スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

両国界隈Ⅲ

2009-01-29 | 東京・川崎

国技館の北側に静かな庭園があります。
「旧安田庭園」

足利藩下屋敷の庭園を安政年間に大規模改修し、
隅田川の水を引く汐入回遊庭園としたもので
典型的な大名庭園です。明治時代は安田財閥が所有、
大正時代に東京市に寄贈されたそうです。

ドーム屋根の「両国公会堂」は、1926(大正15)
安田善次郎氏の寄付により建てられました。

寛永年間 隅田川氾濫の際、徳川家光公の
命で馬で濁流を乗り越えて被害状況を視察した
旗本阿部豊後守が馬を繋いだという
「駒止石」         「駒止井戸」
   

園内には多くの燈篭が配置されてあります
   
   
   

すぐ近くの横網町公園にある「東京都慰霊堂」

震災死者の納骨のために建てられ、その後東京大空襲
などによる殉難者の遺骨も併せて収められています。

震災や戦災の関連資料を保存・展示する「震災復興記念館」

昭和初期の建造で都歴史的建造物に指定されています。

鉄柱の溶塊         鉄筋の柱
   

震災遭難児童像

忘れてはならないものが此処にはありました。

ついでに隅田川を渡って浅草橋まで

雰囲気のある柳橋たもとの船宿


神田川に舫っている屋形船を眺めながら


亀戸→錦糸町→両国→浅草橋まで
きょうは
23,036

コメント (11)

両国界隈Ⅱ

2009-01-28 | 東京・川崎

両国といえば相撲。
大通りのあちこちに力士像があります。
   

もちろん、本物のお相撲さんも


人気のちゃんこ料理店「霧島」は
お客さんで混み合っていました。


「諸宗山無縁寺回向院」
ご法事が行われているようなので門前だけ・・

江戸・明暦の大火の焼死者を幕命で埋葬したのが
始まりだそうで、以来 宗派を問わず人・動物の
なくすべての者をご供養しているそうです


江戸・天明期より1909(明治42)年の
国技館完成まで
前身である「回向院相撲」が行われていたとか
物故力士を供養する「力塚」があり、
相撲に縁の深い寺院です。

そして「両国国技館」



この日は初場所14(24)だったので
大勢の人がいて とても華やいだ雰囲気でした。

やはり相撲は人気があるようですね。

コメント (6)

墨田区・両国界隈Ⅰ

2009-01-27 | 東京・川崎

北斎通りで 古めかしいお社を見つけました。

「野見宿禰(のみのすくね)神社」



日本相撲協会が管理する相撲神社で
本場所前には神事が行われ
また新横綱誕生の
際はここで土俵入りが
行われる格式のある神社のようです。

境内には歴代横綱の名を記した二基の石碑があります。



「野見宿禰」は出雲の人で、垂仁天皇に召し出され
当代きっての力自慢の男と力比べの末勝利したという
いわば「相撲」の起源に関わる人だそうです。

垂仁帝に仕えた野見宿禰は皇后の葬儀の際、従来の
殉死に代えて土人形(埴輪)を副葬することを進言して
「土師(はじ)」姓を賜り のちに「菅原」と改めたそうで
天神さまの菅原道真公の祖先なのだとか。

いゃ~まさしく‘猫も歩けば’お勉強になりますねぇ!

コメント (4)

‘ほっこり’亀戸散策

2009-01-26 | 東京・川崎

亀戸の商店街を歩くと、何となく‘ほっこり’します。
舗道に嵌め込まれたイラストもどこか素朴で・・
     
   

亀戸四丁目交差点角の「但元(たじもと)いり豆本店」
     
創業が大正の初めという雰囲気もレトロなお店で、
昔ながらの木枠のガラスケースに入った30種以上の
豆菓子を枡で量り売りしています。

店前の電線に鳩がずらりと並び、店の豆をねらって何羽も
飛び込んでくるのにはびっくり! 
終日繰り返される
店のおかみさんと鳩との攻防は この辺りの名物(?)


蔵前橋通りから少し入った所に江戸切子のショールーム

ショーウィンドウに展示されていた作品



中に入ると、素晴らしい職人芸の作品を見せて貰いながら
切子の歴史や製作工程、模様の種類などを説明して頂けます。

蔵前橋通りで「合格煎餅」が人気の煎餅屋さん「大木屋」

おみくじ入りの「おみくじ煎餅」を買いました。


美味しい焼海苔が驚くほどお安い「濱屋海苔店」


斜向かいは、有名なくず餅の「船橋屋本店」

1802(文化2)年創業の老舗で、200年以上前から
伝わる製法を変わらず守り続けているそうです。
吉川英治氏は、ここの黒蜜をパンに塗って
食べるのがお好きだったとか。

横十間川沿いの路傍にこんなモニュメントを発見。
「亀戸銭座跡」

1668(8)年に亀戸銭座で造られた「寛永通宝」を
モデルに作成されたもので、この辺りを区画整備した際
寛永通宝がたくさん出土したそうです
ちょうど舗道の工事中でうまく撮れませんでしたが・・

川を越すと墨田区。両国まで足を伸ばしてみましょう。

北斎通りには、葛飾北斎の浮世絵レプリカが並んでいます。
 
 
 

 

このまま真直ぐ進むと、両国国技館が目の前です。

コメント (2)

香取大神宮と亀戸大根

2009-01-25 | 東京・川崎

天神様から5分程のところに「香取大神宮」があります。




   
平安末期開創という大変歴史のある神社で、祭神の
経津主神(ふつぬしのかみ)
は、遥か昔 わが国建国に
貢献された国家鎮護の神。また、武将の祖神として
武将・剣豪たちの崇敬を集めた神社と聞いています。

今も多くのスポーツ・アスリートの参詣があるとか。
3
月末に行われる太極拳の県大会にエントリーし、目下
猛練習中のO
さんに代わり、心を込めてお参りしました。

この神社はまた、亀戸七福神のうちの恵比寿天と
大黒天が
祀られていることでもお馴染みの神社です。
恵比寿・大黒像の向こうに見えるのは、復元された
亀戸の地名ゆかりの「亀の井」



亀戸といえば大根が有名ですが、江戸・文久年間から明治に
かけてこの神社周辺が亀戸大根作りの中心地だったそうです。

境内にあった「亀戸大根の碑」 

長さ30cmほどの小ぶりな亀戸大根は根の先が尖っているのが
特徴で、秋から冬に種を播き早春に収穫するのだそうです。
ビタミンCが普通の大根の10倍もある優等生の大根だとか。

門前の商店街で、葉付きの亀戸大根を見つけました。

この伝統野菜を復活させようという動きも活発のようです。

コメント (4)

江東区・亀戸天神社の鷽替神事

2009-01-24 | 東京・川崎

毎年1月24・25日の2日間伝統の鷽替神事が
行われる、
亀戸天神へ行ってきました。

の昔 筑前の太宰府天満宮で、里人が益鳥の鷽を木の枝で
模ったものを神前で互いに交換したことに由来するといい、
旧年の‘ウソ()’を‘真()’に替える開運の神事で
亀戸天神では
1820(文化3)年から行われているそうです。


8時半に始まり、続々と参拝者がやってきます。


鳥居を抜けると 境内に長蛇の列がご本殿まで続きます。



大から小までいろいろな大きさの可愛い鷽守り
   

学問成就を願う絵馬も沢山


境内の梅も咲き始めています
    

手水の亀さん きょうは格別大忙し(?)
 

初天神の明日(25日)は この舞台で里神楽が奉納されます。


私も、去年のウソを水に流して頂き
小さな鷽のお守りを戴きました。 

コメント (2)

足の向くまま平塚

2009-01-20 | 神奈川

JR平塚駅から北へ10分ほど歩くと「平塚八幡宮」の
朱塗りの大鳥居が見えてきます。

仁徳天皇が国土安穏を祈願したのに始まる
1,600年の歴史を誇る由緒ある神社です。
祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命。



神社裏の緑豊かな「八幡山公園」には
いろいろな施設があります。

「平和慰霊塔」は第二次大戦の戦没者慰霊塔

平塚には海軍火薬廠など軍施設や軍需工場が
あったので空襲の被害が大きかったそうです。

市内に唯一残る明治期の洋館

日本火薬製造()の建物で、海軍所属を経て戦後
横浜ゴム()に払い下げられたものとか。ここに
移築され現在修復中で、内部は公開されていません。

1968(昭和43)年まで御殿場線を走っていたD52


博物館には、江戸期の民家が復元展示されていたり
里山の歴史や相模湾の漁業に関する資料の展示なども。





プラネタリウムもありましたが、時間が無く・・残念!

気ままに歩いて17,967歩
いろいろ盛り沢山でおもしろい散策でした。

コメント (10)

三浦・なんじゃもんじゃの木

2009-01-18 | 花散歩

素晴らしい木に出会うのも、散歩の楽しみのひとつです。

三浦市南下浦の諏訪神社境内にあるこの木は
根の張り方に迫力があってびっくりしました。
こんなですよ


幹も堂々として力強さを感じます                
    

境内の片隅で存在感を発揮しています


傍らに 説明板がありました

三浦半島名木巨木50選樹
俗称:なんじゃもんじゃのき
樹名:ホルトノキ
日本名:もがし(ホルトの木科)


50選樹って、ほかにどんな木があるのでしょうね。
興味ありますね~

コメント (5)

走水神社へⅡ

2009-01-17 | 横須賀・三浦

急な坂を過ぎた先の海に突き出す小さな岬が「御所が崎」。
日本武尊がここから上総に渡り東征に向かったといわれ、
仮の御所を設けたところからこの名が付いたと伝えられます。

かつては弟橘媛を祀る「橘神社」があったそうですが、
軍用地となったため、1909(明治42)年に現在の走水神社に
合祀されました。今は通行止めになっていて入れません。

日本武尊が海を渡ろうとしたとき、海水の
流れが走るように
速かったのでこの辺りを
「走水(はしりみず)」と呼ぶようになったとか。

岬を過ぎ、走水漁港を左に見ながら

右手の集落に入っていくと、
その奥に走水神社。
日本武尊と弟橘媛をお祀りしています。

日本武尊が出立に際し、村人へのお礼に託した
冠を祀ったのが
由縁と伝わっていますが、
享保年間の火災で記録が焼失し詳細は不明とか。

広い境内を抜け、更に急な石段を上ったところに
社殿と大銀杏         社殿の裏の祠
   

裏山へ上がってみると、社殿越しに
木々の間から走水の海が見下ろせます。


20mほど上った高台に 高さ4m余の伊豆石の立派な歌碑

さねさし さがむのをぬの もゆるひの
ほなかにたちて とひしきみはも

揮毫は明治天皇第六皇女昌子内親王で
碑の裏には東郷平八郎海軍大将 乃木希典陸軍大将
ほか軍人さん七名の発起人の名が刻まれています。
橘神社を移した頃に建立されたもののようです。


更に歩くと横須賀市立美術館や観音崎灯台などが
あるようですが、それは又の機会に・・
潮風に吹かれながら、
15,355歩の歴史散歩でした

コメント (4)

横須賀・走水神社へⅠ

2009-01-15 | 横須賀・三浦

吾妻神社に詣でたら やはりここに来なければ・・と言う
わけで、
京急馬堀海岸駅から走水(はしりみず)神社を
めざして歩いてみようと思います。


駅前の道(県道R208)を右へ行くと程なく
こんな案内板が立っていました。

この辺りには昭和29年の町内地番整理まで「高尾」という
一画が
あったそうで、歌舞伎にも登場する江戸吉原で名を
馳せた三浦屋の
花魁八代目高尾太夫はここの出身だったと。


少し先へ進むと、交差点近くの小高い場所に
馬頭観音堂があります。

平安末、上総で畑を荒らす暴れ馬が村民に追われて浦賀水道を泳ぎ渡り
ここに来て、蹄で地面を掘ると清水が湧き出し咽喉を潤したところ
駿馬に変わったという言い伝えが「馬堀(まぼり)」の地名の由来だとか。

この馬はやがて衣笠城主三浦義澄から源頼朝に献上されて「池月」と
呼ばれる名馬となり、宇治川の合戦では佐々木高綱が池月に騎乗して
梶原景時の「磨墨(するすみ)」と先陣争いをした話が「平家物語」に
伝えられています。今も、競馬の騎手の方が参拝に訪れるそうです。


国道(R16)に出て海沿いに進むと
右手に赤レンガの「走水水源地」の貯水池
    
1876(明治9)年に湧水を横須賀造船所に供給したことに始まり、
ミネラル豊富で腐りにくいと外国船にもたいそう喜ばれたとか。
今も2,000㎥/日を湧出し、汲みに訪れる人が絶えません。


少し先の高みから振り返ると、富士山が
今日はうっすら霞んで見えています。

「関東富士見百景」のひとつだそうです。
拡大すると ホラね!


道草が長くなってしまいました。
制限字数に近くなったので、続きは次回に・・

コメント (2)

二宮・吾妻山公園

2009-01-13 | 神奈川

JR東海道線の二宮駅北口を出て、だらだら坂を上っていくと
「吾妻山公園入口」から136.2mの頂上まで階段が続いています。


たかだか100mと侮るなかれ。平地から一気に
立ち上がって
いるので、一息に上ると結構な運動!



頂上は気持ちの良い芝生広場


眼下に相模湾が広がっています


3万株といわれる ほぼ満開の菜の花
有名な観光地なので 人もいっぱい


花の向こうにはド~ンと絵のような富士山


ベストポイントはこの賑わい


海と山の大パノラマ

 
手前は丹沢 左後方に雪を戴く箱根連山



頂上広場のあずまやの脇から下っていくと
弟橘媛を祀る吾妻神社




日本武尊が三浦半島から上総に渡る際に海難に遭ったとき、
荒ぶる波を鎮めんと相模の海に身を投じた弟橘媛の衣の片袖と
櫛が海岸に流れ着いたのを祀ったのが起源と伝わっています。

頂上にあった歌碑の歌:
相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の濱の 真砂(まなご)なす
児らは愛(かな)しく 思はるるかも
             萬葉集 巻十四  東歌


風は強いけれど、暖かな日ざしに誘われて
うらうらと16,600歩

コメント (5)

おんべ焼

2009-01-11 | 横須賀・三浦

数日前から、地元の人たちの手によって海岸に10mもの
高さに‘おんべ’が組まれ、火入れを待っていました。


‘おんべ’は御幣のことで、中央に松を立てて周囲を真竹で囲み、
円錐形に形作ったものです。家庭から持ち寄っただるまや護符、
お正月飾りなどの縁起物と共に焚き上げて歳神様を天へお送りし、
新しい年の家内安全と無病息災を祈るという伝統の行事です。

そして当日(今朝)、夜が明ける前から
‘おんべ’焼を待つ人々で浜辺は大賑わい! 
   

消防車もスタンバイ


向こうの方ではもう始まっているようです。


6:30 ごろ
こちらでも地元の長が御幣でお祓いをして始まりました。


若者たちによる笛・太鼓のお囃子が雰囲気を盛り上げます。


参加者全員を祓い終えた御幣が‘おんべ’のてっぺんに
差し込まれ、
いよいよ火が入ります。
    

煙と共に、歳神様が天へ戻って行かれます。


今しも上ってきた朝日と‘おんべ’の火で
辺りは赤々と染まり始めます。




お酒や甘酒がみんなにふるまわれます。


それぞれ家から持ち寄ったお餅を 真竹の先に吊るして火に翳します。
これを食べると1年間風邪を引かず元気に過ごせるのだとか


見物人の私達まで、一緒にお祓いをしてもらったり甘酒を頂いたり
地元の方たちに交じって行事に参加させてもらうことができました

コメント (6)

要精密検査

2009-01-09 | 雑記

年が明けてから数日来、背伸びしたり深呼吸をしたり
したときに左下肺の辺りにちょっと違和感があるのです。
鈍い痛みのような重たいような感じが・・

昨秋の健康診断で胸のX線の結果が「要精密検査」と
いう通知を受け取ったまま年を越してしまいました。

病院はキラい!という理由のほかに、実は前回の検査でも
再検査になり大慌てで病院へ行った結果が「異常なし」。
で、「きっとまた同じ所だ」という気もあって
1日延ばしになって忘れ(たフリをし)ていたのでした。

が、
さすがに不安になり、意を決して検査に行ってきました。

病院が好きな人はいないでしょうが、行き慣れない者は特に
あの緊張感のまま何時間も待つというのが何とも堪りません。
 
漸く呼ばれ問診のあと、あっちへこっちへと言われるまま
移動し、さらに待って待って 持参した文庫本一冊もあらかた
読み終わろうかという頃にやっと結果が告げられました。

とくに何も異常ないですね」ほーら、やっぱり!
    
消耗感と安堵感と まだ何かに八つ当たりしたいような
バチ当たりな気持ちを抱えて帰ってきました。



それで胸の痛みはその後どうなったかって?
 それが・・
おかしなことに、緊張しているうちにいつの間にか
ほとんど感じなくなっていたんです。

100%気分的なものだったのかなぁ いや確かに痛かったゾ
でも体中輪切りにして検査したのだから・・・??


ま、これで一年間の保証書を頂いたと思えば
いっか~!

コメント (4)

忙中有閑

2009-01-07 | 雑記

きょうは太極拳の初練習の日でしたが、休暇明けで
仕事が立て込んでいたので 練習を休みました。
新年早々に申し訳ないですが・・


午後になって、2人のお仲間が練習帰りにお年始がてら
わざわざ立ち寄って‘花びら餅’を届けてくれました。

折角なので、久しぶりにお盆立てのお薄を一服


昔、お茶が好きだった母のお点前で
初釜の真似事をしていた頃、花びら餅を
いただいたのを懐かしく思い出します。

こんな時間久しく忘れていましたねぇ・・

良き友 良き思い出に 心和む良き時間
おいしく頂戴しました。 ありがとう!

コメント (4)

椿いろいろ

2009-01-05 | 花散歩

花の少ないこの季節を彩ってくれる代表格は椿でしょうか。

原産国は日本だとも中国だともいわれますが、中国では
この花を「山茶(サンチャ)」と言うようです。
「山茶花」は
日本ではサザンカですよね。

日本から中国を経て欧州に伝え
られたというのが
やはり定説のようで、学名はカメリアジャポニカ。
(「カメリ」という名の宣教師が伝えたのだそうです。)
日本語の「ツバキ」の音は「艶葉木」からきたものだとか。
なるほど!


公園にいろいろな種類の椿が咲いていました。

白侘助


赤侘助            胡蝶侘助
    
「侘助」は小輪で蕾が尖っているのが特徴
お茶席の花によく用いられますね

綾錦

淡紅色の一重に紅色の縦絞り模様
製作者の服部綾次郎氏の名から名付けられたとか

チャイナ・レディ         柳葉銀紅
    
どちらも中国原産で華やかな八重咲きの大輪

御世の栄

お椀型の可憐な一重咲き

花首が落ちるので縁起が悪いとも、翌年の新芽を見届けた
後に実が落ちるので子孫繁栄で縁起が良いともいわれますが、
いずれにしろ、縄文期の斧の柄にも使われたという古くから
日本人に馴染み深い植物であることは異論のないところですね。

お正月気分も抜けて、いよいよ仕事始めです。
今週はちょっと忙しい一週間になりそう・・

コメント (8)