ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

二度目の小笠原

2011年02月25日 | てくてくさんぽ・取材紀行

   ほぼべた凪の中、25時間半の安定した航海を経て、おがさわら丸はほぼ定刻通りの11時半すぎに、父島の二見港へと入港した。タラップから上陸すると、日差しはもう春の暖かさ。この日は父島でも数日来の好天らしく、春というよりは初夏の眩しく強い日差しが、目にも肌にも痛いほどである。

 迎えに来ていただいた宿の方のクルマに乗り、チェックインを済ませたらこちらも初夏の服装にさっそくチェンジ。初日の半日は、まずはクルマを借りて島内観光に出かけることに。島を時計回りにぐるりと回ることにして、まずはちょうど北端の長崎展望台へと向かった。兄島瀬戸をはさんで向かいに兄島を望む高台で、右方向に延びる長崎の岬に面した湾の海の色が、内地のそれとは異なるエメラルドブルーなのは感動ものだ。前回訪れた時は夕方だったので、兄島の断崖が燃えるように赤かったけれど、この日は海と空の青、森の緑も数種類の組み合わせが鮮やかである。

    そのやや先の旭台展望台は、長崎をちょうど反対から眺める形になり、左にはさっきと逆側に延びる岬、右にはぽっかりと沖に浮かぶ東島がのどかな雰囲気を醸し出す。さらに行ったところの初寝浦展望台は、道路から遊歩道を3分ほど行ったところの展望台から、右下にコンパクトな入り江の初寝浦を見下ろせる。ウグイス砂と呼ばれる緑の砂が混じっているらしいが、ここから眺める分には見事な白砂の浜に見える。

 海を眺める展望台に続き、今度は父島最高峰の中央山へと登ってみる。といっても道路から10分ちょっと、遊歩道を登る程度なので、山登りというとオーバーかも。タコノキやマルハチといった、木生シダ類のうっそうとした樹林の中を行き、時折見られる傘のように巨大なヘゴはまさに、ジュラシックパークの世界。

 階段を上ると唐突に周囲が360度開け、山頂らしい開けた風景の中へと出た。東は宙に浮くように東島がポツンと見られ、北は傘山方面の樹林とその向こうに二見港方面の海が見通せる。園地のさらに先に、階段で登る展望台があり、中央にある円形の風景案内板によると、南は吹割山を右に二つの頂が並び、北西には二見港を右方に遠望。東は農業センター方向の深い森が連なり、振り返り東側は先ほどの園地の上に水平線がくっきりと描かれる。孤島の先端なのを実感する眺めで、数種の緑、青のみが連なる原自然の風景である。

 ところで、小笠原は太平洋戦争の際に、敵の上陸や空襲を想定して防衛のために様々な施設が設置された。砲台や発電所、トーチカなどで、今も島の各所にその遺構が残されている。この日回った中でも、長崎展望台のそばには直径150センチの探照塔を設置した台座が残り、初寝浦展望台までの歩道の沿道には体育館のような大きさの海軍の送信所の遺構が現存。展望台周辺にも監視壕や発電所跡の小屋が見られた。

 中央山の山頂園地にも、直径1メートル弱の鉄錆だらけの円盤のような台座が残っている。これは海軍が設置した電波探信儀の台座で、島で屈指の見晴らしだけに通信や監視の拠点だったのだろう。風光明美な中でいずれも朽ち果てようとしているけれど、太平洋戦争を語る重要な「証人」。絶景を堪能したり、マリンレジャーに嬌声をあげるだけでなく、せっかく来島したのだからこうしたものにもちゃんと目を向けていかないと。

 島の南端にある幅広の白砂の浜、小港海岸に着く頃には、昼食抜きでの観光がさすがにしんどくなってきた。日が暮れるまでに島を一周したかったので、時間がもったいないと空腹を抱えたままで飛び出したのだが、そろそろ限界の様子。やや日も傾きかけたこともあり、二見集落へと戻ったら今宵は小笠原のローカルごはんに舌鼓、といきたい。前夜がおがさわら丸で、居酒屋メニューの早じまい酒宴だっただけに

    集落裏手の三日月山にある、ホエールウォッチングの展望台「ウェザーステーション」で夕陽を眺め、ついでにザトウクジラのブローも2、3眺めて山を降りると、集落随一の繁華街(といっても7~8軒程度飲食店が集まる程度だが)はすでに明りが灯っている。この島ではクジラは食べるものではなく見るもので、味わうべくは「ローカル魚」である島魚料理と、小笠原を代表する郷土食・カメ料理だ。