前回 此処を訪れたとき、ご本尊 阿弥陀如来三尊像を拝観
したかったのですが、公開日が限られていてできませんでした。
そこで公開されているであろうこの日に、あらためて出直しました。
「泉谷山 浄光明寺」
真言宗のお寺。
創建: 1251(建長3)年
開山: 真阿上人(勅謚真聖国師)
開基: 北条長時(鎌倉幕府第6代執権)
ご本尊:木造阿弥陀三尊像(国指定文化財)
1333(元弘3)年 後醍醐天皇の勅願所としての地位を得た一方、
浄土・真言・華厳・律の四宗の勧学院を建立し、学問道場となりました。
足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の帰依篤く、「中先代の乱」で鎌倉を追われた
直義救援のため、勅許を得ず東下し鎌倉へ入った尊氏に追討の命が出た
とき、尊氏は近臣数名と共に此処に蟄居謹慎していたということです。
今回は、客殿横から境内の奥へと入ることができました。
石段を上がって行ったところに、
「仏殿」
(市文化財)
以前はご本尊が安置されていた阿弥陀堂で
1668(寛文8)年に再建されたものだそうです。
仏殿の前に、2本の古木が聳え立っています。
そのうち左側のイヌマキは、創建当初に前栽として植えられた
ものといわれ、推定樹齢750年。市指定天然記念物です。
仏殿の左手にある空調付きの収蔵庫に、ご本尊の阿弥陀三尊と
通称「矢拾地蔵」の地蔵菩薩像(県文化財)が大切に安置され、
木・土・日・祝日の雨天でない日に限って公開されます。
(いずれも撮影不可)
阿弥陀三尊像(中央阿弥陀如来・右観世音菩薩・左勢至菩薩)は
1299(正安元)年頃の作といわれ、阿弥陀如来の衣に施された
「土紋」(粘土で模様を型抜きした中世鎌倉地方独特の装飾)や
長く伸ばした爪など、優美な宋朝美術の特徴を具えています。
この土紋を保護するため、日を限定しての公開になっているとか。
まなざしの優しい、温かみのある仏さまでした。
また、「矢拾地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩像は、南北朝期の作で
右手に矢柄の錫杖を持つ珍しい地蔵菩薩像です。
「大伴神主家墓所」
(市指定史跡)
鶴岡八幡宮の神主を代々務めた大伴家の墓所で
墓塔が、笏の形に鳥居と笏が刻まれた珍しいものです。
仏殿の裏から、
更に細い上り道を上がって行くと
市街を望む高台になっていて
大きなやぐら(洞穴)の中に、石造の地蔵菩薩像
「網引地蔵菩薩像」
(市文化財)
更に更に、長い石段を上がって行ったところに
「冷泉為相卿墓所」
冷泉為相卿は藤原定家の孫で、父為家の死後 遺領細川庄の存続で
異母兄の為氏と争い、その訴訟のために関東へ下向した母 阿仏尼の
後を追って鎌倉に移り住み、鎌倉歌壇の指導者として活躍しました。
ボダイジュの花をきっかけに訪れたお寺は、
大変由緒ある寺院だったことを知りました。
16,156歩
紫陽花の季節の鎌倉は、曜日に関係なく本当に人がいっぱい・・
駅も
通りも
人・人・・そして車・車・・
そんな人の流れを離れて、
いつものように長寿寺さんの横から、亀ヶ谷坂の切通しへ。
深い緑の中へ分け入っていくような、静かな雰囲気のこの道が好きです☆
亀も引き返すという?亀返し坂=亀ヶ谷坂を下ると、
右へ少し入ったところに
「大乗山 薬王寺」
説明板によると;
元は「梅嶺山 夜光寺」という真言宗のお寺でしたが、日蓮上人の
孫弟子 日像上人の時から日蓮宗に改宗、「薬王寺」となりました。
創建: 1293(永仁元)年
開山: 日像上人
徳川・蒲生家と縁が深く、寺紋に三葉葵が用いられる格式の高い
お寺でした。廃仏毀釈後に荒廃しましたが、現在の山容に再興され
厄除け・病気平癒の祈願寺として、善男善女の信仰を集めています。
徳川第11代将軍家斉公の時、幕府が施主となって江戸・雑司が谷に
建立された感応寺(のちに廃寺)に奉安されていた、全国五指に入る
大きさの日蓮上人像が、縁あって当寺に祀られてあります。
「駿河大納言忠長公供養塔」
寛永年間に 忠長公追善供養のため奥方の松孝院が莫大な
寄進をして建立した諸堂は、1720(享保5)年焼失しましたが
三葉葵の紋が付いた供養塔が残されています。
ご本堂裏の高いところにある、高さ3m余の宝筐印塔は
「松寿院殿・松嶺院殿墓所」
家康公の孫に当たる四国・松山城主 蒲生忠知公の
奥方(松寿院)と、息女(松嶺院)の墓所だそうです。
亀ヶ谷坂を下りきった所にあるお堂は、
「岩船地蔵堂」
堂内に祀られている舟形光背をもつ石造の地蔵菩薩像は
源頼朝公の息女 大姫の念持仏と伝えられています。
大姫は、木曽義仲の嫡男 義高と婚約を交わす仲でしたが
義仲追悼の折に父に婚約者を殺され、20歳の若さで
亡くなったという悲劇の女性。
1691(元禄3)年 堂改修の際に、木造の地蔵像が安置され
現在 外から前面の木像は拝観できますが、石像は
その奥に安置されているそうで、拝観できません。
(続)
浄光明寺を出てJR横須賀線踏切を渡ると、目の前が「英勝寺」。
このお寺、以前はたしか非公開だったと思います。
そんなわけで、その後も幾度となく門前を通りながら
これまで一度も拝観したことがありませんでした。
今日初めて、拝観料¥300を納め境内に入ってみました。
「東光山 英勝寺」
浄土宗のお寺。
創建: 1636(寛永13)年
開山:王峯清因 (水戸頼房公息女)
開基:英勝院長誉清春
ご本尊:阿弥陀三尊像 (運慶作)
鎌倉市内に唯一残る尼寺だということです。
英勝院は太田道灌の子孫の娘といわれ、徳川家康公のお供をして
関が原の戦に勝ったことから、家康公から名を賜り「お勝の方」と
呼ばれた側室。 落飾して英勝院となったのちに家光公に願って
道灌の屋敷跡であるこの地を賜り、寺院を建立したのだそうです。
仏殿
ご本尊の阿弥陀三尊を祀っています。
四周の蟇股に刻まれた十二支の彫刻が楽しく、ぐるりと一周☆
鐘楼 唐門
唐門の右奥の建物の中に、彩色が施された祠堂(廟所)がありますが
クリアでないガラス戸越しで、あまりよく見えませんでした・・
鐘楼・唐門・祠堂は1643(寛永20)年築とか。
建造物のいずれも創建当時の趣をよく残し、県指定重要文化財です。
順路の標に従って、境内の奥へ行ってみました。
書院
書院の横に広がる竹林の静寂
境内の一部がメンテナンス工事中で・・・ちょっと残念でした
また日をあらためて、ゆっくり訪れたいと思います。
北鎌倉駅~鎌倉駅を 寄り道しながら
15,304歩
ビヨウヤナギの咲き乱れる道を通って、
‘猫’の好きな、亀ヶ谷坂切通しの道を抜け、
扇ヶ谷に出て、扇川沿いに少し歩いてから
閑静な住宅街を左に入って行くと、山門が見えてきました。
門前に「冷泉為相卿旧跡」とあります。
「泉谷山 浄光明寺」
真言宗のお寺です。
創建: 1251(建長3)年
開山: 真阿上人
開基: 北条長時
ご本尊:木造阿弥陀三尊像
(国指定重要文化財)
鎌倉時代は北条氏の菩提寺として、建武中興後は
足利氏との所縁が深いお寺でした。裏山には、あの
「十六夜日記」の冷泉為相卿の宝筐印塔があります。
「不動堂」
人けのない静かな境内に、タイザンボク(泰山木)が
白い大きな花をたくさんつけていました。
そして、お待たせ! これがボダイジュ。
まだ固い蕾ですね・・
開花は、下旬かな?
また、時期を見計らって来てみましょう。
JR逗子駅を出てR24 を歩き、逗子橋を渡って程なく
交差点の所に立派なお寺がありました。
「 黄雲山 地蔵院 延命寺 」
三浦半島の真言宗の本山
創建: 奈良時代
開山: 行基上人
本尊: 大日如来
ご本堂は、1977(昭和52)年再建されたもので、高野山より
勧請された弁財天が湘南七福神に数えられています。
平安時代に 行基上人が地蔵尊を納める厨子を設けたのが
逗子の地名の由来とか。(由来には諸説あるようですが・・)
鎌倉時代には三浦一族の祈願所だったそうで、境内には
後北条との戦に破れ此処で自刃した三浦道香主従のお墓。
閑静な住宅街の小路を足の向くままに歩いていると、
道から更に奥まった所に、お寺が見えてきました。
「 海向山 宗泰寺 」
真言宗のお寺
開山・開基:不明
創建:鎌倉時代後期と推定
本尊: 阿弥陀如来
大きな大黒天像が、湘南七福神に数えられています。
境内から右手に石の鳥居。 神仏混交の名残?
山之神社というそうです。
杉と竹の林に包まれ、とても静かで心落ち着く場所でした。
田越川に沿って、海の方へ歩いて行ってみましょう。
左手奥の石垣の上に、目を見張るばかりのケヤキの大木
「 六代御前の墓伝承地 」
『平家物語』に「さる人の子なり、さる人の弟子なり。頭をば剃ったりとも
心をばよも剃らじとて、鎌倉殿より頻りに申されければ・・・」とあるように、
平維盛嫡男で文覚上人の弟子となった六代御前が、1199(正治元)年に
田越川で処刑されたのを悼んだ村民が、遺骸を葬り供養したと伝わります。
ケヤキの根にしっかりと抱かれて・・
田越川(別名「御最後川」とも)沿いの道に戻って、更に先へ。
富士見橋の少し先、道路の左側に
「 蘆花・独歩ゆかりの地 」の碑
この場所には 、1954(昭和29)年まで「柳屋」旅館があり、
新婚当初の独歩が訪れ、また徳富蘆花が滞在して
「自然と人生」や「不如帰」を執筆したといわれます。
この先左手の蘆花記念公園と、園内にある郷土資料館は
以前訪れたときにご紹介したので、今回は割愛。
渚橋交差点を過ぎて間もなく、右の道へ入って行くと
「 鐙摺(あぶずり)不整合を示す露頭 」
説明板によると;
三浦半島で最も古い層の上に、これより若い逗子層が傾斜不整合の
関係で重なっている露頭として、古くから知られている場所です。
関東地方の生い立ちを知る上で、貴重な資料とされています。
( 県指定天然記念物 )
その道の突き当たり、フェンスのむこうに
「 国木田独歩文学碑 」
近寄れないので、何が書かれているか読めません・・
切通しの緩やかな坂道を下っていくと、たくさんの船が見えてきました。
この辺りは、もう葉山です。
ヨットハーバー「葉山マリーナ」や、30年の歴史のレストラン「ラ・マーレ・ド・茶屋」
潮風にもリゾートの香り♪
創業350年の老舗日本料理店「日影茶屋」
海を見ながらひと休みしたら、そろそろ帰宅のお時間デス。
葉山散策は、また今度ゆっくりと・・
来た道を渚橋まで戻り、砂浜へちょっとだけ下りてみましょう。
「 太陽の季節文学碑 」
「 太陽の季節 ここに始まる 石原慎太郎 」と刻まれています。
白い砂のきれいな逗子の浜辺は、もう夏の気配です☆
20,866歩
折角のですから、少し歩きましょう。
浄智寺さんの横の道を、標高97mの裏山に向かって上って行くと
短時間でちょっとしたハイキング気分が味わえるのです。
花たちに誘われるようにして・・
今年は、見事な山藤をたくさん見かけますね~
花と新緑を楽しみながら、道なりに上って行くと
人家が途絶えた辺りから山道に入ります。
木の根が露出した道を辿って・・
やがて、「天柱峰」と称される所に着きました。
「天柱峰」は、1334(建武元)年 浄智寺の住職を務めた中国・元の僧
竺仙梵僊(じくせんぼんせん)師が命名したと伝えられています。
「天柱峰」と刻まれている石碑は、1941(昭和16)年の建立。
樹木が繁り、眺望は殆どききません。
ここからは基本的に下り坂。 葛原岡神社の方へ下って行きます。
途中で、急にぱあっと視界が開けて海が見えたり
愛らしい花に出会ったりしながら・・
気持ちのいい杉林を抜けて行くと
「葛原ガ岡自然公園」に到着しました。
1332(元弘元)年 倒幕のクーデターを企て処刑された
日野俊基を祀る葛原岡神社と、俊基のお墓があります。
ここから更に、長谷へ向かう裏大仏ハイキングコースが続きますが
今日は浄智寺さんでのんびりしたので、そろそろ帰宅の時間です。
このまま下界へ下りて、鎌倉駅へ向かうことにしましょう。
新緑に誘われて、ちょっとだけ回り道♪
17,117歩
もうそろそろ咲いているのでは・・と思って鎌倉にやってきました。
「金宝山 浄智寺」
臨済宗のお寺です。
鎌倉幕府の五大官寺「鎌倉五山」の第四位
開山:兀庵普寧・大休正念・南海宏海
開基:北条師時
北条時政三男 宗政の没後、夫人が一族の助けを得て
幼少の子 師時を開基として禅刹を興したと伝わります。
仏殿「曇華殿」には、阿弥陀・釈迦・弥勒の三世仏坐像。
さらにその先に、緑の葉を風に揺らしている大きな木。
ハクウンボク(白雲木)
エゴノキ科エゴノキ属
毎年 連休を過ぎた今頃、枝いっぱいに真っ白い花が咲きます。
静かな境内をひと廻りしてみました。
市の天然記念物に指定されている
コウヤマキ(高野槇)の古木
洞窟の中に布袋さま。 鎌倉七福神に数えられているそうです。
此処は背後に緑深い谷戸を背負っていて、その閑寂な佇まいに
魅かれるのか、ときどき無性に訪ねてみたくなります。
(続)
天園ハイキングコースから建長寺へは、急な階段を下りて行きます。
今日は下から上がってくる人も多いので、お互いに
道を譲り合いながら建長寺の鎮守「半僧坊」に到着。
「半僧坊大権現」
半僧半俗姿の大権現は、明治時代に建長寺住持の霊夢に
より 静岡の方広寺(奥山半僧坊)から勧請したそうです。
火防・厄除けのご利益を求める多くの人々の信仰を集め、
嘗ては参道に茶屋が軒を並べ賑わっていたとか。
災難除けを願って、烏天狗のお守りを頂きました。
お社の傍らの富士見台からは・・あ、富士山が!
というのは、ウソぴょ~ん 貼られていた写真でした~
実際はこんな眺めです。
石段を下りていくと、
途中に2体の大天狗と たくさんの烏天狗の像。
さらに石段を下りていくと・・紅葉が見えてきました
半僧坊から下り切った所に
「龍峰院」
建長寺の塔頭のひとつで、非公開。
現在こうした塔頭が10院。 最盛期には49院もあったとか。
建長寺に到着しました。
「巨福山 建長寺」
鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派大本山です。
1253(建長5)年 北条時頼公が蘭渓道隆師を開山として
創建した、我が国初の禅の専門道場だそうです。
「三門」
1775(安永4)年に再建された重層門で、国指定重要文化財。
三門は三解脱門の略で、この門をくぐることによって
あらゆる執着から解放されるそうです。
鐘楼 梵鐘
重さ2.7tの梵鐘は、時頼公の発願により1255(建長7)年に
鋳造されたもので、国宝に指定されています。
さすがに五山第一位の大寺院、冒し難い風格というものがあります。
いいな~!
というわけで、思いがけずハイキングをしてしまいました。
歩数もばっちり21,758歩
獅子舞の紅葉の下を さらに上っていくと
見晴らしのよい大きな岩があります。
天候に恵まれれば、富士山がよく見えるのですが・・
今日は、お弁当を広げている人達でこの賑わい!
間をちょっと失礼して・・・・1枚
「天園」
この辺りは武蔵・相模・上総・下総・伊豆・駿河の6国が見渡せた
ところから「六国見山(ろっこくけんざん)」と称されてきました。
大岩の近くにあるのが、天園の「峠の茶屋」。
眺望と、おでん・甘酒などを味わいながら一休みできます。
茶屋の傍に、こんなプレートが立てられていました。
へ~、この辺りが横浜と鎌倉の境目なんですね。
横浜市内最高地点
栄区上郷町
海面からの高度:159.4m
横浜市内最高地点は、鎌倉市境にある大平山(山頂は鎌倉市域)の
尾根沿い(栄区上郷町)で、この付近となります。背後の鎌倉市
方面には、鎌倉市街や、相模湾を望むことができます。
このサインは、横浜開港150周年を記念して設置しました。
協賛:横浜栄ライオンズクラブ 設置:栄区役所
説明にある「大平山」に向かう尾根道も人がいっぱい!
「大平山」に到着しました。 標高159.4m
ここの眺望も、やはりこんなものですね・・
鎌倉市街と海が見えています。
広い草地でランチタイムを過ごす人達の横を通って
少し高い岩場を上り、天園ハイキングコースは続きます。
この道は昔 修験者の修行の道だったそうで、
今も どことなくそんな雰囲気が感じられます。
「十王岩」
ちょうど鶴岡八幡宮の真裏に当たる高みにある
苔むした岩に、石像が祀られています。
なんでも、閻魔大王だとか聞きましたが・・・
よく分かりません。
さらに、落ち葉の絨毯の道や
木の根と岩と苔の道が続きます。
天園では 紅葉はほとんど見られませんでしたが、大平山にいた
人達が「建長寺の紅葉がきれいだよ」と教えてくれました。
では、建長寺の方へ下りて行ってみることにしましょう。
あちらこちらから紅葉の便りが届く季節ですね
毎年この時分になると、今年の獅子舞の紅葉はどうだろう? と
気になるのです。 さて、偵察に行ってみるとしましょうか☆
鎌倉駅を出て、まずは鶴岡八幡宮。
平日にもかかわらず 相変わらずの人、人・・
大イチョウの黄葉、ピークにはあと少しでしょうかね。
でも、所々に赤く染まった木々もあります。
法華堂のイチョウの方が少し早いかな。
「白旗神社法華堂」
頼朝公の持仏堂跡で、頼朝公の死後 此処に祀られ法華堂と
呼ばれていましたが、明治になって白旗神社に改められました。
「頼朝公墓所」
荏柄天神の大イチョウも、まだこれからのようです。
「荏柄(えがら)天神社」
1104年創建 ご祭神はもちろん菅原道真公。
これから受験生の合格祈願でにぎわうことでしょう。
私は先月 「まんが燈籠」を見に来て以来です。
今日は‘秋色探し’が目的なので、どんどん先へ行きます。
瑞泉寺の紅葉も気になったのですが、団体の人が大勢歩いて
いたので、今回は寄らずにそのまま二階堂川に沿って左の道へ。
ススキの原の永福寺跡を過ぎ、亀が淵の二叉路を右に。
農園の横を通過する辺りから 渓流沿いの山道に入ります。
独りはちょっと心細いけれど、私の好きな道です♪
地面がかなりぬかるんでいて、滑ったような靴跡があちこちに・・
トレッキングシューズを履いてきて正解だったかな☆
行き会った下りのハイカーさんに「ドロドロ道で渋滞してるよ」と
脅かされ(?)て、でも「頑張りまーす」と返しつつ上って行くと、
やがて目的地の獅子舞に到着です。
「獅子舞ヶ谷(ししまいがやつ)」
所々にある岩がちょうど獅子が蹲っているように
見えるところから、こう呼ばれている紅葉の名所です。
幹回り3m余のイチョウが10数本に モミジが100本以上とか。
イチョウの黄色とモミジの赤のコントラストの美しさが特徴ですが、
紅葉の方はまだ少し早かったかな。 いえいえ充分に綺麗です!
どの木も背高ノッポなので、美しい天井画を見ているようです。
誰も皆、カメラや携帯を上に向けて・・
人の渋滞のピークは過ぎていたようで、そこそこの人でした。 ホッ!
岩陰に腰を下ろして、天然の天井画を鑑賞しながらタイム。
いや~、ゼ・イ・タ・クだな~
またあの泥道を下りるのも 芸が無い気がしてきました。
予定を変更して、もう少しハイキングを楽しむことにしましょう。
浪子不動の横から細い階段を上がると、山道に入ります。
木々が茂ってトンネルのような道を20分ほど登ると
急に視界がひらけて、頂上に到着しました♪
「披露山公園」
山頂の広場には、展望台・レストラン・駐車場・猿山の檻など
ファミリードライバーにぴったりの施設があります。
高さ100mほどの台地には、調査によって縄文・弥生時代の
人々が住んでいたことがわかっています。
「披露」の由来は鎌倉時代に将軍に献上する品物を披露した
場所とも、柳営の披露衆の住まいがあった場所ともいわれます。
眼下に逗子の街や逗子マリーナ、江ノ島の素晴らしい眺望。
スケッチをしている人も
こちら側からは逗子湾・葉山マリーナが見下ろせます。
休憩して、上空を悠々と旋回するトンビと一緒に
湘南の海を暫し観賞することにしましょう。
披露山公園をあとにして、住宅地に下りてきました。
広い道路には人影もなく、道の両側の広い敷地に手入れの
行き届いたお庭としっとり落ち着いた佇まいの和風住宅や
個性的なデザインのモダンな住宅もあり・・
‘これぞ湘南’のハイソな景観に、建物好きの猫は興味津々!
キョロキョロと挙動不審・・(笑)
夢のような庭園住宅から下界に下りてきました。
ホッとするような、生活の匂いのする街の先に
「小坪漁港」
新鮮な魚介が手に入るというので、地元ばかりでなく
遠くから買いに来る人の車も多い海岸です。
さらにその先に、海に面して
「逗子マリーナ」
小坪の岩礁を埋め立てて造成した敷地に1971(昭和46)年に
オープンした総合リゾート施設で、ヨットハーバー・マンション・
会員制の宿泊施設やスポーツ施設・レストランなどのほか、
結婚式場や介護施設などもあります。
あの川端康成氏が仕事場として使っておられ、
亡くなられたのもこの逗子マリーナでしたね。
パームツリーの並木は地中海沿岸の雰囲気
(行ったことないけど・・?)
海と山の気分が味わえた17,738歩のお散歩でした
秋晴れの日が続きますね
逗子の定番コースをぶらぶらと歩いてみましょうか。
JR逗子駅の近くに、緑の木々に包まれてあるのは
「亀岡八幡宮」
ご祭神は応神天皇・神宮皇后。 創建年代は不詳。
昔は清水八幡宮と称され、近くにある延命寺が管理していましたが
明治維新の神仏分離令以後、正式に逗子の鎮守となりました。
亀の甲羅のようななだらかな丘の地形から、或いは
鎌倉・鶴岡八幡宮に比して「亀岡」と称したといわれます。
現在の社殿は1919(大正8)年に建立されたものとか。
扁額には「正二位伯爵東郷平八郎 謹書」と。
境内の庚申塔群
左端の堅牢地神塔は、1832(天保3)年建立の大地を司る地天を祀ったもの。
2番目も同年建立で、日月・合掌姿の青面金剛像・三猿が刻まれています。
3番目の大きな石塔は、1671(寛文11)年の銘があります。
このような笠型はこの時代のものとしては珍しいそうです。
4番目は1913(大正2)年に建立されたもので、「馬頭観音」と刻まれています。
神社を出て、逗子湾の方へ行ってみましょう。
「逗子海岸」
遠くに見えるのは「葉山マリーナ」でしょうか。
今日も波は穏やか。 の~んびりお散歩には最適です!
湾沿いの道路を歩いていると、小さな公園が・・
「さくら貝の歌碑」 「不如帰の碑」
1949(昭和24)年に発表されたラジオ歌謡「さくら貝の歌」を記念する碑。
作詞者 土屋花情氏はこの逗子海岸で詩想を得たとか。
この海岸では、今でもさくら貝が見つかるそうです。
眼前の海中に建つ碑は、徳富蘆花氏の小説「不如帰」を記念するもの。
使われているのは少し先の大崎にあった鍋島石で、江戸城築城の折
石垣用に九州鍋島藩が伊豆から運ぶ途中、船が難破し放置された
ものではないかと言われているそうです。 1933(昭和8)年建立。
文字は兄の蘇峰氏の筆で、碑の下には氏愛用の
筆と硯が収められているということです。
湾に向かって小高い場所に建つのは
「浪子不動」
高養寺というお寺で「浪切不動」などと呼ばれていましたが、此処が
小説「不如帰」の舞台となったことから、ヒロインに因んでこの名で
呼ばれるようになりました。 逗子八景の1つだそうです。
逗子八景の内「浪子不動の秋月」 昭和25年頃
(説明板の写真)
お堂の横から山に向かって階段が続いています。
上って行ってみましょう。
(続)
前回に続き、また建物ウォッチングをしながら歩いてみました。
今回は、鎌倉駅西口からスタートです。
JR駅のホームからも見える「ホテル ニューカマクラ」
1924(大正13)年に建てられたホテルで、木製の上げ下ろし窓の
並ぶ外観が敷地内の樹木や背後の山並みと調和しています。
元は「平野屋」という料亭で部屋貸しもしていたそうで、
岡本かの子氏や芥川竜之介氏も宿泊していたとか。
現在も、素泊まり¥4,800~で泊まれるそうです。
山手の方へ入ってくと、扇ガ谷辺りは閑静な高級住宅街で
質の高い「これぞ鎌倉」という雰囲気の邸宅が並んでいます。
最も鎌倉の洋館らしい雰囲気の「K邸」
近頃はすっかり有名で、門前で記念撮影をしている人をよく
見かけます。 一般のお宅なのに悪いなぁ・・と気が引けながらも、
今回もやっぱりカメラを向けてしまう私(スミマセン・・)
1916(大正5)年に三菱銀行重役 荘清次郎氏の別荘として
建てられ、後に浜口雄幸氏・近衛文麿氏などの別荘として
使われたこともあるということです。設計は桜井小太郎氏。
すぐ近くにある「T邸」
鎌倉市景観重要建築物に指定されています。(1998年)
1933(昭和8)年築で、その後若干手が加えられたそうですが
建物南側のベイ・ウィンドウ(出窓)などの意匠に創建当時の
面影が見られます。西側には和館もあったようです。
そろそろ駅の方へ戻りましょう。
蕎麦処「五島」
住宅街の中にある重厚な店構えのお蕎麦屋さんです。
元は海軍大将のお屋敷だったと聞いています。
残念ながら改修のため休業中でした。
また次の機会に、ということで今回はちょっと入口だけ・・
駅前から「御成通り」商店街をぶらぶら歩いて行った先に
「ハリス記念鎌倉幼稚園」
市景観重要建築物に指定されています。(1992年)
1910(明治43)年創立の市内で最古の幼稚園です。関東大震災で
倒壊した前園舎に代わり、1925(大正14)年に建てられました。
「日本基督教団 鎌倉教会会堂」
付属の幼稚園と同時に市景観重要建築物に指定されています。
1926(大正15)年にハリス記念鎌倉メソジスト教会として設立されました。
トレーサリーを伴った大きな尖頭アーチ窓など初期ゴシック的スタイルを
持つ、戦前のプロテスタント教会会堂の代表例の1つとされています。
今日は短めの散策で、8,868歩
段葛から一の鳥居をくぐると、鶴岡八幡宮の境内です。
広い境内はいつも参詣・観光の人達がいっぱい!
「源平池」は1182(寿永元)年に政子夫人が平氏滅亡・
源氏繁栄を祈念し、大庭義景に命じて掘らせたとか。
社殿に向かって左が平氏池、右が源氏池です。
平氏池は島の数が4(=死)、源氏池は3(=産)
と聞くと、ちょっとコワいお話ですね・・
それはともかく
どちらの池も今 蓮の花が見頃です。
池の上を涼風が渡ってゆくたびに、大きな葉が
花を乗せたままざわざわと揺れています。
源氏池の中の島に赤い太鼓橋と鳥居。
たくさんの白い奉納旗がはためいています。
「旗上弁財天」
明治の初めの神仏分離令によって堂塔が除かれましたが
1956(昭和31)年に篤信家により再興され、更に八幡宮の
創建800年を記念して1980(昭和55)年に江戸文政期の
古図に基き現在の社殿が復元されました。(説明板より)
源氏池の近くに面白いものが置かれてありました。
「さざれ石」
さざれ石は、石灰石が雨水で溶解されて乳状液が
小石を凝結して出来たもので、学名は石灰質角礫岩。
岐阜県で発見され県の天然記念物になっていたものが
八幡宮に寄贈されました。「君が代」の歌詞にもありますね。
(説明板より)
少し先の右手に「鎌倉国宝館」
1928(昭和3)年の建築で、東京・歌舞伎座と同じ岡田信一郎氏の設計。
震災で多くの社寺が被害を受けたので、こうした災害から仏像などの
文化財を守る目的で建設されました。鉄筋コンクリート造りの高床式。
外観は奈良・正倉院に模し、内部は鎌倉期の寺院建築の
手法が用いられているとか。国の登録有形文化財です。
「美術の中の動物たち」展を開催中。
お参りを済ませて、裏道を駅の方へぶらぶらと・・
JR横須賀線の踏切で
カップルの観光客を乗せた人力車が追い抜いて行きました。
お馴染み「段葛」は、1182(寿永元)年に源頼朝が夫人政子の
安産を祈願して北条時政らに命じて造らせたという参道で、
若宮大路の真ん中を八幡宮まで伸びています。
嘗ては一の鳥居~三の鳥居にありましたが、明治時代
横須賀線開通などによって取り壊され、現在 二の鳥居~
三の鳥居の約500mが残っています。先へ行くほど
道幅を狭くしてあるので、実際以上に長く見えます。
若宮大路は謂わば鎌倉の‘顔’。 左右の建物も個性的です。
右側の沿道の、これは何屋さんでしょうか?
ひっそりといい感じの佇まいです。
「鎌倉カトリック雪ノ下教会」
聖堂正面の聖母子のモザイク壁画が目をひきます。
左側の沿道にある「三井住友銀行 鎌倉支店」
以前はポロ・ラルフローレンのお店、その前はレストランだったとか。
そんな雰囲気がありますね。築年などは分かりませんでした・・
「三河屋本店」
ひときわ目を引く1900(明治33)年創業の酒屋さんです。
国登録有形文化財・市指定景観重要建築物
建物は1927(昭和2)年築で、出し桁造りの重厚な店構え。
敷地の奥にある蔵や商品の運搬に使うトロッコなど、
戦前の商店建築の特徴をよく残している建物です。
これは休業日の店先。
「湯浅商店」
1897(明治30)年創業の貝細工製造加工・卸売りのお店。
市指定景観重要建築物
横浜の貿易商社を模したという「看板建築」です。
右書きの看板文字やアーチ型の上げ下ろし窓がレトロな雰囲気。
閉まっていて(?)何屋さんか分かりませんが・・
二階の半円の装飾が個性的です。銅板葺きの戸袋もいいナ!
こちらは骨董屋さんのようですね。
鎌倉らしい雰囲気を出しています。