スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

林芙美子記念館

2010-12-31 | 東京・川崎


林芙美子氏が、1941(昭和16)年から1951(昭和26)年に生涯を
閉じるまで住んでいた家が、区立記念館として公開されています。



林芙美子氏
(1903-1951)

略歴
    1903(明治36) 福岡県門司市に生まれる(異説も)。
                下関・長崎・佐世保・鹿児島などを転々。
     1922(大正11) 尾道高等女学校を卒業し、上京する。
                その後多くの職場を転々。詩集を創刊。
1926(大正15) 手塚緑敏氏と知り合い結婚。 
  1930(昭和 5) 『放浪記』がベストセラーとなる。
    1941(昭和16) 下落合に新居が完成し、引っ越す。

   1949(昭和24) 『晩菊』により女流文学賞を受賞。
   1951(昭和26) 心臓麻痺により他界。享年47歳。


住居は当時の建坪制限により、芙美子氏名義の生活棟と
夫 緑敏氏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て、後に繋いだとか。

建築に当たっていろいろ勉強し、その思い入れは格別だったそうです。
山口文象氏設計で、京風数奇屋造りの繊細さと民家風のおおらかさを
併せ持った落ち着いた趣のある佇まいの住居になっています。

玄関



茶の間
掘炬燵を囲む一家団欒の場だったのでしょうね。



小間
ご母堂が使われた部屋だとか。仏壇がありました。
     





別棟にある書斎
半障子を通して見る庭の緑に、執筆の目を暫し休めたのでしょうか。



次の間
押入れの戸には、インド更紗が貼られています。



氏存命中の庭は、孟宗竹に覆われていたそうです。
「東西南北に風が吹き抜ける家を」というこだわりのこの家で
『うず潮』『浮雲』遺作となった『めし』などが生まれたのですね。








時を超えて残されているいろいろなものに
たくさん出会えた、今回の散策でした☆
20,965歩

コメント

佐伯祐三アトリエ記念館

2010-12-30 | 東京・川崎


大正~昭和初期頃の落合辺りには、まだ武蔵野の面影が
残っており、その魅力ある風景や静かな創作環境を求めて
多くの画家、文化人が住み創作活動の拠点となっていたとか。

夭折の天才画家といわれた洋画家 佐伯祐三氏もその一人です。

佐伯祐三氏
(1898-1928)


略歴
 1898(明治31) 現・大阪市の寺に生まれ、中学在学中から油絵を始める。
 1917(大正6)  上京し、東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学。
  1921(大正10) 在学中に米子夫人と結婚 下落合にアトリエ&住居を建設。
 1923(大正12) 大学卒業後 夫人・娘を伴ってパリに移り住み、創作活動。
     ブラマンクのもとで、フォービズムの影響を受ける。
 1926(大正15) 健康上の理由で帰国。アトリエを中心に創作活動を続ける。
 1927(昭和2) 再度パリに拠点を移し創作を行うが、病気が悪化してしまう。
1928(昭和3) 肺結核のため、30歳の若さで他界。


画伯は1921(大正10)年、この地
にアトリエ付き住居を構えましたが
現在そのアトリエ部分が、区指定史跡の記念館として公開されています。
     

画伯が日本での創作活動の拠点としていた唯一の場所は、
北側に大きな採光窓を設けるなど、当時の典型的なアトリエ建築。

建設当時は、アトリエの南側に母屋があったようです。



記念館内部では、
画伯の作品(レプリカ)や、画伯の生涯に関する
資料やDVD映像などが見られます。

「自画像」
DVDより



代表作、連作「下落合風景」から
(1926~1927)





「カフェ・レストラン」
(1928)
DVDより



「郵便配達夫」
(1928)
DVDより

画伯最晩年の作品


このアトリエには、パリから帰国した夫人が1992(昭和47)年に
亡くなるまで住み、創作活動を続けておられたそうです。

落合に住んだ文化人といえば、あの方の住居がありますね。
あと少し、足を伸ばして行ってみましょう☆

(続)

コメント

新宿・西早稲田~落合

2010-12-29 | 東京・川崎


穴八幡宮を出て、早稲田の古書店街をぶらぶらとJR「高田馬場」駅の方へ
歩いていると、道の左側に笹竹で作られた茅ノ輪のようなものがありました。

「竹恵(ちくえ)輪」と書かれたその輪をくぐると
その先に小さなお社が・・
     

子育地蔵

正式の名は「源兵衛地蔵尊」。
江戸・元禄の頃、小泉源兵衛という人が荒地を開墾した場所に
人々が集まり、集落が出来て源兵衛村と呼ばれるようになったとか。
彼の死後、供養とその功績を讃え1726(享保11)年に祀られました。

地蔵像の後ろに「十大ご利益」というのが書かれてあります。
子宝・健康・病気平癒・長寿・・・・と、願いを何でも叶えてくれる
お地蔵様のようで、地元の人々から大切にされているのが
お社の周りの様子や、供えられた生花からも分かります。

商店街のシンボルにも・・



子育地蔵と道路を挟んでほぼ真向かいにある
小路をどんどん入って行くと、住宅街の先に

天祖神社

ご祭神: 天照大神

由来が記された説明板によると;
前述の豊臣家の遺臣小泉源兵衛が、大夏の陣に敗れて
この地に隠れ住み、荒地を拓いて当神社を創祀しました。
江戸時代には神明宮・
神明神社と呼ばれていましたが
1870(明治3)年の大教宣布により天祖神社となりました。

源兵衛さんという方は、たいしたお人だったようですねぇ!



JR山手線のガードをくぐって神田川に架かる橋を渡り、西武新宿線の踏切を
渡って新目白通りを横切ると、下落合の閑静な住宅街に入って行きます。
緩やかな坂を上って行くと、こんもりした緑が見えてきました。

新宿区立「おとめ山公園

「おとめ山」は可憐な乙女を連想しますが、漢字で書くと「御留山」。
江戸時代 この一帯は将軍家の狩猟場で、一般人は立入禁止だった
ことから、この名。 1969(昭和44)
年に、公園として開園されました。

「東京の名湧水50選」に挙げられる敷地内の湧水を活かして
ホタルの飼育も行われているという都心のヒーリング・スポット。
起伏に富んだ園内には、ナラやシイなどの落葉樹が茂り
小鳥の声もするなど、武蔵野の面影を色濃く残しています。

ひっそりとして心細いくらい静かな公園でした。


公園を抜け反対側の門から出て、坂道を下ったところに

氷川神社

ご祭神:素 盞 嗚 命(すさのおのみこと)  
         
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
            
大己貴命[大国主命](おおなむちのみこと)

説明板によると;
創建は、今から2,400年前とも更に上古とも言われます。
旧下落合村の鎮守社。


神社からほど近く、右手の少し奥まった場所に

新宿区立「野鳥の森公園

もともと農家の庭の一部だった斜面林を活かして整備された公園。

約15,000㎡の園内には、コナラ・エノキ・カエデ・スダジイなど
多くの樹木が植えられていて、ムクドリ・オナガ・ハクセキレイ・
シジュウカラなど、いろいろな種類の小鳥が見られるようです。




公園に隣接して、立派なお寺があります。

瑠璃山 薬王院 医王寺

真言宗のお寺です。
開山: 願行上人
   ご本尊: 薬師瑠璃光如来
      別称: 東長谷寺 ぼたん寺
創建年代は不明ですが、鎌倉時代頃かと言われています。
奈良・長谷寺の末寺で、長谷寺から移植した100株のボタンが
現在では1,000株にまで増え、ツツジと共に春の境内を彩ります。

ご本堂へ続く石段の横にもボタンの株


ゴールデンウィークの頃、花を見にまた来てみたいですね☆

今日はとても足が軽くて、まだまだイケそうですよ♪
もう少し先まで行ってみようと思います!

(続)


コメント (3)

年末恒例の・・

2010-12-28 | 雑記


今年もまた、この時期になりました。
暑かった、そして例年にも増して早かった1年をふり返りつつ・・


まずは、お墓のお掃除に。
1年間 恙無く過ごせたことを感謝して



清々しい気分になったところで、
このあと、これも恒例 近くにある「穴八幡宮」へ。

すごい人です!
「歳末!」の雰囲気に満ち溢れています☆
    


鳥居をくぐり、「この石段、来年も元気に上りたいね!」と
言いつつ石段を上ると、朱塗りの山門



まずは、古いお札を納めて 新しいお札を頂き・・


ご本殿に参拝

暗いトンネルの先が見えない1年でしたが、
来年こそは、お札の如く「一陽来復」となりますように!!


以前はこのあと、アメ横へ年末のお買物に行ったものですが
歳とともに、このうえあの人混みは煩わしくて・・・(苦笑) 

でも、恒例のお務めを終えて心も軽くなったので
暫くぶりにご近所を散策してみましょうか♪

(続)


コメント

野菜を買いに

2010-12-27 | 散策


今日もよく晴れたので、
お散歩がてら、お野菜の買出しに行きましょう♪


いつも変わらぬ、のどかな風景



本日のお散歩の友・・



ヤブツバキに                 カラスウリに
     






いつもお世話になっている野菜売りのおばさん
今日は陽射しがあったかくて助かるね!


葉まで新鮮☆  つい買いたくなっちゃう(笑

     


は~い、これが本日GETの産直とれとれ野菜たち
しめて¥500也!
葉付きダイダイ2個のオマケつき♪


今夜は何作ろうかな~、楽しみ楽しみ☆


今日も少なかったナ・・
6,446歩

コメント (4)

三崎昭和館

2010-12-26 | 横須賀・三浦


三崎の商店街を歩いていたら、こんな所を見つけました。

三崎昭和館


2010年春に元商店兼民家を改装してオープンしたもので、昭和の様々な
生活雑貨・玩具などが展示されているほか、地元伝来の民俗芸能で
先頃 ユネスコ世界遺産に登録された「チャッキラコ」に関するもの、また
地元出身の作曲家小林三千三氏の遺品などが展示されています。
(水曜休館・見学無料)


昭和の品々にも、
建物の内部の様子にも興味津々☆

竈のある土間

竈は新しく造られたものだそうですが、羽釜や木製の臼と杵・
行水の盥・桶・蒸篭・御櫃など、見覚えあるものもいろいろ・・
右手前にあるのは、手回しの製麺機だそうです。へぇ~☆

元はお茶のご商売だったそうで、戸棚には茶箱や陶製の大きな茶壷も
     


土間の傍にあるのは、使用人(女中さん)の部屋



こちらは居間ですね



びっくりしたのは、家の中にある蔵。
入口のスノコになっている所は、換気口だそうです。
    

蔵の奥に、お稲荷さんが祀られてあります。
ここにはお米が備蓄されていたのかな。
     


中庭 縁側 ガラス戸 障子・・懐かしい光景です。


ちょっとの間、童心に返りました~♪

コメント

冬晴れの富士山

2010-12-23 | 散策


天皇誕生日の今日は、気持ちよく晴れ上がりましたね。



午前中、お買物に出た足で少し遠回りをして
my 富士見スポットへ☆

わぁ、きれい~~


こんなに、くっきりクリアな富士山は久しぶりだなぁ


このままもっと歩きたい気分だけど・・
いやいや、今日は主婦の顔!
さっさと帰って、マジメに主婦しよう


今日は少なめ 
9,159歩

コメント (4)

さがみ湖イルミリオン

2010-12-21 | 神奈川


日暮れてからのお楽しみは、大規模な光の祭典☆

エントランスの階段を上がって行くと



山の起伏を活かし、200万球のイルミネーションが斜面を
埋め尽くして、幻想的な光の世界が広がっていました。




     




相変わらず、ボケボケの画像でごめんなさい! 
せめて雰囲気だけでも、お楽しみいただけたら・・



1日よく歩きました!
34,095歩

コメント (2)

夕やけ小やけの里

2010-12-20 | 他県


通称「陣馬街道」は、甲州街道(R20)の「追分」交差点から
西へ別れ、和田峠を経て神奈川・相模原市へと続いています。

嘗ては「案下(あんげ)道」と呼ばれ、また甲州街道の裏道だった
ことから、「甲州裏街道」・「甲州脇街道」とも呼ばれたようです。



陣馬山から、この案下道を「夕焼小焼」バス停まで
戻る道々、いろいろ興味深いものに出会いました。


「くぬぎ沢橋」バス停近くの道路脇に、大きな石碑がありました。
とくに説明はなく、碑文もよく読めなかったので詳細は不明・・
道路改修記念碑



「落合」橋の近くで、野生のに遭遇!
素早く逃げられてしまい、 が間に合わず残念・・


道路沿いにひときわ立派な建物。
尾崎家長屋門

尾崎家は、代々町長を務められた家だそうです。
門に「なんじゃもんじゃ」と書かれた板が架かっていますが・・何だろ?

隣接した場所に石碑があります。
関場址碑

説明板によると;
江戸時代、甲州街道の裏街道(案下道)の重要な交通要点として
治安警備などのため「口留(くちどめ)番所」が設置されていました。
番所は村持ちで、村方36人が交代で詰めていたといいます。
明治初年に廃止されましたが、「関場」の地名が残っています。


少し先へ行った所に、
赤い屋根と青い下見板張りの外壁が美しい建物。
上恩方(かみおんがた)郵便局
     
1938(昭和13)年から、今も現役とはスゴいですね! 
看板が ホラ、右書きデスよ☆


また、道の左側に2基の石碑がありました。
松姫の碑」               「街道之碑
    
武田信玄の6女 松姫が、武田家滅亡の折にこの道を通って恩方へと
逃れ、八王子・信松院の尼として余生を送ったことが刻まれています。


「夕焼小焼」バス停に戻って来ました。
「高留」橋の先で左側の坂を上り、林の中へ入って行くと
宮尾神社



創建:元暦年間(1184~1185)
       祭神:底筒男命(そこつつおおのみこと)・
     中筒男命・表筒男命 ほか
現・社殿は、明治中期の築造

静かな境内に立派な歌碑
夕焼小焼の碑

この歌の作詞者中村雨虹氏は、ここ宮尾神社の宮司の家の
出だそうで、故郷の恩方の情景が歌われているのだとか。
1977年 氏の還暦を祝って建てられたものだそうです。


街道に戻り、すぐ先の右手にあるのが「夕やけ小やけふれあいの里」。
宿泊施設・食事処・キャンプ場や地場産野菜直売所などの施設があります。

ギャラリー・スペース「夕焼小焼館

中村雨虹氏に関する資料のほか、地元出身の写真家 前田真三氏の
作品(モノクロの素敵な写真がたくさん!)が展示されていました。

中村雨虹氏
(展示パネルより)



そのほか、2007(平成19)年までこの路線を運行していたという
ボンネット型の乗合バス「夕やけ小やけ号」も展示されています。



約1時間の里歩きを楽しみました。
このあともう一箇所、お楽しみがあるんです☆

(続)


コメント (2)

陣馬山

2010-12-18 | ハイキング・山歩き


今年納めのハイキングは、願ってもない好天に恵まれました
東京と神奈川の境にある「陣馬山」は、関東富士見100景の1つとか。
今日は、期待できそうだゾ!

JR「高尾」駅からバスで約30分。
その名も可愛い「夕焼小焼」というバス停から歩き始めました。



「高留橋」を渡り、案下(あんげ)川に沿って
静かな山里の中のバス道を暫く歩いて行きます。

路傍には


おや、雛人形も



歩いているR521は、通称「陣馬街道」と呼ばれる道です。


やがて周囲は杉林となり、傾斜のある道になってきました。
あまり陽のささない坂道を、ただ黙々と登って


所々で展望が開けると、ホッとします。



和田峠(標高700m)に到着☆
ハイカーさん達が数組休んでいました
1時間余歩いてきたので、私達もここで暫時休憩。

5分間のトイレ休憩のあと、再び出発します。
ここから山頂まで直登コースもありますが、私達は急ぎません(笑)
平坦コースと書かれた左の道を行くことにしました。


日蔭には霜柱がいっぱい!
霜柱なんて見るの、何年ぶりだろ・・
     


山頂まで、あとひといきのジグザグ登り道。
全然平坦じゃないじゃん・・(笑)




30分ほどで、山頂に到着~☆☆



陣馬山
その昔、ここで後北条氏と甲州武田氏の山岳戦が
繰り広げられたことから、この名がついたそうです。
標高855mですが、360°の眺望が広がっています。
白馬の像は、この山のシンボル。



見えましたね~





素晴らしい景色ですが、いつまでも浸ってはいられません。
汗ばんだ体は、ダウンの上着などで着膨れても・・・寒い!
名残り惜しいけれど、タイムの後は早々下山することに。


下りは、陣馬新道と呼ばれる杉林の中の道を
約1時間ほど下り、陣馬高原下に出ました。
     


案下の里の冬は厳しそうですが、時の流れを
感じさせる風景が広がるとても静かな山里です。
折角なので、バスを待つ間に少し歩いてみようと思います。

(続)

コメント (2)

初冬の里山

2010-12-17 | 散策


昨日今日と 本当に寒いですね~ 冬が一気にやって来ました!
 
とはいえ もう師走半ばですからねぇ 当然といえば当然ですが・・
あぁ あの夏の暑ささえ すっかり忘れてしまいそう(笑)



里山の畑では キャベツたちが元気デス!



マユミの木の下の方の枝は 実がすっかり落ちてしまいましたが
高い枝には まだ少しばかり残っています


「茎みちや 花かと見えて マユミの実」  鈴木白祇


アオキの実が 葉陰でこっそり色づき始めていました かわいい~☆
     

「アオキの実 赤きが寒き 庭面かな」   玉兎


野水仙は もうこんなに咲いています





「其のにほひ 桃より白し 水仙花」   芭蕉


12,793歩

 

 

コメント (2)

ジョイナスの森

2010-12-15 | 横浜


横浜駅に隣接する商業施設「相鉄ジョイナス」の
ビルの屋上には、緑豊かな庭園があります。 

その名も「ジョイナスの森」☆



大きな木もたくさん植えられていますが、「森」というよりは
きれいに整備された都市空間の空中庭園といった感じですかね。



緑に包まれて、数体の彫刻作品が点在しています。

「ニケ’83」  
朝倉響子 作 (1983)



「茉莉花」  
舟越保武 作 (1978)
     


道標シリーズ 「鳩」
柳原義達 作 (1973-79)



「果実」                  「踊り子」 
ブルーデル作 (1911)                       マンデー作 (1983)
     


「構成」
マリーニ作 (1955)



散策する人や、其処此処にあるベンチで憩う人、ランチする人・・
つながっている隣の「高島屋」屋上からは、元気な子供の声も。


ビルの空調音がなければ、小鳥の声も聞こえてきそうな
まさに‘都会のオアシス’です。


コメント (4)

芝公園の紅葉

2010-12-14 | 東京・川崎


は午前中に上がり、コートが要らないほどの陽気」と
いう予報でしたが・・・・ハズレでしたねぇ・・寒っ!


芝公園 もみじ谷の紅葉が見頃と聞いたので、
都内で用事を済ませての帰り道、例によって又ちょっと道草(笑)
曇天でおまけに夕方のため、全体的に暗くて相すみませぬ・・・


弁天池



宝珠院

源頼朝公や徳川家康公ゆかりの開運出世弁才天が
祀られている、浄土宗の寺院です。


もみじ谷

1984(昭和59)年に、自然石と樹林を組み合わせて造られた人工の
渓谷ですが、落差10mほどの滝もある散策路になっています。
すぐ傍を、車がばんばん走っているとは思えないような景観☆



起伏のある散策路を歩いていると、
観音堂があったり、立派な石碑があったり・・
     



芝公園といえば・・そう、コレですよね。
スカイツリーもいいけど、やっぱりこっちの方が好き!
東京タワー



芝丸山古墳

説明板によると;
全長106m 後円部径約64mの前方後円墳で、都指定史跡。
江戸時代以降 原形はかなり損なわれており、埋葬された遺体や
副葬品なども不明ですが、その形態などから5世紀代の築造と
みられ、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられています。

後円部にあたる丘の上に
伊能忠敬測地遺功表」碑

忠敬の測量の起点となったのが、芝公園に近い高輪大木戸で
あったことから、1889(明治22)年青銅碑が建立されましたが
戦災で失われたために昭和46年に再建されたものです。


ほかにも、もっと見所がある公園なのですが・・
そろそろ日暮れてきました~残念! 今度はの時に、また☆




コメント (4)

三戸浜の富士山

2010-12-12 | 散策


三戸浜にやってきました☆
1年ぶりかなぁ・・



青首大根の収穫が始まっています



大根畑の向こうに富士山を見ながら



出荷前の作業場は大忙し!
邪魔にならないように・・昼休みの間に



浜に出てみると
変わらない穏やかな景色が、そこにありました


会えてよかった~!

10,415歩


コメント

サザンカの季節

2010-12-10 | 花散歩


あちらこちらで、サザンカが咲き始めましたね。
一本の木が、枝いっぱいに花を咲かせて
寂しくなった晩秋の庭を華やかに彩ってくれています☆



「世界の植物」(朝日新聞社 刊)によれば;
サザンカが初めて記録に現れるのは江戸時代前期で、当時の
生け花の書『文華正道集』(1684年)や園芸書『花壇地錦抄』
(1695年)では「茶山花」、『合類大節用集』(1693年)には「山茶花」、
また貝原益軒の『花譜』(1694年)には「茶梅花」として登場するとか。

実際に観賞用として植えられるようになったのは、それより
もっと早く、室町時代頃であったろうと推定されているようです。



「くりはま花の国」にちょうど今、綺麗なサザンカが
咲いていると聞いたので、見に行ってみました。

「皇玉(こうぎょく)」
カンツバキ系
白色に近い淡い桃色の中輪種で、蕾の時は濃い桃色をしています。
     



ね、気品のあるとても綺麗な花でしょう?
カメラを向けるのも忘れて、暫く見とれていました・・


また少し離れた場所には
本来サザンカの特徴である長い花弁の花もありました。

「肥後入日の海」
ヒゴサザンカ

太陽が水平線に沈む時の色に似ているというので
こんなロマンティックな名前が付いています。

花の終わりには、花びらが反り返って暗紫赤色に変わります。
     
「おのづから 寒さふくみて 咲き出でつ 蕊うつくしき 山茶花の花」
                                    藤沢 古実


この花が咲き始めると、寒い季節がやって来るなぁと思うのです。
そろそろ冬支度をしなくちゃ!


コメント (3)