プログレ誌「Arch Angel vol.3」
1996年発行
画像 表紙
ディスクユニオンで90年代に発行していたプログレ専門誌です。
一般の書店の流通ルートには乗っていなかったと思われますので、
ネットを始めるまでは、手にとってみた事すらありませんでした。
この書物の存在自体は、何かで読んで知っていたのですが、
レコード・CDの販売店が制作しているという事で、
冊子のようなものを勝手に想定していたわけです。
最初に手にした時に、
まさに「専門誌」の風格を感じました。
これは、明らかに「雑誌」ですね。
本号に関しては、
ピート・シンフィールドへのインタビューが掲載されており、
それがEL&Pファンの注視するところですね。
結局、ピート・シンフィールドは、
ロバート・フィリップからクリムゾンをクビにされたので、
マンティコアレーベルと共に仕事をする事につながったわけですが、
ピート・シンフィールドは、
かなりスチュワート・ヤング(EL&Pのマネージャー)と相性が良かったみたいで、
「スチュワート・ヤングには、学ぶところも多かったし、今でも大好きだ。」という感じの受け答えをしています。
この繊細なる詩人をしてそのように評価されるスチュワート・ヤングという人物は、
芸術家の気持ちを理解できる経営手腕を持った人なのでしょう。
ピート・シンフィールドは、マンティコアレーベルからリリースされないままになっている、
PFMのアルバムの権利についても、質問に答えているのですが、
スチュワート・ヤングがその権利を預かっている形になっているのではないかとの話でした。
90年代になって、EL&Pの復活と共にマンティコアレーベルからリリースされていたアーティストのレコードも次々とCD化されていますが、
EL&Pの復活と共に、スチュワート・ヤングがその準備を始めたという事であったのかも知れませんね。
また、ピート・シンフィールドは、EL&Pの仕事に参画していく流れになる事を、
「EL&Pという禁断の花園へ誘われた」という表現をしています。
それはインタビューをして翻訳をした方の独自の解釈なのかもしれませんが、
「禁断の花園」という翻訳はとても怪しさの伴う表現です。
この「禁断の花園」に込められた意味について、EL&Pファンとしては、かなり知りたい欲求があるわけですが、
EL&Pのメンバーはともかくとして、スチュワート・ヤングとは上手く付き合っていたようなので、
単に経済的メリットもクリムゾン時代よりは良かったという事を言いたいのかも知れませんね。
自分の意見が反映される状況でのびのびと仕事をし、予想より多いお金が口座に振り込まれていたら、「花園」という表現も出てきますからね。
ピート・シンフィールドは、マーキー社の「プログレッシヴロックの70年代」のインタビューに中で、
ロバート・フィリップとの関係の修復のきっかけになったのは、
クリムゾンの当時のマネージャーが、過去の作品をアーティストに無断で勝手に応用した問題等が絡んでいたような事を語っていましたが、
その出来事と対比して考えても、
スチュワート・ヤングは、アーティストの権利を尊重して守る事に関しては、丁寧な仕事をする人なのでしょう。
それは、キースの自伝の翻訳本のためにキースが新たに記した「まえがき」に、
感謝すべき対象人物の1人として、スチュワート・ヤングの名前が出てくる事からも、感じる事ができますね。
以上。
本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
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2013年5月16日 yaplog!
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ディスクユニオンで90年代に発行していたプログレ専門誌です。
一般の書店の流通ルートには乗っていなかったと思われますので、
ネットを始めるまでは、手にとってみた事すらありませんでした。
この書物の存在自体は、何かで読んで知っていたのですが、
レコード・CDの販売店が制作しているという事で、
冊子のようなものを勝手に想定していたわけです。
最初に手にした時に、
まさに「専門誌」の風格を感じました。
これは、明らかに「雑誌」ですね。
本号に関しては、
ピート・シンフィールドへのインタビューが掲載されており、
それがEL&Pファンの注視するところですね。
結局、ピート・シンフィールドは、
ロバート・フィリップからクリムゾンをクビにされたので、
マンティコアレーベルと共に仕事をする事につながったわけですが、
ピート・シンフィールドは、
かなりスチュワート・ヤング(EL&Pのマネージャー)と相性が良かったみたいで、
「スチュワート・ヤングには、学ぶところも多かったし、今でも大好きだ。」という感じの受け答えをしています。
この繊細なる詩人をしてそのように評価されるスチュワート・ヤングという人物は、
芸術家の気持ちを理解できる経営手腕を持った人なのでしょう。
ピート・シンフィールドは、マンティコアレーベルからリリースされないままになっている、
PFMのアルバムの権利についても、質問に答えているのですが、
スチュワート・ヤングがその権利を預かっている形になっているのではないかとの話でした。
90年代になって、EL&Pの復活と共にマンティコアレーベルからリリースされていたアーティストのレコードも次々とCD化されていますが、
EL&Pの復活と共に、スチュワート・ヤングがその準備を始めたという事であったのかも知れませんね。
また、ピート・シンフィールドは、EL&Pの仕事に参画していく流れになる事を、
「EL&Pという禁断の花園へ誘われた」という表現をしています。
それはインタビューをして翻訳をした方の独自の解釈なのかもしれませんが、
「禁断の花園」という翻訳はとても怪しさの伴う表現です。
この「禁断の花園」に込められた意味について、EL&Pファンとしては、かなり知りたい欲求があるわけですが、
EL&Pのメンバーはともかくとして、スチュワート・ヤングとは上手く付き合っていたようなので、
単に経済的メリットもクリムゾン時代よりは良かったという事を言いたいのかも知れませんね。
自分の意見が反映される状況でのびのびと仕事をし、予想より多いお金が口座に振り込まれていたら、「花園」という表現も出てきますからね。
ピート・シンフィールドは、マーキー社の「プログレッシヴロックの70年代」のインタビューに中で、
ロバート・フィリップとの関係の修復のきっかけになったのは、
クリムゾンの当時のマネージャーが、過去の作品をアーティストに無断で勝手に応用した問題等が絡んでいたような事を語っていましたが、
その出来事と対比して考えても、
スチュワート・ヤングは、アーティストの権利を尊重して守る事に関しては、丁寧な仕事をする人なのでしょう。
それは、キースの自伝の翻訳本のためにキースが新たに記した「まえがき」に、
感謝すべき対象人物の1人として、スチュワート・ヤングの名前が出てくる事からも、感じる事ができますね。
以上。
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あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
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