無意識日記
宇多田光 word:i_
 



話の順番を考えると、これについて先に触れるべきだわな。『SCIENCE FICTION TOUR 2024』のリズム隊、ベーシストのセイエ・アデレカンとアイザック・キズィートの話だ。どうやら本来のカタカナ表記はセイ・アデレカンとアイザック・キジトらしいが、ここでの表記はヒカルのMCに倣うことにするよ。せやから余所行って言うたらあかんで?(←私の父の口癖(至極どうでもいい情報))

で。何が凄いってまずはそのサウンドのクリアさよ。あんなにバカデカい低音を出しているのに一切ヴォーカルの音域を侵さない。あんなサウンドはライブ会場はおろかハイレゾの店頭視聴でも聴いた事ないよ。「一体どうなってるの!?」てな具合にしこだカルチャーショックを受けたです。

もしかしたら自分の観たKアリーナの音響が良かったのも大きかったかもしれないが、恐らくこの音の良さは総ての会場である程度までは同様だったのではないか。そんな期待を持たせる超高音質だった。正直、こればっかりは今度出るBlu-rayの音質でも叶わないだろう…というかそれに相応しい再生環境を揃えないと無理だろう。CD2枚組の音源がハイレゾ配信されてもどうだか? まさにあれだけの金額を払った甲斐のある(A席なんだから大した事ないとか言わない。それでも6年前より高い。)、珠玉のサウンド・メイキングだったよ私の観た8月31日の公演は。

まさかこんな高品質な低音にノりながら宇多田ヒカルのヴォーカリゼイションを余す事なく堪能出来る時間がやってくるとは! そんな驚きが先行した事も、浮かれて滅茶滅茶楽しくなってしまった要因のひとつだったのかもしれない。低音大好き&ヒカルの歌も大好き(喋り声はもっと好きだけど)な私なのだからそりゃ有頂天にもなるわな。

しかも、このセイエ&キズィートのリズム隊のコンビネーションのよさと、何より叩き出してくるグルーヴの弾力が極上で! 自分は直で観たわけではないので推測での比較になるが、『LUV LIVE』のニール・スチューベンハウス&ヴィニー・カリウタ以来の、いやその2人の(多分超高額ギャラだった)リズム隊を凌ぐ程の、宇多田ヒカル&UTADA史上最高のリズム・セクションを今回連れてきてくれたというのが、いやもうヒカルさん、慧眼ったらありゃしないわと褒め称えたくなる気分。いやまぁもちろん、これだけの凄腕を二人必要な時期に雇って遥々極東に来て貰えるだけの評価と実績と信頼と支払い能力がヒカルの側にあったからなんだけど、でも何よりもまずは見抜く目聞き分ける耳ですよ。それが素晴らしかった! 抜群でした!

ただ、コンサート全編にわたってそのリズム隊の強靭さの恩恵を受け続けられたかというと、そう言い切れない場面もあってだな…とい話からまた次回。そうそう、最初に宣言したように、「今後ここを改善したらもっと良くなる」ポイントを次から指摘していくぞい。耳が痛い事を言われるのが嫌な人は、お休み中のヒカルさん本人も含め暫く目を逸らしておいてくださいまし。読み上げソフトを使って読んでる人(私だ)は耳も塞いで、な!(そんなの音声再生しなきゃいいだけですね、ハイ)

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前回ヒカルのライブ・パフォーマンスを「あまりの歌の安定感に惚れ惚れするほど」と形容したけれど、これはきっと異論が挟まれるんではないかなと思っててな。

というのも、多分「高音が出てなかった」みたいな感想がちらほら出てたんじゃないかなと。実際どうだったか知らないけど。ありそうで。

私が実際に公演で体感したのは、高音がフラットしている、という事はそれはそうなんだけど、「全音域でフラット気味だった」というのが率直なところ。高音だけでなく、中音域も低音域も、ってことだ。しかもそれは、前半に歌われた昔の曲に限って、ね。ああフラットってのは、(半音に限らず)音程が下がり気味って形容ね。

もうこれは結構単純な話で、宇多田ヒカルは『Fantôme』で復帰以降、『桜流し』以前とは歌唱法どころか発声方法そのものを変えて臨んできている為、その頃の楽曲を歌う時にはそれなりの工夫が要るようになったということ。そのテーマで臨んだのが『SCIENCE FICTION』アルバムの冒頭を飾った『Addicted To You(Re-Recording)』だったわけだが、今回の公演では歌われなかったわねぇ。

なので、昔のままではない、今の発声を通した上でのアプローチをとったときに声がフラットして聞こえる事がある、というのが実態なんだと思われる。なので「ああ、こういう声の出し方なんだ」と一旦思えてしまえば、声がフラットしてるようには聞こえなくなった…というか、気にならなくなった。なお、後半に歌われた、現在の発声でレコーディングされた楽曲に関してはフラット云々な感想は持たなかったが、これが前半にその音程に慣れてしまったせいなのかどうなのかはよくわかんない。

音程が正確、といっても声色音色というのは様々な高さの音の複合体として分解できるので、ある声色を聞いた時に音程として認識される主音というのはひとりひとりの聴覚の経験と体質によってズレる事が理屈上はあり得る。思うに、ヒカルさん、ただ発声方法が昔と変わっただけではなくて、筋肉の経年変化で全体的に声帯の持つ倍音のバランスが低音寄りになってきていて、ただいまそこの対処の真っ最中なのかもしれない。レコーディング時点で現在の声帯に基づいて調整できている最近の曲にはわたしたちにわかる影響はなかろうが、昔の歌を歌うとなったらこちらに比較できる昔の幼いヒカルの歌声の記憶と印象がある為、それとの比較が避けられないということではないかなぁと、後付けだらけだがそんな風に思ったのでありましたとさ。

実際、ヒカルさん、「うわやべー、声出てねぇ」だなんて微塵も思ってなかったからね。表情から窺うに。ところどころそういう事があっても局所的なことでしかなく。これもまた、自動運転できるだけの訓練と鍛錬が身を結んでたってことではないでしょうか。

と、私の中では納得済みの案件とはいえ、「やっぱり音外れてたよ」と言いたくなる気持ちもわかる。もし周りの絶賛の雰囲気に合わせてそういう感想が言いづらくなってるとしたら、あまり健全なことではないので、そういうのも素直に言える雰囲気作りは大事なんだよね。どれだけ素晴らしい公演だと感じ入っていてもそれが完璧である必要はないし、不満があったのなら尚更だわ。うまくバランスを取りながらライブを振り返りつつ映像商品のリリースを迎えたいところですわね。

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