スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

ジャカランダ フェスティバル ’24

2024-06-07 | 他県


去年 ご一緒した友達から 今年も お誘いがあって 行ってきました




熱海の 「ジャカランダ フェスティバル」☆

雲が多めながら 晴れて 湿度の高い一日でしたが
今年も 大勢の人が そぞろ歩きをしたり 写真を撮ったり・・







     
 左:本来の フェルメール ブルーの ジャカランダの花
    右:ピンク色の 「日南ピンク」 今年のニューフェイスかな







ジャカランダのほかに 色々な花モ 見られました
  

  


ハウチワノキ(羽団扇の木)
ムクロジ科 

世界の 熱帯・亜熱帯地域の海岸に 広く分布
花は 目立たない黄緑色の花  果実(
翼果)は扁平な3~4個の翼
この翼果を 天狗の羽団扇に見立てて この名



ナツユキカズラ(夏雪葛)
タデ科

つる性で 初夏から秋まで 長期間 白い花を
雪のように 株いっぱいに 咲かせます
原産地:東アジア




ブーゲンビレア
オシロイバナ科





今日の オミヤ は☆

「 熱海プリン 」

小型の牛乳瓶のような容器が カワイイ♪
別添の カラメルソースを かけながら いただきます
¥400

只今 ご当地で人気の スイーツらしく
買い求める人の 行列が できていました



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熱海のジャカランダ

2023-06-10 | 他県


友人に誘われて、静岡県 熱海へ ジャカランダの花を 見に。
熱海へは 昔から 幾度も来ているけど、この時季は 多分初めて。




R135沿いの遊歩道などに 高木低木合わせて100本以上とか



ブーゲンビレアのアーチが 遊歩道の入口。

   



目の高さの花も たくさんあって☆




   


おや、誰の忘れもの?

デイゴの花がらで 描かれた




「シウンボク(紫雲木)」という ステキな別名も あるそうです。


フェスティバル開催中とかで 冷たい日本茶の ご接待もあり、
木蔭のベンチに 腰を下ろし、カメラマンも ひと休み☆

曇り空ながら なんとか降られずに、まさに見頃の花を 堪能しました~




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長野・善光寺

2023-05-15 | 他県


前回 お参りしたのは。。。なんと 10年以上も前のことでした。
では、新しい気持ちで いざ☆




車が通る 広い表参道から 善光寺へ入る 石畳の道



入口の右側、江戸時代の高札場跡に
「長野市道路元標」

1919(大正8)年に設置されたもの。
北緯 36度39分 東経 138度11分 標高392.08米 と。




「仁王門」が 見えてきました☆

間口:約13m 奥行:約7m 高さ:約14m
1752(宝暦2)年に 建立されましたが、2度の火災で 焼失。
1918(大正7)年に 再建されたものとか。

    
像は、高村光雲・米原雲海 両氏の作

門を入って 背中側にまわってみると・・
三宝荒神像             三面大黒天像
    
いずれも 高村光雲・米原雲海 両氏の作
三面六臂忿怒形の 三宝荒神像は、火を司る神。
大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した 三面大黒天像は、飲食・財福の神。




仁王門から 山門へ 続く石畳は「仲見世通り」

歴史を感じさせる建物の お店や旅館が 立ち並んでいます。
ウィークデーの今日は 人が 少なめのようですね。

敷き詰められた 約7,000枚の安山岩の石畳は、ほとんどが
1714(正徳4)年に完成した 当時のまま だそうです。




「山門(三門)」が現われました☆

間口:約20m 奥行:約7.8m 高さ:約20m 
 1750(寛延3)年完成の 二層入母屋造り 重要文化財
上層階に 文殊菩薩騎獅像・四天王像が 安置されています。

山門の扁額

輪王寺宮 公澄法親王の筆
字の中に 5羽の鳩が見えるところから「鳩字の額」と。
また、牛の顔も 隠れていますが わかりますか?

山門 上層階からの眺望

仁王門から 今歩いてきた 参道を 見下ろして。




「経蔵」

間口:約11.5m 奥行:約11.5m 高さ:約13.5m
1759(宝暦9)年完成の宝形造り 重要文化財
堂内中央にある 八角形回転式輪蔵には 1694(元禄7)年に 寄進された
鉄眼黄檗版一切経の経本が 納められていて、腕木を押しながら 一周すると
経本全てを 読んだと同じ功徳が 得られると。 これが なかなか重い・・




いよいよ「本堂」です☆

間口:約24m 奥行:約54m 高さ:約26m
642(皇極元)年 当山創建以来 10数回火災に遭い、現在の建物は
1707(宝永4)年の再建。檜皮葺撞木造り
江戸中期の代表的寺院建築として 国宝に指定されています。

先頃 行方不明から 無事にお戻りになった「賓頭盧像」や、床下の
45m長の まっ暗闇の回廊を巡り、絶対秘仏の御本尊 善光寺如来と
結縁する 「戒壇めぐり」が人気です。 (‘猫’は 暗闇がニガテで・・) 


日頃 不信心の‘バチアタリ猫’も せめて 今日一日は 神妙に☆
合掌のイラスト(着物の女性)


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長野へ

2023-05-14 | 他県


長野へ 行ってきました。

北陸新幹線に 乗るのは初めて。車での移動が多かったので
列車の旅自体 ホントに久しぶりで、童心に還って 内心ワクワク♪

ごった返す東京駅で 駅弁を買って~

此処で 全国の有名な駅弁が買えます。









長野駅から、行先の親戚宅を訪ねるには 長野電鉄に乗り換えます。

ホームで「そうだ、目的駅に 特急は止まるのか 確認しなければ」と
気づいたけれど、付近に 駅員さんが見当たらないので
折よく 向こうから来た人(地元の人かな)に 尋ねたら・・

なんと 観光客で、しかも ガイジンさんだった~
オー ソーリー! 

東洋系?のガイジンさんは 見た目では わからなくて・・・
でも親切に、改札窓口で尋ねるようにと 教えてくれました
彼は 私を 何国人と 思ったかな? ちょっと 聞いてみたかったな(笑)


で、無事に 特急 湯田中行に 乗りました。

乗って ビックリ! 乗客は ガイジンさんばっかり~

何処へ? と 尋ねてみると、どうやら 猿を見に行くらしい。
そういえば、電車の愛称も「 Snow Monkey」号でしたね。




親戚宅で 温かいおもてなしを 受けて☆

楽しいひとときを 過ごしました。


久しぶりの 列車の旅 楽しかったな
明日も 雨でなければ、何年かぶりに 善光寺参りにでも


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3連休

2022-07-17 | 他県


世の中は 3連休なんですね~☆

生憎の天候だけど、皆さん  どんな休日を お過ごしでしょうか。
我が家は 連休も関係ない身、いつもの日々です。


が、

京都を旅行中の友人が 写真をたくさん 送って来てくれたので、
私達も すっかり行った気になって、在宅京都観光♪


よかったら ご一緒に その気になりませんか
(順不同ですが)

東寺



 
清水寺               銀閣寺
   



嵐山




平安神宮              八坂神社
   


折から 古都は 「祇園祭」
3年ぶりの 山鉾巡行で 大変な人出のようです。


夏の京都は いろんな意味で アツそう~ 



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鋸山へ

2018-05-01 | 他県



久しぶりに「鋸山」へ行きました。
前回は 7年前? もう そんな昔になるのね~


「久里浜港」からフェリーで「金谷港」まで40分。




「鋸山ロープウェイ」山麓駅には、長い行列。
GWだからね、仕方ない・・



約4分で 一気に山頂駅まで。

金谷港を見下ろす絶景が広がります☆

さぁ、ここから上ったり下ったりの始まりです
(各所の説明は、前回ご紹介済みなので 割愛。)




切立つ崖の下を                百尺観音
     


地獄のぞき

どこも 7年前と変わらぬ景観☆

変わったといえば、この人の多さ!
地獄を覗きたい人が、小1時間待ちの長蛇の列






観音道・千五百羅漢道には
大小さまざまな観音さま羅漢さまが、あちらにもこちらにも。






延々続く石段を、上ったり下ったりして・・
漸く 広場まで辿り着きました~



薬師瑠璃光如来

奈良の大仏さまを凌ぐ 日本最大の仏像。
江戸天明期に3年掛かりで建立されましたが、風触により崩壊。
4年の歳月をかけ、1969(昭和44)年に復元されました。




あとは ひたすら下って行きます。 もう ひと頑張り!

曹洞宗「乾坤山 日本寺」の建物が続きます。
大黒堂




薬師本殿



観音堂



朱塗りの山門を出ると

鋸山(日本寺)と お別れです。




麓から 更に40分ほど歩いて、JR内房線「保田駅」へ。



一駅先の「浜金谷駅」跨線橋から見える「鋸山」の威容☆


帰り道で、早くも ふくらはぎにビシバシ酸張感
7年の歳月経過
を実感させられました~


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湯河原・幕山

2017-02-26 | 他県


梅花たけなわ
久しぶりに、湯河原まで足を伸ばしてみました。




JR東海道線「湯河原」駅から、‘梅の宴’開催中の「幕山公園」まで
路傍の無人販売所など覗きながら  のんびりと歩いて行きます。
   
ミカン・レモン・ポンカン・デコポン・湘南ゴールドなど
柑橘類がどれもおいしそう!・・でも重いからな~



「湯河原梅林は 只今見頃です」の立て看板♪


「新崎川」に沿って緩い坂道を上って行くと、次第に車の列が・・
観梅の人たちの車が駐車場の空き待ちで、ずっと先まで大行列!





駅から50分ほど歩いて「幕山公園」に到着。 満開で~す☆

白梅3,300本 紅梅700本



「梅林入口」から、梅の花の下を上って行きましょう。







梅林の最高地点からの眺め

この辺りまで 観梅を楽しむ人達が大勢います。




折角なので、このまま幕山山頂まで登って行きましょう
以前は何ということもなく上がれたけれど、今回は・・?



下って来る人には時々出会うけれど、上がって行く人はあまりいない・・
でも、もう行くっきゃないでしょ!
   


上がるほどに視界が開けてきて、真鶴半島が☆




梅林入口から 約1時間で登頂~!

此処から更に「城山」や「自鑑水→南郷山」へ行く道もあります。

山頂でタイム と思っていたけれど、空に雲が段々広がって
眺望がイマイチだし、汗ばんだ体に 思いのほか風が冷たいので
風邪を引かないように、今回は早々に下山することにしました。


下りは 楽々45分ほどで。


帰り道も、駅までブラブラと
24,934歩



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参道の建物

2014-01-09 | 他県


「長野駅」から善光寺さんへと続く 桂並木の約2kmの参道には
土蔵造りや洋館など、興味を引かれる建物が並んでいます。







‘ウダツ’・・ 右書きの板看板・・
タイムスリップしたみたいな景観


「善光寺郵便局」

昭和初期に、旅館が営まれていた建物だそうです。
朱塗りの欄干の2階部分に、その雰囲気が残っていますね。


「御本陣藤屋旅館」

ひと際目を引く建物デス☆


なんでも、江戸時代 北国街道善光寺宿の本陣として、加賀 前田家が
参勤交代の折に常用していたという格式ある旅館。 明治時代には
伊東博文や福沢諭吉など 錚々たる方々が愛用したとか。 
現在の建物は1925(大正13)年築。 国登録有形文化財だそうです。


もっとゆっくり見て廻りたいけれど、
冬の陽は・・・・


此処も、またの機会のお楽しみということで・・




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長野・善光寺

2014-01-07 | 他県




善光寺さんへの参道を進んで行くと、「仁王門」が見えてきました。


高さ:約14m  間口:約13m  奥行:約7m
1752(宝暦2)年に建立されましたが、2度の火災で焼失。
現在の仁王門は、1918(大正7)年再建されたものとか。

          
仁王像は、高村光雲・米原雲海両氏の作だそうです。
筋骨隆々の立派な御像です。 お顔が見えなくてゴメンナサ~イ!



仁王門から山門までは、賑やかな仲見世通り☆
わぁ、目移りしちゃうナ~~

参道に敷かれた石畳は寄進されたもので、7,000枚余の安山岩。 
大部分は、1714(正徳4)年に完成した当時のままだそうです。


山門に至る手前の短い石橋は「駒返り橋」

1197(建久8)年 源頼朝が参詣の折、馬の蹄が穴に挟まれ
馬を返したというので、この名。 残る凹みは蹄のあと・・?


参道に面して、ずらりと宿坊が並んでいます。 その数39とか。





「山門(三門)」

高さ:約20m  間口:約20m  奥行:約7.8m
1750(寛延3)年に完成した二層入母屋造りの楼門で、国指定重要文化財です。
大正年間に檜皮葺になっていた屋根が、平成の大修理の際に サワラ材を用いた
栩(トチ)葺へと 復元。 楼上には、文殊菩薩像・四天王像が祀られています。

山門の扁額

日光・輪王寺門跡 公澄法親王のご親筆とか。
文字の中に5羽のハトが隠れているそうですが・・わかりますか?
また「善」の文字には、当寺にゆかりの牛の顔が見えます。


山門を入ると、左手に「経蔵」

1756(宝暦8)年築の宝形造り。
内部中央に 回転式の経棚(輪蔵)があり、これを1回押し回すと
一切経を読んだと同じ功徳が得られるといいます。
以前 回したことがありますけど、現在は老朽化のため入れません。


そして、いよいよ ご本堂へ~

定額(じょうがく)山 善光寺


1707(宝永4)年築  高さ:約27m 間口:約24m 奥行:約54m
左に仏堂 右に礼(らい)堂という撞木造りで、東日本最大の伽藍。 国宝です。

創建: 伝644(皇極3)年
   開基: 伝皇極天皇(勅願)
     開山: 本田善光(若麻績東人)
          本尊: 一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
無宗派の単立寺院で、宗派の別なく宿願可能な霊場とされています。

創建など詳細は不明ですが、出土品や資料などから7世紀後半にはかなり大規模の寺院で
あったと考えられています。 中世以降善光寺信仰が広まり、源頼朝・北条一族も篤く信仰。
1555(弘治元)年 武田信玄によって寺の組織全てが甲斐(現 甲斐善光寺)に移され、その後
織田・豊臣という時の権力者の所有となりました。 1598(慶長3)年 当地に戻され、家康に
よる復興がなされ、数多くの参詣者が訪れるようになって 今日に至っているそうです。


もっと時間をかけて、ゆっくり拝観したかったのですが・・ それは、またの機会に!




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北総の小江戸・佐原

2013-06-04 | 他県


江戸末期から昭和にかけて、利根川水運の港町として栄えた佐原は
取入れた江戸文化を更に昇華させ、「江戸優(まさ)り」という言葉も生まれました。

JR成田線「佐倉」駅の南東を流れる小野川沿いと
その周辺に、その当時の面影が残されています。



では、‘小江戸’の情緒を味わいながら
柳を揺らす風に吹かれて、そぞろ歩きを楽しみましょう☆





江戸末期~昭和初期頃の建物が 今も数多く立ち並び、
「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。


「正上」

創業:1800(寛政12)年 醤油醸造の老舗
店舗は1832(天保3)年 土蔵は1868(明治元)年 築





「中村屋商店」

代々 荒物雑貨や畳などを販売
店舗は1855(安政2)年 築


「福新呉服店」

創業:1804(文化元)年
店舗は1895(明治28)年 土蔵は1868(明治元)年 築



土蔵造りの「正文堂書店」は1880(明治13)年 築
ポストの向こう白暖簾の蕎麦屋「小堀屋」は1900(明治33)年 築


「与倉屋大倉庫」

明治初期には酒、戦後は醤油醸造業
その後 製粉業など  現在は倉庫業


「中村屋乾物店」

1892(明治25)年に佐原を襲った大火の後に建てられた
当時最新の防火構造の土蔵造りで 壁厚が何と約45cm!
完成まで、2年以上の月日を要したそうです


「三菱舘」

旧三菱銀行佐原支店
現在は市の観光ギャラリーになっています
イギリス輸入レンガを使用 1914(大正3)年 築


すばらしいと思うのは、ただ歴史的景観をとどめているのではなく
多くの建物が今も機能していることです。  建物が生きています☆





「樋橋」

江戸初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送る木樋を架けたのが始まりの橋。

定期的に水を流し当時を再現しているそうで、「じゃあじゃあ橋」の名も。



川岸にある石段(だし)の上の建物は、井上ひさし著『四千万歩の男』にも描かれた
伊能忠敬(1745-1818)が、婿入り後30余年を過ごした家。 メンテナンス中でした。

川を挟んで向かい側に「伊能忠敬記念館
          
約16年間全国を実測(10次)して歩き、「大日本沿海輿地全図」の
作成に心血を注いだ、忠敬の偉業を偲ぶ資料などを見学しました。
地元には、伊能忠敬の生涯を大河ドラマにという熱い思いがあるとか。

活気に溢れていた時代の街の雰囲気に、少し触れることができました☆

14,150歩





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みなみの桜

2013-03-03 | 他県


下賀茂温泉を流れる青野川の両岸約4kmにわたって植えられている
約800本の河津桜は「みなみの桜」と呼ばれ、近年話題のお花見スポット。
        


桜も菜の花も、ちょうど満開でした!
余計な説明は要りませんね。 どうぞお花見をお楽しみください☆



堤の上を歩いたり 下を歩いたり 










ピンクの波は まだ先まで続いていますが・・

今回のゴール「銀の湯会館」に到着  
最後に素晴らしいご褒美を貰ったような気分になりました。
楽しかったナ~~

19,889歩



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南伊豆の海岸線に沿って

2013-03-02 | 他県


ウォーキングイベントに参加して、独りでは遠くて なかなか
歩きに行く機会のない南伊豆へ 春を探しに行きました。


伊豆半島東側をバスで南下し、 南端の町 南伊豆町の「田牛(とうじ)」からスタート。
思い思いのペースで適宜休憩をとりながら、指定のゴールをめざして歩きます。



田牛竜宮窟


窟への入口から石段を下っていくと、薄暗い洞窟の岩場の先に砂浜。
見上げるとポッカリ天井が開いていて、青空が見える不思議な空間☆

波の浸食作用でできたものだそうです。



上に 、天井部分をぐるりと一周できる道があります。 上って見下ろしてみると

左の砂浜にいる人達が豆粒みたいに・・・・見えるかなぁ?




海岸に沿って少し歩いた先から、「タライ岬遊歩道」に入ります。
海を見下ろす山道を 上ったり下ったりしながら・・



なかなか良い眺めデス☆



「椿園」

1,050本の椿。 赤・白・ピンクの花をつけていました。

          



遊歩道入口から30分ほどで、見晴らしの良い高台に到着。

タライ岬


南に伊豆七島、東に爪木崎、西に石廊崎・・海の風景が広がっています。
素晴らしい景色だけど、息もつけないほどの強い風!





再び山道に入って行きます。
やがて分岐から左へ下ると、岩場のある海岸に出ました。

逢ヶ浜

変わった形の岩は「エビ穴」


「姑岩」と「雀岩」
どんな謂れがあるんでしょうね~


腰を下ろしていると、上空をトンビが物欲しげに旋回・・
ここでは、だけにしときましょう




きれいな長い砂浜が見えてきました☆

弓ヶ浜

木の下のベンチで、やっとタイム~☆
エネルギーチャージして、後半も元気に歩きましょう!

(続)




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ふらっと熱海④

2013-02-19 | 他県


この季節に熱海といえば・・やはり 此処ですよね☆


熱海梅園


パンフレットによると;
江戸末~明治の医学者 長與專齋(ながよせんさい)氏の提唱に応えて、
横浜の豪商 茂木惣兵衛氏らが1885(明治19)年に山林2.5haを拓き
数種類の樹木3,000本を植えて庭園を開いたのに始まるといいます。

3,439㎡の園内に、約730本の梅が妍を競います。 入園料: 大人¥300













一時は霰も落ちてくるという生憎の天候でしたが、早咲きで満開の木もあり
全体的には4~5分咲きといったところでしょうか。 結構楽しめました。
‘猫’の好きな白梅「青軸」も咲き始めていたし


「中山晋平記念館」

作曲家 中山晋平氏(1887-1952)の別荘を移築したもの。
氏遺愛の品々や関係資料などが展示され、童謡が流れていました。







ほかにも 「澤田政廣記念美術館」 「韓国庭園」を見て回り、足湯で温まって
足も軽くなり、豪邸と桜と梅で華やいだ気分になって帰途につきました。


今日は、坂を上ったり下ったりの連続だったなぁ!
24,867歩



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ふらっと熱海③

2013-02-18 | 他県


明治の文豪 坪内逍遥が眠るお寺を訪ねてみました。




静かな住宅街の中の坂道を上って行くと

錦峰山 海蔵寺

臨済宗のお寺です。


境内奥の、海が見下せる高台に


坪内夫妻の墓所

青みがかった、庭石のような大きな伊予石でした。

坪内逍遥は美濃の人で、本名 坪内雄蔵(1859-1935)。
学生時代に訪れて以来 熱海を好み、のちに別邸を建設。
晩年は其処で静かに余生を送ったそうです。 没年77歳


境内に、「逍遥先生景慕之碑」

氏を敬慕する有志によって建立されたとか。




お寺の少し先に、長い建仁寺垣の「双柿舎

1920(大正9)年築
建物・庭とも 氏自身の設計で、庭にある 樹齢200余年と
いわれる2本の柿の木に因み「双柿舎」と名付けられたとか。
現在は早稲田大学の所有。(氏は同大学文学部の開設者)

この日は閉鎖されていて、残念ながら中を見学できないので
入口の隙間から、チラリと覗いて見ちゃった・・・
          


「起雲閣」に展示されていた 氏が描いた戯画
「お夏狂乱」

字は無論のこと、絵もお上手なんですね~!



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ふらっと熱海②

2013-02-17 | 他県


機会があれば、一度見てみたかった場所があります。


起雲閣

 1919(大正8)年: 海運王・政治家 内田信也氏別邸として建設
1925(大正14)年: 鉄道王・政治家 根津嘉一郎氏別邸となる
1947(昭和22)年: 桜井兵五郎氏が旅館「起雲閣」として開業
  2000(平成12)年: 熱海市が取得・整備し、一般に公開している
敷地面積: 約3,000坪  庭園面積:約1,000坪
入館料: 大人¥500


玄関でスリッパに履き替えて、時計周りに見学します。

「麒麟」という名の純和室

鮮やかな壁色は、内田氏の出身地石川県に因み
加賀藩では高貴な色とされていたそうです。


歪みのあるガラス戸は、当時のものでしょうか。



「玉姫・玉渓」
1932(昭和7)年 根津氏が建てた洋館は、2つの洋室とサンルーム。

「玉姫」

桃山風の天井や寺社風の装飾がある長押。

アールデコを基調としたサンルーム
硝子天井                      タイル床
          




「玉渓」

ヨーロッパの山荘風だそうです。


覆いにサンスクリット語の装飾をあしらった暖炉。

          
入口の天井には、美しい色の竹が用いられています。
床柱のような太い丸柱は、古社の柱か江戸期の千石船の帆柱かとも。


「玉姫・玉渓」の外観



    

「金剛」
1929(昭和4)年 根津氏により建てられた洋間と浴室。


           

螺鈿細工のトランプ模様が嵌め込まれています。



中国風デザインのステンドグラス



ローマ風浴室





「孔雀」

1919(大正8)年 内田氏別邸の一部。
旅館だった頃、舟橋聖一氏が好んだ部屋だそうです。


 

旅館「起雲閣」当時は、山本有三・志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治など
著名な文豪諸氏が好んで滞在し、名作が生まれる舞台となったそうで
ゆかりの品々や資料などが展示されてありました。



中央に水が流れ、池・築山を配し約20tという巨石が置かれた広い庭園は
庭好きだったという根津氏が、自ら采配を振るって作庭したものだとか。






      


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