食べ歩きが趣味の知人が、とある漁港の町で入った寿司屋で、出された握りのネタの水揚げ地をあれこれ聞いていたところ、しまいに親父さんに「全部、海!」と返された、という笑い話がある。日本海も太平洋も、東シナ海だってベーリング海だって、たどればつながっているから正しい答えだね、と苦笑していたが、その見方からすれば、この魚介はどこの漁港の名物でどの国産なのか、と厳密に問われると、線引きは意外と難しいのかも知れない。
近隣の韓国は文字通り、日本列島が接する海域を共有しており、ほぼ同じ漁場を有している。韓国を訪れることになったので、いい機会とばかりソウルの水産市場を散策してみることにした。日本海を挟んですぐお向かいの国の市場には、見慣れたおなじみの魚が並んでいるのか、それとも未知なる地魚が顔を見せるのか、楽しみである。
ソウルの築地市場とも称される、ノリャンジン水産市場までは、ソウルの中心街・明洞から地下鉄1号線に乗って10分ちょっと。市街を横切る大河の漢江を越えたノリャンジン駅が最寄りである。繁華街から地下鉄で数駅、さらに大河に近い立地が、銀座の外れにあり隅田川の河口に位置する築地市場にどこか似た、大都市型の水産市場らしい。
改札を出て、市場棟の屋上に直結する跨線橋を歩いていると、次第に魚介の香りが漂ってくる。そして屋上から階段を下り、場内を見下ろす2階の回廊へと出て驚いた。広大な場内には、煌々と照る裸電球の下に、様々な魚介を並べた間口の狭い店舗が軒を連ねている。横長の建物には、ざっと3列ほどの店舗街が形成されており、屋号の看板がハングルなこと以外は、まるで日本の水産市場とそっくり。これまた築地の場内の仲卸店舗街に、よく似たたたずまいである。
市場は地下鉄ノリャンジン駅に隣接している。看板がハングルなこと以外は、
築地市場と雰囲気も扱っている魚種もそっくり
回廊からは軒を連ねる店の店頭を見下ろして眺められ、見たところタコやカニ、エビ、貝類など、日本でも見覚えのある種類のが多いよう。朝6時をやや回ったところだが、買い付けの客はまだまばらで、店の奥でお茶を飲んで一服しているアジェンマ(おばちゃん)や、店頭で貝をむいたり鮮魚を刺身におろしているアジョッシ(親父さん)の姿も、上から丸見えで分かる。
店を巡るなら仕事の邪魔にならないよう、市場が込み始める前に、と、さっそく階段を下りてまずは1列目の店舗街へと向かった。せっかくだから店の人とコミュニケーションをとろうと、日本で市場を巡るときにする質問を、韓国語に訳してメモ書きにしてきたが、果たしてちゃんと通じるだろうか。
入ってすぐのあたりには、貝類やエビを扱う店舗が並んでいて、水槽に活けでキロ単位で売られている。元気に水を噴くハマグリにアサリ、螺旋状の殻が整然と並ぶツブ貝、水槽にびったりへばりついたトコブシ、水から跳ね回る大正エビなど、なかなか活きがいい。ホヤやナマコまで、韓国の市場で見られるとは驚きだ。
片言の韓国語で「サジン、チゴト、トエヨ?(写真を撮ってもいいですか?)」と、店頭のおばちゃんに許可をもらうと、ニコニコと愛想よくうなづいてくれた。うまく通じたのに気をよくして、店頭に並ぶ日本でおなじみの魚介の、韓国での呼び方を尋ねてみることに。
日本のより厚く大振りのハマグリは「ベカ」。キロ2万ウォンだから30尾ほどで1500円ちょっとと、激安の大正エビは「セウ」で、別名高麗エビとも言うらしい。ムール貝を巨大にしたタイラギ「キジョゲ」は、でっかい貝柱だけでも売っている。赤と青がいるナマコを指したところ、おばちゃんの返事は「ナマコ」と笑っていたが、これはうまく伝わったか自信がない(後で調べたら「ヘサム」)。
このあたりの店舗には貝類のほか、タコも大きさや種類豊富に扱っており、水槽に活けで売られる小振りのイイダコ(チュクミ)、長い足が特徴で箱から脱走を企てているのもいるテナガダコ(ナッチ)、さらに巨大なミズダコ(ムノ)は、足をグンとのばして品台に目いっぱい広げられて売られている。
タコは一般的に、日本以外の国ではあまり食用にしないといわれるが、韓国では常食されるローカル魚介だ。中でも特に人気なのが、手長ダコ。木浦や釜山といった、半島西南部の全羅南道から南部沿岸で、主に揚げされる。3種の中では中ぐらいの大きさで、滋養あふれる食材として珍重されるという。
料理法は、コチュジャンで炒める「ナクチボックン」や、海鮮鍋の「ナクチチョンゴル」といった辛い料理のほか、手長ダコを生きたままぶつ切りにして生で食べる、「サンナクチ」が有名。いわばタコの活きづくりで、元気にウネウネやっているのをごま油でいただくのだという。魚介の生食や踊り食いといった魚食文化は、韓国にも存在するらしい。
上段は左から右へ、キジョゲ(タイラギ)、ヘサム(ナマコ)、ケジャン(ワタリガニ)。
下段左は様々な種類のタコ、中のケブルは巨大ミミズ風で刺身で食べる。
下右のアジェンマ(おばちゃん)に、魚種の韓国語での読みを教えていただいた
韓国語魚種名口座のお礼を、おばちゃんに「カサハムニダ」と伝え、1列目の通りをさらにぶらぶら。足を進めていくと、次第に活魚の水槽が目立つようになってきた。大きな鯛にヒラメ、カレイなど、日本でも高級な魚がまる1匹で売られており、買い手が付いて店頭で活け締めにされているのも。
そろそろ買い付けや買出しのお客が増え、歩いているとあちこちから呼び声がかかるようになってきた。日本人と分かるのか、「はいお兄さん!」と日本語で呼びかけられ、以下は韓国語で鯛やヒラメを売り込んできているようだが、言葉がよく分からないのをいいことに、笑顔で返して先へ、先へ。
通りの中ほどで、活けのカニを各種扱っている店を見かけたので、温厚そうな親父さんに写真撮影のお願いをして、水槽を観察させてもらう。タラバガニ、ズワイガニに、独特な楕円の甲羅をしたワタリガニもいる。発酵醤油に漬ける韓国の有名な海鮮料理、カンジャンケジャン(カニのキムチ)の材料で、これだけは韓国語で「ケジャン」と呼ぶのは知っている。
ズワイガニは「テゲ」、タラバガニは「キンクレ」と、ほかのカニの韓国語での呼称を教わり、さらにケジャンの水揚げ地を何とか尋ねてみたら、「ソサン」との返事。ソウルの南西160キロほどに位置する、瑞山という漁業の盛んな街で、ここで水揚げされるワタリガニは、カンジャンケジャンの材料としては韓国で屈指の質の良さなのだという。
ついでにズワイガニとタラバガニの水揚げ地を尋ねたら、にっこりと「ロシア」。料理法はチム、とのことで、蒸しガニが主流らしく、タコと違って日本のような生食はあまりしないらしい。
行きかう人も増えて売り声がさらに激しくなり、バイクに自転車、築地のよりひとまわり大型のターレトラック(場内用の荷物運搬車)が頻繁に往来と、次第にあたりが騒然としてきた。逃げるように一本裏の通りへ外れると、こちらは人通りは少なく、お客が店の人と淡々と商談している様子が、ぽつぽつと見かけられる程度。常連が中心なのか、歩いていても売り声もほとんどかかってこない。
2列目の店舗街は鮮魚を扱う店舗が中心で、氷を敷いた店頭には様々な魚が並べられている。数匹売りのサンマやサバは日本のより太く、箱売りのカタクチイワシ、ほかざる盛りのホッケやムツといった、日本でおなじみの大衆魚がほとんどのようだ。中型の鯛に舌ビラメやマナガツオを、整然と並べて売る店も。アンコウは肝の大きさが分かるように、腹を開いて並べてある。
鮮魚店街の店頭。日本でも見覚えのある魚が結構ある
中でも目立つのは、太く長い立派なタチウオだ。店頭には太刀ならぬ、縁起物の韓国刀のような銀の輝き鮮やかなのが、何本もそろえられている。韓国では「カルチ」と呼ばれ、ダイコンと一緒に辛く煮た「カルチジョリム」が代表的な料理。高級魚だが最近は漁獲量が減少傾向のため、日本で漁獲したタチウオが韓国で流通しているという。
もうひとつ、見覚えのある胴が狭く細長い魚体の魚は、サワラ。日本では岡山で最近話題の魚だが、こちらは日本で水揚げされる上物が少ないため、逆に韓国から輸入しているという。
タチウオもサワラも、上物が水揚げされる主な漁場は、対馬暖流が流れる対馬海峡付近である。日本も韓国もほぼ同じ海域で、タチウオは日本でいえば対馬近海、韓国でいえば済州島近海のものが、それぞれの国で「ブランド魚」になっているのだとか。
上左から時計回りに、カルチ(太刀魚)、泣き顔のホンオ(エイ)、
意外に高級魚のチョギ(イシモチ)、マナガツオ
さらに、あたりを歩いていてどうにも目をひくのが、日本ではあまり食用にしないエイ。菱形の魚体のが幾何学的に配列され、とんがり頭に泣き顔? が何ともユーモラスである。
ユーモラスなのは見た目だけではなく、食べ方も同様だ。水揚げ地である、全羅南道沿岸での名物料理「ホンオフェ」は、「ホンオ」と呼ばれるガンギエイを、甕にしばらく漬けて発酵させたもので、強烈なアンモニア臭が味のポイント。突き刺すような刺激を楽しみつつ、涙なしでは食べられない珍味という。魚介を発酵させて保存性を高める点は、日本のなれずしに近い考え方かも知れない。
場内を一巡し終わったところで、市場食堂で朝ごはん、といきたいのは、韓国の市場でもまた同様。場内で買った魚介を料理してもらえる食堂があるらしいが、片言の韓国語で果たして食材の買い付け、料理法のオーダーともに、希望どおり無事、できるのだろうか? 以下、次号にて。(2009年5月10日食記)