スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

「シーパラ」のあじさい祭  

2008-06-30 | 横浜

「『シーパラ』の紫陽花がきれいよ」という情報を聞きつけ、
じゃあ行ってみようかということで出かけました。折角だから
少し歩こうと、京浜急行の金沢文庫駅から先ずは称名寺へ。



13世紀に金沢北条家(鎌倉北条家の分家)の菩提寺として北条実時が
建立したお寺で、三つ鱗の家紋を付けた朱塗りの山門を抜けて参道を
進むと、運慶作と伝えられる巨大な仁王像が睨みをきかす仁王門の先に
梵字アをかたどった阿字ヶ池。池に架かる朱塗りの橋は、以前は美しい
太鼓橋でしたが現在は真直ぐな橋になっています。浄土式庭園の奥には
本尊を祀る金堂と釈迦堂。左手の隧道の先には、金沢北条家に代々受け
継がれ今に伝わる膨大な文献を保管している「金沢文庫」があります。



お堂の横から
山に入ると、横浜市が管理する「称名寺市民の森」
という比較的手軽なハイキングコースになっています。
金沢山の
頂上広場からの眺めがなかなか良いのですが、今日はイマイチ・・

でも緑の中を歩いたから、一応良しとしましょう。そこから海の方へ
kmくらい歩くと、あじさい祭開催中の「シーパラ」に到着です。


渡されたマップ

「シーパラ」こと「八景島シーパラダイス」は今年で開園15周年
だそうですが、人込み嫌いのうえに遊園地の乗物も苦手な私は
殆ど興味がなく、これまで1度も来たことがありませんでした。

祭の開催中はスタンプラリーをやっていて、入口でスタンプシートを
貰い、園内の紫陽花を見ながら8ヶ所のチェックポイントのスタンプを
集めると、何やら記念品が頂けるという仕掛けになっているらしく・・








2万株、約40種類の紫陽花が両側に咲き乱れる道を写真を撮りながら
上ったり下ったりすること約1時間、8個のスタンプが集まりました。
ゴールの受付にシートを提出したら、紫陽花の形をした根付を頂きました。


遊園地の乗物に乗らなくても充分楽しめたよ。めでたしめでたし!

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大磯は雨に煙って  

2008-06-27 | 神奈川

JR東海道線大磯駅から山の方に向かって坂道を上って行くと
鬱蒼とした樹木に囲まれて瀟洒な邸宅が点在し、上るほどに
これぞ大磯という雰囲気になってきます。どんな方々が
お住まい
なのかあるいは別荘なのか、ひっそり静まり返って
生活の物音
ひとつ、話し声ひとつも聞こえません。

それにしても何という急坂! 息が上がりそうになりながら
20分ほども上ると、眼下に湘南の海が広がって見えてきます。


晴れていれば素晴らしい眺めも、今日は雨に煙って・・


やがて杉林になり、そこを抜けると急に開けて小さな公園に
着きました。大磯を愛し此処で亡くなった戯曲家高田保氏を
偲んで造られた「高田公園」です。


公園の片隅に氏の墓碑がありました


公園から下り、JR線のガードをくぐって線路沿いを右へ進み
細小路に入って行くと、角に素朴な平屋建ての家があります。


島崎藤村が最晩年の2年余を過ごした住居「静の草屋」

簡素で趣のある板戸の門を入っていくと、よく手入れされた庭と
縁側のある母屋、それに続く書斎を見学することができます。
案内板には、藤村は休養で湯河原を訪れる途中に立ち寄った
大磯が気に入って
此処で生活を始め、「東方の門」を執筆中に
脳溢血のため
71歳の生涯をこの家で終えた と書かれています。


国道1号線に出ると、旧東海道の松並木の老木が今も残されています。



国道沿いに「湘南発祥之地大磯」という立派な石碑があり、
その先の
藁屋根の建物が西行法師ゆかりの「鴫立庵」です。



「心なき 身にもあはれは」の歌が詠まれた鴫立沢のほとりに
江戸初期、崇雪という俳人が西行を慕って草庵を結び、
その後 鴫立庵と呼ばれる俳諧道場となり現在に至っています。
建物自体は、昭和62年に復元されたもののようです。

山あり海あり歴史ありのこの町を、もっと知りたくなりました。

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北鎌倉花散歩  

2008-06-25 | 花散歩

8日ぶりの梅雨の晴れ間です。雨傘を日傘に替えて、おなじみの
場所を歩いてきました。観光客でいつもにぎわっている鎌倉ですが、
とりわけこの時期の北鎌倉は、どこへ行っても人がいっぱいです。

まずは、北条時宗の妻 覚山尼創建のご存知「駆け込み寺」東慶寺。
紫陽花・イワタバコ・花菖蒲・ヤマボウシ・半夏生など、花の饗宴です。


大きな葉が煙草の葉に似ているところから「イワタバコ」


丸い花芯を坊主頭、花びらを白い頭巾の山法師に
見立てて「ヤマボウシ」 そういえば弁慶みたい


浄智寺の静かな境内の空気が好きですが、さすがにこの時期は
ちょっとにぎやかなので・・・・今日はやめておきましょう。


浄智寺


めざすは明月院。
人込みと行列は大のニガテなのに、懲りもせずやって来たわけは
「明月院ブルー」といわれる此処の紫陽花の青い色に惹かれるから。



「明月院の紫陽花は色が単調だからつまんない」と言う人もいるけれど、
あぁわかってないなぁ! 色のバリエーションが豊富な西洋アジサイも
たしかに綺麗ではあるけれど、淡い青から濃い青まで光っているような
花びらの自然の
グラデーションが、竹林の緑に映えてそれは見事です。


お寺の紫陽花はやはり「青」でしょう!


それにしても人が・・多い・・・ 静かな場所に‘避難’しようっと・・
長寿寺の角を曲がって亀が谷(かめがやつ)坂の切通しに入ってみました。


ここには、静かな鎌倉がありました。

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浦賀みちウォーク 

2008-06-22 | 横須賀・三浦

その昔、江戸から浦賀へ通じていた「浦賀道」は、東回り江戸湾沿いの
「金沢道」と西回り相模湾沿いの「鎌倉道」の
2本があったそうです。

今回、その「金沢道」をボランティアガイドさんの案内で3回に分けて歩き
通すことになっていました。部分的には歩いたことがある場所もあるものの、
通して歩くのは初めてのことなのでとても楽しみにしていたのですが・・・
雨のためにほんの1部分のみ実現という散々な結果になり、がっかりです。
ホンに雨男・雨女はどこのどなたじゃ!? 

ま、気を取り直して、以前の写真も加えできるだけつないでみようと思います。

江戸湾に入る船舶を監視する奉行所が下田から浦賀へ移り、幕末の人馬の
頻繁な往来に伴って、
2本の浦賀道は重要な幹線道路となりました。

「金沢道」は保土ヶ谷宿~六浦
~十三峠~大津~矢の津坂~浦賀へ到り、
なかでも「十三峠」は旅人にとって最大の難所で、安藤広重もこの峠からの
景色を「広重武相名所旅絵日記」に描いているそうです。


十三峠への上り口

開発が進んだ現在は、畑と人家が混ざりあう普通の田舎道で「峠道」の
イメージはほとんどありませんが、横須賀湾を一望することができます。
旅人も、険しい峠道を上りきって見えた海に心和ませたのでしょうか。




大津海防陣屋は幕命によって江戸湾警固のため設置され、年代により川越・
肥後・佐倉の各藩が駐在し任務に当たっていましたが、明治になり建物が
撤去されてその面影はありません。軍の射撃練習場を経て、現在は市民の
各種運動場が整った公園となっています。

三浦半島は庚申信仰が盛んで、浦賀みちの辻々には邪気の進入を防ぐこうした
庚申塔が多数残されていて、現存物の少ない古道の面影を僅かにとどめています。




文覚上人が源氏の再興を願って浦賀に創建、その後平家滅亡の願いが叶った
ところから「叶神社」と称されました。浦賀湾を挟み西・東の二社があります。
西叶神社の社殿を飾っている木彫や、社務所玄関上の漆喰の鏝絵は非常に精緻で
見事です。東叶神社の裏山は県指定の貴重な天然社叢林で、咸臨丸の航海の
無事を祈願して
勝海舟が断食をしたと伝えられる史跡などがあります。


西叶神社


東叶神社


浦賀奉行所は、現在では
5階建てアパートが数棟並んでいるだけで当時の様子を
偲ぶことは出来ませんが、奉行所が設置された頃開業したといわれる渡船が
強化プラスチック製の御座船の姿で今も浦賀湾を横断して航行し、地域住民の
足としてばかりでなく、浦賀観光の目玉のひとつになっています。



商人・文化人に加え江戸湾防衛のため各藩武士が多く訪れるようになり、
浦賀にも幕府の許可を得て旅籠ができました。その草分けの徳田屋には多くの
武士や文化人が宿泊。あの吉田松陰も、ペリ-来航時の対応策について徳田屋主人
から情報を得て師の佐久間象山らと協議したことを日記に残しているそうです。
路傍に小さな石の記念碑が建っていました。

幕末から近代、そして大戦という歴史の大波に翻弄され、更に戦後の復興・開発の
手によって、貴重な歴史的・文化的遺産の多くが失われてしまったことは残念ですが、
浦賀みちが歴史上重要な役割を果たしてきた事実は誰もが認めるところでしょう。

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開成町のあじさい祭 

2008-06-16 | 神奈川

 

 

 

小田急線新松田駅から、まず北側のみずみずしい新緑の中を渓流に沿って
気持ちの良いハイキング。眼下に開成の街を一望してから街へ下りました。


途中で出会ったほほえましい道祖神?

農道や水路の両側に5,000株のあじさいが色とりどりに並んでいます。




掘りたての筍や生梅、農作物、苗物などを売る露天や
テント張りの店も
たくさん並び、見物の人達が大勢来ていました。


紫陽花の先に見えるのは箱根の山々。あれは金時山かな。田を渡る風が快い!



親ガモの叱咤激励を受け、泳ぎの練習に励むカルガモの子供たちがいました。



花アオイも負けてはいません。とても華やかで綺麗でした。

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三崎・三戸浜 

2008-06-13 | 横須賀・三浦

久しぶりの青空です
「今日は見えるかな?」と期待感を持って出かけたのですが・・・

京浜急行・三崎口駅から右方向へ徒歩3分、「三戸浜入口」の標識を
左へ入ると、すぐ目の前に広々とした畑が広がっています。ここは
往時、海軍の予備飛行場として造成されたもので、戦後、米軍の
接収を経て現在は広大な農地となり、夏には西瓜、冬には大根
などが栽培されています。


晴れていれば正面にドーンと大きく富士山が見え、三浦半島を象徴

するようなすばらしい風景なのですが、今日は期待も空しく×・・
それでも、一面緑に広がる畑の中を歩くのはとてもいい気持ちです。



本来ならこんなふうに見えるのです!(これは以前撮ったもの)


道を左へ折れてどんどん進むと、やがて静かな人里に入って行きます。
味のある土塀や土蔵のある家、道を悠々と渡るヘビと遭遇したり・・
この道も私の好きな所です。



人家を抜けると、道路を隔てて海岸に出ます。三戸浜(みとはま)です。
もうお昼近かったので、すでにたくさんのヨットが沖に出ていました。

 

岸近くでボードセーリングの練習や磯釣りをしている人もいました。
夏は海水浴やバーべキューの人たちで賑わう浜も、今は比較的静かです。

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下町風俗資料館  

2008-06-10 | 東京・川崎

不忍池の傍に一見蔵造りのような白壁の建物。入ってみると
半被姿の中年男性が元気な声で「いらっしゃいませ!」
何かおもしろそうな予感・・・受付で¥300を払って
奥へ進むと、そこには大正時代の下町がありました。

右手は間口の広い大店で、店先には人力車と米俵を積んだ大八車。
店に上がって帳場に座ってみると、ちょっと番頭さんの気分です。

向かいには共同井戸と洗濯桶、横にはお釜のかかった竈に薪の束。

「おかみさ~ん、ご飯が噴いてますよ。どこ行っちまったのかしら。」



祭礼提灯が揺れる路地に入ると、右側は駄菓子屋さんの住まい。
木製のガラスケースの中にはさまざまなお菓子が並び、正面や横の
棚にも色とりどりの玩具が溢れんばかりにいっぱい!
「くださいな~!」



格子戸越しの三味の音色を聞きながら、路地を鉤手に曲がると
角は居職の銅壷屋さんの作業場。荒神棚の下に金床
(かなとこ)
坩堝
(るつぼ)・鏝・やっとこなど珍しい道具類が見られます。
薄暗い路地の突き当たりにはお稲荷さんのお社がありました。


二階の展示室にあったお風呂屋の番台に上がってみました。
けっこう高いものなんですね。少し恥ずかしかった・・




昔遊びの体験コーナーもあります。折り紙教室に参加してみました。
こんなのが出来ました。久しぶりの折り紙、楽しかった!




先日の「深川江戸資料館」よりは小規模だけれど、体験コーナーなど
参加型の展示が楽しめました。最近すっかりレトロづいているのは、
やはり年齢のせいかしらね~?(笑)

下町風俗資料館

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旧岩崎邸庭園  

2008-06-09 | 東京・川崎

上野・不忍池近くにある「東京都立 旧岩崎邸庭園」に入ってみました。

明治から昭和にかけての実業家で三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎氏の
本邸だった所です。現在は東京都が管理する重要文化財で、現存する
洋館・和館・撞球場の3棟が一般に公開されています。

無縁坂を下って行くと、右側に続く長い煉瓦塀の向こう側が目指す邸宅です。




大きな石門から続く砂利を敷き詰めた広~くて長~いアプローチが緩やかに
カーブしたその先に、木造2階建ての
クリーム色の洋館が見えてきます。



正面玄関で靴を脱いで入ると、寄木造の床・装飾的な金唐革紙
(復元)の壁・
太い装飾円柱・彫刻が施された柱や調度品の数々・近代的諸設備などなど、
これでもかの高級感はまさに別世界です。



続くプライベート・エリアの和館は書院造で、畳廊下の長押や明かり障子の組子、
襖の引き手などがさりげなく岩崎家家紋の三階菱の形になっています。ニクいね!

別棟のおしゃれな校倉造は撞球場。我が家の1軒分より広そう・・・



お金の力はスゴイものだ!と、貧乏人はただただ溜息が出るばかりでありました。

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文京区・菊坂ぶらりぶらり

2008-06-09 | 東京・川崎

降りみ降らずみのこんな日は、懐かしさを感じる場所を歩いてみたくなります。

今日は、地下鉄春日駅から鐙坂→胸突坂→梨木坂→菊坂→炭団坂→本妙寺坂
→見返り坂と 坂だらけの道を上ったり下ったり、行きつ戻りつしながら
ぶらぶらと歩いてみました。

菊坂は私の亡母の青春時代の思い出がある場所らしく、昔語りにその地名を
何度か聞かされていたためか、私自身は住んだこともないのにどことなく
親しみを感じる場所です。会えない今となっては、もっとしっかり聞いて
おけばよかった・・・と 来るたびに思い出します。


鐙(あぶみ)坂です。
鐙製作者の子孫が住んでいたからとか道の形状が鐙に似ているからとか、
由来ははっきりしませんがいい雰囲気の坂で、言語学者金田一氏の
旧居跡があります。この辺りは昭和40年まで町名が真砂町でした。
そう、あの
「婦女系図」の「真砂町の先生」が住んでいた所です。



菊坂と平行する菊坂下道も、風情のある所です。
地元の女性二人がのんびりと立ち話をしているので、
邪魔しないように離れた所からそっとシャッターを押しました。


菊坂下道の細い路地を入った奥に、樋口一葉旧居跡とゆかりのポンプ井戸。
ここにも当然、今の暮らしがあります。辺りのひっそりとした静けさに
できるだけ足音を忍ばせて。


本妙寺坂を上がり、初めて「文京区ふるさと歴史館」に入ってみました。
縄文~現代の文京区のあれこれが展示されており、「やっちゃ場」などの
街の賑わいと活気を再現したジオラマは、なかなか興味深かったです。
ザンネンながら「写真撮影は禁止です」とのことで・・・


多くの文人・学者の旧居跡やゆかりの場所があり、明治・大正の香りを残す場所柄
やはりご年配の方が散策する姿を多く見かけました。都会のど真ん中とは思えない
ゆったりとした時間が流れています。

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薔薇の午後 

2008-06-06 | 雑記

「庭の薔薇がきれいに咲いています。お茶にいらっしゃいませんか」と
お花好きの友人からお誘いをいただいて、いそいそと出かけました。

友人のお宅は、一年中いつ伺っても玄関からお部屋、そしてお庭まで
きれいなお花が溢れているので、お伺いするのがとても楽しみです。

まずはお庭の薔薇を拝見。もう花が終わってしまった鉢もありましたが、
フェンスに絡まった「ニュードーン」がお庭を優雅に縁取っています。



「バレリーナ」という愛らしい名前の薔薇もとても元気に咲いていました。



クラッカーに薔薇の花びらの手作りジャムを乗せて紅茶といただきながら、
それぞれの仕事のこと、家族のこと、読みかけの本のこと・・・
花と香りに囲まれてすっかり時間を忘れ、お喋りが広がってゆきました。

 

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三浦の‘隠れ菖蒲園’

2008-06-05 | 花散歩

雨が降ったりやんだりの梅雨空の下、たくさんのお花達に会ってきました。

京浜急行の三浦海岸駅から
R134をバスでなら4つ目。バス通りから細い道を
下りて行った所に竹林を背にして滴る緑に埋もれるようにある立派な一軒家が
当園の主、石井さんのお宅です。



お宅の前庭に、花菖蒲を中心としてぱあっと一面にお花畑が広がり、まるで
万華鏡のような色・色・・・此処が誰が名付けたか「隠れ菖蒲園」です。


「隠れ」とは言いながら今ではもうかなり有名な花園で、毎年この時期に無料
開放されるのを待ち兼ねたように、たくさんの人がお花を見にやって来ます。




今年は花の時期が遅れていて花菖蒲はまだ数輪でしたが、何より嬉しいのは
此処の花たちは皆とても生き生きと元気で、愛情をもって育てられているのが
よくわかることです。花の中を歩いたり、気さくな女主人の千代子さんとお話
していると、いつのまにか自分まで生き生きしてくるのです。



隙も無く整備された庭園にはない素朴な温かさがあってとても心和み、
鳥の声を聞きながらほんわかした時間を過ごしました。

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四川の旅

2008-06-03 | 雑記

先頃の中国・四川大地震から3週間、今もテレビに映し出される

現地の映像や被害状況の数字の大きさに胸が痛んでなりません。


 

あれは、もう何年前のことになるでしょうか。

太極拳や中国語の仲間たちと 成都~都江堰~九寨溝~黄龍と

バスに乗って、とても楽しい旅をしたことがありました。

成都→九寨溝の航空便はまだ無く、舗装されてないでこぼこ道を

休憩しながら123時間かかって走ったことは忘れられません。


 

都江堰は成都から約50km。昔 歴史の教科書に載っていたあの場所が

霧のような雨に煙って墨絵さながらに目の前に広がっていました。




都江堰から九寨溝は、岷江という豊かな水が勢いよく流れる川に

沿って チベット族などの集落をいくつも抜けて入っていきます。

クラクションをけたたましく鳴らしながら、土埃をあげて狭い道を

勢いよく車同士がすれ違うワイルドな運転には眠い目もぱっちり!




 

九寨溝はまだ開放される以前から本で知り「いつかは」と憧れて

いた所でしたが、その期待は寸分も裏切られませんでした。

豊かに流れる水、生き生きと勢いのある緑、透明度の高い湖沼の数々。

がたがたバスでどんなに揺られてもまた来たい! 心からそう思いました。





 

あの景観は、今度の地震でどんなになってしまったのでしょう。

いつかもう1度、私はこの目で見ることができるでしょうか。

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