マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

りんかい線:20周年ヘッドマーク

2016-07-31 01:43:00 | 第三セクター
りんかい線:20周年ヘッドマーク


東京臨海高速鉄道(りんかい線)は、平成28年3月に開業から20周年を迎えることになり、70-000形2編成にステッカー式のヘッドマークを取り付けて運転されました。





平成28年4月11日 赤羽駅にて 第7編成

朝の通勤時に乗車したりすれ違ったりする機会が多くありましたが、朝の通勤では撮影する余裕なんてありませんので、なかなか撮る機会に恵まれません。
これは残業の帰りにたまたま出くわし乗車したもので、一番混む先頭に乗って赤羽での撮影ができました。






ステッカーは4種類がデザインされ、側面には各1枚ずつ、先頭車も2編成で前後違いに各1種類ずつ掲示されたようです。





平成28年6月29日 戸田公園駅にて 第3編成

通院で時間休を取った際、どれか撮れないかと思ったところ、何とも偶然にまた乗車する列車が当該編成でした。撮り終わって確認したところ、残りの第3編成でした。

また撮る機会があればと思っていたのですが、見ないと思ったら6月30日が掲示期限だったようで、この写真が終了前日だったんですね。
駅撮りでももうちょっとキチっと記録したかったですね。



都営新宿線 10-000形:10-210編成

2016-07-27 00:44:00 | 公営鉄道(地下鉄・路面など)
都営新宿線 10-000形:10-210編成


都営新宿線10-210編成は、昭和61年に船堀~篠崎間延伸の際に増備された3次車です。



平成22年6月3日 東大島駅にて 10-210F

それまで全く撮影などしたことのなかった都営新宿線。
現場仕事で一之江まで行く機会があり、時間的に余裕もあったことで地上区間の東大島駅でちょこっとだけ撮影した時のものです。
この時点で1・2次車は既に廃車されており、この3次車が最古参になっていました。この写真を撮影した1年半後の平成24年1月7日、廃車のために回送されたそうです。



日野セレガGT(シアターシート):(有)豊栄観光

2016-07-22 01:04:00 | バス・トラック
日野セレガGT(シアターシート):(有)豊栄観光


現場仕事で、昼食後の移動の際、見つけたバスです。
もう結構時間が経ってしまいましたが、当時としては既に珍しくなっていました。

交差点で右折信号待ちをしていたバスが、結構違和感があったんです。
目が悪いのでカメラを取り出し望遠で覗いてみると、なんか客窓が斜めなんですよね。
それで、右折して来るまで交差点でカメラ構えて待っていました。



平成23年11月7日 八重洲南辺り 日野セレガGT

バスに興味をもって写真を撮っていた頃ですが、観光バスタイプはあまり区別が付かなくて・・・家に帰ってから調べてみました。
最初は外国製かと思っていましたが、画像を拡大してみたら「日野セレガ」の文字が見えました。調べてみますと、どうも「日野セレガGT」という車種らしいです。

この車両、「シアターシート」といって、映画館のように傾斜した床構造となっており、1993年(平成5年)で製造が打ち切られているらしいです。
ということは、最低でもこの時点で既に18年以上も経過していることになります。

事業者は川越の(有)豊栄観光という会社で、HPがないらしく、詳細が良く分かりません。
都心部にこのような古いバスを乗り入れているとすれば、当然「自動車NOx・PM法」に適合させているということなのでしょう。

当時としても既に貴重なスタイルであったバス。貴重な記録として残りました。



キハ52156(国鉄時代)

2016-07-21 01:06:00 | 国鉄・JR普通列車
キハ52156(国鉄時代)


キハ52型気動車は、キハ20系に属する両運型の単車で、キハ20の1エンジンに対し、2エンジンを搭載した強馬力型の気動車です。

昭和50年代前半、旧型の10系気動車を置き換えるためにキハ40系列が新製されるようになると、さらに新旧交代は20系気動車にまで及ぶようになってきました。
キハ22が多かった北海道では交代が緩やかでしたが、本州や九州ではかなりのスピードで世代交代が行われ、1エンジンのキハ20、25、キハユニ26はあっという間に淘汰されてしまった感がありました。

一方、2エンジンで誕生したキハ52は、両運型で強馬力であったためか、使い勝手が良かったようで重宝され、最後の車両は平成23年まで長きにわたって活躍しました。



昭和57年8月8日  富山駅にて キハ52156?

富山港線の撮影の際、側線に停まっていたキハ52を何気に撮影していたものです。
当時は既にかなりの20系気動車が廃車になってきていましたので、希少性に気が付いていたと思います。しかし、この首都圏色は好きではありませんでした。

スキャニング画像を大きくして確認したところ、どうも車番が156に見えます。
当時、富山機関区の所属であり、おそらく高山本線やその支線に使用されていたようです。
そしてなんとこの156号は、JR化後も西日本に残り、さらに冷房化の上最後まで大糸線に残っていた車両なんですね。これには驚きました。

大糸線に残った冷房化後の同車に出会ったことは残念ながらありませんが、さらに驚くことに糸魚川で保存されているということです。

個人的にはあまり記録の残っていないキハ52ですが、保存車の原形時代の記録できていて嬉しく思います。



鶴見線:武蔵白石駅(大川支線ホーム)

2016-07-18 02:01:00 | 駅・停車場・操車場
鶴見線:武蔵白石駅(大川支線ホーム)


鶴見線と大川支線の分岐駅となっている、鶴見線武蔵白石駅。
現在は大川駅行きの電車が通過してしまう駅となってしまいましたが、クモハ12が現役で走っていた平成8年3月15日までは、大川支線用ホームとして3・4番線が存在していました。

このホームは、線路が急カーブとなっており、さらに本線や専用線などとの合流・分岐の関係からホームの長さ及び幅とも拡張することのできない、非常に厳しい立地条件となっています。
かつては買収国電やクモハ12など17m車で対応していましたが、旧型国電での運用も限界となり、クモハ12の引退に合わせて103系化。この際、建築限界支障により20m車が通過できなくなってしまうため、ホームを撤去の上に通過扱いとし、乗換駅としての役割を終えました。



昭和53年2月19日 武蔵白石駅にて

クモハ12が停車しているのは3番線。左側の本線から直通する線路が4番線になります。
弁天橋から入出庫する電車は4番線を使用していたものと思われますが、これを目撃したことはありません。通勤時間帯を外れたクモハ12は、3番線で休憩している時間も結構長かったようです。

武蔵白石~大川間はわずか1km。歩いても10分強くらいでしょうから、数十分を掛けて待ってもあまり意味は無さそうで、私自身もこの区間は未乗となっています。
現在は鶴見までの直通列車となっているため、乗換待ち自体がなく便利になったものと思います。
かつてはこのような不便な乗継に文句も言わず、企業戦士たちが黙々と利用していた・・・そんな夢の跡と言った感じに思えます。



関連リンク → 『旧型国電:クモハ12