無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今一度前回引用した2019年のパイセン問答を振り返っておこう。


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いとさんの質問:パイセンにとっての gender って何ですか?

『俺にとっては、存在しないものかな。(以下略)』

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これは、ある意味ヒカルの中でジェンダー観、ジェンダー論について「決着がついている」と考えていいのではないか。ジェンダーに纏わる諸問題が解決している訳では無いので、もう何も悩むことは無いというのとは異なるものの、葛藤や苦悩に苛まれてやるせない、といった状態ではなく、ある程度落ち着いて対処できる、という感じなのではないだろうか。2004年の『You Make Me Want To Be A Man』の時の爆裂的な感情とは違うよね、と。

この、(ジェンダー観については)落ち着いた心理の中で最近の歌の歌詞において性差や性別を扱っている、という観点を保持すると、寧ろ逆に「男と女」について語りやすくなっているのではないかな、と思えてくる。だからこそ『Boy you know what I need』とか気軽に歌えちゃってるんではないかなと。

この『誰にも言わない』を、例えば槇原敬之がカバーしたらハマるだろうなぁ、なんて思う。彼は既に『traveling』というカバーの実績があるので手腕自体に不安もないし、歌詞の歌いこなし方も堂に入ったものだったが、『誰にも言わない』は、歌い手のジェンダーを固定している気がしない。そもそもないものの中で『boy』という概念について歌っているからだ。そして、その次に来るのが『I just want your body』であるというのが、そこはかとなく、いい。

「男の子のカラダが欲しい」とは、本当に身も蓋もない。これを「純粋な想い」として歌うには、冒頭で触れたように、「ジェンダーなんてなかったんだ」という所まで行く必要があった。そこに至る事で漸く、手垢に塗れた邪さのレッテルを剥がし切る事が出来たのではないか。生々しく、剥き出しの肉欲だと思われてしまう筈のこのフレーズを「純愛」としてヒカルが歌えるようになるまでには、ここまでジェンダー観を落ち着かせる必要があったのではないだろうか。

『You Make Want To Be A Man』では、言葉でわかりあおうとして限界を感じ(『Arguments that have no meaning』)、故にそれを凌駕する可能性として“男性性の獲得”という“夢”をみようとして適わなかったが、『誰にも言わない』ではあっさりその身体性を肯定する。それの価値を見極めたのだ。「男になりたい」という感情を昇華させる事で『誰にも言わない』は完成した。いや勿論それだけではこのとんでもない曲は出来上がらないだろうが、重要なファクターのひとつであった事は間違いないだろう。なんだろう、凄い所まで来てるねぇ、ヒカル。『誰にも言わない』。何度聴いても、静かに静かに、感動するよ。

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『You Make Me Want To Be A Man』──「あなたのせいで、男になりたい」。ヒカルの、Utadaの歌詞の中でもこうまで性別を強調する曲は異色ですらある。だがそれ故にかここで描かれた心理描写の持つメッセージ性はことのほか強い。

『This is just the way I am』─「これが私のやり方」。それは何かというと『I really wanna tell you something』─「わかってほしい」、その一言に尽きる。『time will tell』─『時間がたてばわかる』と言ってデビューしてきた人がもうひとつのデビューでは「わかりあえない」事に苦悩する。『We didn't need to say much to communicate. Now it's difference, 99% is misinterpreted.』─「分かり合うのに言葉は要らなかった。でも今は違う。1%も伝わらない。」……この差よ。

その「理解の溝」を「男になることで埋めようとする」のがこの歌の主旨だ。ただの断絶ではない。どこまでもわかりあえて、わかりあえると思っていて、だから全ての言葉が腑に落ちていた(『Every word you say finds a home in me.』)のに、いや、だからこそあなたの言葉は私を深く傷つける。

つまり、深くわかりあっていく中で「どうしようも無く越えられない壁」にぶち当たった時に、「もうあとは男になるくらいしかやることないよ!」と憤っている、その怒りの力でこの曲は名曲となっている。最初から男女の断絶が前提にある訳では無い。寧ろ、最後の一線を性差が邪魔をするのである。

2004年発表の曲だ。一方、2016年の『ヒカルパイセンに聞け!』ではこんなやりとりをしている。


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sayaka.Yさんの質問:昔からどこか中性的な魅力を感じていましたが、ヒカルさんは母となり、妊娠、出産を経験して女性しか出来ないことを成し遂げた今、改めて自分が女性であることについて何か思うことはありますか?

『ずっと男になりたいって思ってたけど女でよかったぜ。』

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そして2ではこうだ。2019年。


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いとさんの質問:パイセンにとっての gender って何ですか?

『俺にとっては、存在しないものかな。
自分の体が女であることにずっと違和感を感じながらここまで来たけど、この回答を考えてて、男の体だったとしても同じくらい違和感感じるんだろうなって思ったぜ。』


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非常にシンプルに、「ヒカルのジェンダー観は年月と共に変遷を遂げている」と言っていいと思う。それは社会情勢かもしれないし、心身の成長かもしれないし、環境の変化や付き合う人間の変化かもしれない。だが、若い頃から常に一貫した人生感をもつ宇多田ヒカルの中で最も変化した項目のひとつなのだという憶測は、そこまで外れているとも思えない。故に、楽曲がいつ頃書かれたものかで話は変わってくるのだった。それを踏まえて『Time』や『誰にも言わない』に記されているジェンダー観の端緒を解釈していかねばならないだろう。

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