マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

DD51牽引・14系客車:急行「ニセコ」

2011-08-31 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
DD51牽引・14系客車:急行「ニセコ」


「ニセコ」は、函館~札幌間を結んでいた、函館本線山線経由の代表的な由緒ある急行列車です。客車編成とディーゼル急行が存在し、上りの「ニセコ」では根室~函館という大変長距離の設定もありました。
晩年はディーゼル急行の設定が特急「北海」に格上げされ、客車急行のみの設定となります。

客車列車については、その昔からC62重連運転でも大変話題になっておりました。SL廃止後もDD51にその運転スタイルが引き継がれています。それほど山線は線路のアップダウンが激しく、定時運転確保が非常難しい、過酷な路線であったことが窺えます。



昭和56年3月20日 函館~五稜郭間にて DD51657牽引 下り「ニセコ」

私が高校時代、2回目に渡道した際に撮影した写真です。確か帰りの青函連絡船まで時間があって、函館駅の構内の外れから撮影した写真だったと思います。
今まさに函館駅を発車した「ニセコ」は、DD51が排気煙を吐きながら加速しているところで力強さを感じさせますね。
実は、この前年同季にも訪れており、帰路に急行「ニセコ」に乗車しています。そのときはまだ旧客編成であり、グリーン車も連結されていました。そんなシーンも余りに地味であったため、撮影をしていなかったのが非常に悔やまれます。





昭和58年9月6日 小沢~倶知安間にて DD51重連牽引上り「ニセコ」

こちらは、いわゆる「山線」区間で撮影した写真です。峠の勾配が険しいため、DD51になってからも重連仕業となっていました。当時、重連のDD51が定期で牽く客車急行列車としては唯一だったと思われます。さすが、重連は迫力がありますね。
上り列車は郵便車1両のみの連結となっていますが、14系化されて単一化した中でも、旧型車の連結はアクセントになっていました。





昭和58年9月7日 大沼公園~赤井川間 DD51710牽引 下り「ニセコ」

私が唯一現役時代の3つ目を捉えることができた710号機牽引の「ニセコ」。
この写真を撮った時は3つ目の存在の意識は全く無かったのですが、後に唯一残った745号機で大ブレイクした際、やっとこの写真の貴重さに気付きました。
下り列車は函館方に2両の荷物車と1両の郵便車を連結していました。この郵便車は、長躯本州から海を渡ってきます。
天気が悪く、画像がショボイのが非常に残念でした。

そして昭和61年10月31日を以って急行「ニセコ」は廃止となり、気動車による臨時運転が存続したものの、それは歴史ある急行「ニセコ」とは大きく異なるものでした。

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103系:鶴見線

2011-08-30 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
103系:鶴見線


205系による103系の淘汰が顕著になってきた頃、各線の103系を手当たり次第に撮ってきました。その際、鶴見線にも訪問しています。
旧型国電に廃止以来、鶴見線を訪問することがありませんでしたので、103系としては最初で最後の鶴見線訪問でした。

撮影は、すべて平成14年5月5日です。



国道駅にて

旧型時代も含めて、初めて下車しました。国道駅って、何か昭和30年代の映画に出てくる風景のセットのように感じました。写真は645のリバーサルダイレクトプリントですが、あの頃デジカメを持っていたら駅の写真をたくさん撮っていたことでしょう。



浅野駅にて

鶴見方面から分岐への進入。複線同士の振分線は、奥羽本線の「赤岩」を思い出します。(周りの風景が違いすぎますけど・・・。)



浅野駅にて

逆光でチョット厳しい写真になってしまいました。しかし、この芝浦支線のホーム、都会にあるまじきカーブですね。



安善~武蔵白石間にて
高圧線柱を兼ねたうっとしい風景。普通なら腹立たしいのですが、鶴見線らいいという風景でしょうか。


鶴見線は、103系が終焉まで残った路線ですが、低窓車のみ残留配置という、ある意味幸運な路線でした。すべてが3両編成運用のためクモハが必要なこと、上り下りで違うタイプの運転台に不都合があったこと、などが考えられると思います。

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103系:京浜東北線 クモハ103編

2011-08-29 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
103系:京浜東北線 低窓車


クモハ103と言えば、大前提が低窓車であることはご存知だと思います。
京浜東北線においてはこのクモハ103が必ずと言っていいほど連結されており、特に7+3編成には必須の車両でした。
その後増備されることとなるATC搭載車はクモハがないため、京浜東北線のATC化の準備として、分割編成の6+4化が進むことになります。
ここでの大きな動きとして、ATC化できない低窓のクモハ103とクハ103が6+4編成の中間に封じ込められることになってしまったのです。
ちょうど私が高校生になった頃、写真の撮影も活発に行うようになっていましたので、見られなくなってしまう前にと、そこそこの枚数を撮影していました。



昭和53年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて

これは少し時期が外れてしまいますが、クモハ103を流し撮りした写真です。中学生の頃で、まだATCなんて影も形も無かった頃です。
前回アップしたときには気が付かなかったのですが、冷房改造されていないのにシールドビームに改造されています。京浜東北線の中では珍しい存在だったかもしれません。



昭和55年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて



昭和55年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて



昭和55年7月 京浜東北線 西川口~蕨間にて

これもシールドビーム2灯になっていますね。1枚目と同じ車両でしょうか?



昭和56年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて



昭和56年初頭?

雪の中で撮ったクモハ103。

ATC化に際して7連の内側クハと大宮方のクモハ+モハの連結位置を交換することによりATC搭載クハが両先頭に出ることになり、結果として低運クハやクモハが中間に封じ込められる形となりました。
低運クハとクモハは全てがATC非搭載のため、ATC化後は先頭に現れることはなくなってしまいました。

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103系:中央総武緩行線(オレンジ色)

2011-08-28 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
103系:中央総武緩行線(オレンジ色)


中央線の201系化で捻出された103系が大量に中央・総武緩行線にやってきました。
中央快速線は、古参101系よりも103系の方が早く撤退してしまった異例の路線です。おそらく、101系の冷改車を多数抱えていたので、非冷房車を中心に廃車するとともに、中央・総武緩行線の103系化(=冷房化)を優先させ、南武線への101系冷改車転属を目論んだためにタイムラグが生じたのでしょう。

そんなことで、一時期、中央快速線の象徴であるオレンジバーミリオンの103系が大量に総武・中央緩行線に流れ込んできたのでした。



昭和55年頃 総武本線 平井駅付近にて

遠くのビルから撮った写真なので、画像をクリックすると大きくなるように設定しておきました。
それでも見づらいですが、オレンジの車体の前面に「中央・総武 各駅停車」と書かれております。これは、中央快速線と並行していることとあわせ、早朝・深夜は中央快速線の電車が緩行線を各駅停車で走る時間帯があるため、誤乗防止のための配慮でしょう。
通常、正面ステッカーは白色のものが多いですが、このケースではさらに中央・総武緩行線を主張するような黄色地ステッカーとしてあるのも特徴です。

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103系:南武線(最晩年)

2011-08-27 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
103系:南武線(最晩年)


昔から新製車が投入されることのない南武線。101系から103系と、都心の国電と同じ道を歩みます。
101系の老朽化に伴い、103系が導入されることとなりますが、主に中央・総武緩行線に投入された最終増備車が多く残っていたようです。



尻手駅にて



武蔵新城駅にて



武蔵中原駅にて

撮影は、すべて平成14年5月5日です。
それまでは、わざわざ103系の写真を撮り歩くことなど考えられなかったのですが、山手線の205系転出が始まるといよいよ103系廃止の危機感が増し、慌ててあちらこちらの103系を撮りまくりました。

南武線では73系や101系時代のイメージが強いため、103系の写真を撮ったのはこの時が最初で最後となってしまいました。

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