マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

旧型国電 飯田線:クモハ53007

2013-09-29 02:01:00 | 旧型国電
旧型国電 飯田線:クモハ53007


飯田線で活躍いたしました合いの子流電の相棒であるクモハ53007。
クモハ52流電の撤退後は、おそらく一番人気であったと思われます。
私は狭窓のクモハ42系が好きだったのですが、この007を見てからというもの、張上げ屋根の流美な姿に釘付けとなってしまいました。

しかし、残念なことがありました。
飯田線では「連結位置」なる決まりがあるようで、基本2連のどちらかが他の2連と組む側が決まっており、クモハ53007は同車の前面に他の編成を連結していました。
つまり、4連になる限り、先頭に出ることがなくなってしまうのです。実際、私が4連の先頭に立つ同車を目撃したことは皆無であり、ことこの編成は2連の単独運用が殆どなかったようでした。
そんなこともあり、美しい前面の姿を走行写真で捉えることは最後までありませんでした。



昭和58年6月6日 撮影場所不明



昭和58年6月6日 撮影場所不明

いずれも同日に入っていた運用から撮影したものと思いますが、ご覧の様に007の側に他の編成を連結した4連で走るので、憧れの姿を拝むことはまずできなかったのです。
しかし、この末期の頃にファンサービスか、或は119系の運用開始による変更があったのか、2連で運用されたり、4連の先頭に立ったこともあるようです。



昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて

007の顔を初めて拝むことができたときの写真です。飯田線に通うようになってから1年半も後のことです。
立ち寄った伊那松島機関区において、偶然にも運用に入っていなかった007がど真ん中に、しかも最良の光線状態の中で迎えてくれました。
このときは本当に嬉しかったです。



昭和58年6月29日 浜松工場留置線にて

最後にこのきれいな前面を見ることができたのは、皮肉にも一足先に運用から外れ、廃車解体のために浜松工場へ送られていた場面でした。
当時のその人気から、最後は007がさよなら運転になるだろうと誰もが想像していたと思いますが、そんな願いもむなしく、最後の活躍を続ける僚車よりも早く旅立ってしまいました。008よりも調子が悪かったのか、単に検査期限の関係だけだったのか、詳しいことは分かりません。

殆どの旧型国電が標準化改造をされる中、クモハ52003、004とともに、生涯を終えるまで張上げ屋根の美しい姿のまま人生を全うしたクモハ53007。
鉄道模型の老舗であるKATOから製品化されることを大変うれしく思います。

誕生の簡単な経緯等を、過去ログ『旧型国電 飯田線:クモハ53008』でご紹介しておりますので、あわせてご覧ください。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

寝台特急「ゆうづる」が北海道へ

2013-09-24 23:53:00 | ノンジャンル
寝台特急「ゆうづる」が津軽海峡を渡ります。

JR東日本水戸支社企画の団体列車のお話です。

しかも、常磐線から水戸線・東北本線を経由するというのですから、とても往年の特急「ゆうづる」再現というには無理がありますが・・・
東日本大震災常磐線が不通になっているため、本来の姿を再現できないのが非常に残念です。

しかし、撮り鉄泣かせのコース、時間ですね。

公式ページは → こちら





にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

153系・165系:急行「外房」

2013-09-21 23:39:00 | 国鉄・JR急行列車
153系・165系:急行「外房」


房総各線は路線距離が短いため、昔から急行列車の運転が活発でした。
内房線・外房線では165系循環急行「みさき」「なぎさ」が運転されていましたが、大網駅のスイッチバック解消(昭和47年)によ編成順序が逆になってしまうことから、同列車は昭和50年3月まで運転は続けたものの、同改正を以って運転を分離することになりました。
あわせて、同時に誕生した急行「内房」の他、総武本線・成田線の全線電化により電車化された「犬吠」「水郷」、新規の「鹿島」と共通運用とされ、さらに、不足分を山陽区間で余剰となった153系を転属させて充当することになります。

今回は、急行「内房」の相棒となる、急行「外房」の写真をご紹介いたします。



昭和51年6月6日 両国駅にて

これは初めて房総系の列車の写真を撮ったときのものと思われます。
写真はイラスト化以前のヘッドマークであり、枠には赤が使用されていました。
ポケットカメラのネガから無理矢理スキャンしてみました。





昭和51年夏頃? 錦糸町駅にて

オートハーフなので写りも悪いしブレてしまっているのですが、こちらは165系3連+
153系編成7連=10連の写真です。
この頃から照度向上のためのシールドビーム化が顕著になっており、古い153系も例外ではありませんでした。似合わないですね。





昭和54年 錦糸町駅にて

こちらは153系7連の「外房」です。
53・10改正後、いつ時点かわかりませんが、房総急行のヘッドマークにもワンポイントのイラストが入るようになりました。「外房」は貝のイラストでしょうかね?赤系の色遣いが継承されていますが、若干淡くなってますか。
塗装合理化が進行して久しいですが、2号車のグリーン車にはまだ帯が入っています。



昭和56年12月 平井駅にて

こちらは最後に撮った「外房」の写真です。165系10連になっており、さすがにグリーン帯はなくなっています。
房総では基本7連に付属3連が用意されており、多客ではなくても10連があったように記憶しています。快速も急行も所要時間は殆ど変らないため、7連でさえも乗っている客はわずかでした。

東海道口では、昭和55年から153系の淘汰が始まり、185系化されてしまったので、首都圏では最後まで153系が残ったのが房総地区でした。

房総急行は、昭和57年11月のダイヤ改正により、すべて消滅しています。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」

2013-09-15 23:23:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」


旬をとっくに過ぎてしまった列車ですが、リバイバルが組まれそうもないので一旦アーカイブしたいと思います。

平成24年、185系に157系風の塗装を施したOM08編成が出場し、鉄道ファンの注目を集めました。
先に登場しました湘南色と同様、イベント用という位置づけではありませんが、あまりのインパクトはその上を行く感じで、しかもそれなりに似合っていることからファンにも歓迎されたようです。

この車両を使用し、平成24年3月3日、送込みを兼ねた高崎~伊豆急下田間に臨時特急「上州踊り子」が設定されました。



平成24年3月3日 南浦和~蕨間にて 185系OM08編成 臨時特急「上州踊り子」

登場したばかりの157系色OM08編成を使用し、以前にアップいたしました草津号50周年記念と同様のスタイルの特製ヘッドマークが取り付けられました。
※現在はスカートがグレー塗装になっており、印象も異なります。

この列車は、伊豆急下田に到着後翌日にかけて臨時特急「あまぎ」号として運用され、返しは設定されない片道運転となりました。

実はこの列車、前年の平成23年3月26日に設定されおり、おそらくは湘南色のOM03編成を使用した臨時列車として運転される計画となっていたようですが、直前の3月11日に東日本大震災が発生したことにより、設定中止となっていたものです。
震災によりすべてお蔵入りになってしまったと思っていましたが、1年後に企画が復活したことをうれしく思いました。

私自身も楽しみにしていた企画でしたので、震災とともに記憶に残る列車となりました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

大宮操車場:ハンプ入換における客車の取り扱いについて

2013-09-08 13:43:00 | 駅・停車場・操車場
本日、マル鉄コレクション館において、『KATO スニ412000』をアップしたところですが、大宮操車場のハンプに勤務していた際、同車に一度だけ乗ったことを思い出しましたので、憶えているうちにハンプ入換における客車の取扱いについて記しておきたいと思います。


まずは手ブレーキについて。

貨車については、基本的に単車での入換を可能とするため、各車に手ブレーキ装置が設備されています。
その殆どが突放入換やハンプ入換に支障の無いよう、添乗ブレーキとなっているのですが、特殊な用途の車両では、添乗ブレーキを備えていないものも存在します。
例えば、思いつくところでは、車運車(ク5000)や大物車などがあります。

この場合、これらの貨車は「突放禁止」の指定を受け、突放入換はできず、ハンプも原則通過できなくなります。ただし、添乗ブレーキの備わる車両と組んでいれば、その添乗ブレーキを使用することによって、突放やハンプ通過も可能となります。


ここにブレーキハンドルが付いていたら、突放はできませんよね。


では、客車はどういう扱いになるでしょう?

これは、ごく特殊な例を除き、突放禁止の貨車と同じ扱いになります。
特に、中間車は手ブレーキすら備えていないため、当たり前の話となります。

一方、緩急車はどうなるのか?

客車でも緩急車は車掌室或いはデッキに手ブレーキを備えており、添乗しながらブレーキを掛けることが可能です。しかし、これも突放はできません。
なぜか・・・それは、乗り込む設備にあります。



客車の場合、突放入換を想定していないため、客車に「飛び乗る」ためのステップが付いていないのです。※写真の差す部分は単なる乗降用のはしごになります。
つまり、走行中の客車に飛び乗るのは非常に危険な行為となるため、突放禁止の扱いとなるのです。

大宮操車場のハンプ入換では、いわゆる客車の通過というのはないのですが、大宮工場に入場する荷物車に限り、貨物列車に併結されてくることがあったため、稀ではありますが、何度かその場面に居合わせたことがあります。

やはり原則どおりの扱いとなりますが、強硬手段があります。

ハンプの山から直接荷物車に乗り込み、転送するのです。つまり、飛び乗りをしないでブレーキ扱いをするわけです。これも何度か経験したことがあります。
このような手段をとれない場合には、DEが荷物車を連結したまま降りてきて、所定の位置で停車してから乗り込み、ブレーキを掛けることとなります。



ちなみにですが、私が大宮操車場にいる間、客車の中間車や気動車がハンプを通過したところは見たことがありません。

貨物の大合理化以来、貨車もコンテナ車ばかり、ハンプは全廃となり、突放入換もなくなったためか、コキ100系にも添乗ブレーキが備わらないものが出現しています。

※タンク車などでよく「連結注意」の表示が見受けられますが、「突放禁止」とはまったく別物です。連結注意でも、通常の入換では遠慮なくぶつけてました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村