Wilhelm-Wilhelm Mk2

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日本の支配者層

2008-06-10 | Weblog
 秋葉原の事件の一報を耳にしたときは、覚醒剤中毒者の犯行かと思ったが、掲示板に犯行にいたる行動を逐一報告するなど、完璧な計画犯行だったようだ。この容疑者に毛一本ほども擁護をする気はないが、これだけ掲示板に書いていたとなると、もしかすると秋葉原の現場では、警察の非常線なり対策がこうじられるていると少なからず期待していたのかもしれない。そこに突っ込んでいって目立つつもりだった?まあ難にせよ、こいつは死刑だが。

 犯行の動機は、リストラにあったためという話が出た途端、派遣会社がリストラ対称にはしていないと明言しているが、同僚の話では「6月一杯、のびて8月まで」と、クビが決まっていたらしい。どうみても、引き金はこれだろう。派遣というものは、いつクビを切られれても文句の言えない立場なのかもしれないし、だからヤケクソで無差別殺人を犯してもいいなんていう論理にはならないが、そもそも派遣制度ってのに非常に疑問がある。仕事ってそんなに奥が浅いものなのか?どんなことでも長くやって気づくものとかあるだろうし。どんなに頑張っても上がないとわかっていて働くのってどうなんだ?斡旋料ピンハネして営利をむさぼっている派遣会社なぞ、昔でいう「人買い」だろうに。

 結局、今の日本は完全な貴族政治社会になっているのだ。政界・財界・学会、どこへいっても上座にいるのは二世三世だらけ。チャンスは平等、頑張れば夢はかなうと、小学校で散々ふきこまれるけど、現実世界にでれば、越えることが不可能な壁だらけに気づいて唖然とするだろう。大昔は、貴族は貴族、農民は農民という棲み分けがあり、その現実に皆納得していたが、支配層が無茶をすると、一揆やら革命やらで、とんでもない突き上げがおこるという最終カードがあった。しかし、現「民主主義」では、建前上、支配層は我ら自らが選んだ「代表」なのであり、その最終カードが封じ込められてしまっている。民主主義政治というものは、革命を起こさせないように巧妙に偽装された貴族政治の形態なのだと思う。

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