今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

放射性物質の実際の拡散ルート

2012年05月18日 | 東日本大震災関連
昨年3月の福島原発事故による放射性物質の拡散の検証報告が、
日本気象学会の雑誌「天気」59巻4号に掲載されていた
(2011年秋季大会スペシャルセッションでの「放射性物質輸送モデルの現状と課題」)。

事故の後、当時発表されていた外国によるシミュレーションや線量の地上分布を参考に、
私が推定した拡散ルートをこのブログに書いていたが、
実際はそれとは異なっていたようなので、今さらではあるが、
多数の報告者の結果をかいつまんで、ここに紹介する。

陸上で大気中の空間放射線量が急増した時期は次の4回だった。
1) 3/12-13:南寄りの風で宮城県東部を南から北へ通過(降水なし)。
2)3/14午前中:北寄りの風で、いわきと北茨城に達した(降水なし)
3)3/15-16:15日朝に2号機からの大規模放出。福島、北関東、長野、新潟南部に主に拡散(降水あり)。
4)3/20-23:南関東、山梨、静岡、山形、宮城北部、岩手南部に主に拡散(降水あり)。これは15日以降に大気中に浮遊していた放射性物質が広範囲の降水によって地上に沈着したものである。

特に3月15日の大規模放出では、放射性物質は北関東から福島中通りに輸送された。
その時中通りでは霧雨だったため、地面に沈着し、それによりその後は阿武隈地域よりも高い値となった。
そして午後になり再び大規模放出が起きたが、その時は風向が変わっていて、北西(浪江・飯館)方面に輸送され、前線通過による降水(雪)により高い沈着量となった。
以上報告より。

私が当初推定した拡散ルートは、15日の午前中は北寄りの風によって関東へ輸送され、
午後は北西風によって、浪江・飯館へ輸送され、そこから中通りに南下したとしていたが、
実際は上の通りであった。

放射性物質の拡散と沈着は、このように風向と天気(降水)に大きく左右された。
もし15日の午前中のままの風向だったら、人口の多い中通りと関東全域の汚染がさらに高まっていたはずで、そうならなかったことはこれらの地域には救いとなった。
だがその一方で、午後の新たな放出が浪江と飯館を住めなくしたした現実も心苦しい。

それにしても、15日に放射性物質を大量放出した2号機がどうなったのかは(水素爆発はしていないらしい)、いまだに不明のままなのが気になる。
なにしろ、今でも線量が高くて近づけないから。

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