無意識日記
宇多田光 word:i_
 



こちらから見て楽しそうなだけでなく、本人も心からライブをやるのを楽しんでる状況…にまで持っていくのには、大変入念で濃厚な準備が必要だったかと思われる。

宇多田ヒカルはその歌唱力の高さで知られ、ライブを観に来る人はその歌唱を是非生で体験したいと足を運ぶ人も少なくないだろう。要は「聴かせてくれ」という要望を携えて着席する聴衆が一定数居るということだ。

ところがヒカルさん本人は、昔から、自分が観る方の立場で居る時から「ライブは盛り上がってはしゃぐもの」という価値観で来ている。(ここにずっとズレが生じていた。)

「歌を聴きに来ている」お客さんに対して「しっかり聴かせる」為には相当な集中力が要る。つまり、耳を澄まして自分の喉のコントロールに注力する必要がある。一方で、「ライブで観客を盛り上げる」為には、歌にばかり気を取られていてはままならない。聴衆の方をみて、必要とあらばみぶりてぶりで観客を煽っていかなくては、ライブは盛り上がらない。この二つの相反する行動、つまり、シンガーとして歌を丁寧に歌わなくてはならないタスクと、バンドのフロント(普通はフロントマンと呼ぶわね)として、観客の振る舞いをリードするタスク、この両方を担っていかなくては、欲張りな目標:「歌を聴き来た人を満足させ、その上でライブ全体を盛り上げる」を達成する事は出来ない。

このダブル・タスクを成し遂げる為に、今回のヒカルさんはかなりの荒業に出てきた、というのが私の推測である。恐らく、ほぼ自動運転で全23〜24曲を歌えるように、身体に叩き込んでツアーに臨んできたのではなかろうか。

ミュージシャンというのは凄いもので、「楽器を弾きながら歌う」というのは珍しくもなんともない。ついこのあいだ楽器に初めて触った人でもそんなことをこともなげにする。昔「ギターと歌、全然違うラインを奏でてるのに頭は混乱しないの?」と当事者に訊いた事があるが、「指が勝手に動くまで練習してる。だからあとは歌ってるだけ。」と言われた。ほへーそんなものなのかと楽器が一つも演奏できない自分は感心したものだが、今回のヒカルさんは、何も考えずとも身体が勝手に歌ってくれるところまでブラッシュアップしてきたように思えてならない。

そこまでできれば、歌いながらステージを闊歩し、必要ならば歌ってる途中に挨拶の言葉を観客席に投げかけることもするし、何より、歌いながら実に楽しそうな表情を浮かべられるのは、自動運転してくれてる自分の喉から聞こえてくる歌をただ聞いてそれに自分でノッてるだけで済む領域まで来ていたからだと思われる。

だが、宇多田ヒカルの歌というのは、他の歌手に比べてと格段に「歌のチェックポイント」が多い。声のトーンの調節や、四分の一音の上げ下げなど、正確な歌唱を披露する為の情報量がズバ抜けて多い楽曲を歌う歌手なのだ。それを自動歌唱できるまでに叩き込んでくるってのは、これは相当な量のトレーニングと下準備を重ねてきたに相違なく。ライブ当日に晴れやかな笑顔を見せて心から楽しそうに歌う為にどれだけの研鑽を積んできたのやら。ありがちな表現に落ち着いてしまうが、湖面を優雅に滑っていく水鳥も、水面下では必死に足をバタつかせていたのかもしれない。そんなことをおくびにも出さない所が、今回のツアーの宇多田ヒカルのプロフェッショナルなところだったといえる。ま、それは他のライブ・パフォーマーも大体おんなじなんだけど、歌が上手い分その苦労も桁違いだったろうなとは、やっぱり思うよ?

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