知的刺激として唯一読むに値する雑誌といえる『談』が、132号(2025年の3月)をもって無限休刊するということを、
132号の編集後記で知った。
ここは発行元が「公益財団法人たばこ総合研究センター」という、あのタバコ販売の元締め(旧専売公社)系列なのが意外中の意外だが、逆に商業主義に走る必要がないという点が強みだったかもしれない。
自分が愛読(定期購読)する雑誌は、次々と廃刊の目に遭うという経験をしてきたが、
それは何も私に限った現象でなく、広く雑誌一般が受難の時代だからだろう。
確かに言える事は、紙媒体は私にとっても不要だということ(ただし雑誌は読書用のiPad miniには大きすぎる)。
実は、『談』は私が定期購読していたのではなく、今から10年前、私自身が”談”の一人として掲載(104号)されて以来、
毎号送ってくれていた。
この雑誌は、編集スタッフが、毎回テーマとする問題の専門家3名とのインタビュー(質問に対する返答)からなっている。
私の場合は、お茶の水の山上ホテルの一室で”談”をし、謝金もいただいた。
インタビューの依頼を受けた時、スポンサーが気になって「私タバコは吸わないんですが、それでもいいんですか」と尋ねたが、
当時の担当者から、別にタバコのPR誌ではないので、全く問題ないということだった(もちろん、インタビューの中でタバコには一言も触れていない)。
そのテーマが毎回変わり、担当者は少なくともその分野の著作を読んで相手を選定し、
さらに読み込んで質問をするわけだから、彼らの知的レベルと勉強量は相当なもので、それが雑誌の質を維持してきた。
前回131号で「空」(くう)がテーマになった時、私もその内容にインスパイアされて本ブログで「空」を話題にした→空とは何か
そして今回132号のテーマは「死者と霊性」。
末木文美士氏の書に触発されたということで、もちろん末木氏の談で始まる。
私自身も本ブログで霊性について盛んに話題にしているが(たとえば→心の進化としての霊性)、
怪しげな”霊界”を直接問題にするのではなく、
末木氏のように「他者の死」(誰もが存命中に経験できる死)を通しての接近(体験)こそが、王道だと思っている。
本誌の3人目(最後)の安藤礼二氏の”談”において、”霊性”とは、(我々に巣食っている最も根源的な二元論である)生/死の対立を超越(無化)するものということが印象に残った。
この雑誌がなくなるのは寂しいが、私の残りの人生のテーマである”霊性”を最後に扱ってくれたことは、僥倖この上ない。🙏