トシの読書日記

読書備忘録

哲学無用論

2010-09-14 18:01:29 | な行の作家
中島義道「エゴイスト入門」読了



「新潮45+」に連載していたものをまとめたものです。今年の6月に刊行されてます。


しかし相変わらずです、中島さん。でも、基本的な考え方は相変わらずなんですが、ほんの少しづつ変容しつつあるような印象を受けました。いわゆる「真理」を「命がけ」で探求するのが真の哲学者である!と昔は言い切っていたのに、本書では、もちろんその姿勢に変わりはないんですが、「…大部分の哲学者は、殺されたくもなく、追放もされたくない腰砕けなのだ。(中略)ずるく、さもしく、弱く、卑怯な人間であり、それを自認しながら変えることがないであろう。まさに文字通りの意味で『ならず者』なのである。」

と、書き出しのところにあったんですが、なんですか、これ。開き直りですか(笑)まぁ、もちろんそうおっしゃる気持ちはわかるんですが、僕にとっては中島義道は孤高の人であってほしいんですね。こんな弱気なセリフは吐いてほしくないんです。


とまぁ勝手なことを言いましたが、本書でも共感できる部分はたくさんありました。たとえば「思いやり」という言葉。

よく、「自分がされていやなことは、他の人にしない」と言いますが、これは取りも直さず「自分が他人からいやなことをされたくないから、他人にもそのいやがることをしない」のであって、「思いやり」というのは自己利益の追求に矛盾しないどころか、利己主義の変形したものなんですね。

中島義道は、こういった「贋物のエゴイスト」を徹底的に糾弾します。「真のエゴイスト」はそうではないと。自分の「快・不快」を唯一の基準とし、不快なものに対しては(他の全ての人がそう思わなくても)断固立ち向かう。その勇気と信念を兼ね備えた者が「真のエゴイスト」であると、そう述べるわけです。素晴らしいですね。拍手を送りたくなります。

自分がそれを実践できないのが、いつもジレンマなんですが(苦笑)

大いなる懐古趣味

2010-09-14 15:33:55 | か行の作家
久世光彦「むかし卓袱台(ちゃぶだい)があったころ」読了



というわけで未読本の山から本書を捜し出して読んでみました。いろいろな雑誌に掲載されたものを集めたエッセイ集です。


書いてあるテーマは、ほとんどが「昔はこうであったけれど、今はこうなってしまった。なんともはや淋しいかぎりである」みたいな、昔のことを懐かしむものばかりで、少なからず辟易させられましたね。また、いろんな雑誌に載せられていたものの寄せ集めなので、同じような話が何回も出てくるところにも閉口しました。



もちろん、これ1冊で久世光彦のエッセイのなんたるかを論じてはいけないとは思いますが、なんだかねぇ…。


けっこう期待して読んだんですが、ちょっと残念でした。

百のセルフリメイク

2010-09-14 15:18:05 | か行の作家
久世光彦「百先生 月を踏む」読了


「小説トリッパー」という文芸誌に2005年~2006年にかけて連載していたものを単行本として刊行されたものです。最終章の第5章は著者急逝のため未完として終わっています。


しかしこれはすごいですねぇ。凝りに凝ったというか、すごい仕かけになっています。久世光彦の小説的技巧というものが、これほど華麗とは、恥ずかしながら知りませんでした。



内田百ならこういう小説を書くだろうと、久世光彦が考えた小説をそこここに散りばめ、小田原の〈経国寺〉の離れに居をかまえた百の行状を描いた、これはジャンルでいうと何になるんでしょうね。もちろん全編フィクションなんですが、まぁすべてをひっくるめてひとつの小説ということでしょうか。


以前、百の「百鬼園随筆」を読んで、面白いけどちょっと自分の好みではないと思ったんですが、俄然内田百の小説が読みたくなりました。


久世光彦の素晴らしい才能にもふれることができ、久世の他の作品も読まなければと思っております。久世光彦の未読本、家に2冊くらいあったような…。


以下に覚書として内田百の小説を書き並べておきます。

「冥途」「件」「道連れ」「旅順人城式」「山高帽子」「昇天」「サラサーテの盤」