今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

理解できない事態:追記あり

2024年10月31日 | 時事

衆院選での自民の大敗、立民・国民の躍進は予想通り。
ワールドシリーズのドジャース優勝もあの勢いで理解できる。

唯一理解できないのは日本シリーズで、セリーグ3位のベイスがパリーグの覇者ホークスを連続25イニング0点に押えて3連勝し、日本一に王手をかけたこと。
しかも敵地福岡ドームで。
逆なら理解できるが、この現実は理解できない。
応援するのはどちらかというとベイスなのだが、実力的にはホークスが上のはずなので、私の理性が困惑しているのだ。

ベイスのピッチャーってそんなにすごかった?
むしろホークスの打線がスランプなのだろう。

ヤンキースのジャッジが今まで打てなかったように、短期決戦だと個人の不調の波と被ることはある。
でもチーム全体の不調というのは確率論的にありえない(好調な選手に替えればいいだけだから)。

一日あけて場所が横浜に戻ると(本来的にはベイスに有利なはずだが)、調子が変わるかも知れない。

私は CS必要論者だが、やはり「日本一」の座は実力のあるチームが勝ち取ってほしい。


11月3日追記:なんとベイスターズが4連勝して日本一となった。
しかも大差をつけての勝利。
相手打線を抑え、相手のピッチャーを打ち崩したのだから、素直に”強い”と認めざるを得ない。
おそらく、 CS以降で選手たちが急成長したのだろう。
高校球児が甲子園で成長するように。

そもそもベイスターズは12球団で最後まで優勝経験がなかったチーム(前身のホエールズ時代を含む)なので、その優勝は”私が生きているうちにこの目で見たいこと”の1つになっていた
※:他には、”自民党以外の政権”というのがあり、これも実現した。あまりいい思い出でなかったが。

なのでそれが実現した時は、その分だけ「もう思い残すことはない」という気持ちが上昇した。
そういう思いのあったチームなので、今回の日本一もそれなりに感慨深い。


2024年の10月は6月並みだった

2024年10月30日 | お天気

愛知日進市と東京文京区で常時観測している気象データを毎月末に月間極値(最高・最低値)を記録している。

それによると、気温の極値(最高気温、最低気温)は例年より少々高い程度だが、露点温度(気温より日射の影響を受けにくい大気の温度状態)の最低値が例年に比べて異常に高かった。
例年なら0℃付近になるのだが(愛知は0℃以下)、今年は両地とも6.7℃だった。
この値は6月頃に相当する。
すなわち、今年10月の大気は6月並みだったということ。
今年の10月は秋ではなく、初夏(5月)と盛夏(7・8月)の間、すなわち広義の夏だった。

温暖化は最高気温ではなく、最低気温の上昇として現れ、しかも環境(生態系や氷河の縮小など)への影響はこちら(暖冬)の方が大きい。

11月はどうなることやら。

 

 


政権交代を実現する奇策

2024年10月28日 | 時事

今回の衆院選は期待通りの結果になったが、立憲民主党の躍進は、自民党への”お灸”効果であり、政権交代への期待とはいえまい。

なぜなら、政権交代できる政党は「反自民」ではなく、自民支持者をも”奪う”超自民である必要があるから。

なので今後期待したいのは、自民党を左右から挟撃できる国民民主党と日本保守党の連携だ。

前名古屋市長で「減税日本」の代表だった河村たかし氏の国政復帰に期待したい(氏は減税して税収を上げた)。

ポイントとなるのは、イデオロギーに基づく政策以上に、自民党が嫌がられたあの”体質”である。

クリーンな体質で、(イデオロギーに先走らない)地に足のついた政策能力のある政党を期待したい。


茶臼山高原に泊まる

2024年10月27日 | 

ワールドシリーズと日本シリーズと衆院選投票日が重なる今日、これらの日程が決まる前々から予約していた愛知の屋根・茶臼山高原の宿(休暇村)に泊まった(もちろん期日前投票済)。

主な要件は、私(自称、パワースポット鑑定士)が真正パワースポットと認定するカエル館(長野県根羽村)での科学的計測だが、茶臼山高原自体が愛知で一番好きな地なので、理由をつけて行きたい場所でもある。
※:認定の基準として、①客観(物理)的パワーが計測されること、そして②それが生体に影響を与えていることの2点。これらを満たさない所は「パワースポット」と認定しない。いわゆる”ご利益”はその地のパワーとは無縁。

なのであえて2泊する。
以前は2泊とも休暇村だったが、強気の価格設定に負けて、最近は1泊だけにして、もう1泊は麓の安宿(温泉)にしている。
物価は上がっているが、自分の給料は上がっていないから

今日はカエル館での計測は軽く済ませ、休暇村でのんびり過ごす。

夕食は、ビュッフェバイキングと具材を好きに選べる鍋。
ビュッフェには、マグロの刺身と浜松餃子(もやし付き)とエビ天があるので満足。
ちなみに珍しくイナゴの佃煮の皿もあった。

中部地方に居を構えて30年以上なので、食卓にイナゴ・蜂の子・ザザ虫(ヘボ)を見ても動揺せず、むしろ出たら抵抗なく口に入れる(土産に買って帰るほどではない)。
なにしろ、昆虫はエビと同じ節足動物なのだ。
なので「昆虫食」ではなく「節足動物食」というカテゴリーにすればいい。
そんな私でも未だ鳥肉には手を出さないが。

鍋にも、野菜・きのこ、牛肉・豆腐などを入れ、結局これらだけで満腹となる。
すなわち、ご飯・スイーツ類には手をつけない(糖質は餃子の皮、脂質はエビ天の衣程度)。
なので、満腹になっても体重は増えない。
ここの夕食では、地酒を飲むのも楽しみ。

食後は、日本シリーズと衆院選の開票結果を眺める。
どちらも、予想(期待)通りの結果になったようだ。


CS不要論に物申す

2024年10月26日 | 時事

奇しくも、メジャーリーグのワールドシリーズと国内プロ野球の日本シリーズが同日スケジュールで進行する。
土曜に用事がなくなったので、昼はドジャースのサヨナラ満塁逆転ホームランを観て、夜は日本シリーズの中継を観ている。

その日本シリーズだが、セリーグ3位のベイスターズがCS(クライマックスシリーズ)で首位ジャイアンツを破ってセリーグ代表として、ホークスと戦っている。

そのセリーグのCSだが、ペナントを制したジャイアンツと8ゲーム以上の差があった3位が勝ち抜いたことに、今回も批判がが出ている(ベイスがこうなる度に批判が出る)。
これではペナントレースの意味がないと。

その批判は、ペナントレースを日本シリーズよりも優先する論理だ。

ここであえて、日本シリーズを最優先する論理を示してみる。

プロ野球の年度総決算を日本シリーズに据えるなら、日本シリーズは、両リーグの最高度の激突(勝負)であるべきだ。
すなわち、過去の順位でなく、実際の試合において相手リーグの代表を倒せる”勢い”、客観的には選手たちのコンディションの良さが優先される。
それを確認するのがCSとなる。
たいていはペナントを制したチームがCSを制しておかしくないが、勢い(コンディション)が下降気味だと、リーグ代表として日本一を争うには心もとない。
あくまで”日本一”こそ、その年度のチームが目指す頂点なら、ペナントの優勝の価値は次善のレベルとなる。

高校野球に当てはめれば、県大会(県代表)と甲子園のどちらを上位に置くかに相当する。
スポーツなら、より上位に目標を設定すべきであることは論を俟たない(大谷自身がそうだった)。
すなわち、日本一を争うにふさわしい(勢い・実力のある)チームが日本シリーズを戦うべきで、そうなるとペナントレースはその一次予選(参考)という位置づけになる(そしてCSは二次予選)。

私にとって、あまり興味のない日本のプロ野球はずっと前からこの解釈で、なので観るのはCS以降だ。

今回の日本シリーズでは、個人的にはベイスを応援したいが(セリーグでは2番目に応援)、ホークスが負けると、パリーグ1位がセリーグ3位より下(セリーグ4位と同等)となってパリーグのメンツ丸潰れになるので、実力通りホークスが日本一でいい。


不在者投票してきたが

2024年10月21日 | 時事

第50回衆議院選挙の不在者投票してきた。

民主主義国家の主権者の一人として意地でも棄権しない(=独裁政治を認めない)ためだが、地方区は”入れたくない政党”ばかり、すなわち相対的基準でも選択できなかったので、やむをえず白票を投じた。

私は、”お灸を据える”ためとか、”死に票にしない”ために、投票先を選ぶことはしない。
自己の信念に背いた投票は有権者として不誠実である。
実際、過去に”お灸を据える”ために投票して後悔した人はたくさんいるはず。

比例区は入れたい政党名を書き、最高裁判事の審査はいつも通り全員×。

減税を端から選択肢に入れない政党(3つある)は選択外、ただし聞こえがいいだけの”消費税廃止”には与しない。
”国民”のための地に足がついた政策を出せる政党に期待したい。

判事の国民審査は全く形骸化しているので、せめて真剣な審査結果のボーダーラインの底上げに貢献したつもり。
実際に否認される判事が出たら、慌てて制度を変えるかも。


露点温度が10℃を割った

2024年10月21日 | お天気

東京で日中に30℃を記録した19日の夜から20日の朝にかけて、(東京も愛知も)露点温度が20℃から急降下して10℃を下回った。
露点温度がこんな値に下がったのは夏以来初めて。
そして21日もそれを維持している。

露点温度は、(日内変動する)太陽放射の影響を受けない温度指標として、暖気・寒気の移流の指標に使えるのだ。
すなわち、冷たい空気が大陸から入って来たことを意味する。

統計的に、日の最高気温の3/4は露点温度+10℃に収まるので、最高気温が20℃を下回る気候になったとみなせる。
ということで、20日からやっと秋(平年並み)の気温になった。

今後は露点温度は10℃台を維持し、さらに1桁に下がっていくだろう。
そうなったら”冬”の始まり。


念願の”まんだら堂やぐら”訪問

2024年10月20日 | 東京周辺

高校時代に"鎌倉"を好きになって以来、鎌倉の名所(寺社)は、北は今泉不動、東は十二所神社、西は龍口寺、南は光明寺に囲まれた内側の、道脇の祠から、民家風の小さな寺までほとんど行き尽くしているのだが、唯一行きそびれていた所がある。
南の逗子との境にある「まんだら堂やぐら」(写真)。

鎌倉地方でここかしこにある”やぐら”(鎌倉石を掘削した墓地)が密集した、いわば中世の共同墓地(霊園)で、鎌倉で最大のやぐら群を形成している(国史跡)。

高校時代からその存在は知っていて、まず名前に惹かれた。
そしていつしか、その地に、人々が気楽に立ち寄って自己を見つめ直せる「まんだら堂」を建てたいという夢さえ持つようになった。

かように私の心の中に確固と存在感がありながら、なぜ最後まで行きそびれていたかというと、
鎌倉市と逗子市の境の丘陵地帯というポツンと離れたロケーション的な要因が行くのを阻んだ第一要因だった(駅から遠く、一緒に巡る所もない)。

その間、おそらく夢で見たのだろう、「まんだら堂」がその地に建てられ、人々が集まっている、という認識が出来上がってしまった。

それでグズグズしている間に史跡維持のために非公開になってしまったのだが、つい最近、初夏と秋に限定公開されることを知った。
秋は10月19日から12月16日までの土日月。
幸い私の帰京の日程と合う。


ということで天気が回復した10月20日(日)、念願の地を訪れることにした。
11時前に鎌倉駅に降り立ち、昨日ネットで現地のアプローチと詳細地図は入手していたものの、
念の為駅前の観光案内所で、まんだら堂やぐらへの道を尋ねた。
係の女性は、鎌倉市の広域観光地図を渡してくれて、スラスラとバス停からの道を説明してくれたが、
別の人が、まんだら堂やぐらの詳細地図を出してくれた。

それによると、まんだら堂やぐらへは今から行く南のバス停からの道の他に、東の逗子から上がる道、西の安国論寺から上がる道(大町口)、さらに北の滑川から衣張(きぬばり)山を経由する巡礼道と四方からつながっていることがわかる。
ちっとも行きづらくはなかったのだ。

鎌倉駅からの最短ルートは3番乗り場から「緑ヶ丘入口」行に乗って終点で降りる。
便は1時間に2本の頻度。
山の中の谷間の終点で降りて、案内所で言われた通りに車道を少し戻る。
そこに「風麺」という山小屋風のラーメン店があり、ここで予定通り昼食をとる。
ネットでチェックした時は、かた焼きそばを予定したが、値段(予想の1.5倍)と時間がかかる理由で、一番シンプルな醤油ラーメンにした(830円)。
ラーメンは本来なら選択肢外なのだが、焼きそばとかチャーハン(せめてタンメン)がないので仕方ない。
だが久々に食べたラーメンは、それなりに美味しく、2枚のチャーシューが厚かった(ラーメンで困惑するのは一番味わいたいスープを飲み干せないこと)

さて、いよいよ目的地に向かう。
道路左側に広い石の階段があり、それが上り口。
階段を上がるとその先からは細い踏み跡で、急に心細くなる。
周囲には誰もいない。
観光客がオーバー気味の鎌倉だが、こんな所もあるのだ。
平坦で広い場所に出たので、「まんだら堂」を建てるならここがいいかなと思う。

水平の道と合流すると、右側に人一人がやっと通れる深い切通しがある(写真)。
名越の切通し」の第一切通しだ。
この水平の道が、幕府のある鎌倉から三浦半島に南下する古くからの道だったわけだ。
目的地は鎌倉側の左の道でそちらを進み、第二切通しを抜ける。
そして分岐を右に上がると鉄門が開いていて、目的地・まんだら堂やぐらに達する。

そこには受付のテントがあって、まんだら堂やぐらの最も詳しい地図と逗子市の観光地図を渡してくれた。
まんだら堂やぐら自体は逗子市に入るから。
入場無料だが、史跡管理のための寄付の箱があるので100円入れた。

目の前に広がるやぐら群(掘られた洞窟の中に五輪塔が並ぶ)を眺める(写真)。

説明によると、やぐらの穴だけで150以上あるという(埼玉の吉見百穴より多い?)。
A群からE群まであり、公開しているのはA・Bのみ。
江戸時代にすでに「まんだら堂」という地名になっており、建物の痕跡はなかったという。
また埋葬者には首を切られた人の骨もあったという。

背後の展望台に上がると、やぐらが上下に層構造になっているのがよくわかり、わが菩提寺の五百羅漢寺の霊廟の構造を思い出した(写真)。


やぐらを後にし、北に伸びる鎌倉市と逗子市の市境の山道を進む。
大町口の道から子どもたちを連れたママグループが登ってくる。
石製の廟が2基ある広場を越え、逗子の海が見える長い切岸(石切場跡)を越える道はハイキングコースなので、上の母子グループ以外はちゃんとしたハイク用の靴で歩いている(私はそうでない)。
周囲一の高点である「パノラマ台」に上がると、西に七里ヶ浜と稲村ヶ崎と江ノ島が直線上に並んでその上に箱根山が聳えている。

ここから往路を戻って、石廟の先で道標に従って左折し、逗子側の法性寺に降りる。
鎌倉側で法難に遭った日蓮が逃げ延びた(ママグループの来た道がその逃避ルート)という法性寺の奥の院を参拝し、そのまま道を下って逗子駅に達する。
帰りは気分を変えて京急で帰った。

これでやっと鎌倉は行き尽くしたといえる。


きのこの日のきのこ焼きそば

2024年10月15日 | 歳時

今日10月15日は知るひとぞ知る「きのこの日」・

秋の味覚の主役ともいえるきのこ。🍄 

その王者たるマツタケについては、母の誕生パーティで毎年、一家で堪能している(今年は9月30日)。

名古屋宅で自炊の本日は、好物の焼きそばにきのこをふんだんに入れて「きのこ焼きそば」を作ることにした。

スーパーでまず買ったのは、麺類に合うエノキ。
エノキは存在感が控え目で見た目も麺に近いので、麺の増量効果として使える。
嬉しいことにカロリーの増量は0なので、小麦の麺を増すよりいい。

ついで今日ならでは買ったヒラタケ。
シメジよりは傘が大きく、存在感があるが、シイタケほどではない、その手頃さがいい。

そして追加としてキクラゲ。
このプリプリ感は中華料理にぴったり。
大きい傘を縦に切って入れる。

これらに加えて、イタリア産の冷凍きのこ(Funghi)ミックス、そして出来上がりに瓶詰めの「きのこ三昧」を加えた。

きのこには制癌効果など薬理効果がありながらカロリー0というのも嬉しい。

きのこ(蕈)は菌類という生物としては原始的なレベルで有りながら、超越的力をもつ神秘的存在。
人間との関係においても、上の制癌効果やビタミンD供給以外に、幻覚効果や笑いが止まらない神経作用、あるいは人を苦しめて殺す力も備えている。
闇夜に発光する不気味なきのこもいる。

かように、食べ物として以前に、”きのこ”という存在そのものに、神秘的なパワーを感じている。
幼い時にあの「マタンゴ」(東宝特撮映画)を観て以来。
※:円谷英二特撮監督作品なので、てっきりゴジラなどの怪獣ものだと思って観てしまった。子供向けでない映画だったからこそ、子供にとってゴジラ以上のインパクトを受けた。

そうだ、きのこの日の今晩はマタンゴのDVDを観ることにしよう。


従叔母の葬儀

2024年10月14日 | メモリアル

祖母の妹(大叔母)の息女(従叔母:いとこおば)が92歳で亡くなった。
私が小さい頃は、都心(中央区)にある大叔母の家に遊びに行った記憶があり、その娘の従叔母とは当時あまり面識はなかったが、彼女の勤め先の貸別荘をうちの家族が使わせてもらったのを覚えている。

その従叔母が亡くなったとの報を帰京の折に聞いたので、体調の悪い母の代わりに葬儀に参列した。
※:伝えてきたのは従叔母の息子すなわち、再従弟(はとこ)。

従叔母は大田区民なので、今東京で問題になっている火葬場探しの苦労はなく、立派な大田区の臨海斎場がすぐに使えた。
そこは臨海の埋立地にあるため、住民の反対運動もなく、しかも最新式の煙を出さない設備で、さらに通夜も告別式も可能という羨ましい設備。
焼く時間とその後の冷却時間もリストで一覧できる。

惜しむらくは、お棺を前にしての読経中の室内に館内放送が入ることくらいか。

これで親と同世代の親族がいなくなった(現存しているのはわが母のみ)。

言い換えると、いよいよ自分世代の番になる(すでに従兄弟2名が他界)。


5ヶ月ぶりの高尾山で蕎麦を…

2024年10月13日 | 山歩き

今までは暑くて、外出するにしてもあえて汗をかく活動はしたくなかったが、
やっと秋晴れを迎えた3連休(しかも「スポーツの日)。
今年のGW以来、5ヶ月ぶりに山歩きを、と画策したが、しばらくぶりなのでここは軽く高尾山に落ち着く(前回も同様。間が空いてしまうので毎回高尾山になってしまう)
高尾山なら私定番のルート(蛇滝道をショートカットして登り、2号路を経由して1号路に合流して薬王院を参拝。山頂を越えて「もみじ台」で蕎麦、帰りは稲荷山道)で決まり。


8時に起きて、朝食のおにぎりを2つ食べ、9時10分の京王線に乗って、10時過ぎに高尾山口に降り立つ。
ケーブル駅の大行列を横目に左脇の道を進み、
稲荷山道、6号路と人を分け、山の中にある高尾病院前の舗装坂を登って、山道に入る(この道が蛇滝道のショートカット)。
前回発見した「中里介山妙音谷草庵跡」を横目に見て、自然林の中を歩くと蛇滝道と合流する鞍部に出る。
ここから高尾山内では珍しい本格的な登りとなり、登り終えて1号路への分岐を過ぎて2号路に入ると平坦な巻道となる。
この道の静かさは、並行している1号路の雑踏とは天地ほどの差。
この先続く3号路へは行かずにここで1号路に合流して、ケーブルからの一般観光客と一緒に歩く。
薬王院を参拝し、特に私は境内最奥の奥の院不動堂とその後ろの富士浅間神社を丁寧に参拝する。
11時半頃に人でごった返す山頂に達する。
天気はいいが、富士山は霞で見えない。
山頂を素通りして、西に下って、鞍部から「奥高尾」の山域に入る(観光客は足を踏み入れない)。
軽く登った丘が「もみじ台」でここの細田屋で富士を見ながら蕎麦を食べようと、昼食は持ってこなかった。
ところが前回とは違って、ここも行列。
しかもいくら待っても行列が動かない。
満席で、客が一向に食べ終わらないためだ。
皆私の前回の記事を見たわけではないだろうが、「穴場」を気軽に紹介するのも考えものだ。


ここで蕎麦を食べる事は諦め(私には副案がある)。
とりあえず休憩しようと、ベンチに腰を下ろす。
高尾山域は、座れる所がここかしこにあるが、日差しを避ける場所は乏しく、このベンチも日差しがもろに当たる。
実はそれを見越して、日傘を持参した。
ただ日傘って、手で持っていないと、用をなさない。
日傘を持ちながらの昼食には苦労する。
私は昼食は持参せず、ノンアルコールビールを専用の保温ポットに入れてきた。
高尾山中では普通にビールが売られているが、山でアルコールを摂らないことにしている。
なので、ノンアルコールビールでビールの爽快感を味わいたかった。
実際、冷えたままで炭酸も効いているビール味を味わえた。


これを体験すれば、もう用はない。
あとは下山を急いで、副案である山麓の蕎麦屋を目指す。

道に厚い板が敷かれてかなり歩きやすくなった稲荷山道をスタスタ降りる。
登ってくる人で、スリップ・つまづいて転倒した人が3名いた(いずれも若い)。
私自身、1回だけ左足が滑ったが転倒には至らず。
こういうことがあるから山ではアルコールを控える。

降りきってケーブルの山麓駅に着いたのは13時すぎ。
高尾山に向かって光明真言を三唱して、蕎麦屋を探すが、いずれも行列。
一番手前の「高橋屋」はいつも通りの大行列なので諦め、そこから離れるにつれて行列が少しは短くなるのを頼りに、1軒だけポツンと離れた日光屋に向かう。
そこも行列だったが、流石に短いので最後部に並ぶ。
そしたら、前の客がここで品切れだという。
私の後ろにその看板があった。


ということで、結局、高尾山で蕎麦を食べる目論見は潰えた。
それを見越して昼食を持ってこなかったので、駅の売店に行くも、
この時刻だから当たり前ながら、弁当・おにぎり類は全て跡形もなし。
仕方なしに、下山祝いのビールだけでもと、缶ビールとつまみの太いソーセージ、それに腹ごなしの「酒まんじゅう」を買って、公園状に整備された川べりに座って口に入れた。
炭酸飲料用の保温ポットを持ってきたので、余ったビールは無理に飲み干さずに、ポットに入れて持ち帰れる。
というわけで、今回の収穫は炭酸飲料用の保温ポットの活躍だけだった。


ハイデガーから道元へ

2024年10月12日 | 作品・作家評

著作的には、『存在と時間』から(正法眼蔵)の『有時』(うじ)へ。

もちろんハイデガーの思想はこの書の後も進展しているし、道元の思想もこの巻に尽きるのではない。

ハイデガーを読解するだけでも苦労するのに、さらに道元という苦労を背負い込むことになる。
なぜなら、ハイデガーだけでは足りないから。
この世を生きる現存在の基礎的存在論の後に続く、より先の方向性が欲しいから。

なら、道元だけではどうなのか。
道元の書(正法眼蔵)は弟子に対して書かれたので、仏道修行者が前提されている。
なので凡夫がただ表面的に読んでも、高踏的な教説として頭の上を通り過ぎてしまう。

衆生(凡夫)が陥っている状態を明確に自覚し、そこを出発点にしたい。
すなわち、”世人”(私でない人一般)として頽落(たいらく)している(非本来的様態の)現存在(=私)は、いかに時を生きればいいのか、
「いかに生きればいいのか」という問いに対する回答を、特定の行為に帰すのではなく、「時を生きる」という基本的在り方として確立したいから。

先走って示すと、ハイデガーが示唆した「本来的」ということが、道元の示す「悟り」に繋がるのではないか。

なぜなら、人は本来(可能性として)悟れる存在で、悟り続けることこそが、存在を自覚している稀有な存在者たる現存在の本来的な在り方なのではないか、と思うから(仏道修行者が前提)。

その悟りとは、”存在”(在ること)に対する認識(思い込み・臆見)の変様を意味する。
ご承知の通り、仏教は(ハイデガーが及びつかないような)ラディカルな存在論(縁起-無自性-空)を擁している。

その悟り(存在の新たな認識)によって、現存在として時を生きる在り方(=存在の仕方)が変われるのではないか。

「時を生きる」という点に即していえば、死という絶望(将来の途絶)を終点として生きるのではなく、死を超えた先(永遠の将来)を目指して生きたい。
死を現存在の衰弱の果てとして迎えるのではなく、向上(変様)の果てとして迎えたい。

これは(世間に適応するために)世人として生かざるを得ない様態からやっと解放される(定年の)時機に達するが故に、実行可能となる課題だ。

ただし『有時』の前に道元の存在論である『現成公案』の巻と格闘する必要がある。

さらに長期的には、道元で終わらずに、私の「心の多重過程モデル」で説明したい(既存の心理学モデルは存在者レベルに留まっていて、存在レベルに達していない)。
ハイデガーは哲学者としてシステム2(思惟)の極限に達した。
道元は仏道行者としてシステム3(メタ思惟)に達した。
この境地の違いを私の心理学モデルで説明したい。


受動的聴覚表象と幻聴の違い

2024年10月11日 | 心理学

ここ数日、ある楽曲のメロディが、頭の中でよく奏でられる。

といっても、これは受動的な、すなわち能動的な意思によらない聴覚表象で、幻聴ではない。

双方とも自分の能動的意思によらないという点は同じだが、双方には聴覚経験において質的な差がある。

聴覚表象は、音質・音量ともに表象できるが情報精細度が低く、例えば同時に奏でられるオーケストラの各パートは識別できない。
記憶が元なので、全曲正しく再生できる保証はない。
頭の中での記憶の再生なので、視覚表象が光を持たないように、”鳴る”という感覚的受動経験がない。

それに対し幻聴は、外部の音のように音が”鳴る”(という)。

私自身は、幻聴経験は乏しい(夢は幻聴を含む)が、耳鳴りは止まることなく持続している。
耳鳴りは、文字通り、キーンという特定の周波数の音が”鳴っている”(私の場合、周波数の低い複数の中低音の耳鳴りとのポリフォニー)。

この耳鳴りの音と、表象する音とでは、鳴っている音と心の中でイメージ的に再生している音との体験の質的違いがある。

たとえば耳鳴りは左右の内耳によるため、左側と右側で音の違いがあり、その意味でのステレオ効果があるが、音楽の聴覚表象はステレオ的広がり・左右差がない。
耳鳴りは右の内耳と左の内耳がそれぞれ右脳と左脳に情報が入り、それがそのまま経験されるが、聴覚表象は脳内の担当部位(右前頭部?)が興奮するだけなので、左右の脳の分業がないためだ。

聴覚表象は、感覚過程なしのイメージ表象なので、音が鳴らず、低精細なのだ。
ところが耳鳴りや幻聴は、より低次過程の感覚過程に近い箇所が、感覚入力なしの状態で勝手に興奮する現象といえる。
鳴ってもいない(鼓膜を揺らさない)音が耳元で鳴り響く経験は不思議といえば不思議だが、人間の脳は無感覚状態が嫌いで、勝手に感覚情報を作ってしまう性向があるらしい。


防風通聖散で内臓脂肪が減った

2024年10月10日 | 健康

体脂肪率やBMIは問題ないのだが、内臓脂肪だけが多めだった。
言い換えれば、健康に問題が少ない皮下脂肪(女性に多い)は多くないのだが、健康に問題がある内臓脂肪(中年男性に多い)だけが多い状態。

名古屋にいるときは昼食を摂らないので自ずとダイエットとなり、帰京する週末に向かって体重は減るのだが、内臓脂肪だけは減らない(内臓脂肪が計測できるエレコムの体組成計による)。

帰京して、昼に外食すると、体重と共に内臓脂肪も増える。

すなわち、体重は増減するものの、内臓脂肪は全く減らない。

そこで、脂肪を減らす効果があるという漢方薬「防風通聖散」(クラシエの顆粒)をドラッグストアで購入して服用してみた。

ただし表記してある一日摂取量は4粒×3=12粒なのだが、効果を穏やかにするために、一日4粒(昼間)にする。

服薬量は指定の1/3なのだが、名古屋宅にあるでエレコムの体組成計でだった内臓脂肪の指標(最大値10)が、かつてないにまで下がった(今まで8までは下がったことがあった)。
この値まで下がったのはこの薬の服用が原因としか考えられない。

以前紹介した『東洋医学はなぜ効くのか』(講談社)によれば、「防風通聖散」に含まれるエフェドリンが交感神経を興奮させることで脂肪の燃焼を促進するという。

ついでにその本によれば、漢方薬が対処療法の西洋医学の薬と違って、体質改善に効果があるのは、すなわち永続的に効果をもたらすのは、漢方薬は患部に直接作用するというより、腸内環境を変えるためだという。


恵那峡温泉3つ目の宿

2024年10月06日 | 温泉

先週末は大学で業務があったので帰京せず、その代わり日曜から恵那峡(岐阜県恵那市)の温泉宿に一泊し慰労とした。

恵那峡は名古屋から近い(中津川より近い)割に、笠置山や紅岩などの山が迫った風景が独特で転地効果があり、しかも天然温泉が豊富。
近いと午後から会議でも朝風呂を浴びて問題なく帰れるから、気軽な温泉旅として利用しやすい。


その恵那峡の川沿いには温泉宿(ホテル)が3軒ある。
その中で高台に建つ一番立派な「ホテルゆずリ葉」(旧かんぽの宿)、その下の河畔にある「恵那峡国際ホテル」(湯快リゾートチェーン)にはそれぞれ複数回利用した。

前者は客室(和洋室)からの恵那峡の眺めがよく、浴室も浴槽がたくさんあって、滞在宿としては居心地がいいのだが、温泉の濃度が薄く、また私が苦手な鶏肉(恵那鶏)が必須メニューになっている点で使いにくく、最近は利用していない。
後者の恵那峡国際ホテルは”安宿チェーン”なので建物は古く、最安値の客室は狭さに閉口するが、温泉が高張性で抜群(日本有数)に濃く、また安宿的バイキングも質的に向上しているので、客室のグレードを上げて利用していたのだが、最近は強気の料金設定になって”安宿”の範疇から脱しつつあるので、選択肢からも外したくなった。

残った一軒は「恵那峡グランドホテル」。
ここは他の2軒に対する何らかのアドバンテージが見られなかったので、今まで選択肢に入らなかったのだが、温泉は「国際ホテル」と同じく高張性で入る価値があり、また廉価(9900円)な宿泊プラン(夕食が定食)ができたので、豪勢な食事より温泉の質を優先する私としては、選択に値すると判断した。


というわけで、通い慣れた恵那峡だが、初めて泊まる宿にチェックイン。
客室は8畳和室にシングルベッドが2つデンと並んで、和室をほぼ占領している。
そのため和室でくつろぐことは出来ないが、窓側の椅子・テーブル空間が唯一の居場所。
寝るのは布団よりはベッドがいいので不満はない。

窓からの恵那峡は今までの宿とは位置が違うせいで、川の奥まで見渡せ、恵那峡の眺めはこの宿が勝る(写真:ただしこの宿泊プランだと部屋の眺望は約束されない)。

浴室は内湯と露天があり、露天からは恵那峡を見渡せる。
いずれも浴槽の桟が檜なので、そこに頭を載せて体を伸ばして湯に浸かる。
泉質はカルシウム・ナトリウム塩化物泉で、口に含むとしょっぱい。
濃いナトリウム泉なので、湯上がり直後は固有のベトベト感がある。

夕食は、個別の釜飯で炊く栗ご飯がメインで、それに刺身・茶碗蒸し・キノコのお浸し・香の物のセット(おかずは計4皿)。
飯以外はもちろん冷酒のつまみとする。
かように皿数は少ないが味付けご飯が多めなので、空腹は鎮まる(私は寝る前に酒のつまみに菓子をたくさん食べるので、夕食は抑え気味でいい)。

寝る前は、焼酎の寝酒+菓子を口に入れながら持参したノーパソで映画を観るのだが、和室に置かれたベッドには背もたれがない。
室内の布団収納空間に座椅子があったので、それを利用する。

室内のトイレはもちろん洗浄機付きで、冷蔵庫は空。
電気ポットもある。
売店はたいした品がないが、ロビーに電子レンジがあるので、恵那市内のスーパーで弁当を買ってきて温めることができる(これができれば素泊まりでもいい)。

室内ではテーブルを使えないので読書を含む作業はしにくい。
読書ならロビーのソファがあるが、照明が暗いので電子書籍以外は不向き。
なのでベッドに座椅子を載せて、そこでパソコン作業(この記事の執筆も)をした。

朝食は、普通(他の客と同じ)で、鍋もつくし、サラダ・コーヒーも取れる。
すなわちこのプランだと朝食の方が充実感がある。

館内の自販機にはアルコール類がない。
あと、足袋型のソックスが支給される(グレーなので白よりもありがたい)。

食事は質素でも貴重に濃い湯を味わう目的に絞れば、この宿で充分かな。

ちなみに恵那峡に来たら、遊覧船に一度は乗る価値がある(奇岩ひしめく恵那峡の景観)。
あと乗船場近くの奇勝・笠岩も一見の価値あり。
かくも恵那峡はいい所で、観覧車付きの遊園地もあるものの、観光整備が一押し足りない、勿体無い所だ。