スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

三田~高輪③

2013-12-28 | 東京・川崎


「二本榎通り」をさらに歩いて行くと、ひときわ目を引く建物☆

高輪消防署 二本榎出張所

1933(昭和8)年 完成
近代「ドイツ表現主義」というデザインの、鉄筋コンクリート造り3階建。
設計は警視庁営繕係。 都の歴史的建造物に選定されています。
当初は東京湾を一望でき、「海原を行く軍艦」などと評されたとか。

見学可とのことで、職員の方に案内されて丁寧な説明を受けました。


曲線階段の床・腰壁は、粉状にした大理石とセメントを混ぜて練り
固めたものを研磨した研ぎ出し造りで、触ると、ひんやり石の感触。

3階の円形講堂

中心に集まる8本の梁とアーチ窓が調和した 独特なデザインが素敵ですね~

落成当時からのガス燈

停電時の照明用に設置されたものとか。


消防関係のさまざまな展示がされていました。

手榴弾消火器                       丸太梯子
          
 手榴弾消火器: ガラス製の球体に消火剤が入っていて、火中に投げ込み消火するもの。
丸太梯子: 畳むと一本の丸太になり、持ち運びに便利な木製梯子。一本梯子ともいう。

おもしろいものをいろいろ見せて貰いました。
案内してくださったイケメン職員さん、ありがとうございました! 




消防署の角を左に曲がり、「桂坂」を下って行くと右側に

高野山 東京別院

真言宗総本山 金剛峯寺の別院
慶長年間(1596~1614)開府の際、浅草「日輪寺」に江戸在番所と
して開創されました。 1655(明暦元)年幕府よりこの地を下賜され、
1673(延宝元)年 正式に「高野山江戸在番所 高野寺」となりました。
明治時代 在番所は廃止され、1928(昭和2)年「高野山東京別院」に。





別院をあとに、坂の途中の信号で右へ下りる細い「洞坂」へ。




人家の間を 道なりに歩いて行くと、木の間隠れに三重塔が・・


佛日山 東漸寺

臨済宗
      1610(慶長15)年に溜池に創建 開基:嶺南
  1636(寛永13)年 現在地に遷される
        1859(安政6)年~1865(明治6)年 英国公使館

1861(文久元)年 尊攘派の水戸浪士らが公使を襲撃した「東漸寺事件」や、
翌1862年にも水戸藩士による襲撃事件の現場となったお寺です。
大檀家に諸大名を有し、歴代の墓があります。 国指定史跡

江戸中期~幕末の歴史の舞台を巡って、気ままに散策を楽しみました☆

    

2013年のぶらり散歩は、今回が最終です。
「見てるよ~」という温かいお声かけに励まされて、何とか続けられました。
本当に本当に ありがとうございました!
   
松が明けたら、また元気にお会いしましょう。
では皆さま、どうぞ佳いお年をね!




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三田~高輪②

2013-12-28 | 東京・川崎


「泉岳寺」の中門と「高輪学園」の間の細い路地を進んで行くと、
広い通りに出ました。 道沿いの右側石垣の上に小さな石碑。

大石良雄等自刃ノ跡」とあります。
          
カメラを向けていると、通りがかった人が「この奥だよ」と。 
では、
行ってみましょう!

「都営高輪一丁目アパート」の敷地の奥に、門?




この辺り一帯に 嘗て熊本藩細川家下屋敷があり、討入り後の
大石内蔵助ら17名の赤穂義士達が預けられたそうです。
現在は草木が繁るばかりの空き地で、入ることはできません。


元の道に戻り、さらに歩いて行きます。




この道は、江戸時代に海沿いの東海道が整備されるまでは
街道として使われ、幸い戦災にも遭わなかったため
昔の雰囲気をとどめる佇まいの商店などもみられます。

羊羹で有名な「虎屋」さん



「高輪」の地名は、昔 江戸湾に面した高台にある縄手道だったことから
「高縄手」→「高輪」となったといわれます。 
その高縄手にあった「上行寺」と
いうお寺の門前の塚に2本の榎の大木があり、旅人の目じるしになって
いたそうで、
この通りの名も「二本榎通り」と呼ばれています。




道の左側にあるお寺の山門前に、珍しい狛犬さん?

長祐山 承教(じょうきょう)

日蓮宗のお寺です。


怖いというより、どこかユーモラスなお顔☆

これは「犬」ではなく、半人半牛の怪獣(?)で その名も 読んで字の如く「件(くだん)」。
人間の言葉を話し 彼の予言は
必ず的中するとか。 間違いがないという意味から
「件の如し」という言葉が生まれたのだそうです。  へぇ、そうなんだ~


傍に、「二本榎の碑」



仁王門


本堂前に
「英一蝶の墓」
          
英一蝶(1652-1724)は、江戸中期の画家で 本名は多賀信香。
絵画のほか 俳諧・書・音曲にも秀でた通人で、芭蕉や其角などとも交流があった
そうですが、46歳の時 将軍綱吉を風刺した絵を描いたとして三宅島に遠島。
12年後に赦免されて江戸に戻り、「一蝶」を名乗るようになったといいます。
墓は明治初期に再建されたもののようで、「北窓翁」も号の1つとか。


(続)



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港区・三田~高輪①

2013-12-28 | 東京・川崎


地下鉄「三田」駅A6出口を上がると、目の前はR15(第一京浜国道)。
ここから品川方面へ向かって、ちょっとぶら~りしてみました☆


さっそく、出口のすぐ右手に丸い石碑

西郷南洲・勝海舟会見之地碑

1868(慶応4)年 西郷隆盛と勝海舟が江戸無血開城の取り決めを行い、
江戸の街が戦火を免れたという 有名な会談が行われた場所。

江戸時代 此処には薩摩蔵屋敷があり、すぐ裏手には江戸湾に面した
砂浜が広がり、国元からの船荷が陸揚げされていたといいます。
現在は埋立地が伸び、海はJRの線路の先のそのまたずうっと先の・・・




札の辻
R409が交差し車の往来が激しい交差点には、面影は全くありませんが
江戸時代には、此処に高札場があったことが地名として残っています。
          
説明板によると;
1616(元和2)年 江戸の正面入口として芝口門が設置されました。
門の東側は海に接し、房総が望める景観が1日見ても見飽きない
美しさだというので「日暮御門(ひぐらしのごもん)」と呼ばれたとか。
高札場は、のちに高輪・大木戸に移されたようです。




高輪大木戸跡

嘗て 道幅6間(約10m)の両側に石垣が築かれ、夜は大門を閉めて
治安の維持が図られました。 現在は片側の歩道上に、1727(享保9)年に
築かれた 幅5.4m 長さ7.3m 高さ3.6mの石垣が残されているのみ。
国史跡に指定されています。





「泉岳寺」交差点にやって来ました。 角の高所にあるお社は・・?

高輪稲荷神社

お社に上がってみようと思ったのですが、階段の途中で水を流して掃除の
真っ最中でしたので上がるのはやめました。 で、縁起などはわかりません。
嘗ては、この辺りも泉岳寺の寺域だったということです。


交差点を右折して坂を上って行くと、

萬松山 泉岳寺

中門

1836(天保7)年 再建


山門

1832(天保3)年 再建


本堂

曹洞宗
1612(慶長17)年 徳川家康により外桜田に創建
焼失のため 1641(寛永18)年 現在地に再建
              開山:門庵宗関禅師(今川義元の孫)
本尊:釈迦如来


本堂左手奥に、義士達の墓があります。 国指定史跡

萱野重実(三平)を加えた48基の墓塔が、整然と並んでいます。
唯一人切腹を免れた寺坂吉右衛門以外、戒名はすべて頭に「刃」の文字・・

浅野内匠頭長矩墓                 大石内蔵助良雄墓
          

今日も、たちこめる紫煙に包まれています・・


(続)


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年の瀬

2013-12-28 | 雑記


いよいよ押し詰まって来ましたね。
皆さん、年越しの準備 進んでますか?

まぁ、どんな所にも必ずお正月はやって来るわサ・・・なんて
段々厚かましく開き直って、ポツリポツリやっている‘猫’でしたが

今日は、年末恒例のお墓掃除にお寺さんへ行き、
一年を恙無く過ごせたことに感謝し、また来年も見守って貰えるように
ご先祖様にしっかりとお願いをしました。

そして、

これも恒例、「穴八幡宮」へ☆



大勢の参拝者で、本殿まで くねくね長い行列・・


「一陽来復」の御守を頂き、ようやく 年越しの気分になってきました☆
よっしゃー、明日から大掃除もおせち作りもガンバるぞ~~



境内の露店で、ギンナンに細筆で縁起物の干支を描くおじさん
          


そうか、来年は「午」ですね~
あやかって威勢よく駆けてみますか!?


            



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忘年会

2013-12-25 | 雑記



今日は、太極拳教室の年納め。

今年取り組んできた全種目の套路を、心地よく 楽しく通しました。



1年間 いろいろあったけれど 心が揺れた日もあったけれど・・・
何とか落ちこぼれずに、ここまで来ることができました~
先生、仲間の皆さん、多謝多謝!


午後からは、駅近のホテルのレストランで忘年会☆





よく語り よく食べ よく笑い・・


19階からの眺めも楽しんで



帰りは、お喋りの続きをしながら 電車3駅分歩いて・・

13,330歩




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大柚子

2013-12-22 | 花散歩



今日は「冬至」

この日を境に太陽は甦り、新しい力を取り戻すのだとか。
これが「一陽来復」☆


毎年 「穴八幡神社(新宿)」で「一陽来復」のお守りを頂き、
大晦日に恵方へ向けて掲げるのが 我が家の恒例越年行事です。


「 空をゆく 鏡のごとき 冬至の日 」  川崎 展宏



冬至といえば、柚子湯
先日訪ねた大雄山の売店で、大きな柚子が売られていました。

オオユズ
(大柚子)

赤ちゃんの頭ほどもあり、シシユズ(獅子柚子)とも言うようです。


散歩の途中でも、オオユズを見つけましたよ。
さほど大きな木ではないけれど、重そうな実をいくつか付けていました。


今夜はお宅も、柚子湯で温まりますか?

「 湯に浮かべ 灯より明るし 冬至柚子 」  沢木 欣一





 

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推手

2013-12-18 | 雑記


太極拳の教室で、今日は「推手」の練習に取り組みました。


太極拳の教えの中には、「用意不用力」という言葉があります。
外側の「力」ではなく、「意」すなわち自分の内から発する「勁(けい)力」を用いる
ということかと理解していますが、「推手」は、その「勁」を磨き鍛えるもので
太極拳を深めていくためには、たいへん有効かつ重要なものであるようで・・


今日練習した推手の「四正手(しせいしゅ)」の動きは、大雑把に言えば;
 掤(ポン) :  外向きに張り出す力
    捋(リュー): 前から後ろへ引き込む力
   擠(ジー) : 後ろから前へ押し出す力
   按(アン) :  上から下へ押さえる力

向かい合った相手と軽く手を接した状態で、この4つの動作を
継続し、内気(ないき)のキャッチボールを行います。


決して力を使わず、軽やかにスムーズに・・
手だけの動作にならないように、全身を使って・・
雑念を取り払い頭で考えずに、あくまで無心に・・

どれも全く、 言うは易く行うは難し!
これまで何度か講習を受けたり、教室でも練習してきたけれど
今もって、五里霧中 暗中模索 の状態で・・・

形だけではない本モノの太極拳に 1cmでも近づきたいという思いが
自分の中にある限りは、時々発生する「やっぱ私には向いてないのよ」虫と
戦いながら、続けていくしかないナ~と思う今日この頃・・・




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横浜・ポートサイド公園

2013-12-17 | 横浜



「横浜」駅の東口から「金港橋」を渡り、右の方へ。
「シーバス」乗り場を過ぎて、歩行者用トンネルを抜けて行くと・・



のんびりと日向ぼっこが楽しめる 静かな空間が広がっています。

ポートサイド公園


この辺りは、
「アート&デザインの街づくり」をコンセプトに再開発された地区。

マンションなどの高層ビルが並ぶ水辺に沿って、
ケヤキ並木やベンチ、そして400mほどのボードウォーク。



‘アートな街’は、道しるべもおしゃれ☆



わざわざ残されたという葦原の向こうに、「みなとみらい
地区」のビル群。 貨物列車が走っているのも見えます。






ターミナル駅から至近の まさに都会のオアシスですね。
夜はきっと、夜景もきれいなんでしょうね!


 

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今日も海岸散歩

2013-12-14 | 散策



週末の「三浦海岸」

今日も 風が強いので・・




たくさん出てますね~






そして

今年も始まっています☆






この浜の 冬の風物詩
たくあん漬にするダイコンの天日干し





22,584歩



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水仙ロード

2013-12-13 | 散策



散り始めたイチョウ並木を歩いて・・




トンネルを抜けると、北下浦の海岸通りです。

今日は、風が強い~!
帽子が、留め具のクリップごと吹っ飛んでしまうほど・・
 さすがに、歩いている人は少ないですね。




道沿いにもう、水仙が咲き始めています☆



「水仙ロード」と呼ばれて、毎年 花の季節には甘い香りの帯が続きます。
年が明けるとまもなく、訪れる人達の目を楽しませてくれることでしょう。



強風にも負けず、ホント健気な花だなぁ~


15,219歩





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足柄古道

2013-12-07 | ハイキング・山歩き



12:40 足柄城址を出発。

帰路は、R78の途中から旧小田原道・甲州道の古道(足柄古道)に
入り、 車の道の右へ左へと縫うように 石畳の道を下って行きます。



気分は、すっかり昔の旅人☆ 楽し~♪



          


左手に見えているのは、‘もっこり山’の「矢倉岳」でしょう。
今は亡き‘相棒’がまだ元気だったとき、一緒に登ったなぁ・・




13:15 今朝スタートした地点に下りて来ました。

六縁山誓広寺 地蔵堂

足柄地蔵尊が祀られています。 お堂の周囲には石仏や石碑が
並んでいて、古くから地元の信仰の場であることがうかがえます。

朝出発する際に、今日一日の安全をお願いしたので、こうして
無事に下りて来られたお礼も ちゃんとしていかなくちゃね!


地蔵堂の前を、今度は左の方へ進んで行きます。






道筋にある店先に並んでいた土人形 

此処は、金太郎さんのふるさとですね。


金太郎生家跡


此処は、四万(しまん)長者の屋敷跡といわれます。

説明板によると;
長者の娘 八重桐は、訳あって嫁ぎ先から戻り長者屋敷で男児を出産。
この子が金太郎、のちの坂田金時(公時)といわれています。

付近に、「金太郎の遊び石」という大石もありました。





さらに歩いて行くと、水音が聞こえてきました☆

13:40 「夕日の滝」 

金時山を水源とする酒匂川支流の内川上流にある滝で、高さ約23m 幅約5m。
一説に、毎年1月15日に 太陽が滝口中央に沈むことから、この名がついたとか。

金太郎さん
が産湯に使ったとも、のちに源頼光と此処で主従の契りを結んだとも。
地元の英雄 金太郎さんにまつわるエピソードは、たくさんあるようです。


22,794歩



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かまぼこツリー

2013-12-07 | 神奈川



「小田原」駅構内で見かけたクリスマスツリー


          
使われているのは、ご当地ならではのかまぼこ板☆

かまぼこ板には、匂いの付きにくいモミの木が多く使われているそうで
それを聞いた駅長さんの発案で、市内から集められた1,078枚の板を
駅員さんが20日かけて繋ぎ合わせ、積み重ねて作ったという力作!




いろんなメーカーの焼き印がありますね~
よく見ると、紅白のかまぼこを模したオーナメントも




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南足柄・万葉ハイキングコース

2013-12-07 | ハイキング・山歩き



「南足柄」づいてますね~(笑)
今回は、「万葉ハイキングコース」を辿ってみようと思います。

小田急「新松田」駅から「地蔵堂」までバスで行き、
お堂の脇から下ってR78を跨ぎ、「相の川」を渡ります。

「地蔵堂の大モミジ」が真っ赤に色づいていました☆


まもなく山道。 10:30 ハイキングの始まりです


結構急な坂道が続き・・               
根が露出した杉林や・・
          

茶畑が広がっていたり・・

スタートから急坂が続いて息が切れたけど、気分は


11:50 「足柄万葉公園」に到着。

「足柄の吾(わ)を可鶏山(かけやま)の穀(かづ)の木の 吾をかずさねも穀割(さ)かねとも」(巻14)
(それほど思ってくださるなら、私を早く誘ってください。可鶏山にあるヌルデを割いたりせずに。)

足柄道は古くから官道として防人や旅人の往来が盛んで、多くの歌が
詠まれてきました。 園内には 『万葉集』の中のそうした足柄ゆかりの
和歌・長歌の説明板や、根府川石に刻まれた歌碑が点在しています。
1982(昭和57)年 開園。

          
「わが背子を 大和へ遣(や)りて まつしたす 足柄山の杉の木の間か 」(巻14)
(大和へ赴く夫を気遣い、私は足柄山の杉の木の間に立って帰りを待っています。)


園内のあずまやでひと休みしたら、尾根道を歩きます。
「万葉公園入口」バス停に下りて、ここから暫くはR78の広い道を。



神奈川県南足柄市と、静岡県小山町の県境なんですね。




左手に、赤白の鳥居が見えました。


足柄明神社

『古事記』に登場する古い歴史の明神様です。
説明板によると;
足柄明神は、東国平定の帰途の日本武尊を白鹿に姿を変えて襲い
殺された坂の神で、坂東人の誇りを守った古代の英雄とされるとか。

940(天慶3
)年創建と伝わり、その後矢倉明神となり「矢倉神社(現・足柄神社)」に
遷座されましたが、1873年に祭神から除かれたため、村人達の手で此処に石祠が
再建されたということです。 神様の世界にも勢力争いがあるようですね・・




足柄峠

標高 759m
鎌倉時代に箱根道が拓かれるまで、東西を結ぶ官道・公道として
賑わい、『万葉集』『古事記』にも登場する東海道最大の難所でした。


足柄之関跡

899(昌泰2)年 足柄坂に出没する強盗団を取り締まるため設置されました。
「おじぎ石」は、旅人が手をついてお辞儀をし手形を差し出した石とか。

「首供養塚」

盗賊や関所破りで処刑された者の首を晒した場所だそう・・・


道の右側に、「足柄山 聖天堂

小田原 早川に祀られていた歓喜天の石像を、弘法大師が
此処に遷座したと伝わります。 非公開の秘仏だそうです。
左手のご神木は、推定樹齢400余年のケヤキの老木。



やがて左側に、「新羅三郎義光吹笙之石

源義家の弟 義光は、笙の秘曲を 時の名人豊原時元に授けられましたが
兄を援けるため後三年の役に向かう途中、ここ足柄峠に宿陣した際、
「我死なば師の志失われん」と、師の息 豊原時秋にその曲を伝えたとか。
この大石に腰を下ろして、笙を吹いたのでしょうか。


12:15 「足柄城址」に到着。

創築者、年代とも不明ですが、平安末期頃から戦略上の要地として何度か
軍事的施設が設けられた形跡があるといいます。 城郭としては後北条氏の
属城で、数か所の曲輪・土塁・井戸跡・蔵屋敷跡・砦(矢倉)跡などがあります。
1590(天正18)年 豊臣秀吉の小田原攻めの後 廃城となりました。

本丸跡


空堀跡


天候に恵まれれば、此処は絶好の富士見スポットなんだけど・・

嗚呼・・・


でも、広々して気持ちのいい芝生広場で

午後もがんばって歩きましょう!



(続)




 

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鎌倉の紅葉

2013-12-05 | 鎌倉・逗子・葉山


そういえば、今年はまだ鎌倉の紅葉を見てなかったなぁ
ということで、見に行ってみました。 定番のコースだけど・・
まだ、見られるかな?


まずは、北鎌倉の「円覚寺」門前の紅葉から。

ここは、そろそろ終盤みたい・・




少し先の「浄智寺」の脇から、山道に入って「天柱峰」へ。
          




そして、ほどなく 「源氏山公園」に到着☆

よかった、まだ見られたヮ ♪






          


「頼朝像」前は、たくさんの人!
お天気もいいし暖かくて、絶好の紅葉狩り日和




サザンカも                       ツワブキも
           





紅葉も楽しめて 満足~
 


15,074歩


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神奈川台場跡

2013-12-02 | 横浜



「宿場そば」を完食して、満腹度は120%~
お腹ごなしに、周辺を もう少しぶら~りしてみましょうか☆



神奈川台場公園


江戸末期 横浜開港に伴い、幕府が伊予松山藩に命じ海上警備のため
築造した「神奈川台場(砲台)」は、総面積 約8千坪(約2万6千㎡)
 設計者 勝海舟、工費約7万両、工期 1859(安政6)年~1860(万延元)年。



横浜港沖合に造られた扇型の人工島で 14基の大砲が設置され、
東西2本の取渡り道で陸地と結ばれていました。


 1899(明治32)年までは 礼砲や祝砲の発射施設として使われましたが、
1921(大正10)年頃からの埋め立てで、現在は大部分が地下に埋もれています。
          

この「神奈川台場公園」の地下には、西取渡り道が埋まっているそうで、
2008(平成20)年の発掘調査で、その位置や構造が明らかになったとか。

(以上 説明パネルより)



公園のすぐ近くに、当時の石垣が残っています。




この光景は、はて? 見覚えがあるような・・と思ったら、
3年前に 旧東海道神奈川宿を歩いたとき 訪ねていました。




星野町公園



此処には、まだ新しい碑が・・


発掘された石でしょうか、きれいに並べられてあります。




その近くにある商店の脇にもありますが・・
新しそうに見えるけれど、これも そう?


店が閉まっているので、尋ねることができません。
「幕末の史跡」とか書かれてあるのが見えますが・・



16,242歩



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