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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

葉山横須賀・湘南国際村

2009-06-10 | 鎌倉・逗子・葉山

雑木林の山道を抜け、近代的な建物が点在する高台に出ました。

「湘南国際村」は「歴史と文化の香り高い21世紀の緑陰型の
国際交流拠点」という位置づけのもと、三浦半島のほぼ中央の
葉山と横須賀に跨る山林を造成し、1994(平成6)年 開村しました。

豊かな緑の中にさまざまな研究・研修施設や
住宅・公園・店舗・診療所などが点在しています。


「湘南国際村センター」

村の中枢として、各種の会議・研修や宿泊施設、
レストラン・リラクゼーションセンター等があります。


「財団法人 生産性国際交流センター」



「国立大学法人 総合研究大学院大学」



「財団法人 地球環境戦略研究機関」


そのほか「社会福祉法人 全国社会福祉協議会中央福祉学院」など
何やら難しい名称の施設や、民間企業の研修施設もあります。


「グリーンパーク」
眼下に葉山の家並みと相模湾、晴れた日には富士山や
丹沢・伊豆・箱根の山々が一望できる公園です。
夕陽の絶景スポットでもあるようです。



居住地区には、瀟洒な注文住宅が建ち並んでいます。
現在約200世帯ほどの人達がお住まいだそうですが、
電線や高い塀もなく、手入れの行き届いた環境で
静かな落ち着いた高級住宅地になっています。


只今造成中の区域もあります。


売り地の看板も見られます。1区画いかがですか?


芝生の広場で上空のトンビに気を配りながら昼食

午後からは、横須賀側へ下っていきます。


葉山湧水の里(木古庭~上山口)

2009-06-09 | 鎌倉・逗子・葉山

ボランティア・ガイドさんの案内で行くツアーに
参加して、葉山・横須賀の里道を歩きました。


京急汐入駅から15分ほどバスに乗り「不動橋」という
バス停で降りて歩き始めました。バス通りからはずれて
入っていくと、のどかな山里が広がっています。


傾斜の急な坂道を上っていく途中、左手奥に見事な古木!
「永嶋家のカヤの木」

目通り285mという大木で、樹齢は300年以上とか。
葉山町の重要文化財天然記念物に指定されています。
カヤの木は堅く、高級な碁盤・将棋盤に用いられたり
実は食用にしたり油を採ったりするそうですね。


坂を上りきると、やがて涼やかな水音が聞こえてきました。
Y字路を左に進んで行くと、程なく左手に滝があります。
「不動滝」

葉山層の地下水を水源とする落差5m程の自然滝です。
木古庭(きこば)と呼ばれるこの一帯は湧水が豊富で、
古くから灌漑用水として利用されてきたそうです。

その先の深い緑の中にお社が見えてきました。
「瀧谷山 瀧不動(たきふどう)堂」

この近くにある本円寺というお寺の境外仏堂だそうです。

1180(治承4)年 畠山重忠が衣笠城の三浦氏を攻めるにあたり
守り本尊の不動明王に祈念し出陣したところ、勝利したので
お社を建立して祀ったのが起源と伝わっています。
    

不動堂の裏手にもう1つお社がありました。
「神明社」

ご祭神は向津毘売尊(むかつびめのみこと)だそうです。
説明板らしきものは見当たりませんでした。

神明社から下った道の傍らに石碑が1基。
「大沢の庚申塔」

1674(延宝2)年建立の七字題目が刻まれた安山岩の板碑で、
傍に「葉山町指定重要文化財建造物 青木家所有」とあります。


山裾を縫うように歩いて行くと、道の左右には広い敷地の
民家が点在しています。手入れの行き届いた庭には季節の
いろいろな花々が咲き、往く人の目を楽しませてくれています。


民家の石垣の傍に清水が湧いている場所がありました。
「湧井戸(わくりど)」

昔から絶えることなく湧き出していて、水道の無い頃から
ずっと生活用水・灌漑用水として利用されてきた水です。
この辺りは本当に水が豊かな所のようです。


三浦アルプスと呼ばれる山々を右手遠くに眺めながら、
気持ちのよい里道は更に続きます。



右下の斜面に田植えを終えたばかりの棚田が広がっています。

三浦半島に唯一残る64枚の棚田で、18名の方が協力して
主に「キヌヒカリ」という品種のお米を栽培しています。
以前、皇室献上米に選ばれたこともあると聞きました。


やがて、半島産ブランド牛「葉山牛」を飼育している「三留牧場」の
傍を過ぎ、乗馬クラブ?の横を通って山道に入って行きます。

此処を抜けると・・さて、どこへ出るのでしょう?
それは次回のお楽しみ!


鎌倉・常盤山緑地

2009-05-16 | 鎌倉・逗子・葉山

鎌倉七切通のひとつである「大仏切通」の北方台地を西北方に
廻りきった一帯は「常盤(ときわ)」と呼ばれ、現在もなお大部分が
水田・畑地などの奥深い谷戸がいくつも南に向かって開いています。

笛田公園から下りR32に出て「梶原口」バス停近くの
舗装された坂をしばらく上っていくと



やがて、肩ほどに伸びた笹が生い茂る道に入ります。
‘藪こぎ’しながら更に進み、やっと普通の山道になりました。
    
あまり踏み荒らされていない感じの細い山道を
ガイドさんの後に随って歩いていきます。
ウグイスが盛んに鳴いています。時折リスの声も・・

ここがあの観光客で賑わう鎌倉と同じ場所だとは
とても思えない、ありのままの自然がいっぱいです!


休憩を挟んで、どのくらい歩いたでしょうか・・
急な坂を下ると、間もなく広く開けた平地に出ました。

★野村総合研究所跡



2002(平成14)年に野村総合研究所から鎌倉市に寄贈され、
現在美術館建設構想などが検討されているそうです。
家族連れのグループが車で遊びに来ていました。

研究所のグランド跡地の横から再び山道に入ります。


結構急な道を上ったり下ったりの後、階段の斜面を
下りた右手に道標がありました。 「タチンダイ」?



道標に従って右に折れて行くと、やがて広い草地に出ました。

★タチンダイ
「タチンダイ(=館の台)」の地名は、中世居館と関わりがあることを
示しているといわれます。鎌倉時代 この地に北条一族の有力者が
別邸をかまえていたことが、「吾妻鏡」などの文献で知られています。

 
細長いV字型の谷を造成したこの草地は、東・西・北の
三方を「切岸」と呼ばれる
人工的な崖に囲まれています。

草地の北側の隅に「やぐら」と呼ばれる岩窟

鎌倉時代の墓所跡のようです。
手向けられたように白いウツギの花が・・

1977(昭和52)年に行われた周辺の発掘調査で、門柱や法華堂などの
建物跡がよく残っていることが確認されたことから、鎌倉時代の
武家屋敷跡とこれを取り巻く中世からの地形を伝えるものとして国の
史跡に指定され、更に世界遺産への登録をも目指しているそうです。

★北条氏常盤亭跡

常盤に別邸をかまえた鎌倉幕府第七代執権 北条政村は
北条義時の四男で、義時の嫡子時宗が成人するまでの
ショート・リリーフとして執権の座に着いたといいます。
「常盤」は政村の号である常盤院覚崇に由来するとか。

政村の「常盤亭」では、第六代将軍宗尊追放の
密議が行われたといわれています。

暗殺・追放の陰謀が相次いだこの時代の解明されない
ナゾをこの深い深い緑が覆い包んでいるのかと思うと、
いつもと違うdeepな鎌倉の一端を垣間見た気がしました。


「常盤山緑地」「台峯緑地」「広町緑地」という鎌倉の
三大緑地は、いずれも市民の保全運動を契機に危うく
開発の危機を免れて豊かな緑が保たれている地域です。

今回訪れた「常盤山緑地」は、市街地の背景をなす樹林地で
あるとともに歴史的風土保全地区としても貴重な地域です。
自然環境を守り古都の風格を維持して、ぜひとも大切に
次の世代に継承していっていただきたいと思いました。

歴史を学びながら、23,015歩


鎌倉・深沢の名刹Ⅱ

2009-05-15 | 鎌倉・逗子・葉山

鎌倉山のロータリーを左に上がり、萩郷の住宅街を抜けて行くと
小高い場所に樹木に埋もれるようにしてお社があります。

★三嶋神社

ご祭神は大山津見命(おおやまつみのみこと)で笛田の鎮守さま。
勧進の年月は不詳ですが、源頼朝が挙兵の頃 武将だった
大庭景親が再建したと伝わっています。お社の傍に泉が湧き
田を潤したことから、村人の信仰を集めたということです。

石段下左右の狛犬がなかなか素晴らしいです。 1931(昭和6)年の作
    


さらに歩を進めて行くと、庭園の美しいお寺がありました。
★笛田山
佛行寺
    
開山は仏性院日秀上人で、1495(明応4)年創建の日蓮宗のお寺です。
手入れされたツツジと蓮池の庭園は、花の頃は素晴らしいでしょうね!


池を見下ろしながら裏山に上っていくと「源太塚」があります。

木曽義仲追悼で名をあげた若き武将 梶原源太景季(かげすえ)は
頼朝の没後 鎌倉を追われた父景時に従い、駿河で戦死しました。
その片腕が此処に埋められたといいます。

景季の死を嘆いた妻女 信夫(しのぶ)もこの辺りで自害し、夜毎に
その泣き声が聞こえたため、村人たちがその霊を慰めようと
日秀上人に願って此処にお寺を建立したと伝えられています。
いかにも鎌倉らしい逸話ですね。


近くにある笛田公園で昼食を済ませ、午後は
いよいよ本日の目的地 常盤山緑地へと向かいます。
初めて行く所なのでワクワク


深沢の名刹Ⅰ

2009-05-14 | 鎌倉・逗子・葉山

JR大船駅から江ノ電バス「江ノ島行き」に乗り「鎖大師」で降りると
この辺りはまだ緑が豊かで、昔の鎌倉の雰囲気が感じられます。
バス停の
近くに立派な寺院がありました

★飯盛(はんじょう)山 仁王院 青蓮(しょうれん)寺

バス停の名にもなっている「鎖大師」さんの名で
親しまれている真言宗の由緒あるお寺です。  

開山は弘法大師で、819(弘仁10)年の創建。
弘法大師が裏山で護摩の秘法を修業中に力を貸した天女が
無事修法を終えた大師に仏舎利を託して池に姿を隠し、翌朝
池に青い蓮の花が咲いていたという故事が寺号になっているとか。

★鎖大師
ご本尊は弘法大師坐像。別名「鎖大師」といわれる秘仏だそうです。
空海さんが嵯峨天皇の命で諸国行脚に出立の際、自らの姿を彫り
親交のあった天皇に献上したもので、天皇の崩御後 大和の岡寺・
鎌倉の鶴岡八幡宮などを経て当寺に祀られたそうです。

本堂正面奥の扉の向こうに祀られているというその像は、ほぼ等身大の
写実的な裸形像で檜皮で染めた絹衣を纏い、足の関節を鎖で繋いで
動かせるのでその名で呼ばれるとか。副住職さんのご法話によると、
信者と大師様の鎖のような強い結び付きを願う意味もこめられていると



副住職さんの「五輪塔」についてのご法話も興味深かったですよ。

五輪塔は、古代インドでは本来仏舎利を入れる容器でしたが
平安末期に日本伝来後、仏舎利と同じ意義を持つものとして
供養塔・供養墓として全国で建立されるようになったそうです。

下から、方形・球・角錐(笠型)・半球(椀型)・宝珠を積み上げた形状は
古代インドでは宇宙の構成要素(五大=地・水・火・風・空)を象徴する
もので、梵字による密教の真言を形に表しているとのこと。(難しい・・)

境内の庭園にはその5つの梵字の童子像が置かれ、
それぞれに親しみやすい説明がしてあります。
( )内は梵字の読み

物事を平等に見る智恵         宇宙と一体感を感じる智恵
(ア)                       (バ)
    

物事を在りのまま映し出す智恵       正しい行いを実行する智恵
(ラ)                     (カ)
        

物事の真実を観察する智恵
(キャ)

難解な教義に少しでも親しめるようにという工夫でしょうか。


そのほか、境内にあるお堂は
★手広(てびろ)山 寶積(ほうしゃく)院 薬王寺

江戸時代に青蓮寺の広大な寺領内にあった2つの塔頭の1つで、
2006(平成15)年に再興されたもの。ご本尊は薬師如来。


青蓮寺を出て、緑が茂る中を鎌倉山へ抜けて行きます。
独りではなかなか来られない道も、ボランティアガイドさんの
案内があればこそ安心して楽しく歩くことができます


鎌倉・浄明寺辺り

2009-04-14 | 鎌倉・逗子・葉山

貴重な建物を見学し、今回の目的はひとまず達成しました。
さて、これからどうしましょうか・・

鎌倉の小路を歩いていると、こじんまりとしたおしゃれな
お店を
発見することがあります。
つい道草して、あっちへ寄りこっちを覗き・・

今回も、そんな陶器と漆器のお店を見つけました。
好きなものがありそうな予感・・ ちょっと入ってみましょう。



(勿論、撮影許可をいただきました)
好きですねぇ、こういうお店。わくわくしちゃう
使いやすそうな木製のスプーンを手に入れました。

そうこうしているうちに、お腹が空いていることに気づきました。
時計を見ると、もう正午をとうに過ぎていました~
急いでどこか探さなくちゃ・・・そうだ!

浄妙寺さんの門をくぐって
(地名の表記は「浄明寺」、寺名は「浄妙寺」)

お参りもそこそこに・・


向かうは境内の奥
    
高台にある「石窯ガーデンテラス
築約80年の洋館を改装した建物がステキです。

レストランでは、テラスの先にあるお庭を眺めながらお食事ができます。
が、今日は‘空腹’急を告げており(笑) お天気もいいので、建物横の
パラソルの下のお席で焼きたてパンをいただくことにしました。
石窯で焼いたいろいろなパンに目移りしそう・・

折からの風にとめどなく舞い落ちる桜吹雪を浴びながら、やっと
空腹も満たされました。コーヒーの香りとともにお喋りが弾みます。

ここ稲荷山浄妙寺は、鎌倉五山第五位の寺格をもつ臨済宗の古刹。
当初の寺域よりかなり小さくなったとはいえ、それでも境内は広く
たくさんの樹木や花が植えられ、穏やかな雰囲気に心和みます。
(お花については、次回にご紹介しますね
)

さて、今回の鎌倉散策もそろそろこの辺りで。
帰路も、静かな小路を抜けて駅へと向かいます。
    
汗ばむほどのの下を
14,776歩


鎌倉・旧松崎邸

2009-04-13 | 鎌倉・逗子・葉山

旧華頂宮邸から庭続きの南側にある純和風の建物も
内部の様子をお庭から見学することができました。



松崎氏は、いろいろな事業を手がけられた実業家だったとか。
この建物は、1971(昭和46)年 東京上大崎にあった門と茶室を
こちらに移築したのだそうです。茶室は昭和初期以前のもの、
手前の門はさらに時代を遡る古いものだということです。

瓦葺切妻屋根の薬医門
冠木の両端に獅子、中央部には鎧を着た狐と刀鍛冶が
彫られている、寺院にあるような立派な門構えです。




玄関を入った所の三畳間の天井
天井板が二重になっていておもしろかったのでパチリ。

でも、この画像ではあまりよく分からないかな・・

奥の茶室


天井の中央部分は八角形で、16本の棹縁を放射状に通し周囲に
網代張りを巡らした奇抜で凝った趣向です。柱なども花梨・南天・
皮付きの桜・竹などの奇木が用いられ、数奇屋趣味溢れる
戦前文化の貴重な遺構であると説明されています。

外から、頑張ってもこのくらいにしか撮れませんでした・・

お庭の方にまわってみました。




お庭のモミジに小さな花が!
    


鎌倉・旧華頂宮邸

2009-04-12 | 鎌倉・逗子・葉山

ハイキングの帰り道に通りかかっては、いつも気になっていた洋館です。
普段は外観しか見られませんが、年に数回 建物の内部が公開されます。
きょうはその公開日(入館料は気持ち分)

「華頂宮(かちょうのみや)」家は伏見宮家の分家にあたるお血筋だとか。
1926(大正15)年に博信王が臣籍に下られて華頂侯爵となられました。
1929(昭和4)年築のこの建物は、侯爵ご夫妻が数年間住まわれた後
幾度か所有者が替わり、1996(平成8)年に鎌倉市の所有となりました。
国の登録有形文化財になっているそうです。


立派な石門を入ると植え込みの向こうに、ハーフティンバー
スタイルの重厚な英国風建物がどっしりと構えています。


一階 玄関ホールを抜けると、パーティに最適な広~い空間と
フランス庭園を見ながらティータイムを過ごしたいサンルーム。
奥のダイニングルームでは、今日はカフェが営業されていました。
    

階段を上って二階へ
    

家具や装飾品が殆ど無いので少しがらんとしていますが、全体的に
余分な飾りのないすっきりとした佇まいです。スチーム暖房設備を
収納した大理石のマントルピースがあちこちに設置されています。


彫刻飾りのテーブル            六角形のドア・ノブ
    



窓から広い芝生の庭園が見えます。




和室もありました。


それぞれの部屋の照明装置も、さまざまな形でおもしろいですね。
    

    

    



    

    

桜の花が似合う洋館です。



たくさん植えられているバラが花咲く季節も
またどんなにか素敵なことでしょう!


大佛茶廊で

2009-04-11 | 鎌倉・逗子・葉山

若宮大路の喧騒を避けて雪ノ下の小路を辿って行くと、
趣のある板塀に囲まれた一画に「大佛茶廊」があります。


作家の故大佛次郎氏が生前書斎としてまた文士仲間の
交遊の場として使用された茶亭は、土日祝日にカフェとして
営業していますが、今日は特別に無料で公開されました。

猫のイラストの門札が掲げられた門を入り、
    

1952(昭和27)年に購入されたという、1920(大正9)年築の
茅葺木造平屋の建物をお庭から見学しました。






愛用の品々


原稿

(「病気休載」とある最後の原稿)


生涯に面倒をみた猫は500匹を下らないという無類の愛猫家だった
氏らしい猫の置物の数々とともに、写真パネルが展示されています。


ご自慢だった枝垂桜や石楠花・菫などが咲く美しい庭園で、
干菓子とお薄のご接待(¥300)で風雅なひとときを


    

桜の下で、静かな時間がゆったり流れてゆきました


「おひなさま展」

2009-04-07 | 鎌倉・逗子・葉山

ひな祭りは過ぎましたが、北鎌倉の「古陶美術館」で先月から
やっている「おひなさま展」をやっと見に行ってきました

ここは以前にも焼物でご紹介したことのある私設美術館です。


会場に入るとすぐ、二階から長く下げられたつるし雛飾り。
源氏の紋「笹竜胆」と平氏の紋「揚羽蝶」が刺繍されています。


その奥に沢山の雛人形が緋毛氈に並び、華やいだ雰囲気。


「立雛」
厄払いの形代(かたしろ)と雛遊びが結びついた雛人形の原型は
「紙雛」「流し雛」などと呼ばれますが、江戸時代になると次第に
その作りが上質になり、室内で飾られるようになっていきました。
男雛は小袖に袴姿、女雛は小袖に細帯姿の室町風俗です。

室町期                   江戸期
    
江戸期(次郎左衛門立雛)


「享保雛」
江戸・享保年間(1716~1736)に流行した卵型の面長に切れ長の目の
気品ある顔立ちで、男雛は束帯姿、女雛は五衣(いつつぎぬ)・唐衣姿。
段飾り登場以前は座敷に飾られたため、大型のものが多いそうです。




    

「次郎左衛門雛」
宝暦年間(1751~1764)に京都の人形師・雛屋次郎左衛門が江戸に下り
日本橋で売り出した人形で、まん丸で愛らしい顔立ちです。
現存数は非常に少ないとか。
    

「古今雛」
明和年間(1764~1772)に江戸の大槌屋半兵衛が人形師・原舟月に
作らせた雛人形で、次郎左衛門雛に代わって売り出されました。
写実的で表情のある顔立ち、金糸色糸を使った刺繍の華やかな
衣装が京・大阪でも評判を呼び、現代雛人形の基となっています。




「有職雛」
宝暦年間(1751~1764)頃から公家階級が特注して作らせた高級雛で、
装束も人形に合わせた別織の裂で男雛は直衣・狩衣姿、女雛は十二単に
冠をつけない御所風で有職故実に基いて正しく着付けられています。
公家装束を司る高倉・山科家が衣装を製作したところから
「高倉雛」「山科雛」、また「親王雛」などとも呼ばれています。
    

「紫宸殿飾り」
大正時代の御殿飾り。人形の数もぐっと多くなっていますね。



豪華な雛飾りとは無縁だった庶民の間で飾られた土雛もありました。

「堤人形雛」
江戸時代、仙台堤町で足軽の手内職に始まった焼物「堤焼」で
大甕などの作業ができない冬場に玩具の人形を作っていました。


「花巻人形雛」
江戸時代、花巻の陶器職人が堤人形に触発されて
作り始めたものといわれています。一時途絶えて
いましたが、近年民芸品として復活しているそうです。



このほかにも、いろいろな雛人形や御所人形などが沢山!

徳川第14代家茂公ゆかりの御所人形


源義経と従者の御所人形(江戸時代)
    

雛祭りを2度お祝いして貰ったような華やいだ気分になりました。
4月12日(日)まで展示しているそうです。


鎌倉・朝比奈切通し

2009-03-19 | 鎌倉・逗子・葉山

京急金沢八景駅前からR16 を右へ進み、右折してから更に暫く歩いて
「朝夷奈切通200m」の標識を左へ入っていくと、やがて山道に入ります。

ここが、横浜市~鎌倉市を結ぶ全長1.5kmの「朝比奈切通し」です。

1241(仁治2)年 鎌倉幕府三代執権 北条泰時の指揮で
開かれました。
完成があまりにも早かったため、任に当たった朝比奈三郎義秀が
一夜で切り開いたとの伝説を生み、この名の由来となったとか。

一車線ほどの道幅のひっそり薄暗い坂道を上って行きます。
何度来ても決して歩きやすいとは言えない道ですが、
静かで味のある道で 私はかなり気に入っています。
(とはいえ、結構ビビリなので絶対独りでは来ません!
)

この辺りは湧水の豊富な所で、ゴロゴロした石の間を常に
水が流れています。 滑らないようにゆっくり ゆっくり・・

道端に苔むしたお地蔵様  更に左手の岩には磨崖仏

往時も、人々は道中の安全を祈りながら通ったのでしょうか。

道はやがて下り勾配となり、下りきった所の左手に
「三郎の滝」と呼ばれる小さな滝と石碑があります。

ここから左に行くと白梅の美しい果樹園があります。
本当は梅の季節に行こうと思っていたのですが、雨が
降ったり友達との調整がつかず時期を逃しました・・
来年こそ!(オニが笑ってる?)

きょうは右手の十二所方面へ向かいましょう。

水の流れに沿って歩いていくと、三叉路近くに小さな筧。
「太刀洗いの水」と呼ばれています。

梶原景時が、主君源頼朝に対する態度が不遜な上総介広常を
囲碁にかこつけて斬殺し、血刀をここで洗ったと伝わっています。

先程 切通しに入る前の場所に、その上総介広常の小さな
供養塔(墓?)がありました。その辺りに屋敷があったようです。


十二所バス停に出てきました。ここからバスで
鎌倉駅まで行けるのですが・・勿論歩きます!(笑)

「岩蔵山光触寺」
鎌倉三十三所観音霊場第七番御札所の時宗のお寺です。 
境内に一遍上人の像がありました。

ご本尊は鎌倉期 運慶作の阿弥陀如来。拝観したことはありませんが
「頬焼け阿弥陀」と称し、盗みの疑いをかけられた法師の身代わりと
なって頬に焼印を押されたという話が伝わっているそうです。

境内の一隅にある「塩嘗地蔵尊」

六浦(横浜)の塩売りが鎌倉に入るたびに初穂料として供えた
塩が帰路になくなっていたことから、その名がついたそうです。
元々は山門の外にあったのを、境内にお堂を建てて移したとか。

光触寺を出て、あとは鎌倉駅まで
ぶらりぶらりと 19,715歩


鎌倉・甘縄神明社

2008-12-19 | 鎌倉・逗子・葉山

長谷の鎮守 甘縄神明社は私の好きな場所の1つです。

江ノ電・長谷駅から近いのにあまり知られていないのか
高徳院の大仏さまや長谷寺のあの賑わいをよそに
山を背にした高台のこんもりとした緑の中にあって
いつ訪れても、静かに心落ち着ける場所です。


創建は和銅年間と伝わる鎌倉で最も古い神社だそうです。
ご祭神は天照大神。頼朝・政子夫妻も度々参詣したと聞きます。
石段を上っていくと、木々の間に鎌倉の海が見えます。
ご両人もこの景色を眺めたのでしょうか。

境内はたくさんの樹木に囲まれていますが、なかでも
‘鎌倉と三浦半島の古木・名木50選’に選ばれたという
タブの木のおおらかな立ち姿が、私はとても好きです。




静かな境内で、下から吹き上げてくる風に枝を揺らしている
木々のざわめきを聞いていると、川端康成氏の「山の音」を
思い出します。石段を下りた右手奥に旧川端邸があります。


長谷から、地元の人や車が時折通るくらいの静かな
住宅街の中の小道を散策しながら鎌倉駅へと向かいます。
    

のんびりと17,182歩の鎌倉散歩でした


鎌倉・長谷寺の歳の市

2008-12-18 | 鎌倉・逗子・葉山

長谷寺では、ご本尊 十一面観音のご縁日の
毎月18日には「観音会()」が行われますが、
年の終わりの18日には‘納めの観音’として
参道に市が立ち、いろいろな露店が並びます。



きょうは行ったのがまだ早い時間だったせいか
露店の数はそう多くはありませんでしたが、
すでに人出がありだいぶ賑わっていました。






食べ物を売る店             熊手を売る店
    

こちらでは神棚や招き猫などを売っています


ダルマを売る店も


熊手やダルマを買ったお客さんのために、掛け声とともに
シャンシャンと威勢よく手を締める音が響いていました。
     

今夜は九時までお寺は開門し、ライトアップされた
境内ではミュージシャンのライブが行われたりも
するらしいので、さらに賑わうことでしょう。


蘆花記念公園

2008-12-04 | 鎌倉・逗子・葉山

逗子駅から田越川に沿って15分ばかり歩いたところにある
蘆花記念公園は、明治の文豪 徳富蘆花がこの辺りに居住
していたことを記念して1984(昭和59)年に開園されました。

園内の坂を上っていくと


紅葉と緑の中に
   



逗子市立郷土資料館があります。


建物は1912(大正元)年築の木造平屋建てで、
徳川家第16代家達(いえさと)氏の旧別荘とか。









館内には徳富蘇峰・蘆花兄弟や逗子ゆかりの文学者の
作品や
民俗・歴史資料などが展示されています。



5年後に増築された離れの建物(内部は非公開)



資料館の裏手からは、長柄桜山古墳群への
ハイキングコースになっています。

2号墳(4世紀後半の前方後円墳)の上に設置された
展望台から江ノ島や、天候により富士山が一望です。


気持ちよく19,224歩の散策でした

 


鎌倉・建物ウォッチングⅢ

2008-10-20 | 鎌倉・逗子・葉山

由比ガ浜大通をUターンして交差点のほど近く、見るからに古めかしい
店舗は「のり真 安齋商店」。市の重要建築物21号に指定されています。


1913(
大正2)年創業の農水産物加工問屋卸商店、つまり乾物屋さん。
この建物は、1924(大正13)年に建てられたものだそうです。

揚げ戸と呼ばれる大戸を上に収納するしくみなど、
近世の商家の特徴をとどめた造りが見られます。

懐かしさも漂う看板の数々
  

    

少し先にあるのは、1606年創業の鎌倉彫三橋流の老舗「陽堂」の工房。


鎌倉彫は「塗りの後藤 彫りの三橋」という二大流派があるそうですが、
社長さんのご説明にも彫りの技術への強い自負とこだわりを感じました。
特別に、作業中の仕事場を見学させて頂くことができました。

1階奥に積まれた木地の山 


階段を上がった
2階が倉庫と作業場です。

黙々と制作中の彫師さん 


塗師さんはガラス戸を締め切って埃や湿気に気を配ります


    

陽堂横の路地を入って少し行くと「長谷子ども会館」


この建物は1908(明治41)年に福島浪蔵氏邸として建てられ、後に
諸戸清六氏の所有となり、昭和55年に鎌倉市に寄贈されました。

外観はバルコニーの柱にギリシア建築様式を取り入れ、メダリオン
飾りやドア枠や窓枠の手の込んだ装飾なども素晴らしいものです。

入口ドア上部の装飾


                内部も古典的な雰囲気 
   


古我邸・旧華頂宮邸と並び、鎌倉を代表する三大洋館の1つといわれて
います。明治時代の貴重な建築物として、永く保存されたいものです。

少し離れた場所にもよく似た雰囲気の建物が・・
当時は同じ敷地内でした。相当広い邸宅だったことがわかります。



    

今回のトリはやはりここでしょう。
旧前田邸で、現在は「鎌倉文学館」です。


この建物は、1936(昭和11)年旧加賀藩前田家第16代当主前田利為氏が
建てたもので、当時の鎌倉の別荘を代表する建物の1つです。

後に佐藤栄作元首相が別荘として利用した時期があり、首相の番記者たちは
先に見学した「かいひん荘」に泊り込んで首相の取材をしていたそうです。
三島由紀夫氏の小説「春の雪」の一場面にも此処が登場しますよね。

広い芝生の先のばら園では、ちょうど秋バラが見頃です


館内では鎌倉にゆかりの文学者 川端康成、夏目漱石、芥川龍之介各氏他
草稿等の常設展示のほか、
先ごろ鎌倉市の名誉市民となられた音楽評論家
吉田秀和氏の特別展が開催されていました。


個人ではなかなか見られない場所やあまり縁のない場所も見学でき、
盛りだくさんのおもしろいツアーでとても楽しかったです。
今日1日の歩数は19,058歩でした~