トシの読書日記

読書備忘録

漱石の資質

2010-04-27 17:51:49 | や行の作家
吉本隆明「夏目漱石を読む」読了



以前、瀬戸浩爾が「思想なんかいらない生活」の中で、あまたの哲学者を斬って捨てる中、吉本隆明だけは「別格」と言っていたのが妙に頭に残っていて、少し前に夏目漱石をまとめて読んだことだしと思い、買ってみた次第。


「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」「坊ちゃん」「虞美人草」「三四郎」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」の12の小説を取り上げ、それぞれのテーマに深く迫るといった構成になっています。


自分が持った感想と吉本隆明の評論を比べてみるなどという大それたことはもちろんしませんが(笑)やっぱりすごいですね。卓越してます。


ただ、ひとつ思ったのは「門」という小説。自分はあまり上出来な小説とは思わなかったのですが、吉本氏は「いちばん好き」なんだそうです。小説を満たす「ひっそりさ」が好きなのだということです。

なるほど、そう言われて「門」をぱらぱら読み返してみると、この小説の主人公である宗助とその妻、お米の日常のなんということのない生活が細かく、ていねいに描かれているのを感じました。

例えばこんなところ。

「平常(いつも)は好い時分に御米がやって来て、『もう起きてもよくってよ』と云うのが例であった。日曜とたまの旗日(はたび)には、それが、『さあもう起きてちょうだい』に変るだけであった。しかし今日は昨夕(ゆうべ)の事が何となく気にかかるので、御米の迎(むかえ)の来ないうち宗助は床を離れた。そうして直(すぐ)崖下の雨戸を繰った。」

朝、妻が夫を起こすシーンです。なんだかほのぼのしてきます。


吉本隆明は、夏目漱石の生まれ育った環境に注目し、そこから漱石の作品世界を読み解こうとしています。

漱石は、両親が少し歳をとってから生まれた子で、いわゆる「恥かきっ子」として、当時の風潮としてはそれはかなり恥ずかしいことだったようです。それで、親は漱石を里子に出してしまうわけです。四谷あたりの古道具屋にひき取られた漱石は、そこで幼年期を過ごすわけですが、その後、今度は浅草の塩原という人のところへ養子にやられます。そこの養父母が、女性関係がからんで仲が悪く、もめ事が絶えなかったため、結局漱石は実家へ戻ってくるんですが、夏目姓にかえるのはずっとあとになってからだということです。漱石は、幼年期、少年期にこんな苦労をしているんですね。それが後の小説に色濃く影を落としてるということです。


漱石の小説の多くは、男女のいわゆる「三角関係」を扱ったものが多くあります。これは「不倫」とか「浮気」とか、そういったものではなく、もっと人間の根源に迫るような深いものを感じます。一人の女性と二人の男。構図はすべてこれです。そしてその二人の男は無二の親友であったり、血を分けた兄弟であったりします。ここがポイントなんですね。お互いの関係がかなり深いんです。そこでいろいろな葛藤が生まれる訳です。

では、漱石はなぜ執拗に三角関係をテーマにした小説を書き続けたのか。吉本氏は以下のように解説します。

「こういうことは漱石の理解の仕方からいえば、男女の問題については自然のほうが人工的よりいいし、自然ならば無意識の自然がいちばんいいし、確かなんだという観点が、漱石に抜き難くあったとおもいます。漱石はそれに外れるといいますか、それに対抗してさまざまな考え方をもった主人公たちがどうなるかということを、執拗に作品のなかに描いています。」

ここですね。自然に男女が結ばれるなんてことは、いろんな人間がいろんな考え方で生きている以上、まずあり得ないことだと。それで漱石はいろいろなパターンを駆使して男女のあり方を模索してみたのではないでしょうか。それこそ、「虞美人草」「門」「行人」「こころ」とそれぞれに多様な男女の三角関係がそこにはあります。


この評論を読んで、夏目漱石に対する理解がもうひとつ深まった気がします。

吉本氏に感謝です。

コメントを投稿