Wilhelm-Wilhelm Mk2

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うどん

2013-09-29 | Weblog
前々から思っていたこと。
まず最初に「うどん」は決して嫌いではない。しかし「釜揚げうどん」のあの「長さ」にはいつも辟易する。長すぎるのだ。間柴了くらいのリーチがないと出汁の碗に移すことは難しい。どうやら水平に手繰り寄せるのが本式らしいが、腰の強い麺の場合、手繰り損ねると麺がチュルンと跳ね戻り、その勢いて汁や出汁が飛び散って不愉快この上ない。酷い時は顔に跳ねかかる場合もある。まあ自分が下手なだけかもしれないが、もう少し食べやすい長さに改善できないものか?あの長さでなくてはいけない理由でもあるのだろうか?さらに腰の強さについても一言いいたい。どうも「腰が強い=美味しいうどん」という図式だけに頼り、ひたすら腰を強くすることだけを目指したのではないかと思われる麺に出会う。伸びてグダグダの麺は最悪だが、だからといって腰が強ければそれでいいというわけではない。腰の強すぎる麺は顎に負担がかかって疲労するのだ。ものには限度があるわけで、料理としてのバランスが必要なのだ。このように手回しが難しいわ、食べるのに疲れるわで、食べ終えた時に「ああ美味しかった」という気分にならないのだ。ネットでみると同じような意見の人に結構出会う。結局は好みの問題なのけだが、食文化としてもう少し改良してもらいたいものだ。だから「うどん県」なんていう田舎の地方食の域を出ないのだ・・というのは言い過ぎか。私にとって美味しかった「うどん」は、帰省する際に瀬戸内連絡船のデッキで食べていた「かけうどん」なのである。ぶっかけも嫌いでない
というわけで?現在外で和麺を食べる場合は、もっぱら「蕎麦」である。江戸に住んでいるのだからやはり「蕎麦」>「うどん」だ。近所に評判の蕎麦屋があり驚くほどに美味しいのだが(少々高い値段だが)、退職した父が趣味で打つ蕎麦もなかなか美味しい。

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