足湯に行ったときに出会ったハーブの仲間たちです。
タンジン(丹参)
シソ科アキギリ属
中国原産の薬用サルビア
根が赤く鎮痛の薬効があるところから、この名。
葉の付き方が鳥の羽みたいです。
イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)
シソ科イブキジャコウソウ属
朝鮮半島・中国・モンゴル・ヒマラヤなどに分布。
日本では滋賀県の伊吹山に多くあるところから、この名。
発刊作用があり風邪に効くそうです。ピンク・紫色の花も。
チコリ
キク科キクニガナ属
和名:キクニガナ(菊苦菜)は、葉に苦味があるところから。
北ヨーロッパ原産で高さが50~150cmにもなります。花は半日花。
葉や花はサラダ、蕾はピクルス、根は焙煎して‘チコリコーヒー’に。
ウィンターサボリー
シソ科キダチハッカ属
和名:キダチハッカ(木立薄荷)
原産は地中海沿岸。 ブーケガルニの材料の1つ。
同じ仲間に「サマーサボリー」というのもあるそうです。
タンジー
キク科ヨモギギク属
和名:エゾヨモギギク(蝦夷蓬菊)
ヨーロッパ原産で、ヨモギのような強い香りの葉には苦味があります。
殺虫・防虫効果があるので、乾燥させて防虫剤やポプリにします。
鬱陶しさを吹き飛ばしてリフレッシュしたーい!
・・というわけで、久しぶりに足湯にやって来ました。
陽気のせいか、来ている人はやはり少なめ。
今日は、デオドラント&リフレッシュ効果の
あるレモンバームとミントの湯です~♪
蝉の声をBGMに足湯しながらぼおーっと
緑を眺めていると、心からリラックス・・
はぁ~
リフレッシュしたところで、すぐ傍にある温室を覗いてみました。
温室とはいえこの時期だからでしょう、入口も窓も開放されています。
キフゲットウ(黄斑月桃)
ショウガ科
別名:シェルジジンジャー
インド原産 とても良い香りの花です。
スターフルーツ
カタバミ科ゴレンシ属
別名:ゴレンシ(五斂子)
熱帯アジア原産で高さ5~10mにもなる木です。
酸味のある果実は、生食のほかピクルスや
解熱・解毒の薬用にも使われるそうです。
フイリパイナップル(斑入りパイナップル)
パイナップル科
葉の模様が美しい観賞用のパイナップルです。
食用のものより小型ですが食べられるようです。
ボルネオソケイ(ボルネオ素馨)
モクセイ科ソケイ属
インド原産
別名:スタージャスミン・ホシソケイ(星素馨)は花の形から。
ふくよかな良い香りです。インドネシアの国花だとか。
温室を出たら細い雨が降っていました。
こんなこともあろうかと最近はいつも携帯している傘をさして
ぶらぶら歩いているうちに雨がやんで
だんだん霧が・・
わぁ、ゴジラだ~!
「冒険ランド」の巨大なゴジラの滑り台で遊ぶ
子ども達の声が、霧の中に響いていました。
15,605歩
蒸し暑い日が続きますね~
最近は毎年のように「夏って、こんなだったっけ?」と
思ったりするのですが、今年は特にそんな感じがします。
ホントにこんなでしたっけ・・?
ハーブ園では、そんな鬱陶しい天候にも負けじと
いろいろなハーブの花が咲いていました。
アーティチョーク
キク科
別名:チョウセンアザミ
丈が2mにもなる大型の多年草です。開花前の蕾を摘み取り
花托を茹でて肉厚部分を食用にします。 用途・・料理
アップルミント
シソ科
綿毛の生えた丸い葉が特徴のミントの仲間。リンゴのような
甘い香りがします。 用途・・料理・お茶・アロマ
オレガノ
シソ科
別名:ハナハッカ
料理用ハーブの代表格のひとつでピザ・パスタ・トマト料理などに利用。
オイルには殺菌作用があります。 用途・・料理・薬用・アロマ
カールドン
キク科
中央アジア原産
軟白にした葉柄を茹でて食べます。銀白色の大きな
葉をつけます。 用途・・料理・ドライフラワー
スウィートバジル
シソ科
和名:メボウキ(目箒)
熱帯アジア原産
和名は、日本で昔 種から出るゼリーのようなもので目のゴミを取り
除いたことから。生葉をペーストにしたりトマト料理に使ったりします。
ディル
セリ科
南西アジア原産 別名:イノンド
若葉はポテトサラダに、種はピクルスや肉料理・お菓子などの
風味付けに利用します。 用途・・薬用・アロマ
ソープワート
ナデシコ科
別名:サボンソウ ヨーロッパ原産
サポニンを含み、茎・葉を煮出した汁を洗髪などに使うことからこの名。
香りの良い花はポプリにも。 用途・・アロマ
ペニーロイヤルミント
シソ科
別名:メグサハッカ
ミントの仲間で、茎は地面を這って拡がり花茎が立ち上がります。
用途・・お茶・薬用
ヒソップ
シソ科
別名:ヤナギハッカ 南ヨーロッパ原産
葉は香りが強く、肉・魚料理やお菓子・サラダなどに利用します。
薬用効果もあります。 用途・・料理・薬用・アロマ
ベルガモット
シソ科
別名:ヤグルマハッカ 北アメリカ原産
葉にはミントに似た香りがあり、サラダや飲み物の香辛料に利用
されます。頭痛や熱に薬効があります。 用途・・お茶・薬用・観賞
諏訪神社の隣にあるお寺に行ってみました。
「嶂谷山信誠(しんじょう)寺」
浄土真宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来像。
お寺には珍しい武家様式の門は、幕命により江戸湾防備のため
この地に10年間駐屯した川越藩の陣屋の門との説もあります。
門を入った左手に「龍燈木古跡」
木は、マテバシイかスダジイの仲間だろうといわれています。
伝説によると、海中から火の玉が飛んで来て梢で燃え続けた
のを人々が「龍燈」と呼び、大津港の目印になったそうです。
「逆さ銀杏」
蓮如上人が東国巡化の折、真宗が長く繁昌する地かを
示すために携えてきた杖を逆さにして地面に挿した
ところ、根付いて枝葉が繁茂したと伝わっています。
ご本堂の右手にあり、祈願するとお乳の出が良くなるとか。
お寺を出ると、山門の脇に墓石が並んでいました。
海岸防備に当たっていた川越藩士のお墓だそうです。
民家の間の道を更に進み大津小学校の前を
右に曲がると、路地の最奥にあるお寺が
「獨留山信楽(しんぎょう)寺」
1504(永正元)年に開山。ご本尊は阿弥陀如来像(伝 運慶作)。
地蔵菩薩を祀り三浦地蔵尊第27番札所となっています。
堂内正面に阿弥陀如来像、右側に聖観音菩薩像。
行基作と伝えられる聖観音菩薩像は、「平家物語」でお馴染みの
源氏の武将 熊谷直実の守護仏で、直実が近江国大津の信楽寺へ
納める筈だったのを使者が間違えて当寺に納めてしまったものとか。
(説明板より)
境内左手の墓地に、坂本龍馬の妻龍子さんのお墓があります。
龍子さんの死から8年後に建てられたものだそうで、
海軍工廠が寄付したというひときわ大きな墓石には、
「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。
戒名は「照龍院閑月珠光大姉」。
伝 龍子像(井桜直美氏所蔵)
(説明板の写真)
1850(嘉永3)年に京都の町医 楢崎将作の長女に生まれ
のちに龍馬と結ばれた「おりょうさん」は、1867(慶応3)年
夫と死別後 土佐の坂本家に入りましたがうまくゆかず、京・
大阪・東京と流浪の末、横須賀の地で近江出身の呉服商
西村徳兵衛氏方に入籍。西村ツルの名で生活しましたが
1939(明治39)年に死去したということです。享年66歳。
墓前には好きだったというお酒とお花。
小さな龍馬さん(と西郷どん)の像もありました。
女性が自立して独りで生きるのが困難だった時代のこと、
「龍馬の妻」の誇りと現実との差に苦しみをお酒で流した
日々だったのでしょうか。そんなおりょうさんを西村氏は
夫というより保護者の目で見守られたようです。
2007年 「よこすか龍馬会」の方達の手でお二人の
木彫坐像が奉納され、お堂内に仲良く並んでいます。
何かほっとした気持ちになって
17,402歩
1本の傘が雨傘になったり日傘になったり・・
今日は空模様がめまぐるしく変わる1日でしたね。
そんななか地図を片手に、路地をトテトテ歩いてみました。
京急・新大津駅から、R134へと緩やかに下る坂の途中に
「風神地蔵尊」
「奉納」と書かれた赤い前掛けが可愛らしいお地蔵様。
詳しい由緒は不明ですが、大正末期~昭和初期頃に
地元の篤志家によって建立されたもののようです。
風邪にご利益があるとか。
庭木や草花がきれいに手入れされて
いる路地を抜けて行くと
「諏訪神社」
大津の総鎮守です。
ご祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)のほか
菅原道真公など10神をお祀りしています。
信州・諏訪大神を勧請して823(天長元)年に創建。
武勇神ということから、三浦相撲が盛んな頃は境内で
奉納相撲が行われ、古くは平貞盛、三浦大介、向井将監
などが参拝。戦前は軍部の参拝も多かったそうです。
「古来この辺りは幽境で、後方の神岳は蛇沼山とも称し
高僧空海が巡錫の折、山嶺より『是正東海一之密行之境也』
と賞嘆されたという。」 (説明板より)
境内の狛犬さん
石段を上って社殿へ
石段の途中の狛犬さん
左は「頼主 當所徳左エ門」、右は「嘉永七年」と読めます。
社殿は震災で倒壊後、1925(大正14)年に再建されたそうです。
社殿前にも、もう一対
社殿の右側に「琴平神社」
ご祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)。
1805(文化2)年に讃岐の金毘羅宮から海上守護・航海安全の
守り神として馬堀の里に勧請されましたが、陸軍重砲兵学校の
敷地となったため1945(昭和20)年 此処に遷座されました。
(説明板より)
更にその奥には「菅公千年祭記念碑」
1902(明治35)年に保込天神に建立されていた
ものが1938(大正13)年に此処へ遷されました。
(説明板より)
そのほか、社殿左側には稲荷神社もありました。
この大津辺りは、古東海道を通って行ったという日本武尊の昔から
源氏を支えた三浦氏の時代の鎌倉道、江戸幕末期の浦賀道、
近代以降は軍関連の重要性から、交通の要衝となっていました。
「大津道」と呼ばれ、今も多くの史跡・寺社がある地域だそうです。
一方通行の旧浦賀道を上っていきます。
霧のような細かい雨が降ったりやんだり・・
いにしえ人も、こうして江戸へ向かって笠を
濡らしながら黙々と歩いて行ったのでしょうか。
「星谷山 浄蓮寺」
先程の春日神社の別当寺を勤めた日蓮宗のお寺です。
ご本堂は、1762(宝暦13)年に焼失後 再建されたもので
明治末になって茅葺を瓦葺にしたそうです。
ご本堂の右手に幼稚園が併設されています。
左に赤く見えるのは幼児用の滑り台。境内が園児の遊び場に
なっているのかもしれません。邪魔しないように遠くから・・・
園舎のある場所には以前、海中から引き揚げられた
不動明王像を祀った不動堂があったそうですが、
明治38年ごろの大風で倒壊してしまったとか。
市内最古の「公郷(くごう)学校」が、このご本堂を学舎と
して使っていたようです。1877(明治10)年には、お寺の
隣地に和洋折衷の立派な校舎が建てられました。
校門は冠木門で8教室・教員室などがあり、総工費は
当時の価格で1,375円25銭かかったということです。
残念ながら、現在は道標があるのみ。
京急・堀の内の隣駅「県立大学(旧安浦)」駅に到着。
このまま歩き続けると赤門や聖徳寺に到りますが、
以前ご紹介したので今日はここまでにしておきます。
県立大学駅の近くに鳥居が見えたので、
シメにちょっと寄ってみました。
「安浦神社」
ご祭神は、健御名方命(たけみなかたのみこと)・八坂戸売命
(やさかとめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)の三柱。
それ以外の詳細はわかりませんでした・・
ここは赤目の狛犬さん
玉垣に、こんなお名前を見つけました。
しっとりと静かな街の散策でした♪
12,784歩
江戸時代江戸から浦賀奉行所への道は、江戸湾沿い(東回り)と
相模湾沿い(西回り)の2本がありました。浦賀道と呼ばれる
その道筋のうち、今回は堀の内近辺を歩いてみました。
京急・堀の内駅前から右手にある小さなガードをくぐって行くと
「照東山 泉福寺」
日蓮宗のお寺です。
こじんまりしていますが、清々しい感じのよいお寺です。
ご本堂の左手に毘沙門天を祀るお堂がありました。
ご本堂 毘沙門堂
入母屋造りのお堂は幕末の頃、海岸防備のために大津陣屋に
駐屯していた熊本藩が陣屋の守り神として祀ったもので、
もと馬堀にあった白山神社の社殿を遷したものです。
毘沙門堂正面の龍の彫刻は、西叶神社(浦賀)の彫刻で知られる
千葉の名工後藤利兵衛さんの弟子 後藤喜三郎さんの作と言われています。
毘沙門堂前の狛犬さん
頭頂のタンコブみたいな丸い突起が愛らしい!
傍に更に古いものと思われる狛犬さんが1基だけ。
こちらはかなりコワいお顔ですね。年代は不明。
駅前の道を海に向かって少し行った所で左折すると
浦賀道の道筋になります。街道筋にあるお社は
「春日神社」
奈良の春日大社を分霊したといわれる古社で創建は不明。
古くから沖合いの猿島に祀られ、此処に海に向かって
遥拝殿が建てられていましたが、1884(明治17)年に
陸軍省が砲台建設に島を買い上げたため、最終的に
1909(明治42)年 此処に遷されました。
鳥居の傍にある狛犬さん
なかなか立派で威厳があります。
社殿
社殿の前の狛犬さん
こちらの方が古いもののようですね。
社殿の左手に神輿を納めたお堂があります。
夏の祭礼が間近のようで、大神輿1基と
小神輿4基がスタンバイしていました。
神輿のお堂の前にも
おや、これはどう見ても狛犬ならぬ狛猿?
猿島の白猿伝説に因んでいるのかもしれません。
浦賀古道の狭い道は、現在でも
車両一方通行の要路になっています。
今日は陽射しはそこそこでしたが、湿度が高く蒸し暑い一日でした。
こんな日に外歩きなんて、私は何をやっているんだか・・と思わぬでも
ありませんが、咲いている花たちがたくさん元気をくれました♪
ペチュニア
ナス科ペチュニア属
南アフリカ原産
別名:ツクバネアサガオ(衝羽根朝顔)
夏の花壇を彩る代表的な花ですね。花色も多彩。
よく似た花の「サフィニア」もペチュニアの一種で
交配によって作出された園芸種だそうです。
アフリカンマリーゴールド
キク科タゲテス属
メキシコ原産
和名:センジュギク(千寿菊) 別名:マンジュギク(万寿菊)
細かいフリルの花弁が集まってボール状に咲きます。
アステカ族の人達はこの花を薬用に用いたそうです。
クフェア
ミソハギ科クフェア属
メキシコ・グァテマラ原産
別名:メキシコハナヤナギ
細かい葉が密に茂り、白・紫・赤紫などの色の花が咲きます。
オシロイバナ(白粉花)
オシロイバナ科オシロイバナ属
メキシコ原産 日本へは江戸時代に渡来しました。
黒い種をつぶすと白い粉が出ることから、この名。
夕方から花が咲き始めるので、ユウゲショウ(夕化粧)とも。
花言葉は「あなたを思う・内気」
フウセンカズラ(風船蔓)
ムクロジ科フウセンカズラ属
東南アジア・北アメリカ・アフリカなどに分布。
果実が風船のように膨らむところから、この名。
花言葉は「あなたと共に飛び立つ」
キバナコスモス(黄花秋桜)
キク科コスモス属
メキシコ原産
花言葉は「野性美」
エノコログサと自然のコラボレーション!
フウセントウワタ(風船唐綿)
ガガイモ科トウワタ属
南アフリカ原産
晩秋に熟した実がはじけると、白い綿毛の種が出てくるので、この名。
まだ小さいですが、ちゃんともう実が生っていました。
花言葉は「逆境と繁栄」
ミソハギ(禊萩・溝萩)
ミソハギ科ミソハギ属
日本・朝鮮に分布。 湿地を好みます。
旧盆の頃に咲き仏前の供花に使われるので、
別名:ボンバナ(盆花)
ヘリクリサム・シルバーミスト
キク科ムギワラギク属
以前ご紹介した同じ場所で、こんな状態になっていました。これが花?
キキョウ
キキョウ科キキョウ属
日本・朝鮮・中国に分布
英名:Baloon flower は蕾の形からでしょうか?
古くは「アサガオ」と呼ばれていたようで、
山上憶良の歌にも登場しているそうです。
花言葉は「誠実・変わらぬ愛」
ペンステモン
ゴマノハグサ科イワブクロ属
北~中央アメリカ原産
別名:ツリガネヤナギ(釣鐘柳)
花色はピンクのほか白・紫・青など。暑さには強くないようです。
ブルーファンフラワー
クサトベラ科クサトベラ属
オーストラリア原産
扇の形をした青色の花がいかにも涼しげですね。
匍匐性。 白花もあるそうです。
この時期はやはり、アフリカや中南米原産の花が多いようですね。
そろそろ帰らなくては・・という時間になってきたので
駅に戻ろうと歩いていると、左手奥にこんもり緑の空間が・・
じゃ、ちょっと寄って行きましょう(笑)
<山王草堂記念館>
徳富蘇峰氏が1924年から約20年間「山王草堂」と称して
起居されていた旧居の一部を復元公開しています。
徳富蘇峰氏(1863~1957)
蘇峰氏は熊本の人。1887(明治20)年 25歳で民友社を創立し、
日本初の総合雑誌『国民之友』を発刊、続いて『国民新聞』を創刊。
1918(大正7)年56歳~1943(昭和27)年90歳で代表作といわれる
『近世日本国民史』全100巻を完成させました。
(パンフレットから)
復元された山王草堂二階部分
数々の書簡など(レプリカ?)が、蘇峰氏の幅広い交友を表しています。
その一部です。
伊藤博文氏
勝海舟氏
板垣退助氏
新島 襄氏
記念館前は池を巡らした庭園になっています。
涼しい木蔭のあずまやで一休みしていきましょう。
山王草堂を出て、少し歩いた所で道標を発見。
またちょっとだけ寄り道してしまいました・・
<尾崎士郎記念館>
尾崎士郎氏(1898~1965)は愛知県の人。
1923(大正12)年馬込に移り住み、以後伊東市に転居した
10年間を除くと、作家生活の大部分を現在の大田区で
過ごし、文士村の中心的存在で「文士村の放送局」と
言われました。『人生劇場』などの作品が知られています。
(パンフレットから)
玄関を入ってすぐの客間
嘗てはこの右手に、家族の居室などがあったそうです。
庭に面した書斎(復元)
氏愛用の机
遺愛品の数々
さあ、今度こそ本当に帰りましょう(笑)
思いがけない出会いから、大正~昭和にかけての
馬込の文化の一端を垣間見ることができた散策でした。
21,677歩
川端龍子(かわばたりゅうし)画伯(1885~1966)は
言わずと知れた日本画の巨匠。会場芸術を主唱し、
数多くのスケールの大きな作品で知られています。
<龍子記念館>
1963(昭和38)年 画伯の喜寿の記念に
ご自身の発意・設計により建設されました。
(案内パンフレットより)
「集まれ! 河童っぱ!」展を開催中
(8月30日まで)
画伯は河童を題材にした作品を多く描きました。
「自分の河童図は、私なりの河童を想定しての創作です。
いわば之は、私の架空の愛玩動物とでも言いましょうか、
時には自分の代弁者となって時事への関心を発言したり、
時には又、自らの演出で自己満足を楽しんだものと言える
でしょう。」と河童を描くことについて述べています。
(案内文のまま)
ぬるりとした皮膚感まで伝わってきそうな沢山の河童の絵
のほか、大作の「孫悟空」など計16作品が展示されていました。
龍子記念館を出て桜並木を歩き、道標に従って
右折していくと、静かな住宅地の坂の途中に
<熊谷恒子記念館>
かな書道家 熊谷恒子氏の旧宅が記念館になっています。
熊谷恒子(くまがいつねこ)氏(1893~1986)は、現代
女流かな書道界の第一人者。皇后陛下が皇太子妃で
あられた頃にご進講されたことでも知られています。
(案内パンフレットより)
「かなの美」展を開催中
(12月23日まで)
かな散らし書きの作品を中心に展示しています。
優雅で流麗、会場の雰囲気と相まってたおやかな
美しい世界に暫し時間を忘れました。
「まちあるき地図」があれば何とかなるサ、と
軽い気持ちで歩き始めたのでしたが・・
所謂 道路地図と違い、通りの名も交差点の名も
番地も書いてないので、おおよその方角は
わかるもののどこで曲がればいいものやら??
・・・甘かった!
日差しの中とて道往く人も殆どなく・・・と、折り良く
少し先を行くご婦人を見つけたので追いかけて行って
道をお尋ねすると、「私もこれから行くところです。」
何とラッキ~!!
という僥倖に恵まれ、行き着いたのが「龍子公園」。
更に運良く、ちょうど係りの人が門の鍵を開けて
これから園内を案内してくださるところでした。
2つの神社にきちんとお参りしたご利益があったかも♪
<龍子公園>
日本画の巨匠 川端龍子画伯が自ら設計されたという
住まいと庭園をほぼ当時の姿のまま保存し、時間を
限って係りの人の案内で一般に公開しています。
(火曜~日曜 11時・13時・15時)
龍の鱗をイメージしたという敷石のアプローチを通って玄関へ。
玄関横から入ると、武蔵野の面影を宿す庭園と居室。
設計が画業以外の唯一の趣味だったそうで、細部に到るまで
芸術家のセンスと吟味を尽くされた材料・・溜息が出ます!
随所に竹が用いられ、歳月を経て独特の色と風合いを醸しています。
月の光を透かして楽しまれたという飾り窓
畳の敷き方が独特なのにお気づきでしょうか。
縦横の縁の合わせ目が卍になるように工夫されています。
枯山水の石組みを巡ってアトリエへ。
この巨大なアトリエは、会場芸術を主唱して「青龍社」を創立した
画伯が大作制作の必要から1938(昭和13)年に建てたものです。
ガラス戸越しの撮影なので見難いですが・・
ここから名作が次々と生み出されました。また画伯が
多くの門弟の指導育成にあたった場所でもあります。
画伯は床板の節を嫌い、その部分を亀甲にくり抜いて
同じ材料できれいに埋めた場所が何箇所かありました。
芸術家のこだわり・・でしょうね。
1945(昭和20)年8月13日 B29の爆撃に遭いましたが、
このアトリエは奇跡的に難を免れたそうです。
自然をこよなく愛した画伯の芸術観と自然観を偲ばせる
素晴らしい建物・庭園を見学することができました。
このあと、道を隔てた向かいにある記念館へも行ってみましょう。
大森駅前の緩やかな坂は「八景坂」と呼ばれ、今は
人と車の通行が途切れることのない普通の通りですが、
昔はかなり急坂で上りきると海が見え、遠く房総までも
望める眺望絶佳の景勝地だったようです。
時の流れですね・・
「大森貝塚遺跡公園」から駅の方へ戻る途中に
良い雰囲気の神社があったので寄ってみました。
「大森山王日枝神社」
日枝神社と名の付く神社は全国に3000社以上あるそうです。
この神社について何の予備知識もなかったので、帰宅後に
web検索してみましたが、結局由緒など不明のまま・・
でも如何にも歴史がありそうな、心落ち着く神社でした。
見事な曲線の海老虹梁と木鼻の獅子
お堂の左右に鯉の木彫。 時を経た木の色が美しいですね!
境内にある古木。 何の木かな?
駅まで戻ってくると、向かい側の緑の中に
石の鳥居が見えたので、ここにも寄ってみました。
「天祖神社」
ご祭神は天照大神。 創建時期は不明だそうですが、かの昔
八幡太郎義家が奥州征伐に向かう折に戦勝祈願をしたと伝わり、
自らの鎧を掛けたという「鎧掛けの松」と呼ばれる松があったとか。
今はその痕跡もありませんが、広重の絵に立派な松が描かれています。
神社横の石垣にはこんなレリーフがありました。
「馬込文士村の住人たち」
ここ山王・馬込には大正末~昭和の初め頃、多くの文士や
芸術家が住み、「馬込文士村」と呼ばれていたそうです。
大根畑の広がるこの地に、1923(大正12)年 若き日の
尾崎士郎・宇野千代夫妻が移り住み、以後 誘いに
応じて文学仲間が次々と住むようになっていったとか。
(説明板の内容から)
「朔太郎・犀星の周辺」
帽子の男性は北原白秋氏 その右側が萩原朔太郎氏
左下の眼鏡の人が室尾犀星氏
「馬込文士村時代、それは女性活躍の時代でもあった。」
左から、片山花子・宇野千代・村岡花子・吉屋信子・佐多稲子の諸氏
何だか面白そうな街じゃありませんか
駅から帰るつもりだったのですが、もう少し歩いてみたくなりました。
念のためにと持ってきていた、以前「昭和のくらし博物館」に
行ったときに頂いた「まちあるき地図」が役に立つかもしれません。
< 2つの大森貝塚 >
JR「大森駅」を出て目の前の緩やかな坂(R421)を
右手に上って行くと、足元の舗道に絵タイル・・
絵タイルに導かれて、ビルの谷間の階段を下りて行きます。
すると、1877(明治10)年に貝塚を発見したアメリカ人の生物学者
エドワード・シルヴェスター・モース氏の像を嵌め込んだ説明板と
その奥、JRの線路際に大きな「大森貝墟」の碑がありました。
1930(昭和5)年 建立
ふーん、此処があの有名な貝塚の出た所?
しかし、先程の入口に「300m先にもう1つの碑があります」とあるので
更に行ってみると、「品川区立 大森貝塚遺跡公園」。
園内から何やら楽しげな声が聞こえてきます。
行ってみると、広場の床から白い霧がモクモク・・
この幻想的な仕掛けは来園者に太古の雰囲気を体感して
もらうための演出で、30分毎に発生させているとか。
小さな子供たちはそんな意図に関係なく、歓声を上げながら
霧の中を右へ左へと駆け回って楽しそう!
広場の横にモース博士の胸像
広場の裏手へ廻ってみると、貝層を展示しています。
そのほかにも、絵タイルやイラストなどを使って
いろいろな説明が分かりやすくされています。
縄文期の人々の暮らしはこんな風だったのでしょうか。
園内の最奥に「大森貝塚」の碑
1929(昭和4)年 建立
此処が貝塚の発見場所?
2箇所の「大森貝塚」について検索したら
こんなサイトがありましたので、ご参考までに。
http://www3.ocn.ne.jp:80/~zeon/machi/kaizuka/kaizuka.htm
7月10・11・12日の3日間、東京・千駄ヶ谷にある東京体育館で
「第26回全日本武術太極拳選手権大会」が開催されています。
この大会は、世界大会及び東アジア大会に出場する
日本代表選手の選考会も兼ねているそうです。
今年も全国各地の予選を勝ち抜いてきた選手達が一堂に会し
種目ごとに技を競い合うハイレベルな試合が展開されています。
午前10時過ぎに体育館に着くと、既に試合は始まっていました。
ピーンと張りつめた静寂の中、6面のコートで各競技が行われています。
時々発せられる選手の鋭い気合いと、「ジァヨウ(がんばれ)!」という
応援席からの短いかけ声が広い館内に響きわたります。
この大会は私にとって、普段あまり見る機会のない種目の
トップレベルの競技が間近で見られるという楽しみもあるのです。
選手の予測できない敏捷な動作!
撮影者も緊張して大ブレですが、少しでもその雰囲気をお伝えできれば・・
ロビーでは表演服・靴・各種器械や記念Tシャツなどが
売られていて、ここで物色するのも楽しみのひとつ!
以前は今と違ってエントリーすれば誰でも全国大会に出られた
ので、私も先生に言われるまま、訳も分からず2、3度出場した
ことがありますが、コートに立つと頭の中が突然真っ白!
ただ震えるほど緊張したことだけ覚えています。
そのときの成績ですか?
‘若気の至り’です・・聞かないで・・ははは
7月9 ・10日は観音詣での「四万六千日」とか。
46000÷365は? えーと・・・何年分のご利益かな?
浅草寺は、参詣に訪れた人で門前から大賑わい!
仲見世通りも人・人・人の佃煮 ほおずき市のうちわを売るお店
雷除けのほおずきの鉢を並べたお店がいっぱい!
お店の人に「撮らせてください」とお願いしたら、
売り子のおねえさんが手馴れた感じでにっこりポーズ
いえ、あの、ありがたいけど記念写真じゃなくて普通に・・(と、心の中で)
「写真はちゃんと断ってから撮りな!」と叱られている男性もいましたよ。
お祭りはみんなが楽しむもの、怒鳴り声は似合わない・・
お互いに気をつけたいですね。
こちらは接客中でお忙しそう・・遠くからならいいかな?
人波に押されるようにご本堂へ
雷除けのお守りはこんな形
ご本堂東側の二天門は改修中のため、門内に立つ増長天と持国天が
現在は別の場所に仮安置されていて間近で拝観できます。ラッキ~!
銘文から、法橋(ほっきょう)吉田という仏師の作と分かって
いますが、仏師についての詳細は不明だそうです。
二天門の改修は平成21年末に完了の予定とか。
(説明板より)