今日のテレ合間さんぽは、ハマの元漁師町・杉田から上大岡へ。平らな埋立地はつまらないので山側を選んだら、二度も大きな登り下りとなり、結構な運動量となった。
スタートしてすぐの中原は、かつて中原村だった頃に修験道の道場(現・熊野神社)があり、住宅地に細く錯綜する急な登り坂や石段の脇に、身代わり地蔵や庚申塚が今も見られる。時節柄、疫病の平癒を祈願して頂上まで行くと、磯子の貨物港まで見渡せるなかなかな眺めだった。かつては直下の市街もみんな、根岸湾だったのだろう。
このまま上大岡へ尾根沿いに行ければいいのだが、真下の屏風浦まで一度下り切り、正面にそびえる汐見台か森の台地にまた登らねばならない。森側に行くと上りはかなりきつかったものの、上大岡へ最短距離のゆるい下りが続き、割と気持ちよく歩けた。上大岡は一応、横浜市の拠点都市だが、開発された駅周りの狭間に昔ながらの市街が残っている。最寄り駅ながら、駅から徒歩数分のところに、錦鯉を扱う養魚場が健在とは知らなかった。
ところで上大岡といえば、「ゆず」のふたりの出身地で、界隈には『夏色』に歌われている長い長い坂がいっぱいある。見かけたそれっぽいのを撮ってみてあとで調べたら、ちゃんとモデルの坂があるそうだ。次の上大岡からのテレ合間さんぽで、ゆっくりゆっくり下りに行ってみよう。
スタートしてすぐの中原は、かつて中原村だった頃に修験道の道場(現・熊野神社)があり、住宅地に細く錯綜する急な登り坂や石段の脇に、身代わり地蔵や庚申塚が今も見られる。時節柄、疫病の平癒を祈願して頂上まで行くと、磯子の貨物港まで見渡せるなかなかな眺めだった。かつては直下の市街もみんな、根岸湾だったのだろう。
このまま上大岡へ尾根沿いに行ければいいのだが、真下の屏風浦まで一度下り切り、正面にそびえる汐見台か森の台地にまた登らねばならない。森側に行くと上りはかなりきつかったものの、上大岡へ最短距離のゆるい下りが続き、割と気持ちよく歩けた。上大岡は一応、横浜市の拠点都市だが、開発された駅周りの狭間に昔ながらの市街が残っている。最寄り駅ながら、駅から徒歩数分のところに、錦鯉を扱う養魚場が健在とは知らなかった。
ところで上大岡といえば、「ゆず」のふたりの出身地で、界隈には『夏色』に歌われている長い長い坂がいっぱいある。見かけたそれっぽいのを撮ってみてあとで調べたら、ちゃんとモデルの坂があるそうだ。次の上大岡からのテレ合間さんぽで、ゆっくりゆっくり下りに行ってみよう。