今日は朝から薄陽が射すものの、何かシャッキリしない天候です。
でも、湿気はさほど感じないので、散歩にはうってつけかも~☆
今日は、いつもと違う川沿いの道を歩いてみました。
今 あちこちでよく見かけるのは・・
スイカズラ
テイカカズラ
夏の果実も・・
ビワ
クワ グミ
綺麗なピンク色の花が、木の枝いっぱいに咲いていました。
何の花かな?
昨年 関東地方の梅雨入りは、たしか5月27日でした。 今年はどうでしょうね?
今のうちに、せっせと‘歩きだめ’をしとかなくっちゃ!(笑)
13,860歩
12:30 みはらし台をスタート。
午後からは、上ったり下ったりの山道になりました。
若緑に所々ヤマツツジの朱色が映えて、とても綺麗☆
「相定ヶ峰」
テーブルとベンチが置かれていて、ハイカーさんがお食事中。
その前を失礼して、お先に・・
どうやら、基本 下り道になりました。
膝に負担がかからないように、ゆっくりめに歩いていると
道の左右に、小さな花々☆
ジュウニヒトエ
チゴユリ
ホタルカズラ フデリンドウ
あ~ぁ、ブレてしまった・・・薄暗い所なので(なんて、言い訳)
マムシソウ
ウマノアシガタ
ヒメオドリコソウ
カキドオシ クサノオウ
13:35 「堂尾山公園」に到着
公園?
壊れかけたあずまやと、2基の石碑があるだけで
だれもいなくて、ちょっと心細い・・・
でも、こんな見晴らしが☆
14:30 「クマガイソウ群生地」に着きました~
本日最後の目的地です。
クマガイソウは?
終わってました~~
係の方にお聞きすると、今月の15~20日頃が見頃だったようです。
絶滅の危機にあったのがここまで殖えたのは、本当にご苦労の賜ですね!
これからもぜひ頑張って、大切に殖やして頂きたいものです。
でも一輪だけ、がんばって残っていてくれましたよ☆
あと、エビネランはたくさん咲いていました。
あとは「町民グラウンド」の脇から再び「桂川」に沿って駅まで。
14:50 駅前にゴール
ちょうど入って来た特急電車
ボディには、楽しい富士山のイラストがいっぱい!
山頂からの眺望もクマガイソウも、またこの次のお楽しみということで
新緑を充分に堪能した一日でした☆
25,863歩
久しぶりのハイキングです♪♪
目指すのは、標高1,256.2mの「倉見山」。
風見鶏のいる赤屋根の駅舎が可愛らしい
富士急行大月線「三つ峠」駅から
10:20 スタート
道標に沿って
R139を横断し、山に向かって
水量豊かな1級河川「桂川」に沿って行くと・・
途中にあるお社は、「厄神社」。
で、今回の登山ルートは「厄神コース」というようです。
暫く舗装路を上って行くと、「堰堤」
これを過ぎた辺りから、次第に山道になりました。
ひたすら登り坂・・・
ひえ~!
「さすの平」
さらに登って登って・・
滴るような新緑の下を、黙々と登って行きます。
ひたすら登りだけというのも、思いのほか疲れを感じるもので・・
12:10 山頂に到着~☆
が・・
朝見えていた富士山は、早くもの中へお隠れに・・
山頂は広さもなく見晴らしもイマイチなので、もう少し先へ・・
「みはらし台」
「みはらし台」といっても展望台やあずまやがあるわけではないけれど、山頂よりは
眺望が開け、富士山のなだらかな稜線と裾野に広がる富士吉田市街が望めました。
石に腰を下ろして タイムの間にも雲はどんどん増え、何やらあやし気な黒雲が・・
午前中は くっきり見えていただけに、あ~口惜しい!
口惜しまぎれに、現地に来る途中で見た富士山を(笑)
(続)
我が家のベンケイソウ、この春はとうとう咲いてくれませんでした・・
例年 寒くなる前に屋内に鉢を入れてやるのですが、
今回はつい忘れてしまい、全体が赤茶けた哀れな姿に・・・
ゴメンね~!
因みに、咲くとこんな花です。
あ~ぁ、枯らしてしまったナ ・・・と思っていたら、
ん?
よくよく見ると・・
なんと 茶色くなった茎の至る所から、たくさん緑の芽が・・
すばらしい生命力に、脱帽! 恐れ入りました~~
根元には、去年根付いた芽もこんなに育って
また新しい子供をたくさんつけています。
キミはホントに 偉い!
この冬は、ちゃんと屋内に入れてあげるからね。
今日は、すっきりと晴れました~
「はなの国」では ポピーが風に揺れています
木漏れ日の坂を上っていくと
今年のユリノキは 例年よりたくさんの花をつけました
そして・・今日は富士山も!
季節が どんどん移っていきますね・・
フラワーセンターのバラ園に隣接して、シャクヤク園があります。
シャクヤクは、中国北部~シベリア南東部・朝鮮半島北部に広く分布する
ボタン科の多年草。 中国では、古くから薬草として栽培されていました。
その後次第に観賞用としても広まり、日本へは奈良時代に渡来しました。
「癪(しゃく)=胸・腹など内臓の痛み」の薬として用いられたことから、
「癪薬→シャクヤク」と呼ばれるようになったというです。
萬寿
慶雲
バーリントン ベル
「 しゃくやくの 蕊に湧き立つ 日向かな 」 太祇
「しゃくやくの ひと夜のつぼみ ほぐれけり」 久保田万太郎
長袖の舞
超天功 玉の台
古希の色
天施 千秋
イエロードリーム
玉貌
最盛期は過ぎていたものの、まだ綺麗な花がたくさん見られました。
神奈川に自生している原種のバラ
国内に自生する原種のバラは、10種類ほどあるそうですが
神奈川県内でも6種(※)といくつかの雑種が確認されているとか。
※ アズマイバラ ・サンショウバラ ・テリハノイバラ ・ノイバラ ・フジイバラ ・モリイバラ
大船植物園にあるメイド イン ジャパンのバラたちです。
希望(1986) 魅惑(1988)
ミスティ パープル(2003)
かぐや姫(1998) はまみらい(2008)
ブラックティー(1973)
紫香(1993) 月光(1999)
ラブ ミー テンダー(1993)
ラブ ユー(1996)
上の「ラブミーテンダー」から、突然変異(枝変わり)で生じた品種だそうです。
夢(1994)
王朝(1983) 雪姫(1965)
緑光(1991)
開花につれて、花色が白~淡緑色に変化する品種。
鎌倉(2003) 女神(1980)
「鎌倉」は、地元の育種家 大月啓仲氏が十数年かけて作出した棘の無いバラ。
桜貝(1996)
咲き乱れるバラに囲まれていると、子供の頃に読んだ『秘密の花園』を思い出します。
‘猫’にとって バラは、あの頃のちょっと秘密めいたドキドキ感を蘇らせる花のようです☆
今年も、この季節になりました。
「神奈川県立フラワーセンター大船植物園」の春バラを見に行ってきました。
350品種 1200株というバラ園は、甘い香りといっぱいの人出☆
咲き競うバラたちの中から、目にとまった花をいくつかご紹介しますね。
オクラホマ(米) サプライズ(独)
ホワイト マスターピース(米)
カトリーヌ ドヌーヴ(仏) ニュー アベマリア
バター スコッチ(米)
ブラック バカラ(仏) パットオースティン(英)
ラベンダー ドリーム(蘭)
微妙に色の違う 愛らしい小輪
ピエール ド ロンサール
演出効果もあってか、カメラの列ができました。
ダブル デライト(米)
デンティベス(英) ローラ(仏)
サン ガッディス(米)
エンジェル フェイス(米)
フリルのある花びらが 華やか☆
パパメイアン(仏)
黒バラ系の代表的品種で 濃厚な香り
知人から、「わかる~?」とこんな画像が届きました。
何か見覚えあるなぁ・・
あ!
もしかして、コレじゃない?
ショクダイオオコンニャク
あれは一昨年の夏でした。
東京・小石川植物園で、この花の開花が話題になったことがありました。
‘猫’もその蕾を見に行き、当blogでもご紹介しましたね。
送ってもらった画像、形は少し違うけれど
これは、コンニャクの花・・・?
知人は、あるお店屋さんの店頭にあるのを発見。
お店の人に尋ねると、やはりコンニャクの花だったと・・
あまり・・というか、まず見かけることのない花なので、UPさせて貰いました。
私たちが普段食べているあのコンニャクって、こんな花が咲くんですね~
Yさん、珍しい画像をありがとう~
「光触寺」から滑川沿いの道を進みます。
バス道路を渡って左へ行けば、先日訪ねた「十二所神社」ですが
今回は渡らずに、そのまま道なりに右の方へ。
流れに沿って行くと、
「太刀洗いの水」
梶原景時が、上総介広常を斬殺した血刀を洗ったという・・・
やがて右手に滝があり、切通しの道に入ります。
「朝比奈切通し」
途中、右手の杉林の道へ。
杉林に囲まれて、ひっそりと・・
「熊野神社」
祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉男之命
創建は不詳。 源頼朝が鎌倉に入府後 切通し開削にあたり
鎌倉の鬼門鎮護のため、勧請したと伝えられています。
1695(元禄8)年に地頭の加藤太郎左衛門が再興。安永・
嘉永年間にも修築。 現在は浄明寺地区の鎮守になっています。
奥宮
時宗に「熊野成道(じょうどう)」という言葉があり、熊野神社と
時宗のお寺とは、大変深いつながりがあるそうですね。
それは、こんなお話;
一遍さんは熊野詣での道中、出会う人々に「念仏札」を配って歩いていました。
ある時 中辺路の山中で一人の僧にお札を渡そうとすると「今 一念の信心が
湧かないから」と拒まれてしまいました。一遍さんは煩悶しながら歩き続けました。
熊野本宮にたどり着いた一遍さん、夢うつつの中に白髪の山伏(熊野権現)が現われ
御坊自ら人々を救おうというのは間違っている、阿弥陀様が悟りをひらかれた時から
一切衆生は阿弥陀様によって救われることが決まっているのだから、 と告げられました。
覚醒した一遍さんはそれから真の念仏を始め、時宗の開祖になったということです。
「わが法門は熊野権現夢想の口伝なり」と、一遍上人はおっしゃったとか。
心配していた雨にも遭わず、気持ちよく歩けました☆
18,591歩
R204へ出て「泉水橋」バス停を過ぎ、「明石橋」信号の少し手前で左の道へ。
滑川に架かる「二ツ橋」を渡ると、
「飯盛(はんせい)山 寛喜寺 明王院」
↑
境内は撮影禁止のため、パネルの写真。
創建: 1235(嘉禎元)年
開山: 定豪(じょうごう)=鶴岡八幡宮別当
開基:藤原頼経(鎌倉第4代将軍)
本尊: 不動明王
藤原頼経が1231(寛喜3)年に発願、その4年後に創建した真言宗のお寺。
幕府の鬼門にあたり、鬼門除けの祈願寺として五大明王(※)を祀りました。
それぞれの明王の大きなお堂があったので、「五大堂」と呼ばれています。
幕府の祈願寺として、元寇の折には異国降伏祈祷が行われたといいます。
※五大明王
不動明王・降三世(こうさんぜ)明王・軍荼利(ぐんだり)明王・大威徳明王・金剛夜叉
寛永年間(1624-43)に、不動明王を残し他の4体は焼失。
門前の小路を右に入って行くと、ほどなく
「大慈寺跡」碑
1212(建暦2)年に源実朝が、父 頼朝への孝心から建てたお寺といわれ
頼朝が建立した「大御堂(=勝長寿院)」に対して「新御堂」と呼ばれました。
『吾妻鏡』には、1257(正嘉元)年 宗尊(むねたか)親王が将軍のときに
大規模な修理が行われたことを示す記述があるそうです。
「イエズス会鎌倉修道院」
この辺りに、大慈寺の伽藍があったということです。
「十二所」バス停から「光触寺橋」を渡って行くと、
「岩蔵(がんぞう)山 光触(こうそく)寺」
時宗のお寺
鎌倉三十三観音霊場第七番御札所
創建: 不詳
開山: 作阿上人
開基: 一遍上人
本尊: 阿弥陀三尊
(頬焼阿弥陀)
以前にご紹介したことがあるので、説明は省略。
今回は本堂に上がらせて頂いたので、頬焼阿弥陀像や大慈寺の
丈六阿弥陀仏頭などを間近に拝観することができました☆
「塩嘗地蔵」
山門前の道を左へ歩いて行くと、
美しい大徳寺垣のお宅
久しぶりに見たなぁ~
このあと、いよいよ朝比(夷)奈切通しへ向かいます。
ウォーキングの一番の相棒と、何度となく歩いた‘猫’の好きな道・・
今は空の上にいる彼女を偲びながら、歩きたいと思います。
(続)
週末です! 晴天です!
歩きますとも!(笑)
まずは、此処から☆
「稲荷(とうか)山 浄妙寺」
臨済宗のお寺で 鎌倉五山の第五位。
創建: 1188(文治4)年
開山: 退耕行勇(たいこうぎょうゆう)
開基: 足利義兼
中興開基: 足利貞氏
鎌倉五山のうち1~4位までは北条氏ゆかりのお寺ですが、当山は足利氏のお寺。
開山当初は真言宗のお寺で「極楽寺」といいましたが、足利義兼の子 義氏のとき
改宗して臨済宗となり、その4代後の貞氏のとき「浄妙寺」と改められました。
「伝 足利貞氏の墓」
「明徳三年(1393)」の刻銘は3代将軍 義満公の頃。
ということは、のちに建立された供養墓?
足利氏の略系図
義康ー義氏ー泰氏ー頼氏(智光寺殿)ー家時(報国寺殿)ー貞氏(浄妙寺殿)ー尊氏(長寿寺殿)
境内にあるレストラン「石窯ガーデンテラス」が誘惑するけれど
きょうは寄らずに、境内横の細道を上って・・
「鎌足稲荷」
祭神:稲荷大神
説明板によると;
藤原鎌足は、乳児の時に 稲荷大神から授かった鎌槍をお守りにしていました。
大化改新で曽我入鹿討伐を果たして鹿島神宮に参詣した折に、「宿願を達成
したからは、授けた鎌を奉納すべし」との神告を受け、現われた白狐に導かれて
この地に埋め、お堂を建てて祀ったとか。 「鎌倉」の地名の由来とも伝わります。
山門前から右手の小路に入り、暫く歩いてR204に出る所に
「足利公方邸跡」碑
(手前側が R204)
鎌倉幕府開府の頃 足利義兼がこの辺りに居館を構えたのが始まりといわれ、
尊氏が覇権を掌握し京都に遷ってからは、関東管領となった子の基氏が住み、
それ以後、代々の子孫が此処を住まいとしていたようです。
1451(享徳4)年 足利成氏が当時関東管領の上杉憲忠と争いこれを暗殺
した「享徳の乱」の後、成氏は追われて古河(茨城)に敗走。 古河公方と
呼ばれるようになり、此処は廃墟となったことが記されています。
(続)
名残のツバキが・・・
「蜀紅錦」
「天人松島」 「ドーネーション」
「キティ」
まだまだ 十分綺麗ですね。
シャクナゲも
バッタ君が かくれんぼ
温室育ちの スティフティア