVで見たことがあります。
1993(平成5)年 竣功
初詣の人達が結んだのでしょうか。 おびただしい数のおみくじ!
本殿
東西に翼殿・回廊をもつ総ヒノキ造。 1997(平成9)年 竣功
「寒川神社」
祭神: 寒川大明神(寒川比古命・寒川比女命)
創建年は不明ですが、関八州鎮護の神として1,500年余の歴史があるとされます。
『総国風土記』によると、雄略天皇(456-479)の頃に奉幣の記録があるそうです。
源頼朝・武田信玄が篤く信仰し、後北条家・徳川家累代からも社領の寄進を得る
など庇護を受けて、八方除の守護神として「相模国一之宮」と称されてきました。
大難は小難に、小難は無難に と願う人達が、この日も御祈祷の順番を待っていました。
25,779歩
前回のゴール「四ツ谷不動尊」から、今日はスタートします。
眼光鋭い(玉眼)不動尊に見送られて・・
冷たい雨が降り出しましたが、元気出して行きましょう!
すぐ右手に、石の「大山遥拝鳥居」
1661(万治4)年建立の鳥居は、大山の御師 矢野清太夫が世話人となり
江戸の石工を動員して江戸で制作、片瀬の浜まで船で運んだそうです。
元禄大地震(1703年)で倒壊。再建されるも関東大震災(1923年)で再び
倒壊。現在の鳥居は、1959(昭和34)年再々建されたもので、高さ5.8m。
藤沢宿から茅ヶ崎方面に向かう東海道から分かれて大山へ向かう、ここが所謂
四ツ谷大山道の入口で、嘗て四ツ谷の立場(たてば)には、大山詣の客目当ての
茶店や旅籠も数軒あり、ひと休みする人たちで賑わっていたといわれます。
鳥居をくぐって進み、R308を横切って更に行くと、Y字路に
「折戸地蔵尊」
地蔵坐像の大山道標は、1727(享保12)年に近隣の村民達が
建立したもので、堂脇に1978(昭和53)年建立の句碑も。
「 右野道 地蔵も花も 笑いけり 」 蕉風(菊池正平)
このまま進んでもいいのですが、一旦不動堂まで戻り 別の道から・・
旧東海道(R1)沿いの右側に
「二ツ谷稲荷神社」
嘗てこの辺りに 2軒の茶店があったことから「二ツ家」とも。
旧東海道歩きのときにも、ご紹介しましたね。
東海道(R1)で茅ヶ崎に入る手前の、「大山街道入口」信号の足元に
「奉巡西国坂東秩父供養塔」(あふり山歌碑)
1803(享保3)年 建立。 側面に和歌が刻まれてあります。
「 あふり山 わけいる道に しおり置く つゆのことのは しるべともなれ 」
此処から右に入って行きます。
右手の高架は「新湘南バイパス」。
大山街道(R44)は、暫くこの道の右に左に沿いながら続きます。
「松林(しょうりん)村役場跡」碑
1889年から茅ヶ崎町成立の1908年まで、この先の
「妙行寺」の場所に村役場があったそうです。
「妙法山 妙行寺」
1725(享保10)年創建の日蓮宗のお寺。
松林村役場があった場所だそうです。
「赤羽根神明神社」
祭神: 天照大神
『皇国地誌』によれば、治暦年間(1065~1069)に
源義家が勧請したのに始まる近隣6ヶ村の総鎮守でした。
1629(慶安2)年には、幕府から6石の朱印状を得たとか。
バイパス道路建設の為に改修された1,300余坪の境内には
年を経た巨木が立ち並びます。鳥居横のヒノキは樹齢400年とか。
神仏混淆の名残りと思われる鐘楼もありました。
「村澤山 本在寺」
日蓮宗
創建:1253(建長5)年
本尊: 釈迦牟尼仏
もとは藤沢市柄沢にありましたが、寛文年間(1661~1673)に
高田村地頭 大岡忠章(大岡忠相の祖父)夫人が 夫13回忌追善の
ため此処に遷したといわれ、以後 大岡氏の庇護を受けました。
大岡家供養塔
大岡家の墓所は「浄見寺」にありますが、忠相は墓参の
折には 必ず当寺に立ち寄って休憩したといわれます。
1603(慶長8)年に大岡忠吉(忠相の曽祖父)が 高田村のうち160余石を
幕府より賜り、爾後 明治維新に至るまで大岡氏の采地だったそうです。
「熊野神社」
祭神: 熊野大神
『皇国地誌』には、1658(万治元)年 高田村地頭 大岡忠高
(忠相の父)が紀州熊野権現を勧請したとあります。
社前に忠高が奉納した手水鉢
「大岡吉次郎忠〇(欠損)」の文字。
JR相模線の踏切を越えると、R44は次第にバイパスから
離れて行き、「大曲」を過ぎて やがて「景観寺前」交差点へ。
「窪田山 景観寺」
天台宗のお寺。
創建: 伝757(宝宇元)年
開山: 行基上人
本尊: 十一面観音立像(室町時代)
寺要が整ったのは、棟札によると1536(天文5)年頃と考えられています。
大山街道の道筋にあたる一之宮村は、江戸時代を通して宿場として栄え
街道に面した当寺の門前も、往来の人で大変賑わったといわれます。
弘法大師像
当寺は、相模国準四国八十八か所のうち第54番御札所。
歩き始めて間もなく、雨は幸い殆ど気にならない程度になってくれましたが
何しろ寒い1日でした~~ 今日はよくガンバりました!
次回は、この近くの相模線「寒川駅」からスタートです。