マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

EF651030牽引:12系お座敷客車「オリエントサルーン」

2018-03-31 23:58:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
EF651030牽引:12系お座敷客車「オリエントサルーン」


「オリエントサルーン」は、国鉄分割民営化直前の昭和62年1月に誕生したジョイフルトレインで、種車は12系客車です。
分類上はお座敷客車ですが、内装は座敷構造としながらも絨毯敷きになっていたようで、いわゆる和洋折衷客車だったそうです。

当時、ジョイフルトレインの配置が無かった仙台地区ですが、民営化前の旅客獲得を目指した国鉄の政策から各地でジョイフルトレインが誕生し、ここに「オリエントサルーン」が配置されました。
運用範囲が仙台を中心とした東北地区であったため、なかなか東京に姿を見せる機会が少ない車両でした。



昭和63年1月3日 栗橋~東鷲宮間にて EF651030牽引 「オリエントサルーン」


珍しく東北本線を上ってきた「オリエントサルーン」。
確かこの時はわざわざこの列車を撮るために撮影に行ったように記憶しています。
せっかくの撮影だったのですが、あまりにもゆっくり走ってきた「オリエントサルーン」のシャッターチャンスに、背後から特急「あいづ」に襲われました。ギリギリまで引っ張って撮ったのがこの写真です。

なかなか撮影できなかった「オリエントサルーン」ですが、磐越西線へD51を撮りに行った際に撮ったことがありました。その写真は、過去ログ『ED77牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」』でご紹介済みです。

客車の老朽化と言いますが、おそらくは内装の陳腐化と客車淘汰のために平成12年11月に廃車となりました。



EF66牽引:寝台特急「さくら」

2018-03-28 22:59:00 | 国鉄・JR特急列車
EF66牽引寝台特急「さくら」


春と言えばやはり代表する景色はサクラ。
現在は九州新幹線の愛称となっている「さくら」も、言わずと知れた寝台特急ブルートレインの愛称でした。

寝台特急「さくら」については、既に過去ログ『EF65P型牽引:寝台特急「さくら」』『EF65PF型牽引:寝台特急「さくら」』で牽引機ごとにご紹介済みですが、EF66牽引の写真についてはアップしていませんでした。たった2枚しかありませんが、この機会にまとめたいと思います。



昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6647牽引 2レ 寝台特急「さくら」



昭和62年2月14日 東海道本線 真鶴~根府川間にて EF66

寝台特急「さくら」の最後のパートナーはEF66型。牽引定数の変更は無いものの、「はやぶさ」「富士」との共通運用となり、東京~九州間の特急牽引機はすべてEF66に切り替わりました。
ヘッドマークもモモ桜にみどり紋様となり、九州で蒸機が牽引していた頃のイメージとなっています。


平成になってからは「さくら」の写真を撮る機会には恵まれず、「さくら・はやぶさ」が併結されていた時代の写真も撮らないうちになくなってしまいました。
九州にも2度行ったことがありますが、いずれも昭和50年代でヘッドマークの復活も無く、記録も残っていません。昭和の時代を生きてきた年代としては、ここまでブルトレが衰退することは予測できませんでした。



平成21年11月14日 オハネフ25 「さくら」

尾久車両センターの公開で展示されていたオハネフ250番代の「さくら」。
早くからブルートレイン化された「さくら」でしたが、20系→14系のまま終わっており、24系25形化されたことはありませんし、記憶する限り臨時列車が運転されたこともありません。したがって、金帯オハネフは全くの架空です。
でも、結構似合っている感じがします。





キハ40系盛岡色:津軽線 345D

2018-03-24 19:05:00 | 国鉄ローカル線
キハ40系盛岡色:津軽線 345D


平成30年3月のダイヤ改正で、八戸線のキハ40系が「うみねこ」を除きすべてキハE130系に置き換えられ、これに伴いキハ40系盛岡色が終焉を迎えたとの情報がありました。

遠く離れた地の情報でもあり、八戸駅を乗り換えで使用したことはありましたが、八戸線を撮影したことはなかったので、ちょっと戸惑ってしまいました。
何故かというと、私の記憶では、八戸線以外の路線でも盛岡色の印象があったからなのです。

釜石線では平成6年頃から、山田線などでは平成19年頃からキハ110系に置き換えられていたらしく、青森近辺でも、路線として孤立している大湊線では、快速「しもきた」を含めてキハ100系化されてしまっていたようです。

あまり塗色変更車が好きでなかったために撮影が疎かになりがちでしたが、盛岡色で1枚だけ撮影していたのを思い出しました。



平成24年3月11日 青森駅にて 津軽線 345D キハ40556ほか

寝台特急「日本海」が最後を迎えるとき、青森まで行って撮影してきました。その際、ホームに停まっていた津軽線の345Dを撮影したものですが、これが盛岡色を撮った最初の写真だったようです。
昔ならこのような状況ではまず写真を撮ることはなかったのですが、ここはやはりデジカメ時代の産物と言ったところですね。
盛岡車は渡り板に記号番号が記載されているので、車番も判って良い記録になります。



平成24年3月13日 青森車両センターにて キハ40568ほか

なんとなく別に見たような記憶があったのでデータを探したところ、青森車両センターを偵察に行った際、DE101751が居たので写真を撮り、構図の関係で手前に写っていたがキハ40568盛岡色でした。おそらくは、八戸線運用のために青森に駐機している車両だと思われます。

民営化の頃からキハ40系を始め、キハ20系、キハ45系、キハ58系まで巻き込んで東北東部を席巻した盛岡色ですが、いつの間にかキハ110系などの新鋭車に置き換わっており、盛岡管内ではキハ40系も絶滅車になってしまうようです。

八戸線のキハ40系全廃と盛岡色消滅の繋がりがイマイチ良く理解できなかったのですが、津軽線を調べてみたらいつの間にか秋田車の運用に差し変わっており、やっと状況が理解できました。
偶然ではありますが、この塗装車がギリギリのところで記録出来ていたのでホッとしました。




115系湘南色:両毛線

2018-03-22 01:15:00 | 国鉄・JR普通列車
115系湘南色:両毛線


平成30年3月のダイヤ改正で、JR東日本高崎支社管内の115系がすべて定期運用から外れることになりました。平成30年3月21日の「ありがとう115系(ツアー)」をもって完全に撤退となり、残すは新潟地区のみとなります。

東海道本線や東北・高崎線から211系が撤退した際、特に寒冷地型については改造なしで編成を短縮し、そのまま高崎地区に転用するものだとばかり思っていましたが、予想は見事に外れ、中央本線を含む長野地区への投入が優先され、むしろ高崎地区は最後発になってしまいました。おそらく、新潟地区へは新鋭のE129系の投入で終わるのではないかと思っています。

私の記録していた幾多の115系に係る写真はアーカイブ済みとなっていますが、両毛線で撮影した2枚分だけ放置されていましたので、ここで高崎地区115系のまとめとしたいと思います。



平成20年8月2日 小山駅にて 115系1000番代 両毛線 444M

東北新幹線400系の引退を前に、「つばさ」の写真を撮りに行った際に撮影したものです。
この115系普通列車で、次の目的地である桐生まで乗車しました。

高校時代や仕事で新小岩に通ったところは、良く東北・高崎線を利用したものでした。当時は115系オンリーであり、味気のない車両でもありましたが、久し振りに乗った電動車のモーター音に懐かしさで一杯になりました。



昭和62年3月19日 両毛線 岩舟~大平下間にて 115系4連 普通列車

ずっと時代を遡り、民営化直前の頃の写真です。
この日、EF5889牽引の団体列車が珍しく両毛線に入線することになり、友人と撮影に行った時のものです。
写真は団臨の前走りとなる両毛線の普通列車を撮影したものですが、この当時は殆どが115系だったように記憶しています。
付属編成4連も両毛線では基本編成となります。上野口では殆どが冷房化されてきましたが、冷房化から外れた115系は高崎地区のローカル仕業へと都落ちしていました。

非冷房車でシールドビーム化されていないオリジナル仕様は既に貴重になりつつあり、運転台窓下に取り付けられた銀箱も懐かしい記録です。

103系・113系と共に直流区間を席巻した115系も、東日本では残りわずかとなりました。


115系後期冷房車:東北本線・高崎線
115系(新長野色):中央本線
115系:初代長野色
115系スカ色:中央本線(中央東線)
115系新潟色:信越本線
115系湘南色終焉:上越線
115系 初代新潟色:上越線
115系新潟色:上越線
115系3000番代:誕生当初



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E351系:特急「スーパーあずさ」

2018-03-20 00:05:00 | 国鉄・JR特急列車
E351系:特急「スーパーあずさ」


曲線がスピードのネックになっていた中央東線。特急「あずさ」の需要に応えスピードアップを目的として誕生したのがE351系特急車両です。
平成5年12月から営業運転を開始し、8+4両の12両編成を5編成60両が製造されました。翌平成6年にはグッドデザイン賞も受賞しています。
ちなみに、JR東日本が導入する車両の形式に「E」を冠した最初の形式でもあります。

制御つき自然振り子装置を搭載し、曲線の通過速度をアップすることになりましたが、山岳区間における走行性能から一般特急型車両と所要時間に差が生じるため、「スーパーあずさ」として区別したのも同線では最初の例となりました。

平成9年にS3編成が暴走事故に巻き込まれ、早くも5両が廃車となってしまう不幸に見舞われましたが、使用可能な部品を使用して車体を新製し原番号で復活させたために製造量数は60両のままとなっています。当時、この事故は大きな話題となりました。

個人的にはそれほど好きな形式でもなかったため、写真を撮ったことは全くありませんでしたが、ちょうどデジカメを導入した頃から201系の引退が始まったため、その際に撮影していたことから幾度となく機会もあり、そこそこコマが残っていました。



平成18年6月7日 西国分寺駅にて

初めて撮影した「スーパーあずさ」ですが、デジカメの理屈がまだ分かっておらず、小さい容量で撮影してしまい、不安定な画質に。
それと、この変換可能はLEDのヘッドマークが曲者で、「スーパーあずさ」を表示するかどうか、シャッターを切る瞬間まで分からないのが厄介でした。



平成19年3月14日 西国分寺駅にて

201系の置き換えが半々くらいまでなったときに撮影に行ったものです。
目的である201系にカブられてしまったこの写真を良しとするか、ダメとするか・・・





平成20年4月5日 東中野~中野間にて

これも201系の終焉を記録しに行った頃で、サクラとの組み合わせを狙ったものでした。
当時の記録を見ますと、この日は御茶ノ水駅構内のポイント故障により大幅なダイヤ乱れがあり、いつ何が来るのか分からないような状況であったようです。
サクラは満開を過ぎ、結構散ってしまったようでした。


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平成20年7月9日 新宿駅にて M50編成「試運転」と並ぶ「スーパーあずさ19号」(再掲)

たまたま午後からの仕事の時に、新宿駅で発見し撮った写真です。


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平成20年10月11日 相模湖駅にて 「スーパーあずさ23号」

まだ性能の低いデジカメ時代で、暗くてブレてしまいました。
構内のカーブはきついですが、その分、E351系の車体の倒れ方が良く判る写真です。この角度に合わせ車体上部が絞り込まれています。



平成21年3月28日 勝沼ぶどう郷駅にて 「スーパーあずさ18号」


平成21年3月28日 勝沼ぶどう郷駅にて 「スーパーあずさ19号」

こちらもサクラとのコラボですが、都心のサクラよりもかなり開花が遅かったため、まだ1分咲きくらいでしょうか。せっかく遠征したものの、残念な結果に。



平成21年3月28日 相模湖駅付近にて 「スーパーあずさ23号」

またも帰り道に相模湖駅で下車。山陰は陽がどっぷりと暮れ、写りはやはり厳しいものでした。



平成22年4月4日 新宿駅にて 「スーパーあずさ19号」

調べてもなんの記録が残っていたかったので???だったのですが、丸ノ内線のサクラを撮りに行った帰り道、何故か新宿駅に立ち寄って撮影したようです。保存データにも整理していないようでしたが、どうもケータイで撮影しており、バックアップも忘れていたみたいです。





平成24年9月6日 八王子駅にて 「スーパーあずさ4号」

外回りのあるセクションへと異動となり、特に午前中が中央線沿線になると、ちょうど上りの「スーパーあずさ4号」通過に重なることが多くありました。
既に大糸線への乗り入れが無くなっており、中間の運転台を営業運転で見ることができなくなっていました。そんな状態ですと、逆に見たくなってしまう気持ちが大きくなり、こんな写真も撮るようになっていました。



平成24年9月10日 日野駅にて 「スーパーあずさ4号」

日にち場所が変わって、今度は日野駅です。
以前、ここで撮れると思っていた構図を選んだのですが、中央快速と並んでしまったので撮ることができなかったのです。この回は「スーパーあずさ4号」が2分くらい遅れたようで、単独で構図に収めることができました。
多摩川の鉄橋まで一直線のストレート。現場回りをするようになって知ったお気に入りの構図なんです。


富士急行で、元パノラマエクスプレスアルプスの「フジサン特急」が引退ということになり、撮影に行く機会がありました。撮影本数を稼ぐために早朝の出動となったのですが、ギリギリを避けるため、八王子から特急に乗ることにしました。
たまたま「スーパーあずさ」だったわけですが、既に新型E353系の導入が決まっていたため、体験乗車を兼ねられるのは好都合でした。
以下4枚は、平成26年1月18日、駅撮りは大月駅です。



乗車は八王子~大月の1駅間のみですので、自由席にしました。朝早い「スーパーあずさ1号」はかなりの乗車率で、たまたま八王子で下車した人が数人おり、なんとか着席できました。

振り子車両独特の絞られた形状のため、車内はちょっと圧迫感があります。乗る時は気が付かなかったのですが、降りるときにデッキに立ったら、天井は低いし、ドアと壁は頭に迫ってくる感じで、ものすごく居づらいです。立席じゃなくて良かったと思いました。

高尾を出たくらいまでは振り子の感覚が全く身体にまったく伝わってこなかったのですが、最初のトンネルの当たりぐらいからグッと斜めに滑るように振られる感覚。特にカーブに入る前やカーブしているときより、カーブから立ち上がった時にグッと戻る時の感じが非常に不快感を覚えます。それでも、やはりカーブの時の遠心力は、一般車両とは全く違い、身体に負担を感じさせません。
おそらく、国内の振り子型でも新型車としては初期の頃の性能であり、その後登場している他のJR振り子車には完全に引き離されてしまっていると思いますが、それでも、振り子車に乗りなれない私としては「さすがな」と思いました。

そんな感想を感じつつ、乗り心地が良かったのか悪かったのかも分からないまま大月についてしまいました。朝食抜きの空腹で、乗り物酔い以前に気持ち悪い寸前まで来てましたので、良いのか悪いのか良く判りませんでした。




乗るときは空席を探すのに必死で気が付かなかったのですが、乗った車両はE351系最大の特徴であるパンタグラフの車両だったようです。
この最大の特徴が最大のコストを生んでしまったようですね。




車端まで行くこともできず、列車は発車。仕方なく降りた場所の立ち位置から連結部を。




そして後部。「スーパーあずさ」の表示は出ていないし、暗いからブレるし。最悪な写真に。
せっかくの乗車もあまり記念に残せるようなものにはなりませんでした。



平成30年2月17日 新宿駅にて E351系 「スーパーあずさ5号」

現場のないセクションに異動となりますが、機会あるごとにE351系を撮れないか模索するものの、何故かタイミングが合わず捉えることができませんでした。
この時も「ホリデー快速富士山」からの撮影で新宿駅に降りた際、1本早い埼京線に乗れたために偶然間に合ったものでした。
結局、引退が既に決まっていたためか、側面のサボも最後まで改修されずに幕式のまま最後を迎えました。




E351系は一部が既に解体され、E353系の運用により離脱した編成もあったようです。最後は3編成が運用され、平成30年3月16日をもって定期運用から外れました。まださよなら運転が残っていますが、既にすべてが長野に戻されたそうです。

その特殊性から転用の道もなく、すべてが解体されてしまうようです。JR東日本とすれば産業遺産とも言える車両ですから、先頭車とパンタ車くらいは保存してほしいものです。

お疲れさまでした・・・E351系。