紫陽花の季節の鎌倉は、曜日に関係なく本当に人がいっぱい・・
駅も
通りも
人・人・・そして車・車・・
そんな人の流れを離れて、
いつものように長寿寺さんの横から、亀ヶ谷坂の切通しへ。
深い緑の中へ分け入っていくような、静かな雰囲気のこの道が好きです☆
亀も引き返すという?亀返し坂=亀ヶ谷坂を下ると、
右へ少し入ったところに
「大乗山 薬王寺」
説明板によると;
元は「梅嶺山 夜光寺」という真言宗のお寺でしたが、日蓮上人の
孫弟子 日像上人の時から日蓮宗に改宗、「薬王寺」となりました。
創建: 1293(永仁元)年
開山: 日像上人
徳川・蒲生家と縁が深く、寺紋に三葉葵が用いられる格式の高い
お寺でした。廃仏毀釈後に荒廃しましたが、現在の山容に再興され
厄除け・病気平癒の祈願寺として、善男善女の信仰を集めています。
徳川第11代将軍家斉公の時、幕府が施主となって江戸・雑司が谷に
建立された感応寺(のちに廃寺)に奉安されていた、全国五指に入る
大きさの日蓮上人像が、縁あって当寺に祀られてあります。
「駿河大納言忠長公供養塔」
寛永年間に 忠長公追善供養のため奥方の松孝院が莫大な
寄進をして建立した諸堂は、1720(享保5)年焼失しましたが
三葉葵の紋が付いた供養塔が残されています。
ご本堂裏の高いところにある、高さ3m余の宝筐印塔は
「松寿院殿・松嶺院殿墓所」
家康公の孫に当たる四国・松山城主 蒲生忠知公の
奥方(松寿院)と、息女(松嶺院)の墓所だそうです。
亀ヶ谷坂を下りきった所にあるお堂は、
「岩船地蔵堂」
堂内に祀られている舟形光背をもつ石造の地蔵菩薩像は
源頼朝公の息女 大姫の念持仏と伝えられています。
大姫は、木曽義仲の嫡男 義高と婚約を交わす仲でしたが
義仲追悼の折に父に婚約者を殺され、20歳の若さで
亡くなったという悲劇の女性。
1691(元禄3)年 堂改修の際に、木造の地蔵像が安置され
現在 外から前面の木像は拝観できますが、石像は
その奥に安置されているそうで、拝観できません。
(続)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます