ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

信じ込む

2019年08月23日 | 思想・学問

   明日から土日月と3連休です。
 月曜日は電気設備の一斉点検のため、電気が使えないことから、休暇となりました。

 8月は休んでばかりのような気がします。

 休みが多いのはうれしいですが、仕事が溜まるのが嫌ですねぇ。

 月曜日から金曜日まで働き、土日休むというのが基本の生活で、どこか円環的に感じます。
 繰り返し、というわけです。

 しかし、繰り返しのように見えて、一秒とて同じ瞬間はありません。

 常に違う一瞬を生き、その一瞬は消えていきます。
 そう考えると、私たちの生は円環的というより直線的と言えるのではないでしょうか。

 死に向かって真っすぐに進む道。
 それは、生まれ落ちた瞬間から。

 先般の義父の通夜・告別式を見て、改めて人は儚いと感じました。

 実父の時は、ショックが大きすぎて、人が死んだというより、実父の存在が消えたことが信じられず、儚さを感じる余裕はありませんでしたね。

 儚くても、生きている以上、死に向かう一本道をひたすら歩まなくてはなりません。

 これは考えてみると怖ろしいことです。
 刻一刻と死の瞬間が迫っているわけですから。
 言ってみれば、人は生まれ落ちた瞬間から、全員死刑を言い渡されているようなものです。

 そのような生をよりよく生きるため、宗教や哲学は生まれたのでしょうね。
 あまり効果はありませんが。

 ただし、何であれ、信じ込んだ場合、効果は絶大です。
 麻薬みたいなものです。

 私は麻薬と知りながら、何か宗教でも哲学でも、頭の先からしっぽの先まで信じ込んで、脳内麻薬を放出し、人生をやり過ごしたい、という昏い欲求に駆られます。


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