石川淳の初期の長編に、「荒魂」という作品があります。
主人公佐太は、生まれた日は死んだ日だった、という紹介をされ、その破天荒な生きざまが綴られます。
化け物じみた生命力を持つ佐太は、口減らしのために生まれるとすぐにりんごの木の下に埋められてしまいますが、穴から這い出て大声で泣き叫びます。
父親はさらに頭を殴ってさらに深く埋めますが、やっぱり這い出てしまいます。
やむなく育てることにしましたが、姉二人を犯し、兄三人を召使のように使役し、父親は自分が元埋められていた場所に埋めてしまいます。
荒魂(あらみたま)は和魂(にぎみたま)と対をなす概念で、怖ろしい、荒ぶる神を表します。
佐太はこの後田舎を出て仲間を得、革命とも争乱ともつかない騒動に身を投じるのですが、果たして荒魂は佐太その人を指しているのでしょうか。
あるいは佐太の一派すべてを?
この作品は石川淳お得意の現世的野心や神性に加え、現代風俗や経済問題などまで書き込み、べらぼうに面白い作品に仕上がっています。
しかし、「至福千年」や「紫苑物語」、「狂風記」に見られるような異常な緊張感とか、構成の妙に欠けるような気がします。
某文芸評論家は、「荒魂」を評して、かっらっぽであり、手法を楽しむ小説、と断じていました。
また別の評論家は、ばかばかしくておもしろくて、と評していましたね。
いずれも、何か戸惑っているように感じました。
何しろ冒頭から前半部が強烈な印象を残しますが、後半、作者自身が戸惑っているような感じを受けます。
私は失敗作にこそその作家の長所短所が端的に現れると考えています。
「荒魂」においても、石川淳的な要素が詰め込まれ、詰め込みずぎて分けが分からなくなったように思います。
ちょうど、三島由紀夫の「鏡子の家」のような感じです。
私は「荒魂」をもう少しじっくり読む必要を感じました。
そこから誰も読みとくことができなかった石川淳という巨大な作家を読み解く糸口が見つけられるような気がしています。
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