スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

あづい~!

2011-06-30 | 散策



昨日は、我が家の室内温度計も30℃に達しました・・記録的~
夏はまだ、これからだっちゅうにぃ!

終日 に向かっていると、頭が何だかボワーっとしてきて・・・
堪りかねて、遂にエアコンのお世話になりました。
今年 初エアコンだ~



昨日は歩数計「0」だったので、今日は少し歩かなくちゃ


朝から夏空デス~~



いつもの公園で、ハンゲショウが咲き始めました。
まだ、ちょっと早いようだけど・・







いよいよ夏ですねぇ・・
夏の花は、涼しげな白色が目につきます。

オカトラノオ                  ナツツバキ
      

テイカカズラ                   オニドコロ
      

ドクダミ




枝いっぱいに、エゴノキの実



水辺が恋しい季節の到来です☆



9,099歩


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鎌倉小路歩き ②

2011-06-27 | 鎌倉・逗子・葉山


鏑木清方美術館を出て左へ行くと、ステンドグラスの
大きな窓があるお宅。 屋根の風見鶏も洒落ています。
      

右に曲がってさらに路地を行くと、広い通りに出ました。

川喜多映画記念館

鎌倉と映画を愛し、映画を通して国際交流に努め我が国の
映画文化振興に尽力された故・川喜多長政・かしこ夫妻の
邸宅を基に、鎌倉市が2010(平成22)年に開設しました。

旧宅の母屋


別邸(和辻邸)

(パネルより)


今日は美人画をゆっくり鑑賞したので、あまり時間がありません・・
内部の見学は次の機会にして、お庭だけ拝見して行きましょう。







記念館の長い黒板塀に沿って行くと、



鉄砲垣、御簾垣、大津垣・・・
垣根の見本のように、いろいろな竹垣が並んでいます。


竹垣に沿って入ってみると、奥に小さなお社が・・

(いわや)不動尊

弘法大師ゆかりの不動尊が祀られています。
鎌倉幕府成立の以前から不動堂があったそうで
数年前までは、お堂が洞窟内にあったようです。

狭い境内には、五輪塔がたくさん並んでいました。



前を通る道は「窟小路」。鎌倉時代以前からの古道だそうです。 
窟不動に因んで、こう呼ばれているのでしょうね。




鎌倉彫再興碑

明治時代の鎌倉彫先駆者を顕彰し建立されたものとか。
鎌倉彫は、宋文化の流入に伴って盛んになった美術工芸で
寺院で使われる須
弥壇や経机などの仏具がその原型といわれます。


傍らのお宅が、碑を建立された第28代目のお住まいのよう・・



窟小路の辺りは、とても鎌倉らしい雰囲気があって
いつまでも歩き続けていたくなります。




17,354歩



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鎌倉小路歩き ①

2011-06-26 | 鎌倉・逗子・葉山


週末の小町通りは、梅雨時も人、人、人・・の賑わいです。



では、ちょっと横道に入って・・この小路は初めてです。
ちょっとドキドキ! そして、ちょっとワクワ  


おや、ステキな雰囲気のお宅ですね


門の両側に下地窓のある土塀。 お洒落だな~
      


車も入れない細い道です。
小町通りの雑踏が
ウソのように、ひっそりと静かで・・
地元の方でしょうか、足早に通り抜けて行きました。
「岩井堂小路」


レトロな味の看板・・
「ミルクホール」という言葉もレトロですよね~
      



民家の間を抜けて行くと・・右側に白壁の洋館


鎌倉聖ミカエル教会

1933(昭和8)年に建てられ、その後増改築が施されましたが
聖堂部は創建当時の姿をとどめています。 折りよく側面の両開き窓と
正面入口のドアも開かれていて、内部を少し拝見することができました。


教会前は車も通る広い道で、小洒落たレストランなどがあります。
「綾小路」




パスタのお店の横から、また路地に入ってみました。

民家の門口に



あら、行き止まり・・?


と 思ったら、
道はカギの手に曲がって続いていました。
その先も、またカギの手に・・・迷路みたいです(笑)
      

嬉しい出会いもあります☆




小路歩きを楽しむうちに、また広い道に出ました。 
右へ行くと、

鏑木清方記念美術館





それでは、暫し美術鑑賞☆
美人画もお庭の紫陽花も、とても綺麗でした。

(続)

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続・金沢道をゆく ③

2011-06-22 | 横浜


清水ヶ丘公園を出て、元気な少年達の声が響く野球場の傍を通り
金沢道は、南区からいよいよ保土ヶ谷区へと入っていきます。


やがて、
道はかなり急な上り坂になり、息を切らせて上った左角に

北向(きたむき)地蔵尊
      
説明板によると;
1717(享保2)年 伝譽上人が、天下泰平・国土安全を祈念
するとともに 旅人の道中安全を願って建立したものです。
北の方角を向いていらっしゃるので「北向地蔵尊」とか。

高さ 150cmの角柱の上に、赤い頭巾のお地蔵さまが鎮座しています。
角柱には「南無阿弥陀仏」のほかに「是より左の方 かなさわ道」
「是より右の方 くめう道」と刻まれ、道標の役目も果たしています。



「清風高等学校」の門前を過ぎて行くと、次第に下り坂になります。
しかも、結構急な勾配の坂道です。 上って来る人は大変

いわな坂
漢字で書くと、「石名坂・磐名坂・石難坂」と諸説あるようです。
道端の地蔵像には「元禄」の銘。

以前、友人の案内で保土ヶ谷探訪をしたとき この坂を
反対方向から途中まで上ってきたことがありました。
(その折にご紹介した部分は、説明を省略します)


坂の途中 左側に
御所台(ごしょだい)の井戸

北条政子の化粧の井戸。


坂の右側に
無量山 福聚寺
      
臨済宗のお寺。

本堂裏手の墓地に

「東海道中膝栗毛」の作者 十返舎一九の弟子 五返舎半九の
お墓だそうです。 師匠の半分の名前が何だか可笑しい・・



いわな坂を下りきり、R1の大通りを横断して「金沢橋」を渡ると
 
金沢横町の石碑

ここは、旧東海道の東側で金沢・浦賀道の出入り口に
あたり、通称「金沢横町」とよばれたところです。 

説明板によると;
金沢・浦賀道の枝道には、「峯のお灸」で有名な円海山・
梅林で有名な杉田・「芋明神」で有名な富岡などの信仰や
観光の地があったために、これらの道標が建立されました。

右から
「円海山之道」 1783(天明3)年建立
左面に「かなさわかまくらへ通りぬけ」と。

「かなさわかまくら道」 1682(天和2)年建立
左面に「ぐめうし道」と刻まれてあります。

「杉田道」 1814(文化11)年建立
正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花  其爪」と。
句の作者は、江戸・河東節の家元だそうです。

「富岡芋大明神社」 1845(弘化2)年建立
芋明神は富岡の長昌寺で、疱瘡に効能がありました。



石碑の前の道が、旧東海道「保土ヶ谷宿」のメインストリートです。
北東方向(江戸)に向かって、少し歩いてみましょう☆


この辺りが宿内で最も賑わった所で、重要な施設が建ち並んで
いましたが、現在はその痕跡はなく標柱が立っているだけ。

高札場」跡                 「助郷会所」跡
      

問屋(といや)」跡


「高札場」は、幕府や領主の最も基本的な法令を書き記した掲示施設。
宿場の高札には、人馬の駄賃や宿代などが記されていたそうです。
神奈川宿を歩いたとき、高札場の立派な複製がありました。

「助郷会所」は、助郷村々の人馬を手配するための施設。宿場で
賄いきれない人馬を周辺の助郷村から動員していました。

「問屋場」は、幕府公用の旅人や大名などの荷物運搬(人馬継立)や
公用の書状などの通信(継飛脚)、大名行列の宿泊手配などを担う施設。
問屋を筆頭に年寄・帳付・馬指などの宿役人が詰めていました。


やれやれ ・・と
無事に「保土ヶ谷」にたどり着いたところで
今回のウォーキングは、めでたく終了で~す



20,475歩




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続・金沢道をゆく ②

2011-06-21 | 横浜


弘明寺脇の坂を上り、京急「弘明寺」駅横の踏切の
手前から線路沿いに暫く歩いて行きます。



紫陽花が綺麗な「南中学校」の横を通って「井土ヶ谷上町」へ。
あ、ここは以前通ったことのある道だナ・・


西向山 乗蓮寺
      
古儀真言宗のお寺。
境内に北条政子手植えと伝わる樹齢780年の榧の木と、
井土ヶ谷の地名の由来となった化粧の井戸がありました。


すぐ近くに、「住吉神社

井土ヶ谷の鎮守。

いずれもご紹介済みなので、説明は省略。



人家の間の路地を抜けて・・「井土ヶ谷下町」へ。

井土ヶ谷事件跡

柵内に道標を兼ねた庚申塔が祀られています。

説明板によると;
1863(文久3)年 此処から南東約100mの場所で、カミュという
フランス士官が浪人体の者に殺害される事件が発生しました。
神奈川奉行が捜査しましたが、犯人は逮捕されませんでした。

横浜居住の外国人達は幕府を非難、碇泊軍艦の乗組員達を
上陸させて警戒に当たらせました。これが山手に外国人部隊の
駐屯地ができるきっかけとなりました。



R218「南センター」交差点に出ました。

杉山神社・水天宮

江戸時代は大田村の鎮守で、火伏せの神。

創建年代:不詳
祭神:日本武尊
1998(平成10)年に 別の場所にあった水天宮を合祀。


右手に少し行った所に、

松吟山 寶樹院 大光寺




古儀真言宗のお寺。

創建年代:不詳。
本尊:阿弥陀如来
明治までは杉山神社の別当寺でした。

本堂前の植え込みの中に、道標付きの地蔵像。
台座部分に彫られた文字は、「かまくらかねさわ道」。
おそらく、この付近にあったものが此処へ移されたのでしょう。
      



杉山神社の脇の道を入って行きます。
京急線のガードをくぐった先の右側に

獅子頭共用栓
      
 近代水道の歴史的遺産として展示されています。
明治時代の最盛期には、市内で600基ほどが使用されていたようです。
イギリスからの輸入品で、獅子のデザインはギリシャ神話に因むものとか。
現在も湧水が出ていますが、水道水ではないので飲用には適しません。


大原隧道

清水ヶ丘と南太田を結ぶ歩行者・自転車用通路です。

説明板によると;
関東大震災復興事業の一環として、1928(昭和3)年に
水道本管敷設のためのトンネルとして建設されました。
長さ 254.5m  高さ 3.62m  幅 2.44m
現在も、口径610mmの水道本管が埋設されています。

紫褐色の焼過レンガのフランス積みに白い花崗岩で
装飾されたデザインは、その風格と美しさによって
「平成18年度土木学会選奨土木遺産」に選定されました。

通称「お化けトンネル」とか・・・出るのカナ?


大急ぎでトンネルを抜けると、大きな公園の入口です。

清水ヶ丘公園

春に「横浜緋桜」という美しい名の桜を見に来た、あの公園です。


シンボルツリーのエノキがある丘の上から、歩いてきた
上大岡の方を眺めながら、ここで独りタイム♪



ここまで来れば、ゴールの保土ヶ谷は目前です。
この分だと、どうやらお天気はもってくれそう☆
がんばって行きまセゥ!

(続)



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続・金沢道をゆく ①

2011-06-20 | 横浜


前回のゴール、上大岡駅から歩き始めました☆


京急「上大岡」駅の東口を出た所に、さっそく
小さなお堂と、庚申塔らしき石塔などがあります。


子育て地蔵尊

金沢道・杉田道の道筋に地蔵堂が祀られていましたが
湘南電鉄(現・京急電鉄)の開通に伴い此処に移されたとか。


この辺りは「八郎ヶ谷」と呼ばれ、言い伝えによると 1156(保元1)年の
保元の乱で父 為義と共に崇徳上皇方に加わり敗れた鎮西八郎為朝が
落ち延びて、この辺りに隠れ住んでいたといわれているそうです。


駐車場の傍らに、

源 為朝供養塔
      
言われなければ気づかないかもしれません。 駐車場の片隅にひっそりと・・ 
特に表示も説明もなく、さほど古いものという感じもしませんでしたが・・


近くにあった立派な門。 碑には「不老門」とあります。
個人のお住まいのようです。 代々名主を務めたお宅とか・・?
駅近とは思えないような雰囲気ですね。




大岡川の東側の旧道を歩いて行き・・



やがて、
「旧道入口」の信号でR21(現・鎌倉街道)に合流します。


車がたくさん往来する通り沿いの右手に

横浜国立大学附属横浜中学校

樹齢100年余というたくさんの木々に包まれた校舎は、
旧・横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)の
建物で、市有形文化財に指定されているそうです。

校門前に、「鎌倉街道」の碑



通りを隔てた向かい側は

「弘明寺商店街」

ぼつぼつ開店の時間ですね。 
では、ちょっとだけ寄り道して・・(笑)


アーケードを抜けると、
突き当りが通称「弘明寺観音」の山門です。


門前に、「ほどがや道」碑
側面は「坂東西国秩父百番供養塔」と読めます。
      


瑞応山 蓮華院 弘明寺

古儀真言宗のお寺。

以前ご紹介したので、説明は割愛。




鐘楼
      
梵鐘は江戸時代の作。 名鐘であるため、戦時の供出を免れたとか。
作者は江戸・神田に住む鋳物師 西村和泉守藤原政平。 徳川幕府の
鋳物制作の御用を務め、元禄~大正初期まで続いた鋳工の家柄。
川崎大師の梵鐘も手がけた人だそうです。


ひと休みしたら、また「金沢道」歩きを続けましょう☆

(続)




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公園の花菖蒲

2011-06-17 | 花散歩


雨は朝のうちに上がりましたが、相変わらずどんよりと・・
少し歩いてリフレッシュしないと、心にカビが生えそうだヮ



散歩の途中に時々寄る公園の池は、カキツバタが終わり
今度は、ハナショウブが出番の時☆



「 かがまりて わが息づかひ したしもよ 菖蒲の花の かさなりて見ゆ 」
                            木下 利玄












「 花びらの 垂れて静かや 花菖蒲 」   虚子




「 紫の さまで濃からず 花菖蒲 」   万太郎


今年はほんとうに雨の多い、梅雨らしい梅雨ですね。

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長興山 妙本寺

2011-06-15 | 鎌倉・逗子・葉山


この辺りは、「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれるように
比企一族にゆかりのあるところです。


長興山妙本寺

日蓮宗のお寺

    創建: 1274(文応11)年
開山: 日蓮上人
      開基: 比企大学三郎能本
   本尊: 十界大曼荼羅

解説板によると;
此処には、源頼朝の重臣比企能員(よしかず)らの屋敷がありました。
能員の妻は2代将軍頼家公の乳母、頼家公の妻 若狭局は能員の娘、
というように、比企一族は源家と深い繋がりを保持していました。

しかし頼家公の後継者争いの際、比企一族の勢力拡大を恐れた
北条時政らの軍勢によって、一族は滅ぼされました。(比企の乱)


逃れていた能員の末子 三郎能本(よしもと)が日蓮上人に帰依し、
一族の屋敷跡に供養の法華堂を建立したのが当寺の始まりです。




総門を入ると杉の巨木が建ち並び、森の中に
分け入るような、深い緑の参道が続きます。



正面の「二天門」は、只今改修中で覆いの中。

その奥に、堂々たる大屋根の「祖師堂」


たくさんの精緻な木彫で飾られています。






祖師堂右手の山際に、「比企一族墓所」



「一幡君袖塚」
母 若狭局と共に焼死した小御所山で見つかった
着物の袖を納めた廟所となっています。



                        祖師像
     


左手奥には 若狭局を祀った「蛇苦止堂」や、頼家公息女で
4代将軍藤原頼経公の妻 竹御所のお墓があります。


比企氏の無念を懐に秘めているような、静かな‘森のお寺’です。






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琴弾の松風

2011-06-14 | 鎌倉・逗子・葉山


「おんめさま」の境内を通り抜けると「小町大路」。
右へ行くと、

妙厳山 本覚寺

日蓮宗の本山
「東身延」とも「日朝さま」とも呼ばれています。

   創建: 1421(応永28)年
   開山: 一乗院日出上人
本尊: 釈迦三尊像
源頼朝が幕府鬼門の鎮守として建立した夷堂(天台宗)を
日出上人が日蓮宗に改め「本覚寺」としました。
第2代 日朝上人が身延山久遠寺から日蓮上人の分骨を
受け、当山に祀ったことにより「東身延」と呼ばれています。

江ノ島鎌倉七福神の恵比寿神のお寺。 
山門は江戸時代のものとか。


左へ行くと、

蛭子(ひるこ)神社

小町の鎮守
祭神: 大己貴命(おおなむちのみこと)

本覚寺前の夷堂が此処に移され、元々あった七面大明神と
宝戒寺にあった山王大権現を合祀し、蛭子神社となりました。 
現社殿は、今宮から譲り受けたものだそうです。



社殿の扉に、蔓柏の紋




小町大路沿いに、近頃流行の蔵カフェ



右手に曲がり、静かな小路へと入って行きます。



落ち着いた佇まいの家の向こうに、朱塗りの橋が見えます。


滑川の流れに架かる橋が 「琴弾橋
      
橋から望む小御所山に、風が渡るとまるで琴を弾くような音のする
「琴弾の松」という松の木があったと伝わります。 小御所山には
3代将軍になる筈だった源頼家公嫡男 一幡君の館がありました。

琴弾の松風は、きっと哀切に満ち満ちた音だったでしょう・・




橋を渡って、きれいに整えられた生垣の道を歩いていると
観光客を乗せた人力車が、元気良く追い越して行きました。

生垣の続く小路は、静かで気持ちのいい散歩道♪

サンゴジュの生垣が尽きたところに、大きな山門が・・
比企一族の菩提寺「妙本寺」です。

(続)


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おんめさまの花

2011-06-13 | 花散歩


花の寺 鎌倉「大巧寺(おんめさま)」を訪ねました。


桜の木に這い登って、イワガラミが咲いています☆




そういえば、
「東慶寺」のイワガラミも、15日まで公開中ですネ・・


ハクチョウゲ
     


コバノズイナ




アワモリショウマ
      


ヤエザキドクダミ



チシマヒョウタンボク
      


ノリウツギ





紫陽花も、色とりどりに☆

七段花                      クロヒメ
      


ベニガク



ウズ                      久住の誉
      


隅田の花火



梅雨どきには、雨が似合う花々☆




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宮城道雄記念館

2011-06-10 | 東京・川崎

 


地蔵坂を上って「光照寺」の少し先に

宮城道雄記念館


別館

宮城氏が生前住まわれていた敷地に、1978(昭和53)年
我が国で最初の音楽家の記念館として開館しました。


宮城道雄氏

(1894-1956)
演奏家・作曲家

神戸に生まれて8歳で失明。 11歳で箏演奏の免許皆伝。
13歳のとき一家で朝鮮・仁川に渡り、箏・尺八を教えて
生計を助ける。 14歳で処女作「水の変態」を作曲。



  1928(昭和3)年 「越天楽」を作曲。出世作となる。
1929(昭和4)年 不朽の名作「春の海」を作曲。
   1937(昭和14)年 東京音楽学校(現・芸大)教授に。
 1956(昭和31)年 列車からの転落がもとで死去。
   (享年62歳 )


館内には、

氏の愛器 「越天楽」


氏開発の新楽器 八十弦(復元)


八十弦を演奏する宮城氏

(パネルより)

さまざまな資料・楽器のほか、愛用のピアノ・杖・履物・カバン・
点字タイプライターなど、氏遺愛の品々も展示されてあります。



折しも、NHKが番組の取材中☆


NHK Eテレ 「百花繚乱」~宮城道雄と中能島欣一~
    6月24日(金) 22:15~22:54
(再)6月27日(月) 5:15~5:54



建物の裏手に、茶室風の別棟
「検校の間」

(パンフレットより)
1938(昭和23)年完成した書斎で、氏晩年の
7年余の作品の殆どが、此処で作られました。








氏はご自身の随筆「箏と私」に、「ほかのものは何が無くても
辛抱できるが、箏を奪われては心を失ったも同じで生きる
甲斐もない。」というような一節を残されているそうです。 

全身全霊で箏を愛し、箏と共に生きた方だったようです。
命日の6月25日は、遺作の歌曲に因んで「浜木綿忌」と。


「宮城道雄の世界」 http://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan/index.html



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早稲田通りをぶらり歩き

2011-06-09 | 東京・川崎

 
早稲田通り(R25)を、神楽坂の方へ向かって歩いてみます。



「弁天町」交差点から少し左へ行ったところに
長~い塀に囲われた深い緑の一画があります。 
何でしょうね?



高い塀に沿って右に入って行ってみると



たいそう立派な門ですね~
瓦に三つ葉葵の紋がついています。

蔭凉山 済松(さいしょう)

臨済宗のお寺です。
創建: 1646(正法3)年
徳川家光公が、祖心尼という人のために建立したお寺とか。

祖心尼は春日局の義理の姪にあたる女性で、局に請われて
大奥に出仕し局の補佐役を務めました。出家して祖心尼となり
家光公に禅を説き、篤い信任を受けた方だそうです。

当初は七堂伽藍をそなえた大寺でした。 宝暦の大火・維新の
廃仏毀釈・第二次大戦の空襲などによって幾度も焼失・荒廃
しましたが、その度に復興されて今に到っているということです。


「徳川家光公創建」と読めますね。
公開されていないので、拝観には予約が必要のようです。
ザンネン・・

塀に沿ってぐるりと一巡りした後、元の道に戻って進みます。



神楽坂通りに入ってきました。
相変わらずの人・人・・・・車・車・・・・
      

今回は、ちょっと寄り道してみることにしましょう☆



坂の途中から、右手に上って行く坂は「地蔵坂」。
この先にある「光照寺」というお寺の子安地蔵尊が信仰を
集めたのに因んだ坂の名とか。 また寺の境内に棲む狸が
夜な夜な地蔵に化けて人々を驚かしたという言い伝えも。

光照寺
山号はわかりませんでした・・


このお寺一帯は、戦国時代にこの地域の領主だった
牛込氏の居城(館)があった所だということです。

牛込氏は北条氏の家臣でしたが、北条氏滅亡後は
徳川家康公に仕え、家光公によって移封されて
牛込城は取り壊されたとか。今は痕跡はありません。


浄土宗のお寺。
創建: 1603(慶長8)年
 開基: 松平治良右衛門
     (家康公の叔父)
芝・増上寺の末寺で神田にありましたが、牛込氏移封後の
1645(正保2)年に、神田からこの地に移転してきました。


1993(平成5)年再建。
鐘楼は戦災に遭いましたが、梵鐘は供出されて
いたために難を逃れ、戦後に返還されたものとか。


「海ほうずき供養塔」

1941(昭和16)年に、東京のほうずき業者が建立した
ものだそうです。 「海ほうずき」って、子供が口に入れて
キュッキュッと鳴らしたあのほうずきのことでしょうね?

ご本堂内や墓地に、歴史的なものがいろいろありそうです。
それはまた、機会があればあらためて・・


お寺の付近一帯は、今は新旧、大小入り混じった
民家が建ち並ぶ住宅街になっています。
交通至便の一等地、 税金高いだろうな・・(笑)



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「行持」

2011-06-08 | 雑記


曹洞宗の開祖 道元禅師が1223(貞応2)年に著された
「典座(てんぞ)教訓」の中に、こんな逸話があるそうです。


ある暑い日 山僧(道元)が、仏殿の前でキノコを干している
1人の老典座(禅寺で「食」を司る役僧)に出会いました。
見れば背は弓のように曲がり、手に竹杖を携えて炎天下に
笠も被らず、汗を滴らせて懸命にキノコを干しています。

山僧が近づき、老典座に歳を尋ねると
老典座は答えます;「六十八歳です」

山僧;「若い他の者にやらせればよいではありませんか」
  典座;「他は是れ吾にあらず(他者の行は私の行ではありません)」

山僧;「確かに。しかし、こんな暑い時にやらなくてもよいのでは」」
  典座;「更に何れの時をか待たん(今でなくていつやるというのです)」

山僧は返す言葉もなく、典座の職の大切さを悟ったのでした。



道元禅においては、「行住坐臥」日々の行いにはすべてに
深い意味があり、仏道にほかならないとされるそうです。


法事の席で、日々の行いを誰かの為にではなく、自身の
こととして倦まずに持続してゆくこと=「行持」が大切だという
ご法話を聞いて、今日は至極マジメな‘猫’でした~☆



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6月の花

2011-06-07 | 花散歩


梅雨空の下でも・・いえ、梅雨空の下だからこそ
草木のみずみずしさが目に沁みますね。


ピラカンサ



ビヨウヤナギ
       


キンシバイ
       


ミッキーマウスの木



ゼラニウム
 


スイカズラ
       


ニゲラ



カンナ・・・の仲間?
            
 

最後は、やはり定番の・・アジサイ 




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梅雨の晴れ間

2011-06-06 | 散策

 
今日は梅雨の晴れ間


暫くぶりに 海岸までお散歩



あら、何か工事してる・・・護岸工事かな?

この海岸、岸壁がときどき波で壊されるみたいです・・

暑くて大変ですねぇ、ご苦労サマです!




こちらの浜は、波も穏やか



ハマナスが咲いています
            


これは ハマダイコン







夏色の海です☆








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