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ここ数日色々なベートーヴェンを聴いてみたのですが(7番に絞って)、やはり私はフルヴェンが一番感動します。うーんやっぱり圧倒的だなあ。特にこの7番は僕が初めて聴いたフルトヴェングラーなんですよね。中学生の頃、日曜の朝に吉田秀和氏の「ベートーヴェンを聴く」というNHK-FMの番組を毎週聴いていたのですが、7番の全曲はクライバーの録音を紹介して、残りの時間でこのフルヴェンによる2楽章を流したのです。そのときの電光に撃たれたような衝撃は忘れられません。その場で耳をこらして吉田氏が紹介するフルヴェンの名を書き取ったわけです。
一体何が違うのかなあ。まず音楽が全く弛緩しないってことかなあ。速度が変わっても、加速が加速と感じないうちにその音楽が一番生命力を帯びるテンポに成っているのですよね。全く細工や作為を感じさせない自然さ。あとはついてくるオーケストラの燃焼力の違いかなあ。楽団員はただの尊敬だけでなく「畏怖」をもってフルヴェンに付き従っていたわけですから。そういえばフルトヴェングラーは生前に、
「指揮者は英雄でなくてはいけない。それゆえ指揮台の上では笑ってはいけない。」
と言っていたそうで、現代のようにニコニコしているような指揮者は駄目だということらしいです。実は僕もこれには賛成です。オーケストラって軍隊みたいなもので、全権掌握している指揮者に部下のオーケストラが無条件について行くというスタイルが理想だと思っています。でもこれはもう民主的な現代ではもう望めないのでしょうね。アップした写真をみると、フルヴェンのボスとしての存在感が感じられませんか?(長身ですしね。)
一体何が違うのかなあ。まず音楽が全く弛緩しないってことかなあ。速度が変わっても、加速が加速と感じないうちにその音楽が一番生命力を帯びるテンポに成っているのですよね。全く細工や作為を感じさせない自然さ。あとはついてくるオーケストラの燃焼力の違いかなあ。楽団員はただの尊敬だけでなく「畏怖」をもってフルヴェンに付き従っていたわけですから。そういえばフルトヴェングラーは生前に、
「指揮者は英雄でなくてはいけない。それゆえ指揮台の上では笑ってはいけない。」
と言っていたそうで、現代のようにニコニコしているような指揮者は駄目だということらしいです。実は僕もこれには賛成です。オーケストラって軍隊みたいなもので、全権掌握している指揮者に部下のオーケストラが無条件について行くというスタイルが理想だと思っています。でもこれはもう民主的な現代ではもう望めないのでしょうね。アップした写真をみると、フルヴェンのボスとしての存在感が感じられませんか?(長身ですしね。)
「加速が加速と感じないうちにその音楽が一番生命力を帯びるテンポに成っている」とは納得ですね。
最近は、ただ単にテンポが早い薄っぺらい演奏が多いような気もします。
指揮者のシノーポリ氏(故人)は「フルトヴェングラーのテンポの変化からは、曲の構造の型取りが見えてくる。テンポの変化は、曲の形態のアーティキュレーションに依存し、楽段のアーティキュレーションにつながるテンポのヴァリエーションである。フルトヴェングラーのテンポの変化は、常に曲の分析による」と述べていました。(DVDの中で)
ところで、orooroさんのHPでブル8が紹介されてますね。ためになりました。恥ずかしながら私、フルヴェンのブル8は聞いたことなかったのですが、最近DG盤を中古で手にいれました。今晩あたりに聴こうかと思っているので、近々感想をアップします。
私もブックマークに登録させて頂きました。
よろしくお願い致します。
早速ですが教えていただきたいことがあります。
100円均一ショップのダイソーからフルトベングラーのCDが出ており、
ベートーベンの交響曲第五番とバイオリン協奏曲のCDをいましたが、
録音などの詳細が解らず、また、本当にフルトベングラーの指揮かどうかも疑問です。
詳細を知っておられれば教えていただきたいと思います。
宜しくお願いします。
ダイソーのシリーズに関してはネットの情報によるとhttp://www.sky.sannet.ne.jp/tossi/daiso/furt.htm
運命は1937年のものでVn協奏曲は47年のものとされてます。私も学生で貧乏のころはホームマーケットの格安CDでカラヤンやショルティの演奏を集めていました。100円なら失敗しても損はないので、掴みにはいいかもしれません。
フルヴェンの運命ならグラモフォンから出ている1947/5/27の戦後復帰ライブというのが飛び抜けていいので是非聴いてみてください。