無意識日記
宇多田光 word:i_
 



なお、昼ドラでもきっちり「あはは、お巡りさんの方が迷子になってどうするんだ~(笑)」という感じのツッコミが入っていた、筈。

でそのひとつ前のツイートでは『赤ちゃんの○○○○ツイートがその前の朝ドラ主題歌で復帰だぜツイートよりもリツイートが多くて複雑』と呟いている。多いどころかこれを書いている時点で1.89倍とダブルスコアに近いのだからこれは複雑を通り越して残念なのではないか。

いや2倍となるとどこまで本気になったらいいかわからんよなこれ。

無意識日記らしく無駄にシリアスに捉えてみると。確かに、ツイッターで人気があるのは30秒以下の動画、イラスト、4コマ漫画などであって、正直歌を聴くのが好きな人ってそんなにツイッターにへばりついていない…というか見てる所が違うんかな。#nowplaying タグを追っていたりね。でも、絶対数で勝てない。つまり、ヒカルの歌を待ち望んでいる人より、「有名人が何か面白いこと呟いたらしいぞ」と色めき立つ人の方が2倍多い…ってあれ、考えてみたら当たり前か。ヒカルの復帰ツイートはヒカルに期待してないとリツイートの価値が無いが、キンタマツイートは「有名人の」という括りがあればよい。即ち、もっと母数がぐっと増えるのは当たり前なのだ。うむ、あまり複雑な気持ちにならなくていいかもしれない。寧ろ、有名人ツイートに群がる人数の半分以上の人たちがヒカルの歌に期待してるってこれ結構凄い事だよ。


と妙に持ち上げておきながら私の興味は他にある。もう一度呟きを見直してみよう。

『赤ちゃんの○○○○ツイートがその前の朝ドラ主題歌で復帰だぜツイートよりもリツイートが多くて複雑』

おかしい。なぜ前回は『赤ちゃんのキンタマの美しさにビビる』とハッキリ一文字の伏せ字もなしに『キンタマ』と書いたのに今回は『○○○○ツイート』と全伏せ字なのか。思い切った方向転換、かな?

これを分析してみよう。幾つかの解釈の仕方があるだろうが、無意識日記では前に書いた事を踏襲しておきたい。テーマの切り口はこうだった。

『赤ちゃんのキンタマの美しさにビビる』とは、審美についての表現、即ち芸術活動の一環であるから伏せ字は必要ない。ここで伏せ字を使用するのは、いわば春画で局部にモザイクをかける(絵にそれは難しいな…紙でも貼るのかな)ようなものであって、芸術に対する冒涜に値する。ここでの主題たるキンタマは美の表現であり猥褻にはあたらない。したがって何ら隠匿するべき箇所は見当たらない。いや、一文字として伏せてはならない。それは猥褻への第一歩となってしまう。

翻って。今回のツイートはどうだろう。試しに、○○○○の部分の伏せ字を埋めてみよう。

『赤ちゃんのキンタマツイートがその前の朝ドラ主題歌で復帰だぜツイートよりもリツイートが多くて複雑』

途端にふざけた感じが出てくる。芸術性はどうした。審美眼はどうした。猥褻という感じはしないが、途端にユーモラスになる(オリジナルツイートもユーモアたっぷりだけどな)。つまり、美しさについて語っていないのに33歳の女性が恥じらいなく「キンタマツイート」と呟くとなんか「ちょっとは憚れよ」と言いたくなる人が出てくる。いや私は別に言いたくならない方の人だけど。スケッチブックの端っこに巻きグソ書いてSay Hello To 6年後の私してしまうおぼっちゃまくん大好きっ子だぜ。今更キンタマて呟かれても「またなんか言うとる」くらいでしかないわい。

んで、もう一つ踏み込むと、何故今回の伏せ字が「キン○マ」や「キ○タマ」や「キ○○マ」でなく全文字消しの「○○○○」だったのかという…え、もうこの話題はいいって? そんなにキンタマキンタマ連呼するなって? うぅむ、ごもっとも。取り敢えず今日はこれくらいにしときましょう。

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そういえば、もののついでという事で(?)フジテレビの昼ドラを録画して観てみた。凄いな。昼ドラを観るのはたぶんTBSのキッズ・ウォー以来なんだが、この内容を1日30分月~金毎日、つまり一週間150分という朝ドラを遥かに上回る分量で見続けるなんていやはやなんともはや言葉にならねぇ。

普段低予算の深夜アニメに対して(って言う程観てへんのやけどね)その脚本の荒唐無稽さを微笑ましく眺めさせて貰っているが、あんなもんじゃあない。荒唐無稽なんて言ってすまんと裸足で逃げ出したくなるくらいワンシーンワンカットがトンデモ場面の連続で。その淡々とした編集ぶりから「いやこの半世紀ずっとこうしてますけど何か?」な風格すら感じられた。取り敢えず「最後の昼ドラ」と銘打たれてるからこの枠はこれで終わりなんだけど、このノウハウの蓄積は勿体無いねぇ。どこかで活かしてくんねぇかな。

こんかいきり立った脚本を、大の大人が寄って集って真面目に映像化してくれてるのがまたメタに面白い。演技中に吹き出してNGなんて素振りもみせず実に真剣な芝居ぶりを見せてくれている。自分でも誉めてんのかDisってんのかよくわからねぇがこの枠を見続けて半世紀という方もきっといらっしゃるだろうからこういうのは総てを突き抜けた伝統芸能として観るべきなんだろうな。

その異世界ぶりは朝ドラのそれをも凌駕している。昼ドラのテンプレを貼り付け合わせて本来のプロットまで持っていく強引さは、なるほど、魔法や異世界を素直に使えるラノベの方が遥かに自然でらくちんなのだろうと思わせる。決まった時間枠で有り得ない設定にまで実写で持っていくにはこんな風にするんだなぁと妙に感心してしまっていた。

といっても、強引さが目を引くとはいえちゃんと脚本にはプロットが幹としてちゃんとありそうで一安心。多分、誰が誰に育てられた子かを見極めるのが話の流れの軸になっているようで、そのキーというのがこどもたちの歌う童謡だ。そこでお母さんの"歌い間違い"を継承したこどもが歌う歌を聞いて…という場面が今後も出てくるのだろう。その歌というのが“いぬのおまわりさん”を歌い間違えた"まいごのおまわりさん"でねぇ、、、


、、、て事でヒカルは朝ドラのみならず昼ドラまで観ているのだろうか(笑)。まさかねぇ。でも単なる偶然にしては出来過ぎとるな。やっぱ観たのかな。

或いは、昼ドラがヒカルに主題歌のオファーを出していたのだが断られて…っていやいやいや(笑)。

まぁそんな偶然の一致も面白がれるのも、新曲や新譜のリリースが(時期未定とはいえ)決まっているからで。あと2ヶ月切ったねぇ。


それにしても、あの昼ドラあの続きどうなってるんだろ…たまに観てみようかな…(笑)。

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