スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

熊野古道を往くⅡ

2008-11-18 | 他県

箸折峠を下り、日置(ひき)川に沿って近露の集落に入ります。

此処も熊野街道の要所で、伝馬所が置かれ宿屋が立ち並ぶ
宿場町でした。後鳥羽上皇はここで歌会を開いたとか。
長い旅のつかの間の娯楽だったのでしょうか。

日置川近くにあるのは「近露(ちかつゆ)王子」
お社は現存しませんが、見事な筆跡の石碑があります。

南北朝時代、吉野に落ちて来た大塔宮護良親王を助けた
野長瀬一族の墓所など、歴史の香りが漂う山里です。


近露王子~継桜(つぎざくら)
王子の辺りは、往時の街道の
雰囲気が今なお色濃く残っているといわれています。
路傍には、行き倒れた参詣者を弔う小さな仏が・・
   
        

   
すべての枝がの熊野権現の方角に伸びているので
「野中の一方杉」と呼ばれる樹齢800年を超す巨木群に
守られるようにして「継桜王子」のお社があります。
   
明治時代の神社合祀の際、多くの社の樹木が伐採された中
南方熊楠(みなかたくまぐす)の運動のお蔭で伐採を免れた
貴重な
天然記念物の杉は、径8m余の幹が裂けたり洞ができたり
しながらも
堂々と立っています。「俺を見ろ、少し傷ついた
くらいでへこむな」と
いう声が聞こえたような気がしました。


その先にある藁葺の家はTVでお馴染みの「とがの木茶屋」
予約すれば食事や宿泊もできるそうです。



続いて、藤原秀衡ゆかりの「秀衡桜

参詣の途中 産気づいた奥方の出産した赤子を岩洞に残し、
赤子の無事を祈念して桜の枝を別の木に接いで行った秀衡が
参詣を終え戻ってみると、赤子は無事で桜も花が咲いていた
という言い伝えがあるそうで、これはその桜の子孫だとか。


この辺りに水道が引かれたのは近年になってからだそうで、
水の不便さが歌われた地歌が碑に残されています。
「一人娘は野中にやるな 野中吹きあげ 水遠い」

その頃 地元の人々が汲んだ湧水が
「野中の清水」

50200t/
を湧出し、日本名水百選に選定されています。
地元の人ばかりでなくどれほど多くの旅人の喉をも潤してきた
ことか。今も地元の人々の手で大切に管理されているそうです。


ひっそりと自然と共生する山里の人々の
暮らしに思いを致しながら歩きました。
滝尻王子からここまで10,559歩

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4 コメント

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情趣あふれる写真 (kikyo)
2008-11-18 14:05:38
苔むした石碑やいかにも「古道」という感じの杉並木の細い道など、どれをとっても、予想していた以上にいい道なんだなあと思います。

それも史実を交えての上手な説明が添えてあるからなのでしょう。

社の樹木が伐採された中で南方熊楠(みなかたくまぐす)の運動のお蔭で伐採を免れた樹木たちの話には、感銘を受けました。
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南方熊楠さん (夜猫子)
2008-11-18 16:30:23
舌を噛みそうなお名前ですが、何ヶ国語も自由に話せたそうで
日本で最初に「エコロジー」という言葉を使った人だと聞きました。
高い見識を持ったスゴい方だったようですね。

苔むした近露の石碑も、壊されるところを保存に奔走した方がいて
辛くも残されたとか。そうした方達のお蔭で熊野古道があるのですよね~!
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とがの木茶屋 (osamu)
2008-11-20 05:48:24
お早うございます。本日(20日)もすでにアップされていてビックリ。ユックリ読ませてもらいます。
TVでよく見せられます。今回も古道の雰囲気がよく出て感服!本文もコメントも説明もよく分かりみんないいです。
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お早うございます (夜猫子)
2008-11-20 11:27:15
熊野古道の雰囲気がすこしでも伝わっているでしょうか。
ご一緒に歩いている気分になって頂けたら嬉しいな!

旅も後半です。がんばってリポートしま~す。
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