無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回の続き。つまり復帰後に光が嘗てのユーミンのようにコンスタントに(まぁ多分馬車馬のように)働いてリリースやツアーを連発するような事があるだろうか、という想像である。

人間活動に入る時、「マネージャーなしじゃ何も出来ないおばさんになりたくない」と言っていたのは印象に残っているかと思う。それはつまり、私なりの言葉で言い換えればその芸術性によって所謂"人並み"の事が出来なくても許されているような状況は嫌だから、自分はそういう所で駅線鳥街、なんだそれ、エキセントリシティを発露しない方を選びたい、と。要は妖怪人間ベムベラベロ(MXで絶賛放送中の、ハズだ)的に言えば、「早く(普通の)人間になりたい」ということだ。さすれば"人間活動"という名称もなるほどと頷ける。

問題は、その"普通の人間ぽさ"をどこまで押し進めテイク5である、じゃない、押し進めていくかである。所謂ミュージシャンという職業、或いはアーティストという存在に許されるのはそのいきあたりばったりぶりである。次に何が起こるか、次に何を起こすかわからない、そういった点を期待されるエンターテインニングな存在。その裏返しが公共料金を払い忘れる(どころか存在を把握していない)ようなエキセントリシティである。

"普通は"、そういうことはない。殆どの職業は、労働においては決まった時間決まった場所に顔を出し、顧客の希望を出来るだけ忠実に実現する事が求められる。一定の品質、決められた数量、約束された納期。農業も工業もサービス業も関係なく、殆どの職業は徹底して予測不能性を排除する。牛丼を注文したのにカレーを出されたら大抵は怒る。「いやぁ、お客さんが驚いてくれるかなと思って閃いたんですよ」と言ってもクビになるだけだ。

で、つまり、そういう"普通の人間らしさ"とは、そういった社会に対する予測容易性を担保する為の能力、属性なのである。ここでユーミンの話に戻る。彼女は、そのコンスタントな仕事っぷりによって、アルバムを定期的に特大ヒットさせる事自体を"予定調和"の域にまで持っていったのである。一定の品質、決められた数量、約束された納期。音楽という得体の知れない創造物を工業化し商品化し、社会の中に組み込んだのだ。日本においてPopsの史上を開拓し安定させ"稼げる"職業に転化した。いや勿論彼女だけの力ではないのだが、その象徴的な存在であった事は間違いないのではないか。

光も、そういう風になるのだろうか。人間活動を通して、社会に適応した予測容易な活動形態、更にいえば予測容易な音楽的キャラクターまで演じるのだろうか。俄かには信じ難いが、人間活動の含意となればそこまで想像の翼を広げてしまう。

漸く本題となる問いに入ろう。今までは何だったんだ。

それは、光が人間活動を選択したのは、今までの自分から変わる為なのか、或いは、変わってしまわない為なのか、どちらなのだろうという問いだ。

この話をしたくて色々引っ張った。申し訳ない。続きはまた次回なので乞うご期待。This Is The Oneでも聴き直しながら待っていて卓袱台。

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Popであるという事には、直接的な音楽性のみならず、その活動形態も含意される。幾ら音楽性が大衆的でも、芸術家肌を発揮していつまでも制作に没頭しリリースペースが空いてくるとなんだか別物になってゆく。そう考えるとリリースペースが8年間隔だった嘗てのBOSTONが"産業ロック"と揶揄されていたのは皮肉なことなんだが。

日本で音楽を商業化、工業化したいちばんの後継者は、光と誕生日を同じくする松任谷由実である。80年代後期彼女はまさにひとりだけ化け物で、ミリオンヒットアルバムを連発していた。音楽的に売れ線だったのは間違いないが、当時の彼女が真に凄まじかったのは毎年ほぼ同じ日(11月21日前後)にアルバムをリリースしていた事だ。3年目位になると「そろそろユーミンの季節だな」と完全に風物詩化していた記憶がある。あれだけ売れるアルバムを、まるで納期をきっちり守る工事のように生産した事が、彼女を元祖J-Popの女王たらしめたのだ。

21世紀に、そういった意味に於いて女王の名を引き継いでいたのは浜崎あゆみの方であり、宇多田ヒカルではなかった。様々なライターを起用し楽曲を大量生産し、ヒカルの倍以上のシングルをリリースしてきた。現在の時点でJ-Popの商業化・工業化の極北に位置しているのは彼女の方だ。

しかし、ヒカルだって実際はかなりのペースで楽曲を量産していたのだ。プロジェクトとして大掛かりなあゆの方法論とは違い、まさに文字通りの家内制手工業で頑張ってきた。それでこれだけの生産力があったのは驚異的といっていい。しかし、そのユーミン以降のミュージシャンに課せられた(とまで言うのは些か言い過ぎだが)リリースペースの早さの平均からすると、やはり突出している訳ではないし、何より大きかったのは、事前にリリース時期が読めなかった事だ。いつ次が来るかわからないアーティスト、という印象自体がリリースペースに対する感覚を改変する。確かに、事後から数を数えると申し分ないのだが、事前にはその感覚が生まれてこない。ユーミンがリリースペースをがっちり守り、毎年人々の期待を自動喚起していたのとは対局にある。つまり、Popsに関して重要なのはその生産量だけでなく、事前に予想できるコンスタントさもなのだ。その点に絞っていえば、ヒカルは"Popではなかった"と言えるだろう。家訓(?)が"
いきあたりばったり"なんだからまぁそれで何も間違っていないのだが、8年どころか1年おきにアルバムを出した事もあるのにいつのまにかポジションはBOSTONのような「急に現れてアルバムを売りまくってまた沈黙」みたいなイメージになってしまった。まぁちょっと極端な表現だけど。Popという観点からみるとちょっと損な気がする。

では今後はどうなのだろう、という話は時間が来たのでまた次回。

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