林芙美子氏が、1941(昭和16)年から1951(昭和26)年に生涯を
閉じるまで住んでいた家が、区立記念館として公開されています。
林芙美子氏
(1903-1951)
略歴
1903(明治36) 福岡県門司市に生まれる(異説も)。
下関・長崎・佐世保・鹿児島などを転々。
1922(大正11) 尾道高等女学校を卒業し、上京する。
その後多くの職場を転々。詩集を創刊。
1926(大正15) 手塚緑敏氏と知り合い結婚。
1930(昭和 5) 『放浪記』がベストセラーとなる。
1941(昭和16) 下落合に新居が完成し、引っ越す。
1949(昭和24) 『晩菊』により女流文学賞を受賞。
1951(昭和26) 心臓麻痺により他界。享年47歳。
住居は当時の建坪制限により、芙美子氏名義の生活棟と
夫 緑敏氏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て、後に繋いだとか。
建築に当たっていろいろ勉強し、その思い入れは格別だったそうです。
山口文象氏設計で、京風数奇屋造りの繊細さと民家風のおおらかさを
併せ持った落ち着いた趣のある佇まいの住居になっています。
玄関
茶の間
掘炬燵を囲む一家団欒の場だったのでしょうね。
小間
ご母堂が使われた部屋だとか。仏壇がありました。
別棟にある書斎
半障子を通して見る庭の緑に、執筆の目を暫し休めたのでしょうか。
次の間
押入れの戸には、インド更紗が貼られています。
氏存命中の庭は、孟宗竹に覆われていたそうです。
「東西南北に風が吹き抜ける家を」というこだわりのこの家で
『うず潮』『浮雲』遺作となった『めし』などが生まれたのですね。
時を超えて残されているいろいろなものに
たくさん出会えた、今回の散策でした☆
20,965歩
大正~昭和初期頃の落合辺りには、まだ武蔵野の面影が
残っており、その魅力ある風景や静かな創作環境を求めて
多くの画家、文化人が住み創作活動の拠点となっていたとか。
夭折の天才画家といわれた洋画家 佐伯祐三氏もその一人です。
佐伯祐三氏
(1898-1928)
略歴
1898(明治31) 現・大阪市の寺に生まれ、中学在学中から油絵を始める。
1917(大正6) 上京し、東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学。
1921(大正10) 在学中に米子夫人と結婚 下落合にアトリエ&住居を建設。
1923(大正12) 大学卒業後 夫人・娘を伴ってパリに移り住み、創作活動。
ブラマンクのもとで、フォービズムの影響を受ける。
1926(大正15) 健康上の理由で帰国。アトリエを中心に創作活動を続ける。
1927(昭和2) 再度パリに拠点を移し創作を行うが、病気が悪化してしまう。
1928(昭和3) 肺結核のため、30歳の若さで他界。
画伯は1921(大正10)年、この地にアトリエ付き住居を構えましたが
現在そのアトリエ部分が、区指定史跡の記念館として公開されています。
画伯が日本での創作活動の拠点としていた唯一の場所は、
北側に大きな採光窓を設けるなど、当時の典型的なアトリエ建築。
建設当時は、アトリエの南側に母屋があったようです。
記念館内部では、
画伯の作品(レプリカ)や、画伯の生涯に関する
資料やDVD映像などが見られます。
「自画像」
DVDより
代表作、連作「下落合風景」から
(1926~1927)
「カフェ・レストラン」
(1928)
DVDより
「郵便配達夫」
(1928)
DVDより
画伯最晩年の作品
このアトリエには、パリから帰国した夫人が1992(昭和47)年に
亡くなるまで住み、創作活動を続けておられたそうです。
落合に住んだ文化人といえば、あの方の住居がありますね。
あと少し、足を伸ばして行ってみましょう☆
(続)
穴八幡宮を出て、早稲田の古書店街をぶらぶらとJR「高田馬場」駅の方へ
歩いていると、道の左側に笹竹で作られた茅ノ輪のようなものがありました。
「竹恵(ちくえ)輪」と書かれたその輪をくぐると
その先に小さなお社が・・
「子育地蔵」
正式の名は「源兵衛地蔵尊」。
江戸・元禄の頃、小泉源兵衛という人が荒地を開墾した場所に
人々が集まり、集落が出来て源兵衛村と呼ばれるようになったとか。
彼の死後、供養とその功績を讃え1726(享保11)年に祀られました。
地蔵像の後ろに「十大ご利益」というのが書かれてあります。
子宝・健康・病気平癒・長寿・・・・と、願いを何でも叶えてくれる
お地蔵様のようで、地元の人々から大切にされているのが
お社の周りの様子や、供えられた生花からも分かります。
商店街のシンボルにも・・
子育地蔵と道路を挟んでほぼ真向かいにある
小路をどんどん入って行くと、住宅街の先に
「天祖神社」
ご祭神: 天照大神
由来が記された説明板によると;
前述の豊臣家の遺臣小泉源兵衛が、大阪夏の陣に敗れて
この地に隠れ住み、荒地を拓いて当神社を創祀しました。
江戸時代には神明宮・神明神社と呼ばれていましたが
1870(明治3)年の大教宣布により天祖神社となりました。
源兵衛さんという方は、たいしたお人だったようですねぇ!
JR山手線のガードをくぐって神田川に架かる橋を渡り、西武新宿線の踏切を
渡って新目白通りを横切ると、下落合の閑静な住宅街に入って行きます。
緩やかな坂を上って行くと、こんもりした緑が見えてきました。
新宿区立「おとめ山公園」
「おとめ山」は可憐な乙女を連想しますが、漢字で書くと「御留山」。
江戸時代 この一帯は将軍家の狩猟場で、一般人は立入禁止だった
ことから、この名。 1969(昭和44)年に、公園として開園されました。
「東京の名湧水50選」に挙げられる敷地内の湧水を活かして
ホタルの飼育も行われているという都心のヒーリング・スポット。
起伏に富んだ園内には、ナラやシイなどの落葉樹が茂り
小鳥の声もするなど、武蔵野の面影を色濃く残しています。
ひっそりとして心細いくらい静かな公園でした。
公園を抜け反対側の門から出て、坂道を下ったところに
「氷川神社」
ご祭神:素 盞 嗚 命(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命[大国主命](おおなむちのみこと)
説明板によると;
創建は、今から2,400年前とも更に上古とも言われます。
旧下落合村の鎮守社。
神社からほど近く、右手の少し奥まった場所に
新宿区立「野鳥の森公園」
もともと農家の庭の一部だった斜面林を活かして整備された公園。
約15,000㎡の園内には、コナラ・エノキ・カエデ・スダジイなど
多くの樹木が植えられていて、ムクドリ・オナガ・ハクセキレイ・
シジュウカラなど、いろいろな種類の小鳥が見られるようです。
公園に隣接して、立派なお寺があります。
「瑠璃山 薬王院 医王寺」
真言宗のお寺です。
開山: 願行上人
ご本尊: 薬師瑠璃光如来
別称: 東長谷寺 ぼたん寺
創建年代は不明ですが、鎌倉時代頃かと言われています。
奈良・長谷寺の末寺で、長谷寺から移植した100株のボタンが
現在では1,000株にまで増え、ツツジと共に春の境内を彩ります。
ご本堂へ続く石段の横にもボタンの株
ゴールデンウィークの頃、花を見にまた来てみたいですね☆
今日はとても足が軽くて、まだまだイケそうですよ♪
もう少し先まで行ってみようと思います!
(続)
今年もまた、この時期になりました。
暑かった、そして例年にも増して早かった1年をふり返りつつ・・
まずは、お墓のお掃除に。
1年間 恙無く過ごせたことを感謝して
清々しい気分になったところで、
このあと、これも恒例 近くにある「穴八幡宮」へ。
すごい人です!
「歳末!」の雰囲気に満ち溢れています☆
鳥居をくぐり、「この石段、来年も元気に上りたいね!」と
言いつつ石段を上ると、朱塗りの山門
まずは、古いお札を納めて 新しいお札を頂き・・
ご本殿に参拝
暗いトンネルの先が見えない1年でしたが、
来年こそは、お札の如く「一陽来復」となりますように!!
以前はこのあと、アメ横へ年末のお買物に行ったものですが
歳とともに、このうえあの人混みは煩わしくて・・・(苦笑)
でも、恒例のお務めを終えて心も軽くなったので
暫くぶりにご近所を散策してみましょうか♪
(続)
今日もよく晴れたので、
お散歩がてら、お野菜の買出しに行きましょう♪
いつも変わらぬ、のどかな風景
本日のお散歩の友・・
ヤブツバキに カラスウリに
いつもお世話になっている野菜売りのおばさん
今日は陽射しがあったかくて助かるね!
葉まで新鮮☆ つい買いたくなっちゃう(笑)
は~い、これが本日GETの産直とれとれ野菜たち
しめて¥500也!
葉付きダイダイ2個のオマケつき♪
今夜は何作ろうかな~、楽しみ楽しみ☆
今日も少なかったナ・・
6,446歩
三崎の商店街を歩いていたら、こんな所を見つけました。
「三崎昭和館」
2010年春に元商店兼民家を改装してオープンしたもので、昭和の様々な
生活雑貨・玩具などが展示されているほか、地元伝来の民俗芸能で
先頃 ユネスコ世界遺産に登録された「チャッキラコ」に関するもの、また
地元出身の作曲家小林三千三氏の遺品などが展示されています。
(水曜休館・見学無料)
昭和の品々にも、建物の内部の様子にも興味津々☆
竈のある土間
竈は新しく造られたものだそうですが、羽釜や木製の臼と杵・
行水の盥・桶・蒸篭・御櫃など、見覚えあるものもいろいろ・・
右手前にあるのは、手回しの製麺機だそうです。へぇ~☆
元はお茶のご商売だったそうで、戸棚には茶箱や陶製の大きな茶壷も
土間の傍にあるのは、使用人(女中さん)の部屋
こちらは居間ですね
びっくりしたのは、家の中にある蔵。
入口のスノコになっている所は、換気口だそうです。
蔵の奥に、お稲荷さんが祀られてあります。
ここにはお米が備蓄されていたのかな。
中庭 縁側 ガラス戸 障子・・懐かしい光景です。
ちょっとの間、童心に返りました~♪
天皇誕生日の今日は、気持ちよく晴れ上がりましたね。
午前中、お買物に出た足で少し遠回りをして
my 富士見スポットへ☆
わぁ、きれい~~
こんなに、くっきりクリアな富士山は久しぶりだなぁ
このままもっと歩きたい気分だけど・・
いやいや、今日は主婦の顔!
さっさと帰って、マジメに主婦しよう
今日は少なめ
9,159歩
日暮れてからのお楽しみは、大規模な光の祭典☆
エントランスの階段を上がって行くと
山の起伏を活かし、200万球のイルミネーションが斜面を
埋め尽くして、幻想的な光の世界が広がっていました。
相変わらず、ボケボケの画像でごめんなさい!
せめて雰囲気だけでも、お楽しみいただけたら・・
1日よく歩きました!
34,095歩
通称「陣馬街道」は、甲州街道(R20)の「追分」交差点から
西へ別れ、和田峠を経て神奈川・相模原市へと続いています。
嘗ては「案下(あんげ)道」と呼ばれ、また甲州街道の裏道だった
ことから、「甲州裏街道」・「甲州脇街道」とも呼ばれたようです。
陣馬山から、この案下道を「夕焼小焼」バス停まで
戻る道々、いろいろ興味深いものに出会いました。
「くぬぎ沢橋」バス停近くの道路脇に、大きな石碑がありました。
とくに説明はなく、碑文もよく読めなかったので詳細は不明・・
「道路改修記念碑」
「落合」橋の近くで、野生のに遭遇!
素早く逃げられてしまい、 が間に合わず残念・・
道路沿いにひときわ立派な建物。
「尾崎家長屋門」
尾崎家は、代々町長を務められた家だそうです。
門に「なんじゃもんじゃ」と書かれた板が架かっていますが・・何だろ?
隣接した場所に石碑があります。
「関場址碑」
説明板によると;
江戸時代、甲州街道の裏街道(案下道)の重要な交通要点として
治安警備などのため「口留(くちどめ)番所」が設置されていました。
番所は村持ちで、村方36人が交代で詰めていたといいます。
明治初年に廃止されましたが、「関場」の地名が残っています。
少し先へ行った所に、
赤い屋根と青い下見板張りの外壁が美しい建物。
「上恩方(かみおんがた)郵便局」
1938(昭和13)年から、今も現役とはスゴいですね!
看板が ホラ、右書きデスよ☆
また、道の左側に2基の石碑がありました。
「松姫の碑」 「街道之碑」
武田信玄の6女 松姫が、武田家滅亡の折にこの道を通って恩方へと
逃れ、八王子・信松院の尼として余生を送ったことが刻まれています。
「夕焼小焼」バス停に戻って来ました。
「高留」橋の先で左側の坂を上り、林の中へ入って行くと
「宮尾神社」
創建:元暦年間(1184~1185)
祭神:底筒男命(そこつつおおのみこと)・
中筒男命・表筒男命 ほか
現・社殿は、明治中期の築造
静かな境内に立派な歌碑
「夕焼小焼の碑」
この歌の作詞者中村雨虹氏は、ここ宮尾神社の宮司の家の
出だそうで、故郷の恩方の情景が歌われているのだとか。
1977年 氏の還暦を祝って建てられたものだそうです。
街道に戻り、すぐ先の右手にあるのが「夕やけ小やけふれあいの里」。
宿泊施設・食事処・キャンプ場や地場産野菜直売所などの施設があります。
ギャラリー・スペース「夕焼小焼館」
中村雨虹氏に関する資料のほか、地元出身の写真家 前田真三氏の
作品(モノクロの素敵な写真がたくさん!)が展示されていました。
中村雨虹氏
(展示パネルより)
そのほか、2007(平成19)年までこの路線を運行していたという
ボンネット型の乗合バス「夕やけ小やけ号」も展示されています。
約1時間の里歩きを楽しみました。
このあともう一箇所、お楽しみがあるんです☆
(続)
今年納めのハイキングは、願ってもない好天に恵まれました
東京と神奈川の境にある「陣馬山」は、関東富士見100景の1つとか。
今日は、期待できそうだゾ!
JR「高尾」駅からバスで約30分。
その名も可愛い「夕焼小焼」というバス停から歩き始めました。
「高留橋」を渡り、案下(あんげ)川に沿って
静かな山里の中のバス道を暫く歩いて行きます。
路傍には
おや、雛人形も
歩いているR521は、通称「陣馬街道」と呼ばれる道です。
やがて周囲は杉林となり、傾斜のある道になってきました。
あまり陽のささない坂道を、ただ黙々と登って
所々で展望が開けると、ホッとします。
和田峠(標高700m)に到着☆
ハイカーさん達が数組休んでいました
1時間余歩いてきたので、私達もここで暫時休憩。
5分間のトイレ休憩のあと、再び出発します。
ここから山頂まで直登コースもありますが、私達は急ぎません(笑)
平坦コースと書かれた左の道を行くことにしました。
日蔭には霜柱がいっぱい!
霜柱なんて見るの、何年ぶりだろ・・
山頂まで、あとひといきのジグザグ登り道。
全然平坦じゃないじゃん・・(笑)
30分ほどで、山頂に到着~☆☆
「陣馬山」
その昔、ここで後北条氏と甲州武田氏の山岳戦が
繰り広げられたことから、この名がついたそうです。
標高855mですが、360°の眺望が広がっています。
白馬の像は、この山のシンボル。
見えましたね~
素晴らしい景色ですが、いつまでも浸ってはいられません。
汗ばんだ体は、ダウンの上着などで着膨れても・・・寒い!
名残り惜しいけれど、タイムの後は早々下山することに。
下りは、陣馬新道と呼ばれる杉林の中の道を
約1時間ほど下り、陣馬高原下に出ました。
案下の里の冬は厳しそうですが、時の流れを
感じさせる風景が広がるとても静かな山里です。
折角なので、バスを待つ間に少し歩いてみようと思います。
(続)
昨日今日と 本当に寒いですね~ 冬が一気にやって来ました!
とはいえ もう師走半ばですからねぇ 当然といえば当然ですが・・
あぁ あの夏の暑ささえ すっかり忘れてしまいそう(笑)
里山の畑では キャベツたちが元気デス!
マユミの木の下の方の枝は 実がすっかり落ちてしまいましたが
高い枝には まだ少しばかり残っています
「茎みちや 花かと見えて マユミの実」 鈴木白祇
アオキの実が 葉陰でこっそり色づき始めていました かわいい~☆
「アオキの実 赤きが寒き 庭面かな」 玉兎
野水仙は もうこんなに咲いています
「其のにほひ 桃より白し 水仙花」 芭蕉
12,793歩
横浜駅に隣接する商業施設「相鉄ジョイナス」の
ビルの屋上には、緑豊かな庭園があります。
その名も「ジョイナスの森」☆
大きな木もたくさん植えられていますが、「森」というよりは
きれいに整備された都市空間の空中庭園といった感じですかね。
緑に包まれて、数体の彫刻作品が点在しています。
「ニケ’83」
朝倉響子 作 (1983)
「茉莉花」
舟越保武 作 (1978)
道標シリーズ 「鳩」
柳原義達 作 (1973-79)
「果実」 「踊り子」
ブルーデル作 (1911) マンデー作 (1983)
「構成」
マリーニ作 (1955)
散策する人や、其処此処にあるベンチで憩う人、ランチする人・・
つながっている隣の「高島屋」屋上からは、元気な子供の声も。
ビルの空調音がなければ、小鳥の声も聞こえてきそうな
まさに‘都会のオアシス’です。
「は午前中に上がり、コートが要らないほどの陽気」と
いう予報でしたが・・・・ハズレでしたねぇ・・寒っ!
芝公園 もみじ谷の紅葉が見頃と聞いたので、
都内で用事を済ませての帰り道、例によって又ちょっと道草(笑)
曇天でおまけに夕方のため、全体的に暗くて相すみませぬ・・・
「弁天池」
「宝珠院」
源頼朝公や徳川家康公ゆかりの開運出世弁才天が
祀られている、浄土宗の寺院です。
「もみじ谷」
1984(昭和59)年に、自然石と樹林を組み合わせて造られた人工の
渓谷ですが、落差10mほどの滝もある散策路になっています。
すぐ傍を、車がばんばん走っているとは思えないような景観☆
起伏のある散策路を歩いていると、
観音堂があったり、立派な石碑があったり・・
芝公園といえば・・そう、コレですよね。
スカイツリーもいいけど、やっぱりこっちの方が好き!
「東京タワー」
「芝丸山古墳」
説明板によると;
全長106m 後円部径約64mの前方後円墳で、都指定史跡。
江戸時代以降 原形はかなり損なわれており、埋葬された遺体や
副葬品なども不明ですが、その形態などから5世紀代の築造と
みられ、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられています。
後円部にあたる丘の上に
「伊能忠敬測地遺功表」碑
忠敬の測量の起点となったのが、芝公園に近い高輪大木戸で
あったことから、1889(明治22)年青銅碑が建立されましたが
戦災で失われたために昭和46年に再建されたものです。
ほかにも、もっと見所がある公園なのですが・・
そろそろ日暮れてきました~残念! 今度はの時に、また☆
三戸浜にやってきました☆
1年ぶりかなぁ・・
青首大根の収穫が始まっています
大根畑の向こうに富士山を見ながら
出荷前の作業場は大忙し!
邪魔にならないように・・昼休みの間に
浜に出てみると
変わらない穏やかな景色が、そこにありました
会えてよかった~!
10,415歩
あちらこちらで、サザンカが咲き始めましたね。
一本の木が、枝いっぱいに花を咲かせて
寂しくなった晩秋の庭を華やかに彩ってくれています☆
「世界の植物」(朝日新聞社 刊)によれば;
サザンカが初めて記録に現れるのは江戸時代前期で、当時の
生け花の書『文華正道集』(1684年)や園芸書『花壇地錦抄』
(1695年)では「茶山花」、『合類大節用集』(1693年)には「山茶花」、
また貝原益軒の『花譜』(1694年)には「茶梅花」として登場するとか。
実際に観賞用として植えられるようになったのは、それより
もっと早く、室町時代頃であったろうと推定されているようです。
「くりはま花の国」にちょうど今、綺麗なサザンカが
咲いていると聞いたので、見に行ってみました。
「皇玉(こうぎょく)」
カンツバキ系
白色に近い淡い桃色の中輪種で、蕾の時は濃い桃色をしています。
ね、気品のあるとても綺麗な花でしょう?
カメラを向けるのも忘れて、暫く見とれていました・・
また少し離れた場所には
本来サザンカの特徴である長い花弁の花もありました。
「肥後入日の海」
ヒゴサザンカ
太陽が水平線に沈む時の色に似ているというので
こんなロマンティックな名前が付いています。
花の終わりには、花びらが反り返って暗紫赤色に変わります。
「おのづから 寒さふくみて 咲き出でつ 蕊うつくしき 山茶花の花」
藤沢 古実
この花が咲き始めると、寒い季節がやって来るなぁと思うのです。
そろそろ冬支度をしなくちゃ!