スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

横須賀・田浦街歩き

2015-02-28 | 横須賀・三浦


1904(明治37)年開設されたJR「田浦」駅は、ホーム両端をトンネルに挟まれ
11両編成の電車が到着する際には、「1両目のドアと2両目の一番前のドアは
トンネル内のため開きません」というような車内放送が流れます。

「七釜(しっかま)トンネル」

下り方向にあるトンネル
明治・大正・昭和に建設された3つが並んでいるのは、全国でも珍しい光景でしょう。
中央(下り線)・・1889(明治22)年 横須賀線開通の際に造られたトンネル。
 右側(上り線)・・1924(大正13)年 電化による複線化で増設されたトンネル。
 左側(廃線)・・1943(昭和18)年 海軍軍需輸送専用の引込線用のトンネル。

昔 駅周辺は鎌を失うほど草が繁茂していたことから「失鎌」と呼ばれて
いましたが、蒸気機関車の「失釜」につながるとして 「七釜」となったとか。


「田浦トンネル」

上り方向にあるトンネル
右側(下り線)・・1889(明治22)年 横須賀線開通の際造られたもの。
  左側(上り線)・・1924(大正13)年 電化による複線化で増設されたもの。
  当初はすべてレンガ造りでしたが、1925(大正14)年 電化工事に伴って
側壁の大部分がコンクリート造りに改築されているそうです。

支え壁

建設当時 坑門にあった支え壁の一部が残されています。



駅から 海側に出てみると、






フェンスの内側に、古い倉庫のような堅固な建物が並んでいます。
傍らの立札に管理・財務省とあります。 旧海軍の軍用倉庫だったのかな。

建物の前に、線路跡も残っています。
          




レンガ塀に囲まれて 「海上自衛隊第二術科学校」


塀の中にみえるのは、海軍・海上自衛隊ゆかりの碑。
「海軍通信教育発祥記念碑」


「海軍水雷学校跡」碑



古い石積みが残る水路では、カモたちが のんびりと日向ぼっこ☆
          




JRの踏切を渡って行くと、左側に

「田浦神明社」



創建: 1428(正長元)年
         1927(大正2)年 「貴布禰神社」「御霊社」を合祀し、「神明社」となる。
        祭神:御食津神(みけつのかみ)・・豊受比売神と同神 食を司る神
神(くらおかみのかみ)・・雨を司る神  
  吉備霊(きびのみたま)・・吉備津彦神と同神




R16沿いに、目を引く特徴のある建物が。

「田浦教会」

1989年 築
詳しいことは分かりませんでした・・

          




JRのガード近くに、お堂がありました。

「馬頭観音堂」

1858(安政5)年~明治にかけて建てられた馬頭観音だそうです。
頭に馬の頭部を乗せているのが見られます。
          




住宅街の中にも、ちょっと気になる建物を見つけました。


住宅というより、何かを収納した昔の倉庫かもしれません。

          


山が海に注ぐ天然の良港を有する田浦は また、明治以降 海軍とともに発展した街。
その嘗ての豊かさを象徴するような歴史的建物が まだ他にもありそうです。
今回は梅林のついででしたが、もう少しちゃんと歴史のおベンキョーを
してから歩いてみたら、きっともっと興味深いことでしょうね☆


16,680歩



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田浦梅林again

2015-02-28 | 花散歩


風は少し冷たいけれど、今日はよく晴れた‘梅日和’☆
田浦の梅もそろそろ見頃でしょう♪


階段を上って・・




今回は~















来る途中、沿道のお店で しっかりおダンゴ
GET!
 

          
横須賀市指定銘菓 「へらへら団子」 ¥350
草ダンゴを長さ5~6cm位に平たく伸ばしたものに、小豆餡をからめてあります。
江戸時代から受け継がれてきた市指定重要民俗文化財「佐島の船祭り」の際、
特産の真鯛と共に神社に奉納される伝統的な郷土菓子で、現在も 船祭りの時に
家庭でも 豊漁・無病息災を願って神棚に供え
、食べられているそうです。


今回は、花もダンゴも!(笑)



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梅が咲いています

2015-02-27 | 散策


暖かな陽気に誘われ、京急「上大岡」駅から 梅を訪ねて
ぶらりぶらりと・・ 数年ぶりに訪れてみました。




岡村天満宮







境内の紅白の梅が 満開でした
          



近くにある梅林の梅は・・・どうでしょうねぇ?







わぁ、キ・レ・イ~


昨日の夕方 家の裏で、
ウグイスが鳴いているのを聞きました。

昔習った 筝曲『初鶯』の一節を ふと

「 うぐひすの 初音めづらし 今日よりは つぎて鳴かなむ 明日よりは なれて鳴かなむ・・」

春が待ち遠しいですね!


19,547歩




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百段雛まつり

2015-02-25 | 東京・川崎


誘われて、「目黒雅叙園」で開催中の『百段雛まつり』を見に行ってきました。




JR「目黒」駅西口を出て、坂を下って行きます。

「行人(ぎょうにん)坂」

江戸・寛政の頃(1789~1800)、出羽・湯殿山の行人がこの辺りに
大日如来堂を建立して修行をしていたところ、次第に多くの行人が
集まり住むようになって、「行人坂」と呼ばれるようになったとか。



3~4分下った左側に

「目黒雅叙園」

1928(昭和3)年開業の料亭「芝浦雅叙園」が、1931(昭和6)年に
目黒で「目黒雅叙園」として営業。 名だたる芸術家等の手になる
豪華な装飾の建物や庭園は、「昭和の竜宮城」と称されます。

ケヤキ板の「百段階段」と、階段に沿って並ぶ7つの絢爛たる
座敷のうちの4つが、都指定有形文化財となっています。


『百段雛まつり』
2010(平成22)年から毎年この時期に 各地の雛文化を紹介・展示。
今回は第6弾、瀬戸内地方に伝わる時代雛の数々が展示されています。



会場内は撮影不可のため、大小さまざまな雛飾りや贅を尽くした
室内装飾などを、画像でご紹介できないのが とってもザンネン! 
せめてパンフレットの写真から・・・



こちらは、エントランスのディスプレイ


そういえば 我が家のお雛さま、今年はまだ出してなかったなぁ・・



話は変わりますが・・

雅叙園前にある「お七の井戸」

あの八百屋お七の想い人 吉三は、お七の死後 僧侶となり名を西運と改め
明王院に入り、目黒不動~浅草観音の往復10里の道を 念仏を唱えながら
1万日の行をなし遂げたとか。 その明王院というお寺は、現・目黒雅叙園の
エントランス付近から庭園にかけて 明治13年頃まであったといいます。

西運が、念仏行に出かける前に お七の菩提を念じながら境内の井戸で
水垢離を行ったことから、「お七の井戸」と言い伝えられているそうです。


「行人坂」の途中のお堂には、勢至菩薩の石像が祀られています。
          
江戸中期の目黒川架橋供養のお堂。
高さ52cmの菩薩像は、台座(97cm)・蓮座(20cm
)上で半跏趺座・両手合掌。 
誰方が被せたのか、紅白の運動帽が 何とも微笑ましい☆  (目黒区指定文化財)

台座の銘文により、1704(宝永元)年にかの西運が 念仏行の往復の途中で
江戸の人達から報謝を受け、両岸に石壁を築き 雁歯橋を架けたことがわかると。




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「花の国」温室の花

2015-02-24 | 花散歩


「くりはま花の国」の温室に咲いている南国の花☆


カエンカズラ
(ノウゼンカズラ科)
          
ブラジル原産
オレンジ色の花が 葉を覆うほどいっぱい咲く様子を炎に見立てて、この名。



ストレリチア
(バショウ科)

南アフリカ原産
別名:ゴクラクチョウカ
ほんと、鳥みたい~ 自然の造形っておもしろいですねぇ!


ドンベヤ・ワリッチィ
(アオギリ科)

南アフリカ原産
別名:ピンクボール
直径15cmほどのボール状の集合花。 天井からピンクのくす玉が・・






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観音崎

2015-02-16 | 横須賀・三浦


「たたら浜」

ゴジラが出現したという伝説(?)の浜。
遠くに久里浜の東京電力の煙突が見えます。


「展望園地」
(旧南門砲台)

干潮時に前方50mにわたって露出する岩礁は、1923(大正12)年の関東大震災によって
海底浸蝕されたものが約1m隆起したもので、その後 年間7.5mmずつ沈下し続けているとか。

江戸末期 外国船が次々に来航するようになり、観音崎は江戸湾防備の要衝とされ
1812(文化9)年 幕府は会津藩に命じて観音崎台場を設けました。 明治時代には
観音崎の15ヶ所に近代的な砲台が築かれ、一般人の出入りも禁止されました。
ここ南門砲台もその1つですが、関東大震災で崩壊し その痕跡は残っていません。

二十八サンチ榴弾砲(木製模型)」

地元ボランティアの人達の手で制作・管理されてきましたが、年月を経て
老朽化したため、来る3月14日(予定)を以って解体撤去されるようです。

次々と浦賀水道を通過するいろいろな船を眺めながら・・
1日見ていても飽きない眺めです☆

対岸の千葉・富津まで5.6km



展望園地の芝生でひと休みしたら、今回は灯台の方へは
回らずに、道路を挟んだ向かい側の「たたら浜園地」の
噴水広場を抜けて 山の方へ上って行ってみました。


歩きやすい石畳の道が続き、あちこちに道標も立っています。
           




海に向かった高台から、富士山が見えました☆

「戦没船員の碑」

第二次大戦や海難事故などで亡くなられた船員6万余人の慰霊碑です。
「 安らかに眠れ わが友よ 波静かなれ とこしえに 」と刻まれています。

天皇皇后両陛下が立ち寄られた折に詠まれた御歌の碑も。
          
1923(大正13)年に神戸高等商船学校の練習帆船として建造され、戦時には徴用船、
戦後は航海訓練所の練習汽船として歴史の荒波を乗り越え、引退後 神戸に保管された
のち、1996(平成8)年に 惜しまれつつ解体された『進徳丸』の錨が展示されています。




道端には、凝灰岩が堆積隆起した地層が見られたり


タコの足のような樹木の根があったり・・おもしろいナ



この先右へ行くと 砲台跡が残る「三軒家園地」や「横須賀美術館」の方へ
下りて行けますが、そのまま道なりに直進します。


児童遊具のある「うみの子とりで」を過ぎると、
広々とした芝生の「花の広場」

この時期は さすがに花は少ないけれど、ピクニックには最適でしょう☆
アメリカ人ファミリーの子供たちが 元気に走り回っていました。


東京湾を見下ろす「展望広場」

千葉・君津の工業地帯が見えます。


「森のロッジ」

各種の集会や自然観察の基点として利用されています。
ここのトイレ、ウッディでおしゃれ 且つとってもキレイ!




森のロッジを過ぎると、石畳の道から土の道に。



暫く歩くと、左側はフェンスに囲まれた「防衛大学校」の敷地。


フェンス内の坂を、訓練中なのでしょうね・・・重そうな装備を着けた
若者(男性も女性も)が、何人も駆けて行きます。 ガンバレ~





介護施設の建物横を下って行くと、R16に出てきました。

眼下に見えるのは「走水港」

遠くに横須賀市街や猿島、左手の山の向こうには富士山も。




車の往来が頻繁な海岸通りを 潮風に吹かれながら
ぶらりぶらりと 京急線「馬堀海岸」駅まで。

25,268歩 



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観音崎へ

2015-02-16 | 横須賀・三浦


三浦半島東端に位置する「観音崎」。
東京湾(浦賀水道」に面して、岩礁海岸や緑豊かな丘陵地が広がっています。

その観音崎をめざして、久しぶりにてくてく歩いてみようと思います。
辿り着けるかな~?



浦賀港の入江を、渡し船で対岸へ渡りましょう。







右手に海を感じながら・・
強い潮の香りが漂うR209を進んで行きます。

「サニーサイド マリーナ ウラガ」を右に見て







何棟もアパートが立ち並ぶ「県営かもめ団地」。
広い敷地の周りを囲んで、長い堤防が続いています。


潮風に吹かれ 沖行く船を眺めながら、爽快な散歩コース☆
ウォーキング中の人に たくさん出会いました。





「観音寺跡」
説明板によると;
昔 仏崎と呼ばれた現・観音崎に住む大蛇が、沖を行く船の航行を邪魔して
人々を悩ませていると聞いて、行基上人が仏像を彫って岬の洞窟に祀った
ところ 海は鎮まり無事に航行できるようになったので、喜んだ村人たちが
小堂を建てて仏像を納め、いつしか「船守観音」と呼ばれるようになりました。
このお寺「佛崎山 観音寺」が、「観音崎」の地名の由来といわれています。

(説明パネルより)

1880(明治13)年 観音崎に陸軍の砲台が設置されることになったため
ここ亀崎に移されましたが、1986(昭和61)年 堂宇・仏像とも全て焼失。
現在は、小さなお堂が建てられています。



隣接して海に向かって建つ立派な石碑

戦時中の1943(昭和18)年3月 ソロモン群島沖で、敵艦の集中砲火に
よって散華された 駆逐艦『村雨』の乗組員119名の方々の慰霊碑です。






「観音崎大橋」を渡ります。


今日は波も穏やかで、海の色がキレイ~☆



観音崎に到着でーす!


「県立観音崎公園」内には 「自然博物館」や日本初の「観音崎灯台」をはじめ見どころがいっぱい。
今回は、これまでご紹介してなかった所を歩いてみたいと思います。

(続)





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横須賀・田浦梅林

2015-02-13 | 横須賀・三浦


「田浦梅林まつり」が、先週末(7日)から始まりました


JR「田浦」駅から 歩いて約25分。
ピンクの幟旗が、道案内の目印です。




「田浦梅の里」
1934(昭和9)年 今上天皇のご生誕を記念して、地元の人達が60aの
山林に700本の梅を植えたことに始まるといいます。 現在は公園として、
海を見下ろす山の南斜面に、この時期 約2,700本の梅が花を開きます。




斜面を上って行くと・・

ニホンズイセンが 綺麗に咲いています。



で、肝心の梅は・・・?

上の方に、咲いている木も数本あるけれど



全体としては、こんな感じ。




まだこれからですね。
例年 2月末ぐらいには見頃と
なるようです。
「梅林まつり」は、3月15日(日)まで。




でも、眺望はバッチリ!


広々とした芝生で、花よりダンゴと参りましょう~♪


(ダンゴ屋さんとかは無いけど、お弁当を広げるには絶好の場所デス☆)


12,892歩




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六国峠の道②

2015-02-12 | ハイキング・山歩き



「能見堂緑地」でひと休みして喉を潤したら、いざ鎌倉へ!


と、その前に・・ちょっと寄り道。 
標識に従って 右手の道を下りて行くと、

「不動池」

静かな水面を カモたちがのんびり泳いでいます。 池畔の木に リスの姿も。
あずまやから餌をやる家族連れや、ベンチで小休止のハイカーのグループ。
すぐそばに住宅が立ち並んでいると思えない・・長閑な時間が流れています☆

池の先の急な階段を、息をきらせて上ります

「谷津関ヶ谷不動尊」

創建年代は不詳。
昔から村人たちに信仰されてきた不動明王が祀られています。
境内裏の谷からは清水が滾々と湧出し、嘗ては金沢文庫駅一帯までの
水田の灌漑用水となり、現在も 谷津川の水源となっているとのこと。
往時は、刀匠らが滝で斎戒沐浴したと言い伝えられています。


では あらためて、鎌倉「天園」をめざして行きましょう!
          
コース内の行く先々に こうした標識があるので、迷子になる心配はまずありません。




山道から、急にひらけた場所に出ました。 にぎやかな子供の声が聞こえます。

「金沢動物園」

コアラのいる市営の動物園。
今日は休日なので、たくさんの人が来ているようですね。


動物園の右手の道を下って行くと、

「シダの谷」

もともとは鬱蒼とした杉林で、リョウメンシダなどのシダ類が地面を覆う谷でした。
谷間の湿地に敷かれた木道を歩いて行きます。


谷から階段を上り、暫くは横横道路の高架と並行して歩きます。
道の左側には、ツバキの大きな花がたくさん咲いていました。
          





分岐を左へ。 また山道になりました。
 
階段を上って、先へ先へ・・ 「天園を経て鎌倉へ至る」の標識。
道が間違っていないことを確認(ホッ)
          


「釜利谷陸橋」を渡って また山道を行くと、広場に出ました。

右のグループは、湯気の上がる‘鍋’パーティ   
うゎ、おいしそ~(涎)


「コナラの道」を過ぎて、古道の雰囲気漂う切通しの道。
          
いよいよ鎌倉っぽくなってきたナ  




「峠の茶屋」裏に出ました~ ゴールは近い!
ゴルフ場を右に見ながら・・

そして、遂に

「大平山」

標高:159.2m  鎌倉市最高地点

このあとは よく知る道。 今回は「覚園寺」への道を下り・・
やったぁ~、「金沢文庫」駅→「鎌倉」駅を完歩したぞ☆

26,380歩



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六国峠の道①

2015-02-12 | ハイキング・山歩き


今日は
気温も上がって、絶好のハイキング日和☆

さぁ、出かけましょう!


京急「金沢文庫」駅の山側の出口から、線路沿いを横浜方向に暫く歩き
途中から左に入って 住宅の間の道を行くと、その奥に・・あった!

「六国峠入口」の看板
          
今回は、ここからハイキングのスタートです。




以前より道が広く、歩きやすくなっていました♪
          

さっそく  リスに歓迎されて






「能見堂跡」

「能見堂」は、寛文年間(1661~73)に 地頭の久世大和守広之が
芝増上寺の子院を移設して地蔵菩薩像を祀った蔵院で、御堂は
明治の初め頃まであり、「能見堂」と呼ばれていたそうです。

その名の由来には諸説あり、地蔵菩薩を本尊とするため「六道能化」の意味からとか
平安時代の絵師が景色の美しさに絵筆を捨てて「のけぞった」からとか・・・

「金澤八景根元地」碑

1803(享和3)年 建立
明の渡来僧 心越禅師が 此処から見た景勝地8か所を漢詩に詠んだ
ことから「金澤八景」の名が広まり、広重の浮世絵の題材にもなるなど
江戸の人々にも広く知られた、憧れの場所であったようです。
かの徳川家康も、ここからの景色を江戸城の襖に描かせたとか。

別の場所にあったゆかりの石碑も 集められて並んでいます。



この辺りは「能見堂緑地」と呼ばれ、今日も 梅の花を見に訪れる人が次々と。


紅梅も


白梅も



ここ「能見堂緑地」から「金沢自然公園」を通り、「天園」を経て「鎌倉」まで
「六国峠ハイキングコース」と呼ばれる山道が続いています。

(「金沢観光協会」のサイトから拝借しました)


お天気も良いことだし、このあと どこまで行けるか分からないけど
久しぶりのコースを歩いてみようかな という気になってきました~☆


(続)




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寒~っ!

2015-02-09 | 散策


今朝も散歩に出たものの・・・・ひぇ 風が冷たーい

列島の上空に、この冬イチバンの寒気がやって来てるらしいですよ。
でも、よい子は北風になんか負けません!




「花の国」をひと巡り☆
この時期は花が少なくて ちょっと寂しい・・








椿園で咲いている花も、まだ例年よりは少ない気がします。
これからでしょうか・・

白玉絞                          福鼓
          


氷室雪月花




アイスチューリップも 花弁を閉じて、寒そ~



おやおや 何と! 雪がパラパラ落ちてきた・・
今日は 早めに切り上げることにしましょう!
 



14,784歩



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やっと咲きました

2015-02-08 | 雑記


「過ぎたるは~」とよく言われるように、植物の世話って結構難しいですよね。
水やりひとつ 日当たりひとつとっても、やり過ぎは禁物。


以前我が家で育てていたけれど ダメにしてしまった植物を
友達の家から貰ってきた 葉っぱ1枚から育て直して 3年目、
やっと 花を咲かせてくれました。 
やったぁ~という気分!


ストレプトカーパス
(ノウゼンカズラ科)

アフリカ原産の多年草

条件が合えば、このコンコルドブルーと呼ばれるかわいらしい
花が次々に咲き、一年中楽しむことができます。

育て方も そう難しくはないらしいのですが、かわいさのあまり
前回は 水やりに失敗したようで・・・・根腐れしてしまいました。
今度こそ、愛情過多にならないように気をつけて!


Yさん、やっと
咲いたよ~  





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三浦の河津桜again

2015-02-06 | 花散歩


昨日はにはならず、冷たい の1日でした。
そして、一夜明けると  風もなく 絶好のお散歩日和~♪

三浦の河津桜は、あれからだいぶ咲いてきたかな?
散歩がてら ちょっと見に行ってみました。




暖かさに誘われてか、結構 人出がありますね☆
 

恒例「桜まつり」は、2月14日(土)~3月15日(日)の1か月間。
その頃にはきっと、桜も菜の花も咲きそろうことでしょう。 
    











帰りも、海岸をぶらぶら散策しながら・・








20,966歩



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横須賀・塚山公園

2015-02-03 | 横須賀・三浦


JR[横須賀」駅の駅舎横に立つ 小さな石の標柱。
大正時代に立てられたものらしいです。

正面には日本語で「安針塚山へ約十五町」、側面には英語の文字も。
          

「十五町」って どのくらいの距離なのか 今ひとつピンときませんが・・・・
今日は、 此処から歩き始めてみようと思います☆




JR線のガードをくぐり、R16を渡って・・
昔ながらの雰囲気が漂う商店街の途中から、右に入ると

「鹿島神社」

創建: 1410(応永11)年
   祭神: 武甕槌(タケミカヅチ)命
昔 別の場所にあった社殿が1891(明治24)年に焼失した後 軍用地と
なったため、この地へ遷座されました。 江戸時代に幕府の外交顧問と
して徳川家康に重用され、ここ逸見(へみ)を領した英国人 三浦按針こと
ウィリアム・アダムスの子息が、この神社を再建したといわれています。





神社の横を通って、今度は京急線のガードをくぐって行くと二叉路に。
左の急坂は「逸見浄水場」へ行く道。 今日は右の平坦な道の方へ。



道なりに進んで行くと、やがて右側に
赤レンガがまだ新しい「西逸見吉倉隧道」。


傍の100段ほどの石段を上り、そのままどんどん上へ上へ・・
          




横須賀駅から30分ほどで、「県立塚山公園」に到着~☆

標高:133m  面積:4.7ha  開園:1957(昭和32)年 
季節には、約1,000本の桜が美しい公園です。

今は、紅梅がほころび始め・・



「三浦按針夫妻墓」

三浦按針と夫人(日本人)の供養墓。 
本墓は、長崎平戸にあるそうです。 按針の遺言によって建立された
といわれ、国指定史跡。 通称「安針塚」と呼ばれています。


公園内の展望デッキからは、海が一望!

あれは 自衛隊の艦船ですね



米軍イージス艦の黒い船体も



遠くかすかに スカイツリーまで
         ↓




「見晴台」まで上ってみましょう☆



「大楠山」



「十三峠」の向こうに、小さく富士山も。
(白い雲の下あたり わかるカナ?)






寒くても、晴れると やっぱり気持ちいいですね~


14,949歩




 

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大根畑の中を

2015-02-01 | 散策



 

三浦海岸を歩いています。


おぉ、にぎわってますね!






海岸通りの途中から右へ入って行くと、つきあたりに

「諏訪神社」


此処の境内にある「なんじゃもんじゃの木(ホルトノキ)」は
以前に ご紹介したことがありましたね。 
6年ぶりのご対面ですが、とても元気そうです。 よかった~☆
          




神社横の坂道をずんずん上って行くと、R214に出ました。
車が激しく往来する道路の向こうに・・
見えたゾ



この辺りは「仲尾」という所のようです。




道路の右も左も、緑のダイコン畑と その先に海がひろがっています。

右側 



左側

金田湾と三浦半島の先端。 その向こうは房総かな。

んー、気持ちい~~ 散歩の足も弾みます♪

20,337歩




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