スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・品川宿③

2009-10-30 | 旧東海道



京急線のガードをくぐり山手通りを西へ向かって
歩いて行くと、左手の少し奥まった場所に

萬松山 東海寺
臨済宗のお寺です。

1538(寛永15)年 徳川3代家光公が崇敬する沢庵禅師のために
建立されたお寺です。先述の「問答河岸碑」でご紹介した
将軍と和尚の問答に出てきたお寺ですね。

5万坪という広大な敷地を有した大寺でしたが、明治維新後は
将軍家や大名家からの支援もなくなり、現在の規模になったとか。
墓地には、徳川譜代の細川家の立派なお墓があります。

書院造の仏殿「世尊殿



1192(元禄5)年に当時名工と謳われた幕府御用鋳物師
椎名伊予守良寛により造られたという梵鐘




今度はJR東海道線のガードをくぐってから
線路伝いに品川駅方向(北)に行った所にある
大山墓地

当初はこの辺りも、東海寺の寺域だったということでしょうか。

墓地の入口近くに沢庵和尚のお墓があります。竹垣に囲われ
近づくことはできませんが、大きな石が墓石のようです。


すぐ近くの石垣の中の鳥居の先には、賀茂真淵のお墓

(お墓を撮るのは、どうも抵抗あるなぁ・・)



来た道をもどって、第一京浜道路沿いにある神社へ

品川神社
「南の天王社」荏原神社に対し「北の天王社」と称されます。
53段の石段を上がっていきます。


平安末の1187(文治3)年に源頼朝公が海上交通安全・祈願成就を
願って、安房国洲崎明神から勧請されたのが創始とされています。


ご祭神は、  天比理乃命(あめのひりのめのみこと)
 
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
        宇賀之売命(うがのめ
のみこと) ほか

    
1600(慶長5)年には徳川家康公も関が原の戦勝祈願に参詣されたとか。

境内
にある「富士塚」


富士信仰の集団「富士講」の人達が富士山の遥拝所として
また富士山に代わるものとして造った築山です。

1969(明治2)年に講員300名によって造られた富士塚は
神仏分離政策により壊されましたが、1922(大正11)年に
再築され、現在も富士山山開きの日には白装束を纏った
講員一同が素足で上り、儀式が行われるそうです。

私も上らせて貰いました。 富士山初登頂~!


山頂からの眺め☆



さあ、もう帰らないと・・ 最後は駆け足でしたけど
ほんの少しだけ江戸の文化に触れることができたかな?



目黒川を渡ってその先へ行けなかったのは、ちょっぴり心残り・・
またの機会と致しまセウ。
それでも16,497歩でした~

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旧東海道・品川宿②

2009-10-29 | 旧東海道

商店街から細い路地が左右に伸び、今風の建物に混じって
歴史の感じられる懐かしい建物が残っていたりします。
ゆっくり路地散策するのもきっと楽しいでしょうね!



本屋さん                  畳屋さん
    

履物屋さん                路地にある旅館  
    

味のあるレンガ塀




臨海山 光照院 法禅寺
浄土宗のお寺で芝・増上寺の末寺とか。


ご本堂の急傾斜の屋根が目を引きます。
草創:1384(至徳元)年  開山:言誉定実上人
徳川綱吉公の母 桂昌院の帰依を受けたお寺だそうです。

門の傍らに「品川小学校發祥之地」という碑がありました。
お寺にレンガ塀というのも、レンガの町品川らしいですね。


境内にある「流民叢塚」
1833(天保4)年に始まり数年続いた大飢饉の死者を祀る供養塚です。


初め円墳状の塚でしたが明治初期に「流民叢塚」が造立されました。
現在は、1934(昭和9)年の境内整備の際に納骨堂が建てられて
その上に碑が置かれています。



この路地の奥にも、お寺があるようですよ。


明鏡山 善光院 養願寺
天台宗のお寺です。


創建:1299(正安元)年  ご本尊:阿弥陀如来像
丑・寅年生まれの人の守り本尊 虚空蔵菩薩をお祀りしています。
東海七福神の布袋さまのお寺だそうです。



聖蹟公園(品川宿本陣跡)


江戸時代 大名が宿泊する本陣が置かれていた所で、
1868(明治元)年明治天皇行幸の折の行在所(あんざいしょ)跡が
1938(昭和13)年に公園になりました。

「御聖蹟碑」

歴史を語る碑や銅像が並ぶ以外は、普通の静かな公園でした。



品川橋
品川宿を南北に分ける橋だったそうです。
橋の上にあずまやがあり公園になっていました。


下を流れるのは「目黒川」。すぐ先の朱塗りの橋は「鎮守橋」。


川に沿って、気持ちの良い道を赤い橋まで歩いていくと


荏原神社


709(和銅2)年創建という古い神社で、品川宿の総鎮守でした。
源氏・徳川・上杉など武家に篤く信仰され、明治天皇東幸の際
内侍所となりました。扁額は三条実美公の筆だそうです。


本殿の欄間を飾る木彫がとても素晴らしかったです!


屋根から見下ろしているのは龍

こちら側からも!


生き生きと躍動感のある狛犬さんです。
左の方は牡丹の花を抱き、右の方は子供にお乳を与えていますね。
    
入口の鳥居の傍らに、東海七福神の恵比寿像がありました。


仕事帰りの寄り道だったので、そろそろ日が傾いてきてしまいました。
急ぎ足であと2箇所だけ廻って本日の〆としましょう。



(続)

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旧東海道・品川宿①

2009-10-28 | 旧東海道

「お江戸日本橋七つ発ち~♪」という歌がありましたね。

その昔、「お江戸日本橋」から2里ほど先に
東海道中最初の宿場 品川宿がありました。


今日は、旧東海道の道筋が残るという品川を歩いてみました。

JR「品川」駅の高輪口を出て踏切を渡り、八ツ山通りに入ります。

品川浦

当時、街道の東側はすぐ海。その面影が残る船だまりに
釣り船や屋形船などが何隻も舫っています。


八ツ山通りを歩いていくと、道路沿い左の小公園の奥に
利田(かがた)神社

1626(寛永3)年 沢庵和尚が、目黒川の河口にできた
大きな砂嘴に弁天堂を祀ったのが始まりとか。



明治38年の銘がある狛犬さん
子連れで愛嬌のある、なかなか良い狛犬さんでしたよ。
    

お社の横手にある碑は
鯨塚

徳川第11代家斉公のころ暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の
供養碑です。体長約16m余の大鯨は江戸中の評判で、家斉公も
浜御殿(現・浜離宮)でご覧になるという騒ぎだったそうです。
 
碑には谷 素外という当時の俳人の句が刻まれているようです。
「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」←夏の出来事だったとか。



船だまりまで戻り、信号を渡って八ツ山通りと並行する商店街へ。
両側にお店が並ぶこの「北品川商店街」が旧東海道の道筋だそうです。


問答河岸跡

徳川家光公が沢庵和尚と禅問答をされたという
故事に因む碑が立っています。 その問答とは;

将軍が「海近くして東(遠)海寺とはこれいかに」と問うと
和尚が「大軍を率いても将(小)軍と云うが如し」と答えたとか。
(「東海寺」は、家光公が沢庵和尚のために建てたお寺)



商店街から路地を少し入ったところに古いお寺がありました。

音響山(と読めたのですが?
) 善福寺

時宗のお寺で、創建は鎌倉時代後期だそうです。


「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる(?)ようなちょっと変わった印象の
お寺ですが、ぜひ来て見たかったのは、あの伊豆の長八さんの
手になる鏝絵があると聞いていたからです。

それが多分これ!


     
金網で囲われていますが、保存状態があまり良くないのがとても残念。
お堂正面の壁上部にも大きな龍が描かれています。
躍動感のある立派な龍なのですが・・・目が無い・・
 
胴体部分は剥落・・



惜しいですねぇ・・・・



街道筋には、随所にこうした案内が立てられていて
や「街歩きマップ」を手に散策する人に何人も出会いました。


(続)

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鎌倉・大巧寺の秋

2009-10-26 | 花散歩

おんめさま’の秋は、どんな花が咲いているかな?


朱塗りの門を入ると、枝いっぱいの実が重たげな
ムラサキシキブが迎えてくれました。


今回は白花のシュウメイギクが咲き乱れる境内。



まずは、ご本堂にお参りしましょう。



境内には、秋の実がいっぱいです!
    


ガマズミ
スイカズラ科ガマズミ属
春に白い小さな花を、秋には真っ赤に色づいた実を
山道などでよく見かけますね。実は熟すと甘いそうですが
私は食べたことはありません。
    


マンリョウ(万両)
ヤブコウジ科ヤブコウジ属
英名:Coral berry
マンリョウ(万両)にセンリョウ(千両)に、ジュウリョウ(十両)と
いうのもありますよね。どれもおめでたい名前の赤い実たち。
色の少ないこれからの庭を彩ってくれます。



ムベ(郁子)
アケビ科ムベ属
春に白い清楚な感じの花が咲きますね。
    


ツバキ(椿)が咲いていました。一輪だけで少し淋しそうですが・・
「カクレイソ」という種類だそうです。



イソギク(磯菊)
キク科キク属
葉の縁から裏側にかけて白い毛で覆われています。
黄色い花がもう少しで咲きそう。
   


チシマヒョウタンボク(千島瓢箪木)
スイカズラ科
おや、ふつう花期は春ですが・・季節外れの開花ですね。
でも、ピンク色がとても愛らしい!
    


いつ訪れても、きっと何かが咲いていて
期待を裏切らないうれしいお寺です☆


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陶磁器絵付けの作品展へ

2009-10-24 | 雑記

陶磁器の絵付けの勉強をしている友人が所属する
アトリエの作品展に行ってきました。


会場にはさまざまな作品が並び、雅びやかな雰囲気









出品された70余名お一人お一人の情熱と
繊細さと、愛情が伝わってくる作品の数々



撮影のお許しを頂いたので、
そのなかのほんの一部ですがご紹介しましょう。
どうぞ皆さまもご一緒にご覧くださいね!






洋風の作品もたくさんあったのですが、どうしても
自分の好きな和風の方に目がいってしまいました







ご自身のスケッチをモチーフにした作品も






各々が選んだ漢字一字をテーマとした作品群


友人の作品はおめでたい「寿」
きっちり丁寧な線にも、お人柄が出ているなと思いました。



「源氏物語絵巻」をテーマにした作品



主宰なさっている先生の作品


どれもこれも全部欲しくなってしまう素晴らしい力作ばかり
こんなステキな世界もあるんですね!

「眼福」ですっかり豊かな気分にさせて貰いました。

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ぶらっと逗子②

2009-10-22 | 鎌倉・逗子・葉山


浪子不動の横から細い階段を上がると、山道に入ります。
木々が茂ってトンネルのような道を20分ほど登ると


急に視界がひらけて、頂上に到着しました♪


披露山公園
山頂の広場には、展望台・レストラン・駐車場・猿山の檻など
ファミリードライバーにぴったりの施設があります。

高さ100mほどの台地には、調査によって縄文・弥生時代の
人々が住んでいたことがわかっています。

「披露」の由来は鎌倉時代に将軍に献上する品物を披露した
場所とも、柳営の披露衆の住まいがあった場所ともいわれます。


眼下に逗子の街や逗子マリーナ、江ノ島の素晴らしい眺望。
スケッチをしている人も


こちら側からは逗子湾・葉山マリーナが見下ろせます。


休憩して、上空を悠々と旋回するトンビと一緒に
湘南の海を暫し観賞することにしましょう。



披露山公園をあとにして、住宅地に下りてきました。
広い道路には人影もなく、道の両側の広い敷地に手入れの
行き届いたお庭としっとり落ち着いた佇まいの和風住宅や

個性的なデザインのモダンな住宅もあり・・

‘これぞ湘南’のハイソな景観に、建物好きの猫は興味津々!
キョロキョロと挙動不審・・(笑)



夢のような庭園住宅から下界に下りてきました。
ホッとするような、生活の匂いのする街の先に
小坪漁港

新鮮な魚介が手に入るというので、地元ばかりでなく
遠くから買いに来る人の車も多い海岸です。


さらにその先に、海に面して
逗子マリーナ


小坪の岩礁を埋め立てて造成した敷地に1971(昭和46)年に
オープンした総合リゾート施設で、ヨットハーバー・マンション・
会員制の宿泊施設やスポーツ施設・レストランなどのほか、
結婚式場や介護施設などもあります。

あの川端康成氏が仕事場として使っておられ、
亡くなられたのもこの逗子マリーナでしたね。

パームツリーの並木は地中海沿岸の雰囲気
(行ったことないけど・・?)
    

海と山の気分が味わえた17,738歩のお散歩でした

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ぶらっと逗子①

2009-10-21 | 鎌倉・逗子・葉山

秋晴れの日が続きますね
逗子の定番コースをぶらぶらと歩いてみましょうか。


JR逗子駅の近くに、緑の木々に包まれてあるのは
亀岡八幡宮

ご祭神は応神天皇・神宮皇后。 創建年代は不詳。
昔は清水八幡宮と称され、近くにある延命寺が管理していましたが
明治維新の神仏分離令以後、正式に逗子の鎮守となりました。

亀の甲羅のようななだらかな丘の地形から、或いは
鎌倉・鶴岡八幡宮に比して「亀岡」と称したといわれます。
現在の社殿は1919(大正8)年に建立されたものとか。


扁額には「正二位伯爵東郷平八郎 謹書」と。




境内の庚申塔群

左端の堅牢地神塔は、1832(天保3)年建立の大地を司る地天を祀ったもの。
2番目も同年建立で、日月・合掌姿の青面金剛像・三猿が刻まれています。
3番目の大きな石塔は、1671(寛文11)年の銘があります。
このような笠型はこの時代のものとしては珍しいそうです。
4番目は1913(大正2)年に建立されたもので、「馬頭観音」と刻まれています。


神社を出て、逗子湾の方へ行ってみましょう。


逗子海岸
遠くに見えるのは「葉山マリーナ」でしょうか。


今日も波は穏やか。 の~んびりお散歩には最適です!



湾沿いの道路を歩いていると、小さな公園が・・

さくら貝の歌碑」              「不如帰の碑
    
1949(昭和24)年に発表されたラジオ歌謡「さくら貝の歌」を記念する碑。
作詞者 土屋花情氏はこの逗子海岸で詩想を得たとか。
この海岸では、今でもさくら貝が見つかるそうです。

眼前の海中に建つ碑は、徳富蘆花氏の小説「不如帰」を記念するもの。
使われているのは少し先の大崎にあった鍋島石で、江戸城築城の折
石垣用に九州鍋島藩が伊豆から運ぶ途中、船が難破し放置された
ものではないかと言われているそうです。 1933(昭和8)年建立。
文字は兄の蘇峰氏の筆で、碑の下には氏愛用の
筆と硯が収められているということです。


湾に向かって小高い場所に建つのは
浪子不動

高養寺というお寺で「浪切不動」などと
呼ばれていましたが、此処が
小説「不如帰」の舞台となったことから、ヒロインに因んでこの名で
呼ばれるようになりました。 逗子八景の1つだそうです。

逗子八景の内「浪子不動の秋月」 昭和25年頃
(説明板の写真)


お堂の横から山に向かって階段が続いています。
上って行ってみましょう。
(続)

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小田原北条氏の史跡をたずねて③

2009-10-19 | 神奈川

「天嶽院」はR312沿いにある大きなお寺です。

功徳山
早雲禅寺天嶽院
元々は真言宗の古寺で「不動院」といい、不動明王を祀って
いましたが、北条早雲により曹洞宗に改宗したお寺です。
「天嶽院」の院号は早雲の法名に由来するそうです。

江戸中期 水戸公が建立されたという山門を入り


緑陰の長い参道を進んで行くと


中雀門の奥に


広いお庭を挟んで、ご法堂があります。

開山:虚堂玄白(こどうげんぱく)  開基:北条早雲
創建:1495(明応4)年  本尊:千手千眼観世音菩薩

1576(天正4)年 火災で伽藍が焼失。北条氏繁と、氏繁の死後は
父の綱成が復興しましたが、1855(安政2)年に再び火災のため
焼失してしまい、現存するのは総門(現・山門)のみ。 

1976(昭和51)年より20余年の歳月をかけ、1998(平成10)年に
忠実に再現された現在の建物が完成したということです。


復興成ったご法堂に上がって、内部まで見学することができました。



史跡めぐりも終わりに近づき、
最後に訪れたのは
無量山 慈眼寺
曹洞宗のお寺です。 

石段を上がって行き


左右の柱の彫刻がすばらしい山門を入って




ご本堂へ

開山:韓嶺和尚  開基:北条綱成
創建:1533(天文2)年頃  本尊:十一面観世音菩薩

ご本尊の観音像は60年に1度のご開帳で、市指定重要文化財。
等身大(178.5cm)の寄木造りで平成2年の解体修復の際に
胎内文書が発見され、1583(天正11)年に氏勝の弟 直重が
修復を依頼したことなどが確認されたそうです。

境内に珍しい混生樹(寄り木)がありました。


モチノキ・タブノキ・スダジイの3種8株が根元で融合しています。
樹齢300年以上とか。市の天然記念物に指定されています。


自然の不思議を見たところで、史跡めぐりのツアーは無事終了です
今回は、足よりも頭の方がちょっと疲れました~(苦笑)

これからあちこち歩くうちに、今日見聞きしたことが
少しずつ繋がっていくことを期待して・・

お読みくださった皆様もお疲れサマでした!

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小田原北条氏の足跡をたずねて②

2009-10-18 | 神奈川

玉縄城から南西約800mの場所にある丘陵には
1512(永正9)年頃 城への南方からの攻撃に備えて
早雲が築いた重要な支城「二伝寺砦」がありました。
丘陵の南側に沿って当時の古道が残っています。


鎌倉市を出て藤沢市に入ります。

戒法山 宝国院 二伝寺
浄土宗のお寺で、鎌倉33観音 第32番札所になっています。

開山:忍蓮社浄誉正空上人 開基:北条綱成
創建:1505(永正2)年  本尊:阿弥陀如来

本堂左手を上っていくと、
奥の竹林の辺りが砦のあった場所といわれ、一段高い所に
玉縄北条氏・徳川家に仕えた福原家の大きなお墓があります。


さらに、左の細い階段を上ると


丘陵の頂はちょっとした平坦部で


平安・鎌倉期の石塔が3基、向かい合うようにあります。
平 良文と、その子忠光・忠通の墓といわれています。


    

境内右手の墓地には、当寺を中興した松平正次ほか
松平家のものと伝わる5基の石塔が並んでいます。


この地域が古くから交通上・軍事上の要地であったこと、
玉縄築城に際して重要視されたことがうかがえます。


二伝寺南の古道のもと福原家長屋門があった辺りを通って
このあと「天嶽院」へと向かいます。
福原家長屋門は現在、市内新林公園内に移築されています。

(続)


<お知らせ>
フラワーセンターで出会った花」の「ケラトテカ・トリロバ」に
ついてわかったことを追記しました。よかったらご覧ください!

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小田原北条氏の足跡をたずねて①

2009-10-17 | 神奈川

「小田原北条氏」の史跡を訪ねるツアーに参加しました。

鎌倉幕府執権の北条氏についてはその昔に教科書で習った記憶が
おぼろげにありますが、「小田原北条氏」については殆ど知識が
なかったので、説明がちんぷんかんぷんで置いていかれないように
大急ぎで、ちょっとだけ泥縄のおベンキョをして・・


「小田原北条氏」
本姓は平氏で、室町幕府の幕臣伊勢氏一門の伊勢盛時(北条早雲)に
始まります。鎌倉北条氏の遠い血縁になるそうですが、区別するために
「後北条氏」、小田原を居城としたので「小田原北条氏」と呼ばれます。

伊勢氏は幕臣で身分はありましたが、関東を支配するのに鎌倉北条氏の
影響力を利用しようとして改姓したのではないかと考えられています。
(早雲は北条姓を名乗っていませんが、小田原北条の祖とされています。)

「玉縄城」
1523(大永3)年 早雲が相模国鎌倉郡玉縄村に築いた平山城で
のちに、豊臣秀吉の小田原征伐で徳川家康軍に敗れ開城しました。
城主は:①北条氏時・②為昌・③綱成・④氏繁・⑤氏舜・⑥氏勝


さて、
JR東海道線「大船」駅を出て柏尾川を渡り少し行ったところに
玉縄首塚


    

碑に記された説明によると、1526(大永6)年 安房の里見氏が鎌倉に
攻めてきた時、戸部川(現・柏尾川)近くで玉縄初代城主 北条氏時が
家臣や福原氏・甘粕氏らと共に戦い、戦のあと里見氏と双方死者の
首を交換し、ここに埋葬し塚を築いて供養したといいます。
現在も、毎年8月19日に供養祭が行われているそうです。



「龍寶寺トンネル」を抜けてR402 を行くと、右手に
陽谷山 龍寶寺

曹洞宗のお寺で、玉縄北条氏の菩提寺です。 
開山:泰恕宋栄禅師 開基:北条綱成
創建:1503(文亀3)年 本尊:宝冠阿弥陀如来


玉縄城3代城主 北条綱成(つなしげ)が山居という別の場所に
建てた瑞光院に始まり、1575(天正3)年 6代氏勝によって
現在地に移されました。龍寶寺の名は氏勝の父である
4代氏繁の戒名に由来するそうです。源実朝の位牌や
裏山に綱成・氏繁・氏勝の墓と伝わる石塔があります。

朝散大夫新井源公碑

ここ植木地区は新井白石の知行地だったことがあり、
白石はこのお寺に
200石を寄進しているそうです。
1725(享保11)年に室鳩巣が撰したという碑文は摩滅して
読めませんが、新井白石に関する碑だということです。

境内は広々としていて、幼稚園や民族資料館もあります。

旧石井家住居

元禄時代の農家で、国指定重要文化財です。
石井家は代々名主を務めた家柄だとか。



龍寶寺を出てさらに歩いて行くと、道路から少し奥まった山裾に
諏訪神社

ご祭神は建御名方命。早雲が築城の際に勧請したもので
3代綱成によって城内で一番高い諏訪壇に築かれましたが、
開城後に関谷にあった御霊社と共に現在地に移されたので
正式には「諏訪御霊両太神」となっています。



「玉縄トンネル」を通って「清泉女学院」の校門前へ


学院のご好意で、今は敷地内にある階段を通らせて貰って
玉縄城で一番高い「諏訪壇跡」へと向かいます。


諏訪壇跡

小高い丘の上は草木が茂り、昔を偲ぶよすがもありません。
往時はさだめし見晴らしのきく良い場所だったのでしょうが・・

反対側に少し下った眺望のきく場所から、南西に小高い丘が見えます。

「二伝寺砦」と呼ばれた場所で、これからそこへ向かって行きます。
(続)

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花散歩 22

2009-10-15 | 花散歩

外を歩いていると、あちこちから甘い香りが漂ってきます。
もう、そんな季節になったのですね。


キンモクセイ(金木犀)
モクセイ科モクセイ属
中国原産  
桂林の金木犀(桂花)はよく知られていますね。
本格的な秋の到来を告げる香りです。
花言葉は「謙遜・変わらぬ魅力」
    
夜露とも 木犀の香の 行方とも   中村汀女
張りつめし 肩のしこりの緩み来る 夕ぐれしばし 匂ふ木犀
                                    四賀 光子 

フランネルフラワー
セリ科アクチノータス属
オーストラリア原産
花や葉が細毛で覆われているところから、この名。
耐寒性があり日当たりを好みます。草丈30~40cm
花言葉は「高潔」
これは四季咲きのフェアリーホワイトという種類だとか。
    

セイロンライティア
キョウチクトウ科ライティア属
スリランカ原産
草丈70~200cm  花期6~10月
寒さと乾燥には弱いようです。
花の中に花のように見えるのは、発達した副花冠。
     


ゴシキトウガラシ(五色唐辛子)
ナス科トウガラシ属
アマゾン流域原産  
園芸種の矮性唐辛子で、夏に白い花が咲き
そのあと赤・橙・紫・黄などのずんぐりした実が生ります。
    


カナリアヤシ
ヤシ科ナツメヤシ属
北アフリカ カナリア諸島原産
一般名:フェニックス  夏に白い花が咲くそうです。
    


ジュズダマ(数珠玉)
イネ科ジュズダマ属
熱帯アジア原産
これに糸を通すと数珠になるというので、この名。
子供の頃、祖母がこれを入れてお手玉を作ってくれました。



ピラカンサ
バラ科トキワサンザシ属
西アジア原産
和名:トキワサンザシ  
春に白い花が咲き、幹・枝に鋭い棘があります。
赤い実のオヘソが可愛いですね。
    


エンジュ(
)
マメ科クララ属
中国原産
中国各地で街路樹に植えられているのをよく見かけました。
夏に白い蝶型花が咲き、そのあと豆果ができます。
花言葉は「慕情」
    


藤色の花が終わったデュランタに、橙色の実がたくさん生っています。
    

いろいろな実が美しい季節ですね。
木を見上げながら歩くのも、この時期の楽しみです。

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花散歩 21

2009-10-13 | 花散歩

このところはお天気が安定し、秋空が続いていますね。

青い空を見ると足元がウズウズしてきてしまいますが(笑)
秋の花の画像が大分たまってきたので、今日は・・


キク
キク科キク属
形・色とも多様多彩。世界で一体何種類くらいあるのでしょう?
中国では千年以上も前から栽培されていたそうですね。
我が国へも、古い時代に薬用として渡来したとか。
この緑色の花は最近よく見かけるようになりました。
人気があるようですね。

菊の香や 奈良には古き 仏たち  芭蕉


クジャクソウ(孔雀草)
キク科シオン属
北アメリカ原産
別名:キダチコンギク(木立紺菊)  花言葉「一目惚れ」
びっしり花をつけた様子が羽を広げた孔雀に例えられたのかな?
    


セイタカアワダチソウ(背高泡立草)
キク科アキノキリンソウ属
北アメリカ原産
明治時代に観賞用として渡来し、今や野生化していますね。
別名:セイタカアキノキリンソウ   花言葉「生命力」
    


アキノノゲシ(秋の野芥子)
キク科アキノノゲシ属
別名:クジャクアスター
人の背丈以上にもなり、葉はアザミの葉に似ています。
花期は8~11月
    


トラデスカンティア・シラモンタナ
ツユクサ科ムラサキツユクサ属
メキシコ原産  別名:シマムラサキツユクサ
つる性で、葉や茎は白い毛で覆われています。
    


シラサギカヤツリ(白鷺蚊帳吊り)
カヤツリグサ科ミカヅキグサ属
北アメリカ原産  別名:アメリカサギスゲ
苞の中心に、目立たない白い花が咲いています。
英名:Star grass は、先端の苞の白い部分が星に見えるから。
    


マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)
ヒルガオ科ルコウソウ属
熱帯アメリカ原産  英名:Star glory
江戸時代に観賞用として渡来したそうです。
散歩の途中で、垣根にからまっているのをみつけました。
    


ベロニカ・スピカータ
ゴマノハグサ科クワガタソウ属
ヨーロッパ~北アジア原産
草丈は30cmくらいで、次々と花が咲きます。
花言葉は「忠実・貞節」
    


ホトトギス
ユリ科ホトトギス属
花の模様が鳥のホトトギスの胸の斑点に似ているので、この名。
花言葉は「永遠にあなたのもの」
    


夏からずっと咲き続けているルリマツリやバーベナ
まだまだ元気です!



 

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詩吟を聞きに

2009-10-11 | 雑記

友人のYさんに誘われて、知人が出演する詩吟の発表会に行きました。



これまで詩吟を聞いたことがない訳ではないけれど
ステージというのは初めてで、野次馬猫は興味津々!



会場に着くと、ステージではプログラムがもう大分進んでいました。

琴と尺八の生伴奏で、次々と吟じられてゆきます。
漢詩あり、短歌あり、近代詩もあり・・


可愛い幼稚園児たちもお行儀よく


大勢の男性による合吟は、迫力があって
響きが耳にとても心地よく



いろいろな伝統芸術とのコラボレーションもありました。

「剣詩舞」







‘真剣’ですって!



「書華道吟」
吟ずる・書く・活ける、それに奏でる も
舞台の上で一体に


耳にも目にも楽しいステージで、最後まで飽きることなく
あっという間の1日でした。 楽しかった~♪


詩吟の譜面(?)を初めて見せて貰いました。 
いろいろな記号がおもしろいですね!
    
譜面を見ながら小さな小さな声で、猫もちょっと真似してみたりして・・(笑)

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海岸通りの神社で

2009-10-09 | 横須賀・三浦

京急線「YRP野比駅」から海に向かって5分ほど歩くと、
海岸線と並行して走る気持ちの良い道に出ます。
     

昨日の台風から一転、今日は波も鎮まっていますね。
向こうに千葉の山並みがくっきり見えています。

ここは、映画などのロケにも使われることがあるそうですよ。


右手に海を見ながら歩いていくと


左手の人家の中に石の鳥居がありました。

行ってみましょうか。           振り返ると、海です。
    

突き当たりのこんもりした森に包まれるように
白髭神社

ご祭神は猿田彦命ほか。 猿田彦命は
天孫降臨の際に
天津日高日子番能邇邇藝命
(あまつひだかひこほのににぎのみこと)
導された方であるところから、道案内・道中安全の神様だそうです。

創建年代は不詳。 古くから浦賀に入る船がこの先の海でしばしば
遭難したので、海上安全を願って土地の人達が近江・白髭神社を勧請し
山頂に祀ったのを、江戸時代に現在の場所に移したと伝えられます。


風格のある狛犬さんは「安政丙辰年」の銘があります。
    

立派な石鉢(手水鉢?)には天保十四年と。



社殿背後の緑豊かな社叢林は、強い海風に晒されるために
10m前後という比較的低いものですが、学術面で、また
貴重な郷土の森として県の天然記念物に指定されています。


境内からも海が見えます。 



錆びた錨が安置されています。

なんでも戦前、アワビ漁に出た潜水夫が暗礁で見つけたのだとか。
難破船の錨だったのでしょうか。 航行の難所だった証か・・


境内に稲荷神社が祀られてありました。


おや、お稲荷さんに狐ではなく狛犬さんが・・? 
珍しいですよね~! 狭くてちょっと窮屈そうですが・・
    

樹齢どのくらいでしょうか、注連縄のついた公孫樹の大木が3本。
沖の船からの良い目印になっていたのでしょう。


30分ほどの間に、私のほかにも地元の方でしょうか 3組も
参拝に見えました。地域にしっかり根ざした鎮守様のようです。

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温室の花たち

2009-10-06 | 花散歩

花の国の温室には、こんなお花が咲いていました。

フイリハイビスカス
アオイ科
温室で通年見られるお馴染みの花ですが、
白い斑の入った葉とのコントラストは珍しいですね。



ツンベルギア
キツネノゴマ科ツンベルギア属
南アフリカ原産
ヤハズカズラ(矢筈蔓)の仲間でフォーゲリアナという種類。
濃い青紫色で中心が黄色の爽やかな花です。 
開花は温室で7~10月。
    


プルメリア
キョウチクトウ科プルメリア属
メキシコなど中南米が原産地。 別名:インドソケイ(印度素馨)
ハワイでレイや娘さんの髪飾りになったりする花ですね。
芳香のある大きな花で、白のほか赤・ピンク・黄色などもあるそうです。
花言葉は「気品」
    


ジュズサンゴ
ヤマゴボウ科ジュズサンゴ属
熱帯アメリカ原産  別名:ベビー・ペッパー
サンゴの数珠のような真っ赤な実がなることから、この名。
穂状に咲く乳白色の花も、よく見るととても可愛い!


    


以前ピンク色の花が咲いていたスターフルーツ
星型の実を数個つけていました。



温室の入口に咲いていた花、あなたのお名前は?
形はハゴロモジャスミンに似たもっと大きい花です・・
    

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