中学のクラスの卒業文集の表紙
EL&Pの音楽を初めて聴いたのは1977年の2月の末か、
3月だったと思います。
1977年の3月に「恐怖の頭脳改革」を購入して、
それから1年後の1978年の今頃、
中学時のクラスの卒業文集の表紙を担当する事になりました。
クラスの卒業文集の表紙には、
別のものを描く考えもあったのですが、
時間もあまりありませんでした。
担任をしていた美術の先生が、
「もっと簡単なものでよい」
という事になって、
思いついたのがこの絵です。
タイトル文字は、習字の段を持っていた、
Yさんが書きました
中学校では1977年に、
新しいグランドピアノも買っており、
公民館に、国立音大の先生を呼んで、
演奏をしてもらったりしました。
それにも少し関連づけられるかと思いました。
一体何を描いたのかを解っていたのは、
クラスメイトのプログレ友だけだと思います。
担任の美術の先生には、
元のアルバムジャケットはお見せしましたけどね。
先生は、年齢的には、ビートルズの名前ぐらいは知っているぐらいの方でしたが、
EL&Pに関しては知らない様子でした。
キース、
今までも、
これからも、
本当にありがとう。
以上。
にほんブログ村
EL&Pの音楽を初めて聴いたのは1977年の2月の末か、
3月だったと思います。
1977年の3月に「恐怖の頭脳改革」を購入して、
それから1年後の1978年の今頃、
中学時のクラスの卒業文集の表紙を担当する事になりました。
クラスの卒業文集の表紙には、
別のものを描く考えもあったのですが、
時間もあまりありませんでした。
担任をしていた美術の先生が、
「もっと簡単なものでよい」
という事になって、
思いついたのがこの絵です。
タイトル文字は、習字の段を持っていた、
Yさんが書きました
中学校では1977年に、
新しいグランドピアノも買っており、
公民館に、国立音大の先生を呼んで、
演奏をしてもらったりしました。
それにも少し関連づけられるかと思いました。
一体何を描いたのかを解っていたのは、
クラスメイトのプログレ友だけだと思います。
担任の美術の先生には、
元のアルバムジャケットはお見せしましたけどね。
先生は、年齢的には、ビートルズの名前ぐらいは知っているぐらいの方でしたが、
EL&Pに関しては知らない様子でした。
キース、
今までも、
これからも、
本当にありがとう。
以上。
にほんブログ村
ビックリのコメント本当にありがとうございます。m(_ _)m
当時のファンクラブのスタッフをされていた方々のお名前はしっかり覚えています。
私はエイジアのファンクラブには所属しておりませんでしたが、
エイジアとELPの両方のファンクラブのスタッフを掛け持ちされていた方は、確か3人だったと思います。
男性1人と女性1人は英語がとても堪能でした。
もう1人の女性は、この2人ほどは堪能でなかったかも知れませんが、
エイジアの来日時には女性2人で頑張っていらっしゃいました。
男性の方も女性の方も、このブログの中で折に触れてのエピソードに登場しています。
どちらの方にもとてもお世話になりました。
ファンクラブの会報ですが、英語が苦手が私が勝手に誤訳解釈をし(恥)、
マヌーヴァースのしょぼい感想を綴った会報がどこかに行ってしまいました。
確か、その号には、男性の方から頂戴したナイス再結成というニュースも掲載されていて、私が清書をしたのを覚えています。
キースの他界は、知ってから3日間ぐらいは涙が出てきましたが、
今も、意識するとまたまた涙が出そうになるので、
仕事はしているけど、なんとなく、ボーッとしながら、過ごしています。
EL&Pは聞こうと思えば聞けそうな気がしますが、
なんとなく遠慮しています。
当ブログは、EL&Pのメンバー全員が生きているという事が、
とてつもない励みの一つになっていた事は間違いありませんが、
1000本以降は、ペースを落としましたが、
できるだけ続けていきたいとは思っております。
(コメント欄の文字数の制限上次に続く)
また、某コミュニティーに翻訳して掲載されていたグレッグの見解を読みましたが、
私は既に他界したのですが、鬱の友人がいました。
(鬱といっても症状は個人差もあるかとは思います。)
とても気配りのある優しい方だったのですが、
鬱が襲ってくる時は、その状態と戦うのがなかなか大変であると、
言っていました。
鬱と同時に自分自身を刃物で傷つけたくなる衝動にかられる事もあるそうです。
常に医師と相談しながら、薬の調整をしていました。
グレッグが見て感じた事が、マスコミによって歪曲されていないとすれば、
キースは70年代の後半から鬱と闘っていたわけで、
言葉もありません。
長い事ファンをやっている人達は、
泣きながらも、キースへの感謝の気持ちで一杯だと思います。
ELPファン様が、これからもELPファンでELPを聴くように、
私もそうあり続ける思いで一杯です。
この度のコメント、とても本当に励みになりました。
感謝いたします。
90年代にEL&Pが来日をした時に、最初のチケットが入手できず、
ダメもとで、かつてのファンクラブのスタッフの自宅の電話番号に、
電話をした事がありましたね。
どこの馬の骨かも解らない輩(やから)からいきなり電話が来たわけですから、電話口に出られた方はとても警戒していて、
どちらかの家の方に、怒られた記憶があります。
ま、怒られて当然なんですけど。
あらゆる手を尽くして、EL&Pの来日を見たいという気持ちが、
勇み足になってしまい、家の方には、たいそうご迷惑をおかけしたと思います。
その時に、家の方が、「日本にはいない」というような話をされていた事は覚えています。
カールのバースディは確か3月と思いながらも、忘却をしておりました。
こんなブログを数年前に始めてしまっているので、
彼等の事を思わない日はないわけなので、
日本人の一般的宗教観に基づくキースの成仏と、
今後のグレッグとカールの無理のない活躍をひたすら祈っています。
それと資金不足で座礁しているキースの自伝映画が完成する事も願っています。