気付いたら、一日が終わってしまいました。
休日の時間の流れとは、切ないばかりです。
私は今、夕飯を終え、焼酎で良い感じになっています。
この酔いが私にわずかな慰めをもたらし、その反動として、時間を奪います。
私は40代半ばを迎え、なんだか全てを諦めてしまったような気分に襲われています。
それと同時に、自殺願望という狂気を孕んだものとは別に、死は恐るべきものではないのではないかと思うようになりました。
なんとなれば、人は必ず死ぬように出来ていて、それをむやみに怖れることは、人生をつまらなくするように思うのです。
私はそれぞれの年代において、馬鹿な遊びを楽しみ、年相応の愚かな行為を楽しんできました。
しかし今、その場しのぎの遊びを楽しむ時期はとうに過ぎました。
静かに、人生の終わりを考えるべきでしょう。
現在の寿命を思えば、やや早過ぎるのかもしれませんが、私は何しろせっかち。
生まれる時も、予定日より二か月も早く出てきて、未熟児だったため、乳を飲む力が無く、母はスポイトで無理やり私に乳を飲ませ、あまりに体重が軽いため、八百屋などで使う量りを買ってきて、毎日私の体重を計り、私が成長することを願ったそうです。
残念なことに、私は神のうちと言われる7歳をとうに越え、40代半ばまで生き延びてしまいました。
スポイトで無理やり乳を飲まされたせいか、私は牛乳が嫌いで、中学までは給食で出されるためにやむを得ず牛乳を飲み続けましたが、中学卒業後、現在に至るまで牛乳を飲んでいません。
牛乳を止めて、もう30年もたちます。
今後も飲む気はありません。
大体牛乳というものは、子牛が飲むもので、人が飲むものではありますまい。
それらのことが、私の死生観に影響を及ぼしているものと思います。
牛から乳を奪うことは嫌、栄養があるからといって嫌いな物を食うのは嫌、運動は体に悪いし、これ以上痩せるのは嫌。
嫌なことばかりです。
してみると、私は人並みの寿命はあるのかもしれませんが、特別長生きすることは無いでしょう。
それなら少々早くても、自分の終わりを考えなければなりますまい。
武士道とは死ぬことにみつけたり、とほざいたのは「葉隠」においてでしょうか。
葉隠 (講談社学術文庫) | |
小池 喜明 | |
講談社 |
葉隠 (まんがで読破) | |
山本 常朝,バラエティアートワークス | |
イースト・プレス |
それは何も死に急ぐということではありますまい。
必ず死ぬ人間というものの冷徹な現実を思うとき、私たち一人一人は、その最後を早くから覚悟しなければならず、それには40代半ばは必ずしも早いとは思えないのです。
人間にとってまったく不明である死という事態。
それを忘れてつまらぬ仕事に時間を割かれる今の自分を、恥じずにはいられません。