今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大和三山走破+α

2012年05月14日 | 

昨日は飛鳥の観光ポイントをほとんど廻ったので、
二日目の今日は、行動範囲を”大和”に拡げて、大和三山
すなわち畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山、香久(かぐ)山をすべて登る。
この三つの山は、飛鳥の北方に三角形をなして位置して、一列に並んでいないので、
三つとも登るには移動距離を要する(駅から駅までの三山縦走コースは14km以上とのこと)。
でも今日はレンタサイクルを”一日”借り、天気も夜までもちそうなので(明日はダメ)、
朝食後の9時に予定を挙行すべく出発。
※写真はfacebookに掲載

昨日同様、ソニーのnav-uを自転車のハンドルに取り付け、
まずは、昨日行きそびれた飛鳥の新?名所・高松塚古墳、すなわち大和三山とは正反対の南へ向かう。
終日のレンタルなのだから、多少寄り道しても構わないのだ。
それに自転車って、エネルギー保存の法則を超越していると思えるくらい、運動効率がいい。
徒歩や走りでは耐えられない長さを、同じ人力でありながらいとも簡単に速く移動してくれる。

さて、夫婦で天皇だった天武・持統天皇陵を拝して、高松塚古墳と壁画館を見て、
欽明天皇陵を拝して、ここから先は大型車が行き交う国道脇を緊張しながら走り、一路橿原へ向かう。

壮大な橿原神宮に詣で、お札(ふだ)と土器(かわらけ)の盃を買う。
社殿の上に聳える畝傍山がまるでご神体のように神々しい。
ここからも畝傍山への道があるが、正式な表口は山を挟んで向う側のルートなので、そちらへ向かう。
安寧天皇陵(人皇3代)を拝して、畝火山口神社に達する。

音は同じでもここは「畝火」と「火」がポイント。
確かに畝傍山は火山なのだ
(といってもいわゆる”死火山”なので、古代人が火山活動を知るはずもないのに…)。
神社に自転車を置いて、登山道に入る。
この山は三山の最高峰で198.8mというだけに、
思いの外、登山道が長く続き、本当に山を登っている気分。
ただ傾斜は緩いので、古代の裳姿でも登れそう。
さすがに行き交う人も、すれ違いざまに挨拶を交わすので、登山経験者とわかる。

けっこう手間がかかってやっと山頂に達する。
山頂には社殿跡と国土地理院の三角点の標石がある。
私の胸から上は海抜200mだ。
他の二山以外の方向の展望がよく、本当に山の頂の雰囲気を持っている。
丁度昼時なので、他の登山者たちは昼食をとっているが、私はここがまだ最初の山なので次を急ぐ。

まずは神武天皇陵に向かう。
なぜかナビが大回りを指示しているので、かまわず地図にある最短路を進む。
天皇陵の参道に出る最後だけ階段だったのが、ナビが避けた理由とわかった。
でも、数段なので自転車を担いで参道の砂利道に出る。
神武天皇(人皇初代)陵はさすがに大きく、神域の雰囲気。
思わず神社式の参拝をする。

ここから大通りになるのだが、幅広い歩道に自転車ゾーンがあるので楽。
綏靖天皇陵(人皇二代)を拝して、大和八木の繁華街(レンタサイクルが似合わない)を通り抜け、
目の間に聳える耳成山に向かう。
せっかくなので耳成山の周囲を一周して、登り口の公園に自転車を置いて、まずは中腹の耳成山口神社に向かう。
奉納の灯籠には「耳無山」と書いてある。
いったいこの山は、耳が有る(成す)のか耳が無いのか、どっちなんだ。
神社には、幕末の和算の幾何学の問題の額が奉納してあった。
標高139.6mの山頂には難なく達したが、三角点標石以外に山頂の雰囲気を出すモノがないし、展望も全くない。
中年カップルが缶ビール片手にベンチで話し込んでいただけ。
近所の公園の一部という感じ。
これで2/3終了。

次の香久山の前に、三山の間に位置する藤原宮跡に向かう。
ところが、ナビの設定を間違えて、目的地をなんと名古屋の星が丘キャンパスにしてしまい、
しばらくそれに気づかずに、ひらすら東に向かってペダルを漕いでしまった。
ふとナビの数値を見ると、目的地までの距離が151km、到着予定時間が21時過ぎ
(時に今は13時半。ここから自転車をひたすらこいでも夜9時には帰れるのか)。
早く気づいて良かった。

設定を直して、来た道を戻る無駄をして、藤原宮跡に向かう。
そこに至る道と藤原宮跡地では、大和三山が三方にきちんと見える。
平城京の前の都である藤原宮は、まさに大和三山に守られるために建てられたかのよう(やや香久山寄り)。

ここから香久山は指呼の間。
この山だけ火山でなく、それゆえ独立峰でなく尾根の末端のピーク。
天理教の前に自転車を置いて、山道を登る。
ほどなく、山頂に達する。
山頂には、神話では人格神としては登場しないが宇宙を開闢したというすごい役割の
国常立神を祭る祠と、雨の神の祠が並んである。
三山の中でこの山だけ”天香久山(あまのかぐやま)”と「天(あま)」が付いているが、
実は雨(あま)ごいの山だったためかもしれない。
152mの山頂は無人のせいもあって、神社境内のような森厳さが漂う。
その代わり三角点や頂上を示す標識などがない。
そして、ちょうど畝傍山方向だけ森が切れて、真正面に畝傍山の全容が拝める。
ここから見る畝傍山は端正でかっこよく、惚れ惚れする。

万葉集には、耳成山と香久山が畝傍山をめぐって争ったという三角関係の歌があるという。
ただ三山に男女をどう割り当てたのかは不明という。
たしかに畝傍山はモテる格好をしているが、私はあえて万葉集に異論を唱えたい。
大和三山の位置関係は、正三角形ではなく、
畝傍山だけ他の二山から等しく離れた二等辺3角形をしている。
その位置関係だけからすれば、上のパターンもわかる。
だが山の形からいって、畝傍と耳成が男で、香久山が女だろう。
さらに地球科学と古代中国の陰陽理論を援用すれば、
畝傍と耳成は火山で香久山だけが非火山(褶曲)なので、
三角関係を構成する2対1に分ければ、畝傍・耳成⇔香久となる。
そして火山の火性は陽なので男に対応し、雨ごいの水性は陰なので女に対応する。
だから畝傍と耳成が男として女の香久を求めて争ったとすべきである。
どうだ、私の説の方が、理論的に強固だろう。

ついでに私なりの後日談を加えると、耳成は畝傍の敵ではなかった。
畝傍は標高が高く、姿も端正、そして橿原神宮の奥の院という重職についている。
神武天皇をはじめとする歴代天皇の支持もある。
一方、耳成は香久よりも低く、これといった仕事もなく、
耳が有るのか無いのか煮え切らない性格も災いしている。
なので香久は迷うことなく畝傍になびき、今でも畝傍を熱く見つめ続けているというわけ。

さてこうして大和三山の走破に成功した。
※:全て歩きなら「踏破」としたいが、自転車で走ったので走破でいい。
標高は黙っておきたいほど山というには低すぎるが、なにしろ日本国家の開闢を見つめたという由緒ある三山であり、
また走破するための距離があったこともあり、達成感は充分感じる。
なので、これで宿に帰って疲れた体を休めてもいいのだが、時刻はまだ14時半。
自転車は17時まで乗っていられる。

そこで、昨日、地図を見て気がついたことだが、国宝十一面観音のある聖林寺が遠くない。
この寺は位置的に他の寺から離れているので、この機会を逃すと行くこともないだろう。
本来仏像が好きな私としては、国宝仏を拝めるなら多少の回り道も苦ではない。
というわけで、ナビの目的地を聖林寺に定めて出発。

どんどんと上り坂が傾斜を増し、両腿はぱんぱんになり、最後は自転車を降りて、
聖林寺の駐車場に着いた。

山腹北面の高台にあるので、三輪山あたりの山野辺がよくみえる。
さて、目当ての十一面観音を拝みに行く。
昔、高校時代の姉が、中学生ながら当時すでに仏像大好きな私に、
この仏をイチ押ししたのを覚えているが、正直、写真を見た限りでは、
金箔のはがれ具合が災いして、好きになれなかった。

ところが、実物は違う。
まずはその端正なプロポーションに目を見張った。
写真では気になる金箔のはがれ具合も実物では(光の加減のためでもあろう)まったく気にならない。
なので、見惚れ、いつまでも見続けていたくなる。
「眼福」とはこのことなんだろう。
立ち去り難く、立ち去るきっかけがほしい。
他の拝観者が「堂内撮影禁止」を逆手にとって、堂外から携帯カメラで撮ったのを真似て、
堂外に退いて、シャッターを切った。
これで「永遠に焼き付けた」ことにして、立ち去ることができた。
我がカメラは性能がいいので、ストロボによる暴力的な光で被写体を台無しにしなくてすみ、
そのままの光で撮ることができた。

三山走破に加えて古代国家の夜明けの遺跡をめぐり、更に国宝仏の眼福を追加して、帰途についた。
宿近くの広大な山田寺跡を見て、16時に宿に着いた。
トータル7時間、走行距離30kmの大サイクリングだった。