EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

中学のクラスの卒業文集の表紙

2016-03-16 09:31:32 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
中学のクラスの卒業文集の表紙

EL&Pの音楽を初めて聴いたのは1977年の2月の末か、
3月だったと思います。

1977年の3月に「恐怖の頭脳改革」を購入して、

それから1年後の1978年の今頃、
中学時のクラスの卒業文集の表紙を担当する事になりました。

クラスの卒業文集の表紙には、
別のものを描く考えもあったのですが、
時間もあまりありませんでした。

担任をしていた美術の先生が、
「もっと簡単なものでよい」
という事になって、
思いついたのがこの絵です。


タイトル文字は、習字の段を持っていた、
Yさんが書きました


中学校では1977年に、
新しいグランドピアノも買っており、
公民館に、国立音大の先生を呼んで、
演奏をしてもらったりしました。
それにも少し関連づけられるかと思いました。

一体何を描いたのかを解っていたのは、
クラスメイトのプログレ友だけだと思います。

担任の美術の先生には、
元のアルバムジャケットはお見せしましたけどね。

先生は、年齢的には、ビートルズの名前ぐらいは知っているぐらいの方でしたが、
EL&Pに関しては知らない様子でした。

キース、

今までも、
これからも、
本当にありがとう。

以上。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ELPファン)
2016-03-18 02:22:08
toriodenさん、当サイトを陰ながら応援しておりました。30年以上前にELPとASIAのファンクラブでお世話になった者です。ファンクラブの会報など、今でも大切に保存してくださっていたのですね。本当にありがとうございます。実はキースの死を金曜日の晩、リック・ウェイクマンから聞きました。リック特有の冗談かと思いましたが、リックが余りに辛そうだったので、ジョークではないと察し、目の前が暗転しました。1週間近く経った今、やっとご連絡が出来る状態になりました。仕事中に会社で何度も泣きそうになりました。toriodenさんと同じです。『大好きなロックスターの死』を完全に超越して、本当に大切な人を失ってしまった・・・と孤独感と喪失感と怒りと戦った1週間でした。ELPの音楽はまだ聴けません。少しだけ、The Nice を聴けるようになりました。toriodenさんも徐々にキースの残した偉大な音楽が聴けるようになると思います。聴き続けてあげてくださいね。キースは本当に本当に辛かったのだと思います。色々な意見があるかと思いますが、許してあげたいです。きっとキースもずっと支え続けたファンに感謝の気持ちでいっぱいだと思います。長々と申し訳ありません。お元気で。このサイト、続けてください。お願いします。
返信する
Unknown (torioden)
2016-03-18 09:22:02
>ELPファン様

ビックリのコメント本当にありがとうございます。m(_ _)m

当時のファンクラブのスタッフをされていた方々のお名前はしっかり覚えています。
私はエイジアのファンクラブには所属しておりませんでしたが、
エイジアとELPの両方のファンクラブのスタッフを掛け持ちされていた方は、確か3人だったと思います。
男性1人と女性1人は英語がとても堪能でした。
もう1人の女性は、この2人ほどは堪能でなかったかも知れませんが、
エイジアの来日時には女性2人で頑張っていらっしゃいました。

男性の方も女性の方も、このブログの中で折に触れてのエピソードに登場しています。
どちらの方にもとてもお世話になりました。

ファンクラブの会報ですが、英語が苦手が私が勝手に誤訳解釈をし(恥)、
マヌーヴァースのしょぼい感想を綴った会報がどこかに行ってしまいました。
確か、その号には、男性の方から頂戴したナイス再結成というニュースも掲載されていて、私が清書をしたのを覚えています。

キースの他界は、知ってから3日間ぐらいは涙が出てきましたが、
今も、意識するとまたまた涙が出そうになるので、
仕事はしているけど、なんとなく、ボーッとしながら、過ごしています。

EL&Pは聞こうと思えば聞けそうな気がしますが、
なんとなく遠慮しています。

当ブログは、EL&Pのメンバー全員が生きているという事が、
とてつもない励みの一つになっていた事は間違いありませんが、
1000本以降は、ペースを落としましたが、
できるだけ続けていきたいとは思っております。

(コメント欄の文字数の制限上次に続く)




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Unknown (torioden)
2016-03-18 09:44:40
>ELPファン様

また、某コミュニティーに翻訳して掲載されていたグレッグの見解を読みましたが、

私は既に他界したのですが、鬱の友人がいました。

(鬱といっても症状は個人差もあるかとは思います。)

とても気配りのある優しい方だったのですが、
鬱が襲ってくる時は、その状態と戦うのがなかなか大変であると、
言っていました。
鬱と同時に自分自身を刃物で傷つけたくなる衝動にかられる事もあるそうです。
常に医師と相談しながら、薬の調整をしていました。

グレッグが見て感じた事が、マスコミによって歪曲されていないとすれば、
キースは70年代の後半から鬱と闘っていたわけで、
言葉もありません。

長い事ファンをやっている人達は、
泣きながらも、キースへの感謝の気持ちで一杯だと思います。

ELPファン様が、これからもELPファンでELPを聴くように、
私もそうあり続ける思いで一杯です。

この度のコメント、とても本当に励みになりました。
感謝いたします。
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Unknown (ELPファン)
2016-03-20 03:49:36
今晩は。toriodenさんに連絡しようか、相当、迷いましたが、ブログ上とはいえ、コンタクト出来て本当に良かったです。多分、私はtoriodenさんが仰るところの、英語が堪能・・・だった女子です。当時18歳の高校生ですから本当は片言でしたけれど。今日はカールのお誕生日ですね。お子ちゃまカールも66歳児に成長しました。ASIAが初来日した1983年、グレッグは36歳、カールは33歳でしたね。2人ともまだ若くて本当に素敵でした。私はその後、ロンドンに移住して、現在に至ります。キースとは昨年会いました。とても疲れている様子で、何度も何度も、疲れたよ・・って言ってました。私は『まだまだ若いじゃない!頑張って』って励ましちゃいました。でも・・・今、振り返るとこの様なファンの想いがキースの鬱に拍車をかけいたのかもしれません。そう気付いて、凄く落ち込みました。それでもファンの愛には支えられていた筈です。もう一日頑張ろうって。でも先週、ふっと・・闇が襲ってきて、拳銃が手元にあって・・・。まだ本当に辛いです。昨日、ラジオの追悼番組聴いちゃって、大失敗です。でも、でも、もうすぐ、この悲しみが感謝と尊敬と至上の愛に替わってキースは永遠の生き物になって行くんだと信じてます。ars longa vita brevis ...
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Unknown (torioden)
2016-03-22 15:19:47
>ELPファン様

90年代にEL&Pが来日をした時に、最初のチケットが入手できず、
ダメもとで、かつてのファンクラブのスタッフの自宅の電話番号に、
電話をした事がありましたね。
どこの馬の骨かも解らない輩(やから)からいきなり電話が来たわけですから、電話口に出られた方はとても警戒していて、
どちらかの家の方に、怒られた記憶があります。

ま、怒られて当然なんですけど。

あらゆる手を尽くして、EL&Pの来日を見たいという気持ちが、
勇み足になってしまい、家の方には、たいそうご迷惑をおかけしたと思います。

その時に、家の方が、「日本にはいない」というような話をされていた事は覚えています。

カールのバースディは確か3月と思いながらも、忘却をしておりました。

こんなブログを数年前に始めてしまっているので、
彼等の事を思わない日はないわけなので、
日本人の一般的宗教観に基づくキースの成仏と、
今後のグレッグとカールの無理のない活躍をひたすら祈っています。

それと資金不足で座礁しているキースの自伝映画が完成する事も願っています。

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